基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

世の中はスーパームーンなどと言うが 昨日は十六夜です

2015-09-29 17:24:30 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝から西風で日中もさわやかな秋日和になりそう、と期待した通り今もまだ湿度の低い風が西の窓から吹き込んで、昼間に若干上がった室温を下げて呉れていい気持ち、いよいよ本格的な秋に入ったか、感謝感謝爺「じじい」には有難い季節だ。

 二十七日(日)のお月さんは月例十四日にしては欠けが大きいなと、寝室から眺めていたが、二十八日(月)の十五夜の月はこちらでは見えなかった、しかしそこは現代テレビのニュースで見せてくれる、しかしやっぱり良く見ると左の丸みが少しすくないよう、人間様の暦と天球の動きは計算通りピッタリと言うわけには行かないよう、お蔭さまで昨晩の十六夜(いざよい)の月はお見事でした。

 十六夜の月が真ん丸だ

 何か楕円の月の軌道の地球に一番近い時の十六夜との事、大きくって明るいお月様はスーパームーンと言うのだそうだが去年のお月見と比べる事が出来ない、これがわれわれ素人の悲しさか、まあ専門家の方が言うのだから謹んで傾聴してなーるほどと思えばいいのかも。

 昨夜は埃まみれの三脚を見付けだし、デジカメを急遽夜間用にセットしてマニアルを見ながらの撮影となった、とに角人生初のお月様撮影だこんな程度でいいのかな、と言うところ。


大変な秋日和のシルバーウイーク遂に終わる

2015-09-24 16:46:58 | 日記・エッセイ・コラム

 我々ジジババにはあまり関係のない様だが、いやそんな事も言えないか真中に「敬老の日」が在るのだから、とに角祝日を集めればイイやと作ったようなシルバーウイークが、お彼岸の中日の昨日で終わった。

 可っては戦後長い間九月十五日の期日指定の敬老の日が、曜日指定とし秋分の日との間に国民の休日と言う日を加えの祝日としてしまった政府国会の対応はこれで良いのだろか、そしておまけに最近シルバーウイークなどという愛称と言うのか略称と言うのかに成った様、休日を増やすのだったら外にも方法が在ったように思うが、果たしてどう想うか?。

 一分の人達が良いご機嫌の処、サービス、流通、交通などの人達は休むことなく働いている、特に非正規の勤めの方たちはさらに大変な時間や環境で作業をしてられる、いわゆる格差の拡大がマスマス進んで居る様だ、年収億単位の人が年々増えてるよう、ある部分の格差解消も為政者の責任ではないかと思うこの頃である。

 今年のシルバーウイークの期間は本当に良い日に恵まれた、其れまで続いた台風や火山噴火などがピタリと止り、大きな高気圧に守られた列島は晴れの日続き、お墓参りのジジババや家族ずれ、観光の人々も大いに休日を堪能しただろう、我が家も娘が大きく成った孫を連れず現われ、墓参親戚付合いと済ませ今日帰って行った。

 まあジジババは余り細かいことは言わず、皆さんには休日は堪能してもらいたいと想う、その一方での格差社会の件は、国民的課題として皆の力で解消しなければな来課題と思うところである。


時は移ろう 秋の空3

2015-09-19 17:19:12 | 日記・エッセイ・コラム

 起きて見ると庭は湿り庭木の楓の葉には水滴がたっぷりと着いている、昨夜か今朝か雨がだいぶ雨が降ったようだ、朝食を済ませ日課の新聞二紙を読み 昼少し前家内の誕生祝の昼食会でもと倅と三人でだ掛ける、しかし予定のうなぎ屋は玄関外まで待ち人が居る始末、外もまわって見たが多少の差で満杯、ああそうか今日は連休初日だったかと妙に納得、シニアーウィークとか何とか言って居たなと想いだす。(記憶違いでしたシルバーウィークとか言って居ましたね)

 結局はイトウヨウカドウで弁当その他三-四日分の食糧などを仕入れ帰宅、なるほどシニアーのひまじんは疎くなった物だと一人感心帰宅、またまた日常の生活の戻って昼食昼寝と済ます。何てことない家内の誕生日同学年のよしみ、お先に八五歳か、目出度いのか目出度くないのか、ハテサテ。

 空を見ると夕刻四時ころの空は今年二回目の秋の空、巻雲が軽やかに刷毛ではいたよう、

 巻雲交じりの雲

 飛行機雲はと見る此れも久しぶりに長く南北に延び東西の雲と交わっている、ヨーロッパ行き旅客機がロシヤ上空を飛ぶようになって、上州の空も国際色豊かになったか、或いは国内線も最近増えたようだからか、

  飛行機雲がちょうど上空で交わった処

 北の空は赤城山まで青空

マアどちらにしても暫らく晴れの日が続きそう、ようやく本格的秋空を望めるか、目出度し目出度しである。


時は移ろう 秋の空 2

2015-09-16 17:51:33 | 日記・エッセイ・コラム

 予報によると今夜か明日から雨との事、折角乾いた地面の内にと草むしりをする、真夏の伸びとは違いまだ小さいが今のうちにと済ませて、家の東西と北は今回は除草剤で済ませる事にした。

 南の植え込みの中は除草剤と言うわけには行かないので、丁寧に手でむしり一汗をかくが気分良好心地よい汗だ、歳で自然に這いずり回る格好になるが止むを得ない事、満足感が在ればそれで事足れりである。

 植込みの中綺麗になったか

 そのあと除草剤まきをする、この後の雨で自然に浸透して効いてくることになる、じごの水撒きは要らないという事だ、

 ここ数日の好天で被災地での後かたずけも進んだよう、お隣国で野州・常陸ともよく北関東三県会議でお世話になった処、ボランテアなど頭をよぎるがこの歳のオジンでは邪魔をするぐらいだとあきらめる日々である。


時は移ろう 秋の空

2015-09-15 18:00:06 | 日記・エッセイ・コラム

 九月も半ばを過ぎ今日はちょうど中日、彼岸も近ずき空模様も落ち着く頃か?、昼間は日が射し良い陽気なので、夕刻少し歩こうと保泉変電所へ向かう、リバータウンから保泉団地へのこの道は続いてのハナミズキの並木である。

 あの春から初夏にかけて爛漫と咲き誇ったハナミズキの花が、いつの間にか赤い実をどっさりと付けている。

 赤い実のハナミズキ  木いっぱいの実

 今年は秋の空を代表する巻雲はまだ一度きり見てないが、植物は正直で赤い実を付けて「秋ですよ」知らせて居る様、季節は正確に移っている。

 しかしこの湿度何とかならないか、東日本大震災以降日本列島は可笑しいんじゃないの、重なっていたプレートがずれたと言うのであの揺れ、その刺激かでマグマが動き出したか、活発化したか、次々と火山が噴火を繰り返し、またここ数年は地球温暖化でアッチコッチでゲリラ豪雨が降ったりもちろん台風も大型化と増加傾向、アメリカ大陸では山火事が頻発のよう、アジアでは我が国がアッチチイーと騒いでいる頃、アジア大陸では熱波で千人単位の死者が出たとも云う、何とも人間が便利に使い過ぎた地球深くに在った化石燃料の祟りか?、何とも嘆かわしい。

 変電所周りの農地では暫くぶりに見ると、農家の人々はあの長雨にもめげず、もう耕して、毎年植えている野菜である白菜が整然と並んでいる。なじんだ職業とは言えその正確生と精進に感謝が尽きない処、帰るともう秋の日は落ちて来た六時過ぎたか。秋には人間は特に「季節が移ろうと」敏感になる様、生物の内なのだなと思う季節だ。

  白菜の植え付けの終えた畑


伊勢崎商業高校吹奏楽部演奏会が聴きたかった

2015-09-12 17:16:26 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日はお間違いで何もなかった子供の森公園で伊商高吹奏楽部は今まさに準備で大騒ぎだろう、だがオイドンの方が今日は町内の班長会議と重なり残念至極、まあ次にと思うが次回は来年か、何れにしても大変先の話鬼が笑うか?。

 こんな自然な状態の中に繭ドームと言う面白い建築物と学習施設、遊ばせておくのがもったいない、

  森の中の繭 ドーム、始まったか演奏会

 小中学校は大いに利用すべきでは、市内のこの様な施設をかっての町村がそれぞれ作り、利用してきた物を今度はまとめて交代で利用してはどうだろう、我々オジンオバンの時代の遠足のように。


久しぶりの晴れとは言え厚い黒雲が時々覆う空

2015-09-11 19:34:06 | 日記・エッセイ・コラム

 日の目を見るのは久しぶり午後は暑いくらいの陽気となった、だが野州特に常陸や陸前は大変な様より早い復旧を心よりお祈りいたします。

 夕刻になり風もいくらか涼しい様なので三日ぶりに歩こうと広瀬川堤防に向かう、長い夏内のブランクを克服しようとしたが、八日の予行演習が効いたようで今日の方が足が軽い、右岸を歩きながら今日の上毛のお知らせに、「子供の森公園で伊商高吹奏楽部の演奏会が」と気が付きこどもの森公園へ向かう、ついて見るとどうも静かだ可笑しいと思いながら正面の池の前に着くが、人もアベック一組と子供が二人写生をしているばかり、一休みして汗を納めて張り紙を見ると演奏会は十二日(土)五時半と書いてある、なあーんだオッチョコチィは極まれりである。

 演奏予定の池の前  写生の子二人だけ

 予定より歩いたようだこれで帰路に着こうと公園を出る、堤防へ登ると赤いものが目に付くなんだろうとよく見ると彼岸花だ、曼珠沙華ともいう歌に唄われた綺麗な花だ、記念にと一枚と写す、去年ももう少し後だった思うがが写してあると思う、好きな花だ。

 今は早いのか此れだけだ

 少し来るとどうも見たことある御夫人が来る、よく見るとM前副市長の奥さんではないか、「いやあー暫く」と言うので立ち話、良く歩くようご主人は家でテレビとの事、「たまにはM君とお出かけ下さい」とお誘いしてお別れする。

 家のすぐ前まで来ると川の流れのようにが聞こえる、携帯である、「お父さん今何処に」と倅の声「家の前だよ」と言いつつ帰宅、ざっと五〇〇〇歩かまあまあだ、シャワーを浴びて夕食ビールで乾杯と言うところ、一休みしてNHKBSの一路見て本日の書き掛けのブログに写真をいれお終い。

 何とも可笑しな一日。


上毛新聞の三山春秋氏のお父さんの回顧談を見て

2015-09-10 14:46:40 | 日記・エッセイ・コラム

 秋雨前線による長雨に台風十八号の来襲と言う六十八年前のカスリン台風の再来かと心配したが、幸いにも台風に伴う右側の雨雲は豪雨を降らせ山や道路の決壊などがあったが、少しづつ東へ東へ進みお蔭で上州は今朝から小降りとなった、今は野州の東寄りの一部と常陸が大分降って河川の氾濫など大変の様、お見舞い申し上げます。

 今朝の上毛の三山春秋を見て驚いた、春秋氏のお父上はオイドンの一学年先輩で、戦事中の「航空戦時特別訓練」と言う訓練を受けた先輩だった、我々佐波郡十九校だったか小学校から選抜された四十一人だったか、が名和小学校講堂へ集結し此処を学習と宿舎として、滑空訓練は当時まだ在った伊勢崎競技場(旧伊勢崎競馬場)で実技を訓練したのだった。 訓練は殆どすべてがいわゆる軍隊式で厳しかった、実技のハジメは何といったか県からの教官だったが、後は各学校の群馬師範卒の若手教師で、当時流行の軍隊調で特にホヤホヤノの先生はここぞとばかり厳しかった。

  十月と言うのに裸の訓練生後列左端小生

   訓練所入所式と写真裏のメモ

 春秋氏のお父さんが言ったように食べるものは悪かった、米か麦かどちらが多いかと言うところだが、その麦が小麦の籾摺りも潰しても無い茶色の皮をかむったままの奴だった、「腹壊さないようよく噛んで食べろよ」など言われたが、育ち盛りの十三-四歳だそんな余裕はない、あっという間に食べてしまう、おおくは腹を壊して下痢となりトイレに行くと昔の事小麦がそのまま便に混ざっていたのが見える、お蔭さまで痩せこけたオイドンは期間中に在った海軍志願の試験に、軍医官に最後の採決の時「本籍を云って見ろ」と言われ「群馬県碓氷郡烏渕村大字水沼一三一一番地」と云って居る真に計られ「ううん来年又来るんだな」と言われてお終い、喜んだのはお袋「母ちゃんが今朝神棚へお灯明を上げて拝んだのは何て拝んだか知ってるかい、受からないように拝んだのだよ」言われて「なんでソンなこと拝んだんだよー」泣いて悔しがったものだった。

 育ての親(おふくろが赤ん坊の時死んで姉さん所謂伯母さんが育てくれたのだが)親は親やっぱり戦争には遣りたくなかったのだと思う、有難い親心と大人になって感謝している次第である。

 群師での教員も優しい人がいた、特に気に残る人は飯島正夫先生だ、下痢をしているときは自転車で競馬場まで送って貰ったことがあった、恐ろしかったの菊池先生ちょっとの失敗で競馬の馬場を二周させられた事もあった。

 まあこの歳になって見ると戦争に巻き込まれるような政治はしてほしくない、大事な国民の生命財産特に生命は金で買える物では無い、安く見てもらっては困る。

 春秋氏お父上をお大事に


小型で元気な台風18号が心配 こう言うのが怖いんだ

2015-09-08 17:08:39 | 日記・エッセイ・コラム

 とうとう来たな と言う感じ、一昨日あたりに出て来たなと思ったらもう今夜か明日は本土直撃とゆう速さ、しかも我が上州は坂東で台風の右側だ、直撃の中部か近畿は大変だが、我が家の方は雨風ともに凄いだろう、予報では坂東は200ミリー300ミリと言っているが此れだけ量が明日までに降られと大変だ、昭和二十二年九月十五日来襲のかのカスリン台風を思い出す、ちょうど六十八年前だ。

 あの頃のように森林は荒廃していないだろうと思うが、涵養率がどの位上がっているかだ、もう十年近くたつか前市長の頃の会議でいわゆる「二十一世紀市民会議」おりも言って置いた、それぞれの委員が意見をまとめた提出したが、榎原さんの意見が良くできていた。

 特に安全安心のまちづくりの中で防災意識の醸成、伝達、ハザードマップの作成配布、都市型災害地域の解消、などの提言をしておいたが、果たしてその結果はどうなって居るのだろう、解答だけは戴いているが、その結果は?見ていない・・・

 わが市の多くの地域がこの災害を受けたことを忘れてはいけないし、二度と起こしてもいけない事だ、あの時も長雨の後の台風の来襲に泣いたのだったから。


このうすらでっかい変電所今使われてるの?

2015-09-07 17:38:02 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日午後からの雨は今朝からも降り続き夕刻から降ったり止んだり、気温二十六℃湿度が高い所為か歩くと汗ばむ、気温が下がったので歩こう歩こうと思っていたが雨だったり蒸し暑かったりと中々夏の惰性が抜けきらないで溜まった無精は響くもの、前を行く小母さん達に四-五十才代かスイスイと間隔を開けられる始末、悔しいが今日は此処までと保泉団地の周りを回って帰る事にする。

 今日は保泉変電所の正面看板を撮影しようと思ったが、と云う事で団地からの遠景となって仕舞った。

    このウスラデッカイ変電所 

 この変電所は五十年ほど前だったか、福島第一原子力発電所から首都圏へ電力を送ろうと建設されたもので、当時は粕川のヘリを下ってくるという事だったが、今見るとソンな線は無く前橋の方を通っているように見える、変更になって仕舞ったのか。

 いずれにしてもこの広大な土地を送電をしない金物の置き場所にして置いては勿体ない、この地域の太陽光の送電専用線にしてはどうか、原発五-六基分の送電用だったのだから当分増設しないで済むだろう。

 何時もの休憩の保泉公園へは距離は歩かないのに何時も通りによる、現金なものだ。今日は人は少ない、親子ずれのチビタンと父親のみ、其れはその筈今日は月曜日で天気は悪い、しかしチビタン盛んにボールをけっている、将来のJリーグァーを夢見ているのか元気に走っている。

 保泉公園の看板を初公開

  チビタン四-五歳か

 何時もより早い上がりそれはその筈何時もの半分ヤットだから止むを得ない、歩数二千八百歩距離約二キロメートルだ、これから頑張らないと広瀬川堤防は回れない頑張ろう。


秋雨前線もこう続くと嫌になる 第一野菜が高めで

2015-09-05 18:08:24 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日今日朝は秋の様で昼は夏の様で半袖シャツを着たり脱いだりと忙しい、今日は少し日が射したが後は曇り体温調整が忙しい、予報によれば北の高気圧が顔を出して詰めてい風を運び前線は東に去ったが、もう西から新たな前線が現われて明日からは暫くは雨模様との事庶民泣かせのお天気だ。

 世の中アベノミクスなどと云い大企業向きの財政政策だが株の不安定の上げ下げが暴落気味かでがたついて居る様、そこへ安保国会と来て大騒ぎ、オリンピックは国立競技場とエンブレムと責任取らずの失敗で金の無駄ずかい、1080兆円の赤字を抱えた政府はマダマダ毎年増やしていくよう、庶民には嫌な事ばかりその上庶民の生活に欠かせない生鮮食品が野菜を含めて値上がりだ、これはお天道様のせいだからと思うが、何とも我々庶民には厳しい世の中だ。

 これで消費税の値上げではまさに泣き面に蜂か。


たった半日と少しの秋だったか

2015-09-03 17:15:42 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から曇り湿度も七十%以すこし蒸し暑い、午前チョット日が射したが一日曇り五時過ぎには雨模様、予報では今夜は大雨との事西国の海沿いの二の舞は御免と云いたところ、これでゴロゴロ鳴りだしたらクワバラ桑原と祈りたいもの。

 降り出した雨

 まだ小雨だが手すりには水滴が

 昨日の今頃は秋風には少し足りないが湿気の少ない乾いた風が吹いていた、だが今日はそんなわけには行かないよう、今夜はまたエアコンで湿度を取りながらでないと寝られないか、其れこそ桑原桑原である。

 乾いた爽やかな秋風は何時吹くか、いや吹いてくれるか、待ち遠しい。


空には巻雲乾いた西風 漸く秋か

2015-09-02 17:27:54 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝は庭が雨に濡れていたが昼前に日が射。し始め一日良く晴れて夏日の様相となった、昼過ぎには寒暖計は三十度を指し今現在(五時四十分)室温三十度、湿度五十三‐四%と久しぶりに凌ぎ良い感じ、来たか秋が と想いたいが はたして秋の走りか?

 長い湿度七十‐八十%の日が続き時には九十%を超える様な事もあった長い長い夏だった、秋は何時?待ちに待ったが遂に来たか。

  秋の空巻雲が混ざった空に

 その南には入道雲も残る

 暦の上ではとっくに秋なのに長い夏が居座って仕舞い秋が来なかったが、ついに今日は湿度の無いと言うか少ないと言うかの西の風いわゆる秋の風に出会った記念すべき日である。

 しかし今年のような今までの陽気を見ると、はたして今日の巻雲の様に今後とも秋風を持ってきてくれるか、入道雲がまた巻き返して暑くなるか心配だが、まあ巻雲の活躍を期待したい、もう九月の二日なんだから。