今日発表になった春の褒章受賞者に作家の浅田次郎さんと歌手の谷村新司さんのお二人である。
もう三十年以上前になるか、夏祭りの最中に本町の井下時計店に立ち寄り、奥さんと立ち話の時「面白い小説を読んで、浅田次郎と言う人のポッポや(鉄道員)だけれど良い小説ですよ、感激」と聞き雑誌の宣伝の中では名は見ていたが始めて気に留める切っ掛けとなった。早速買い込み読み感激以後読むこと読む事、霧笛荘夜話、壬生義士伝、メトロに乗って、三人の悪党、天国までの百マイル、蒼穹の昴等々だった、特に日輪の遺産では、我々昭和五年生まれの中等学校生より一学年下の、私立高等女学校の生徒の勤労動員中の特殊勤務の結果の話であった、よく調べた物だと感心、戦後生まれのくせに良く調べた物だ何といってもこの人の優しさが滲み出る作品に引かれた数年だった。
谷村新司さんはやはり五〇歳代後半だったが、作品に引かれ特に昴には特別の感慨で、お気に入りの持ち歌の一つとした、牛久保海平会頭と宴会に出ると何時も終い頃に「あれ歌わないかい」と昴の催促が在ったものだった、特に「目を閉じて何見えず、悲しくて目を開ければ荒野に向かう道よりほか見える物は無し」から以降の詩が好きだったようだ。
それぞれ今のオイドンから見ると二十歳以上若いお二人だが、今までの活躍等当然の叙勲と想うところ、今後の益々のご活躍を祈るのみである。
御目出度う
八十爺
嘆いてばっかりだった坂東の空が、漸く昨日辺りから急に夏の様、余りの変り様で人間の方が大慌てと言うとこか。梅の頃は何時ものようにまだまだだが、桜の頃も春に浮かれてと言うわけに行かず酷い花冷えと雨、チューリップでも日差しが少なく、野菜も値段が高騰庶民泣かせな春と言う処だった。
昨日は急に上州は二十五℃を超えたので、夜には大急ぎで掛布団を初夏用に、まあ寒い日があったらまた変えればと想いつつ変える騒ぎ、真ッコト人騒がせな陽気だ。
今日も朝から良い日で気温が上がって、長年乗らない自転車を掃除し空気を入れて乗り出す、近所の小母さんに「お出かけ?」などとお愛想を言いながらこの住宅団地のメイン通りまで来て驚いた、毎年の事だが街路樹の「ハナミズキ」が赤・白・青など満開ではないか、隣町の保泉町を少し回り帰りに街路樹の満開の様子をパチリ。
このハナミズキは今か四代前の市長下条雄索さん(六期二十年以上勤めて他界)が大好きで街路樹に導入、以後本市では大変多い樹種となって居る。
自宅へ帰って何とか乗れた我が可っての愛車(三十年ほど前の川村に自転車、今はトヨタのオーリス)をパチリ、この自転車を購入の経緯などを想い出して居た。
あの頃は我が家に丁度男物の自転車が無く通勤用のスバルレオーネLDか何かだった、自転車が欲しいなと思っているとき、家内の父宇一郎さんが町内に在った自転車屋さんとアルミ製と鉄製の二台の川村の自転車を持って我が家へきて、「買おうと思うが二台だと安くすると言うが買わないか」と言うので買う事にした、オイドンがアルミ製を取ったが、後日考えて八十歳近い義父に軽い方をやる事にしたこと思い出す。今のが義父の選んだ鉄製のもので懐かしい。この時買って貰ったのかどうか想いだせない、あの義父の事金は出させなかったのでは、と想うけれど。
GOOブログからの昨年の今日の投稿の記事が送られてきてあの頃の困り加減を思い出した、よく毎回送られるけれどその気に成らなかった再投稿だが、今日は若干違う感慨だ。弱った時の神頼みではないが、多分プレミアムサポートへ泣きついたのだろうと想うが、結果としてあの頃だからOCNのサポートとなったと想う、お蔭さまで四日振りかで復旧してブログも無事だったことを思い出しました。
あの時ご連絡を戴いた佐々木さん有難う、お蔭さまでその後無事に済んでおります、今後ともよろしく。
どこから侵入ウィルス?
弱いものだ我が国のIC関連企業も、おいどんのPCもご多分に漏れずあまり使われないメールアドレスを突いてかやられた様だ、前回のチュウリップの二輪草依頼ブログの記事作成画面が出ない、...
今日は昼少し前から雨その中ペインクリニックへ、腰痛治療のためのブロック注射に行って来た、今は止んでいるが今夜は坂東は荒れ模様の様、最近日本列島は災害危険周期に入った様で薄気味悪い、列島が揺す振られて火山帯やお天気さんもおかしくなったか、日本人の自然に対しする森羅万象を尊ぶ心と言うか、精神構造と言うかが無くなったという事か。
自然科学の進歩が情報の即時性や正確性を可能にした為ばかりで無く、何処かおかしい時代と言う気がしてならない、特に最近のニュースでは未だ制御し切らない「原子の火」の問題、研究者団体の原発再稼働の慎重意見もあるのに政治経済界は無視の様、ヘンチクリンな世の中になってしまった様。
中東の宗教紛争いや戦争と言った方が良いか、此れも弱い者が馬鹿を見ている、国連も抑止や難民対策はしているが未だの感、・・・ いやいやここまで来ると今日のテーマから大きく脱線か、これは失礼。アメリカ資本主義の行き過ぎ反対にも入るところかも。
選挙カーの連呼で明日からまたまた煩くなる、幸い内の方は首長も議会も少しずれるから良いが該当市町村の皆さんはお気の毒、そして前半選であの様に投票率下がりっぱなしのまま、我が国の「民主主義は何処へ」行ったのだろう、後半もあんなモノか。
武蔵の「ガハハの爺」が言ってたが、理想も無く議員になりたい人、先生と言われたい人、それに金になる、反面入れたい人は出てこない、という事で無理に投票に行く事は無いと言う事に成る、とすれば安泰に上がれるには如何すればいいか、与党系の候補者になる事だろう。
おいどんも投票所へ行かない事にしようかな。
昨日十五日前日に続き良く降るもんだ、昼前は日も射したが凄い降りゴロゴロと雷も鳴り一時雹も混じり凄い降り、気温も低くなんだこの四月はと腹立たしい限り、今日十六日は良い日和となり暖かになるとの予報、しかし暖かにはなったが午後は曇り、明日は又雨かのような予報、地球はどうかして閉まったのか。
まあ気温が高いのが救いだが日照が少ないのは生物にはあまりプラスでは無いようだ、我々人類には地球は借り物、いや生きとせ生きる者は総べて住まわせて貰い生かさせて貰っているのだが、借家人の方が地球を弄り過ぎるので嫌気がさして来ているのでは、特に原子の火などは酷い、最近よくそう想う様になっている。
地震・雷・神・親父と子供の頃はオッカナイ物の代表を言ったが、此れからは総べての天変地異地震・雷はじめ火山の噴火・台風・洪水・津波・山崩れ・諸々の原因の日照不足等考えると切りが無い、どうかお天道様地球の間借り人の人類はじめ生物一同を憐み下さい、お救い下さい。
菜種梅雨と言うそうだが久しぶりに聞いたような気がする、暫くこんな言葉はご無沙汰だったようだ、しかし今日は久しぶりに日が射し良い日和、梅雨の晴れ間と言うのか、庭の草花や樹木は日を浴びて何となくはしゃいで居るようだ。
と言う事は、いよいよ我々にすると雑草退治に励まなければならない時期になってきた、と言う事、しかしあの寒い時から見ると人間も解放されたような気分になる、気候とは不思議な物だが良いものだ、四季のある我が国土の賜物だ。
だがまた明日から菜種梅雨の再来の様、梅雨の晴れ間も一日だけ有効に使うよう予報でも言って居たが、其れもそうだが又うすら寒い日が来ると折角咲いたチューリップなどの花が可愛そう、お手柔らかにお願いしたいもの。
この良い日がちょうど地方選前期の投票日だ、出足はどうだったか、国政選の前哨戦としても気に成る処一党独走を許すようだと大変なことになる、広く国民の意見が反映するような政治が理想だ。少しぐらい時間がかかっても・・・ 。
ちょっと可笑しな陽気、昨日はチューリプや姫林檎の開花の話、今日は坂東が雪やみぞれや氷雨の話とは、何とも可笑しい。
お隣の野州下野では宇都宮市の中で雪の少し積もった処が在ったよう、我が上州では山手では勿論いくらか積もったところ有ったろうが、平野部では氷雨に霙で積もる事は無くおお助かりだった。
その中数日前から可笑しかった昔の椎間板ヘルニヤのオペの後遺症の腰痛が起きかかって居て痛いので、ペインクリニックへ出かけて来た。幸い道路は凍結も無く無事に通行できたので助かった、四-五か月ぶりに腰に神経ブロックをして貰い帰宅、その上に整形外科で貰ってあったロキソニンゲルを塗り漸く楽になった、何とも目出度い話しだがしかし今日は何と云っても寒い日だ、冬衣料をかたずけて仕舞った家がが多いだろうに。