基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

秋よこい、台風は要らない

2006-08-30 11:54:35 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝からむしむしして気持ちが悪い、8月半ばになると空気が乾いてさっぱりする日が有るわけだ今年はがそれが無い、可笑しな年だ。先週三日ばかり曇った日が有って涼しかったが、余りさっぱりした日とはいえなかった。

 昨日3時ころ居間の中に、夕日にしては暑い日足がテーブルの足もとまで伸びてきていた、暦の上ではとっくに秋なのだから当たり前のことだが、それに付いてくる秋の乾いた空気がきない、8月もあと一日で終わると言うのにどこか可笑しい。

 雨が先ほどから降り出した、テレビの天気予報では昨日あたりハリケーンが台風に変わったようだ、気圧920hpaと強力のようでいまだどう動くか分からないが、我が国の上空はそのころ秋雨前線が停滞するころなので列島への影響がないよう祈るのみである。新聞報道では今年の米作は余り良い方ではないようなので。


斉藤投手フィーバーの間にもう一週間

2006-08-26 17:25:32 | 日記・エッセイ・コラム

 早いものだもう土曜日となってしまった、駒苫対早実の決勝引き分け再試合を見たのは今週月曜日で何時の間にか今週も終わりである。

 再試合は早実が1回2回と一点づつ入れて二対零とし、六回駒大一点を返したが早実裏に一点を加えさらに7回に一点とまた三点差とリードを広げ、これで決まったかと思わせたが、最終回駒大はランナー一人を置いて2ランホームランで一点差としたが追撃もここまでで、最後はお互いに投げあったバッター田中と投げる斉藤の一騎打ちとなったが斉藤のスライダーに田中三振、一点差に詰め寄りながら残念ながら駒大苫小牧の三連覇はならなかった。

 早実は厳しい戦いを勝ち抜き優勝、高校野球それ以前の中等学校野球第一回から出場した名門でありながら八十八回目にして初優勝だそうで本当におめでとう。今日もニースでは高校生代表としてアメリカへ派遣される選手の練習が報道されていたが、斉藤、田中両投手がピッチャーマウンドで仲良く並んで投球練習をしていた、日本の高校生を代表して活躍をして来てもらいたい、ご健闘を祈ります。

 斉藤投手は新田町の生品中学の出だそうで地元も大さわぎで盛り上がったようだ、また大いに野球熱が高まるだろう、新田の庄の生品村は新田義貞の北条追討の旗挙げの地でもあり歴史に名高い土地であるのだから。


高校野球決勝戦に魅せられて

2006-08-20 18:08:58 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の21市民会議のメモの整理を始めたが直に昼だよと呼ばれ、昼飯の冷やし中華を食べ終わると何時ものように一休みと思ったが、テレビでは高校野球の決勝戦が始まっていた。今日は駒大苫小牧と早稲田実業の試合なので、どちらかと言えば連続優勝している苫小牧よりも決勝戦に進出しながら優勝を逃している早実を応援しようと想っていた、又ソフトバンクの王貞治監督の母校でもあり病気平癒の祈りもこめて選手一同も王先輩に贈り物としたい事だろうと想っていたところ、苫小牧の田中投手と早実の斉藤投手の投げあいが見事で、1対1の同点のまま15回となり引き分け翌日の再試合となってしまった。

 特に8回の苫小牧のホームランによる1点先取のあと、直ぐに早実は3塁走者を犠牲フライで返し同点とし、以降両チーム一歩引かず再試合と言うことになり、この間約3時間40分ばかりテレビに釘付けとなってしまった。暇を持て余しているおじんでもチョッと無駄な時間だったか、どうか。

 いやそんなことは無いよ、おじんも楽しんで

 斉藤投手は新田町生品の出だそうですね。


お盆がら

2006-08-17 18:01:54 | 日記・エッセイ・コラム

 「お盆がら」と言う言葉を知ったのは50年ぐらい前だったか、市へ転職して少し経った頃だった。盆がらと一般には言っていたようだったが盆送りの翌日のようだった。この地域は佐波郡と言い明治の郡市制制定のとき佐位郡と那波郡を一緒にして佐波郡としたとの事、「今度の会議は盆がらにしよう」などと使っていたが、何となく今おもうと主に那波郡の出の人が「お盆が終わってからにしよう」と言うような意味に使っていたようであった、するとそれは今日17日ということになる。

 予定していた新盆見舞いも佐和先生の葬儀でだいぶ予定が狂ったが若干遅れで済んだ、どの家へ伺っても家族は私の顔を見ると元気なときの姿を思い出すのか「何でもっと早く病気が分からなかったか、病院を変えたほうが良かったのでは」「何で手術をしてしまったのか、あれは失敗ではなかったのでは?」などと涙ぐむ奥さんがいたり、「いろいろお世話になりました、あの会に出ることを楽しみにしていたのですが体が大変だったようで、しまい頃はインスリンを注射していたので誘われても無理のようでした」と回想する方もいたりと、人の死とは身近な人にとっては人生最大の悲しみなのだと改めてしみじみと想う「盆がら」である。

 見舞いに伺った家

 山本 喜市さん  縁戚

 小澤 喜一さん  同僚気の合うゴルフ仲間 会議所も手伝ってもらう。

 島田 幸雄さん  市職青年婦人部の仲間 (現60会)

 浅田 定男さん  小学校以来の親友、親友もドンドンいなくなる。    

 それより前8月14日PM11時からの佐和豊先生の葬儀に岡庭と二人で出席する、初めての前橋の葬儀場なので早めに出かけたら予定より大分早く着いてしまった、少し待つうちに参列の方がだんだんに増え森村先生も見える、この地の仕来たりか割合小人数である。渋川工業高校長の弔辞によると我々の学級担任は教員二年目のようであった。 昭和33年伊勢崎工業高校の工業化学科の科長から渋川工業高校の教頭で呼ばれ、校長となり以来18年間定年で退任するまで在職したとの事、呼んだのは我々の卒業のときの校長田代猪之助先生でこの時渋川市の教育長であった。退職後は地元の自治会の役職などをしていたようだが「前橋市の老人会連合会長をしているんだ」と言っていたことも在った。とにかく長寿を全う出来てよかったご冥福を祈ります。 

帰りに見ると境野がいるではないか、「森村先生の連絡できたのか俺たちの連絡では出てきないだろううに」と言いながら帰る。

 遅れてさく江叔母さんの新盆の席へ寄る、線香を上げて席へ出ると用意は欠席なので勿論無い、お茶を頂きながら見ているといつもの通りで賑やかなものだ。

 家内を家に送り新盆見舞いに出かける。     


恩師 佐和先生訃報届く

2006-08-11 15:15:59 | 日記・エッセイ・コラム

 突然佐和先生の息子さんから電話があって「父豊が昨日亡くなりました、生前お付き合いをいただいた方に連絡をしているところです、通夜は13日の6時からアモート若宮で、葬儀は14日(月)11時から同じアモート若宮でおこないます」との事、「アモート若宮と言う葬議場はご自宅の近くですか」と伺うとそうで無さそうで後ほど資料をEメールで送ってくれることとなる。

 早速クラス世話人仲間の岡庭・永井に連絡、永井は14日はもう日程が入ってしまっているので頼むとの事、岡庭と14日に葬儀に伺うこととする。7月4日のクラス会のときも電話を入れると奥さんが「もうそんな状態ではないんですよ」との事、去年の正月群大病院へ見舞いに伺ったときは元気であったのに。

 そこへ電話が入り「森村ですが佐和先生の息子さんから連絡があって、、、」と克っての森村宏校長先生からの知らせ、有難く伺い「実は今私も連絡を頂きクラス世話人の永井・岡庭に連絡したところです、有難う御座いました」と言い電話を切った。

 予定していた4軒の新盆見舞いと大澤さく江叔母御の新盆も計画しなをさなければならない。もう我々の歳になると何時どんな知らせが来るか分からないなーとしみじみ思う一日となってしまった。


台風近づく

2006-08-08 10:50:40 | 日記・エッセイ・コラム

 今年に入って本州に接近する最初の台風になるか、いく日かまえに台風7号が発生、と報道されたが続いて8,9号が発生した、これは中国大陸へ向かっているようだ、7号だけは紀伊半島の先端に向いているようで不気味である。

 孫の良介は、9日か10日に先輩の友人たちがやる演劇を見に一度東京に帰りたいと言っていたが、台風がやってくると帰れないのでは、気になる。

 昨日午後市民病院の根岸君(総務課長)から電話があり「10日はどうしますか」とのこと「なんの話し」と聞くと「10日に暑気払いを同門会ですることになっている」とのこと「俺は知らないよ通知もみていないし」と言うと「あれおかしい、出てもらいますか、6時半からプラザ***でです」との事一応出ることとしたが調べても通知は無かった。しかしこれも台風次第のことどうなる事か。

 今朝の気象情報だと上陸確実のようだ、さて今後の予報は?


38,6℃全国一伊勢崎市

2006-08-05 20:04:41 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の北関東はまさに酷暑で伊勢崎市と館林市は38,6℃で全国一であったそうだ。暑いとは思ったがまさか全国一とは聞いてびっくり、今年は梅雨明けが遅れて早くさっぱりとしないかなと思っていたが、まさかこうゆう格好で来ようとは夢にも思わなかった。これも地球温暖化のひとつの影響かな。

 今日も朝からだいぶ太陽はぎらぎらと照りつけている、暑くなるだろうこの暑さの中孫の良介が来る、本庄駅に迎えに行き待っていると車の横へヌットたつ大きくなったものだ、この年頃はよく変わるもので高一の昨年はブスッとしていて余り話もしないで用を頼むとそれだけは良くしていたが、今年は高二になりニコニコと話しクラブのユニホーム姿の写真でも見せてと言っても見せなかったのが試合の様子を記録をしたDVDを持つて来る気の配りようだいぶ変わった。ただ可哀相にクラブのアメフト(アメリカンフットボール部)は今年は新入部員が少なく試合が出来なく休部常態だそうだ、格闘技に近い競技はあまりすかれないか。

 女の子の千明は中一だがまだクラブ活動があるようで10日過ぎになるようだ、こちらは吹奏楽部と言うかマーチングバンド部というかクラリネットを吹いてるらしい、本人はサックスの方が良かったらしいけどまあ打楽器よりよかったようだ。 二人揃ったら今年は谷川岳にでもつれて行くか貢司・理恵を連れて行ったように。 


どんな8月になるか

2006-08-01 17:51:19 | 日記・エッセイ・コラム

 今日はもう8月には入ってしまった、一昨日梅雨明けをした様だったが暑かったのは一日だけで、薄ら寒いような日が続いている。この陽気も関東以北の太平洋側だけらしいけど、7月の長雨で野菜の値段が上がり、輸入原油の値上がりでガソリンも値上げが続き150円を超えた地方もあるようで、庶民生活は大打撃そこへ米の不作ときたら踏んだり蹴ったりとなってしまう、この辺でお天気様の回復をお願いしたいものだ。

 29日の土曜は市の21市民会議に出てきたがなかなか議論にならず意見の羅列のままで過ぎている。メモを整理する癖がづっと続いているので済ませて、閉会まぎはに配られた土屋さんの「地域行政と住民参加の課題」と言う一文を読ませていただく、よくまとめた物と感心させられる、実体験の上のまとめだけに説得力がある。問題点、課題、解決策とまとめてあり少しそれぞれの意見を加えれば提言書の出来上がり出はないか。

 自民党の総裁選びが本格的になったようだがカッコよい人を選ぶ人気投票のようで政策が後のようだ。国家国民のためどんな政策を進めるのか一政党の党首と言え当分は総理の椅子である心して選んでいただきたい。また8月15日の敗戦記念日が近づいてきた、小泉さんは靖国参拝はするだろう「心の問題」であるとして、しかし国家国民のために果たしてどのような恩恵があるのだろう。世界は勿論アジア諸国はその行動を注視しているだろう、今こそアジア重視の姿勢を示すときと思う。