基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

今度は眼科へ

2013-01-30 18:36:17 | 日記・エッセイ・コラム

 去年の秋ごろから右目の目尻の眼瞼がヒリヒリする様な痛さがあるので、前から疲れ目用に買ってあった市販の目薬をつけて見たが一向に良くならず、先週月曜日の市民病院脳外科に続いて今日は眼科へ行ってきた。

 ちょうど今日はこの時間「一一時頃」は五~六人の待ち患者で早めに診ていただけた、病院勤務時代にいたかどうか、人間ドックでよくお世話になった視力の検査技師の女の子に最初検査を受け、次いで医師の診察を受けた。最後に瞳孔を開く目薬を点けての検査を終え、弱い白内障が左にあるとのこと、又左右の視力に違いがありバランスが悪いらしい、点眼薬を出すからとの事で診察終了。

001_2 昼が過ぎて患者のいなくなった眼科診察室前

 帰りに眼鏡の質問をしようと視力検査の結果を聞こうとしたが、マタ次回に再度検査して診断書を出すとのこと、次回「来週水曜日六日午前十時三十分」に予約して薬局へ行き、目薬を二種貰い柳屋で天もりを食べて帰宅。

 瞳孔を開いてあるので眩しい、車の運転が何とも嫌らしい、が我慢我慢か目が見えなければ何にも出来ない分けだ。

 


おじんの集い

2013-01-29 18:19:22 | 日記・エッセイ・コラム

 何年振りかオジンが寿司屋へ集まった、三人だが六〇年安保のころは若かったが今は八〇代、七〇代と七〇代ギリギリが集まった。

003 フラッシュ無しで色が悪いが昔の青年、歳を当ててみてほしい。

                      「画面をクリックしてください」

 前回は近ちゃんの希望か、俺がセットして山楽で洋食でワインと云う事で遣って以来だ、まあ克って斗酒辞さずの面々も、お銚子二~三本でお開き他愛ないものだ、次回その内にと約してお開き。

 若かりし頃の飲み仲間もいいものだ、祈るご健勝。


ワーやっと咲いた

2013-01-23 17:50:31 | 日記・エッセイ・コラム

 いつ開くかとヤキモキさせたシンジビュームがやっと咲いた、と云うより開いたと云うべきか。今年は植え替えして2年目な所為か花芽が付いたのは一鉢だけだった、何とも淋しい限りだがこれも止むを得ない、此れも自然の法則なんだろうと素人並みに納得するより仕方ない、そんな事もあって正月中に何とか咲かせたいと、昨年暮れに花芽を見付けて暖かい居間へ運んで丹精?して見たが、何とか咲いたのは今日午後だった。

002 十九日はこんな状態「画面をクリックしてください大きくなります」

 001 今日二十三日の午前の状態

006 それが暖かい日に誘われて午後はこの状態

  まだ幹の元の方の三輪だけだが、今年の一本だけの花芽は伸びが良い、葉の上へグングン伸びてこの上へ参拾輪は花が付くようだ。豪華には成る様だが一鉢で一本ではなんと淋しい事。


ああ良かった

2013-01-21 18:45:26 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は大寒の内としては比較的暖かな日和だった、一昨日の朝方だったか寝ていて左側頭部がチクチクと痛い、指で押すとかって水上でコケタ時と同じ場所であるではないか、さあ大変そのとき小林整形で先生に「頭の方は分からないから脳外科でよく調べてもらいなさい」と言われていたのを思い出し布団の中でそわそわしてしまう。そんな事で市民病院事務開始と同時位に電話入れて受診手続きをして貰う。

 初診は一一時までに行かなければ為らないので新聞一紙を読んで出かける。頼んでおいたのですぐに書類に書き込みだして待つこと一時間四〇分、初診だから止むを得ない、一二時を過ぎて呼ばれて矢内先生に事情説明、CTスキャンをとることになり検査室へ、早いこと五分掛かったかで撮り終わる、時代が違う、かって二~三十分かかつたのは夢のよう、時代は変わったものだ。

004 CTスキャン室が並ぶ検査部門の一角「クリックで大きくなります」

006 初診だから止むを得ない、脳外科初診外来

 呼ばれて先生の前、脳の映像を一通り説明「綺麗です心配ないです」とお墨付きを頂く、これで一安心、「良かった良かった」が二時近い昼飯をどうするか、月曜は大好きな蕎麦は無い病院レストランで済ませるかと、ニューいずみにはいる、ここは安い、病院が値を抑えているから、チャシュウ麺を食べてみる、此れが美味い、かってのシナそばの味に近い、流石味の専門家たいしたもんだ、シナそばが食いたくなったらここだ。

 新しい発見をした暖かい良い日だった、明日は予報は雪、これも良い日であってほしいものだ。


マレーシア元首相 マハティールさんのルックイースト

2013-01-16 18:40:01 | 日記・エッセイ・コラム

 マレーシア首相を二十二年間務めたマハテールさんの記事が昨日の、朝刊オピニオンに載っていた、このオジンも長年マハテール氏のルックイースト特にニッポン観に感銘を受けて尊敬申し上げていた一人でしたので、切抜きして今感銘して処を再読している処です。

001 切抜き記事オピニオンのマハテール氏

 そもそも氏の言うように何でも先進国の欧米の物が何でも良いと言うのもどうゆう物か、我が国の経済、社会の仕組みそのものがアメリカナイズされ、金かね、のお金様、実体経済のないペーパーで動いた時期もあり、又そうなるのではと心配になる。

 氏は戦後の日本がコツコツ物作りに励み、その努力結果が一時期経済大国などと騒がれたがそれはその成果の一部でしたが、もうその頃一部の調子者が海外で土地や建物絵画などを買いあさり始め、ニューヨークのマンハッタン、エンパイヤー・ステートビルまでも買い漁りはじめてこんな事がいつまで続くことかと呆れ果てた物だった。

 その通りバルブははね、失はれた十年が二十年になっても戻らないと言うところ、今はアジアでは韓国・中国などが注目されているという、東アジアで他国を侵略するような国はないという、用心に越した事は無いが、氏のゆうことはよくよく参考とした方が良い、かって「日本を見習え」「日本は戦争について繰り返し謝る必要はない」などと長年言ってきた人である、安倍さんも耳を傾けたらどうかとしみじみ思うところである。


忙しい小正月

2013-01-15 18:12:50 | 日記・エッセイ・コラム

 小正月と云っても上州名物の繭玉飾りを作るわけでも無く勿論餅つきなどもない、繭生産いわゆる蚕飼いを止めて半世紀にお近づきつつあるこの頃、こんな風景お目にかかる事も無くなった。

 忙しかったのは病院の診療予約を商工会議所新年互礼会を忘れて、でなく時間を一時間取り違えて予約してしまい、急きょ一時間繰り上げてもらい早起きをして小正月の朝の行事を済ませ、病院に駆けつけ診察と会計、病院前の薬局で薬を貰い会場のプリオパレスへ駆けつけるという事になってしまった訳でした。

 いつもの事ながら来賓や役員会員合わせて二〇〇人くらいかまあ盛大に開催された。

010 会場雛壇の役員、来賓群馬県知事、

                       伊勢崎市長 国会議員、県会議員等

002 懇談の様子
 一一時開会、一二時四〇分閉会、無事終了と言うところか。

 夜の部は役員、議員新春懇談会だがこちらは欠礼する。オジンの出る幕で無い。                 


雨・みぞれ・雪・雨次は

2013-01-14 18:44:52 | 日記・エッセイ・コラム

 「上州」 じょうしゅうと云っても些か広うござんす、ぐんま出身の講談などに出で来る博徒などが良く使った言葉であるが、ここかっての佐波郡はあの有名な国定忠治のいた国定村のあった郡、利根川を挟んですぐ武州児玉郡である

 そんな事で天気予報も伊勢崎市市では群馬と埼玉の中間と云う事で、特に我々の住んでいる馬見塚町など埼玉県本庄市まで2~3キロであるので、テレビを見て居ながら前橋と熊谷の中間だから大よそこんなもんだろうと類推している処である。

 今日は関東平野は久しぶりに雪模様と云う話だったが、さて如何なるだろうと見ていたが大分違いが出てきたようだ、朝は振り出しは雨そしてみぞれ、9時過ぎに雪、いい降りなので積もるぞと心配したら、二時だったか三時かしたらいつの間にか雪は止んだかとよく見たら、雨となって居た。

007 我が家の庭も雨で雪が溶けてこんな状態

005_3
 

 まだこの時間雨が降っているのだろう、予報は八~九時まで降るようだから、電車や高速道は大分止まったりやっと動いたらまた止まったりの様だったが、この辺は前記の様な事だった。良かった良かった。明日通院の足は大丈夫の様だ。


伊勢崎初市だ

2013-01-11 19:01:53 | 日記・エッセイ・コラム

 よく晴れているが寒い、昨日よりも赤城時雨で無くって赤城颪もいくらかおとなしくはなったが、やはり寒の内は寒の内しかも名代の伊勢崎初市だ、寒いのは当り前と言うところさね。

 昼前は新聞を読んだり暖房の利いた居間のソフアーでウトウトしたり、来春は午年の年男の八十爺の特権をフルに楽しんだが、昼を済ませて二時近くなったので昨日目を入れて置いた達磨さんを伊勢崎神社へ納めに出かけた。

 ベイシヤ イズ伊勢崎店駐車場へ車を置き神社まで西へ歩く、六県道路を超え昔の江戸道(井下時計店の十字路を南に向かう南銀座どうり)を超えると家がまばらになる、昔の花街の南町もご多分に漏れずの人口減の様だ、料亭千竜の通りなど三四軒屋根が崩れ家の中が丸見えの所もある。淋しい限りだ何とかならないものか、高齢化社会になり買い物弱者が増えてきて新興団地に移り住んだ往年の若者もこの弱者になりつつある、都心回帰の良い時期ではないかと思うがさて、と回り道したが・・・。

 神社は焼饅祭(で良かったか?)の始まる処でごった返していて神社本殿まで行けない、納め所へ達磨さんを納めお賽銭で無くお賽円をあげて初市会場へ、、ここでは最近いろいろな催しをしている、本町からくり時計前では猿回しが始まる処、先ほど見掛けた保育園児達が周りに坐りこんで見てるではないか、一名達磨市と云われる催しを見に来たのでなくこれが目的だったか、と納得。

003 真剣に猿回しを見る園児

002 猿のお出まし

 さて市の方も少し眺めて引き揚げようかと本町を歩く、東に行くに従い露天商の店も減るようだ、四丁目の交差点を過ぎるともう終わり、ここからかっては植木市になったものだがもう影もない淋しくなったものだ、

005 達磨商組合の露店

006

 赤石屋で栗最中などを買って帰路に就く、久しぶりに良く歩いた一日だった、ああ途中副市長村井さんに逢い少し挨拶をしたり話したり暫くぶり本当に暫くブリッだった。


デジカメ最新機を仕入れたいもんだ

2013-01-08 18:16:24 | 日記・エッセイ・コラム

 この処デジカメの調子が今一つ、と言うところだ。どうもバッテリーが弱ってるよう、充電しても何分もしないのに「バッテリーの充電を」とか「バッテリーの交換を」などと表示される、このデジカメもだいぶ古くなった何年経つだろうシルバー色でピカピカだったが、手垢で渋くなって貫禄が出てきたが、メーカーのコマーシャルを見るとなんとなく良いなあなどとウズウズするこの頃である。

 今日は新聞の読み終わった十一時ごろヤマダデンキへ品物を見たり、バッテリーを新しくしょうと出かけてきた、

 

004 ヤマダ電機テックランド伊勢崎店

003_2 SDカードやUSBメモリーなどの売り場

 まずデジカメ売り場を覗くとアルアル各メーカーの新機種がキャノンを除いて見たがどれも魅力的、ニコンもいいなフジFもパナはどうもなどと眺めてからバッテリーを買い交換、ついに新機種の購入までは行かずに退散する。

 バッテリーだけで四千百八十円、なかなかいい値段だ、SDカードも昔最初に買ったのは256MBだったのがだんだん大きくなり今使っているのが2GB にもなって居る、今売り場を覗くと二桁ギガバイトもある時代だ。まあこの調子で行くとギガの後何と云う単位まで行くのだろう空恐ろしい時代だ。


奇しくも七草に三か月振りの通院

2013-01-07 18:37:13 | 日記・エッセイ・コラム

 「この次は来年一月七日にしましょう」と云われた時は気にもせず「はい」答えていたが、それが今日の七草の日だったとは、寒い中早起きと云っても六時だが起きだし、七草粥ならぬ角餅を焼いて食べ七時五十分出発、群大附属病院門前に八時三十五分着、しかしこれから駐車場までが大変、だがその為早く家を出たので五十分には受付機に入力、到着と云う事になる。

 今回は採血が無いのでそのまま待つこと一時間半か、漸く呼ばれて乳腺内分泌科、長岡りん先生の診察、前回の血液検査の結果は良好とのこと、水上駅前のずっこけて怪我をした話などして次回四月八日の予約をして、次の放射線科へ、二十分ほどの待ちで担当の清原先生に呼ばれ今年のヨウド治療の入院予約などをして終了、会計が終わり十一時四十分ぐらいか、レストランででも昼を済ますかと覗いたがやはり結城屋の蕎麦がいいやと云う事で病院発、昼には結城屋に入っていた。

 アツアツの天ぷら蕎麦を食べ満足して帰路に、腹の中から暖められ上州の太陽に車の中は暖められて暑いくらい、外は気温五~六度の様だが、とにかく幸せ・・・  、この上ない

 市民病院前のアイン薬局で処方箋で薬を処方してもらい帰宅、午後一時過ぎには自宅で昼寝後、お茶をしていた。

 甲状腺癌骨転移肺転移とは因果な病気に見込まれたものだ、今年も頑張るよりほかなしか。


坊主の年始日

2013-01-04 17:36:01 | 日記・エッセイ・コラム

 三が日も終わり今日は昔の人が言う坊主の年始日である、上州名物の赤城おろしが終日吹き荒れる(は少し大袈裟か)寒い一日だった、昔々のその昔昭和十五年(1940年)頃だったか近所の愛染院の住職に頼まれて新年の檀家回りを手伝ったことが在った、小さな首に大きなお札などを入れたお盆を、緑色の唐草模様の風呂敷で吊下げ、小坊主(と云ってもお寺さんの二番目の息子十五歳ぐらいったか)の後ろについて近隣農村の檀家を一軒一軒回り、お札をこの小坊主に手渡す担当だった、ようやく西に夕日が傾く頃終わりほっとしたのを思い出す、やはり今日のような青空の広がる北風の強い手のかじかむ寒い日だった、住職は境町の町中を回っていたのかと思う。

 

006 こんな空の色を見るとあの檀家回りを思い出す

 あれから七十年以上たつが今は檀家回りをしないのか、坊さんのこの様な姿を見掛けない昨今である、たった一回だけの経験だが折に触れ想いだすのはそれだけ厳しい経験だったのだろうか。