基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

明日はもう11月だ

2014-10-31 17:18:51 | 日記・エッセイ・コラム

 人によっては明日から1-3日まで三連休の所が多そだが、予報が悪くなったり良くなったりテルテル坊主も大変の様、と言うので風邪予防の散歩に行って来た。

 明日から天気は崩れるそうだが今日はまだ曇り、だが歩くと背中が汗ばんでくるまだ陽気は秋真っ盛りのようだ、歩き始めて直に若奥さんの連れた小さなワン君に逢う、何という種類か知らないが可愛い、あの毛のモクモクしたのはポニーかではこれはチワワと言うのか、門外漢には判らないがお断りしてパチリ1-2枚写す。

 ワンちゃんをパチリ

  カメラが好きでないのか逃げ出した

 何時もの道に自然と足が向く歩きよいのか、珍しく変電所に職員がフエンスのメンテナンスか放送用具のか、電流は流れていないのだろうに、と思いながら広幹道剛志大橋へ、土盛り部分は歩道もふくめ殆ど完成、後は橋桁と手すりや照明などの仕上げ位か来春には完成か楽しみだ、

  剛志大橋の歩道

 汗ばんだ体で保泉公園まで頑張る、一休みと言う処だが子供たちが居ない今日は珍しく俺の方が速いのだった、皆下校途中なのだろう、何時もの定位置のベンチで休んでいると左手だ話声がする、見ると無し見るとハナミズキか臙脂に色ずいている、重なるように何という木か緑の葉に赤い実を沢山付けていいコントラストだ、そこで一枚パチリ、

 いいコントラストだ

 汗を止めても家まででまた掻いてしまうのだがさてと家路につく、風邪予防と言われる牛乳をコップにイッパイググッと戴く、此れで今冬風邪をひかない様だら安い安い。


ああもう山茶花の季節か

2014-10-30 16:04:29 | 日記・エッセイ・コラム

 秋真っ盛りなのに何か晩秋のような感じ、昨年の異常な暑さのせいか人間の季節感もこんなものかと気にしたり、しかし今年は秋が速いこの坂東の地も昨日今日と朝10℃を下回ったところが多く、北の北海道や東北の八甲田の酸ヶ湯温泉など雪便りだ。

 庭の山茶花も早生なのか白いピンク交じりのはもう満開である、

  良く咲いている山茶花

 赤い方は遅咲きかまだ蕾みである、

 蕾も硬く先だけピンクだ

 今週は月曜日から群大病院へ三か月ごとの診察日で出かけ、このブログで紹介しようとニコンは重いのでキャノンデジタルを持って出かけ、外科と放射線科の外来、採血室や料金計算窓口など記録したが、帰っていざブログへと想ったが旨く取り込めない、やっぱり暫くご無沙汰のキャノンでは駄目かとあきらめることとした。

 又前々からアップデートを要求して煩かったジャバをアップデートした処、インターネットのトップページにASKCOM などと云う聞いたことのない会社,(と言うプロバイダーか)のトッページに変って使いづらい事この上ない事になり、大変な日となってしまった。

 こんな事を元に戻すのにシマンテックや富士通のPCコンシェルジェに聞いたり四苦八苦であった、さすがシマンテックは無料でコンピューターの中まで侵入して、不用なソフトを削除してくれる、大したもんだ。


なぜ今特攻 七十年だからか カテゴリーを超えて長くなってしまった

2014-10-24 17:40:41 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日二十三日の朝日新聞の十七ページ一面 特攻 戦局悪化の末に と大見出しで掲載されていた、確かにその時から神風特攻隊は始まったと我々軍国少年は聞いて思っていたが、いやそれ前の1941年12月8日朝、ハワイ時間7日にはアメリカ太平洋艦隊を攻撃のための奇襲攻撃の我が連合艦隊の中に特殊潜航艇なる特攻兵器が使われていたのだった。

 新聞の写真、遺書や家族

 

 我々子供たちは満州事変,支那事変などと云っていた戦争で、肉弾三勇士などと云った特攻が行われていた話を聞いていたし、特殊潜航艇の真珠湾攻撃には我々郷土の前橋中学出身で海軍兵学校卒の岩佐中佐が、太平洋戦争最初の特攻による戦死者だった、と覚えている。何人だったかいわゆる最初の軍神であった、それが終戦で忘れ去られて今に至っている、この人達を殺したのは誰だ、いや一般人まで含めて何百万人もの人たちを死に追いやったのは誰だ、戦争遂行機関である大本営構成メンバーであり陸海軍高官特に陸軍高官と聞いているが、本当なのだろう。

  突然、兄は「軍神」になった の中の谷さんは我々より二歳先輩であるが未だ子供であった在ったはず、でもいろいろと当時の状況は分かって居たろうし、そして戦後の扱いもずいぶんの変り様に心を痛めたことと推察いたします。

 谷英夫さん 画面上をクリックを

 マスコミも戦意高揚を

 

 こんな事で若い有能な士を死なせず敗戦を受け入れていれば、あの悲惨な広島、長崎の大惨事も起きなかったものを、痛恨の極みが尽きない。

 と共にルーズベルトとトルーマンの名も忘れられない

 二十五日になるとNHKテレビで当時ヒリッピン・ルソン島で自宅を日本軍に接収されていた人当時子供だったが、若い特攻隊の人達の宿舎いわゆる兵舎として使われていた模様を話されていた、特攻前夜の様子や朝の出発、そして二度と帰ってこなかったことなど話されていた、敗戦以来子供心に植え付けられた経験は忘れる事の出来ない痛恨事である。されに驚くのはこのルソン島にメモリアルとして公園・記念碑・神社まで作り慰霊して戴いているとのこと、誠に感謝に耐えない事である。

 なぜ靖国に戦犯と言われる人達まで祀らなければ為らなかったのか、天皇の言うう事をも聞かなかったのに・・・   。

 特攻七十年学徒動員七十二年か三年かの年、当時の軍国少年は直も思い悩むところである。


坂東の地 晩秋到来か

2014-10-23 17:09:03 | 日記・エッセイ・コラム

 「ニワノ チーグサモ ムーシーノネモ カーレテ サーミシーク ナーリニー ケーリー」と口をついて出てきそうな陽気、而もこの坂東だけの様子可笑しな陽気だ、まだ十月も一週間余も残っていると言うのに。

 こう言うのを時雨と言うのか、昨日からざあーと降ったりシトシトと降ったり、そして寒い毛糸のベストを着て見たり、今日になって我慢ならずにセイターを着て見たり、年寄り泣かせの年だなあと嘆かわしくなる昨今である。

 まあ虫の音も補聴器の無いせいか聞こえないが、庭にはようやく小菊が満開になったところ、

 庭の小菊  爛漫か

夕刻になり西の空がようやく明るくなり良かったと思う間もなく山の彼方へ沈んで行ってしまった。

 明るくなった西の空

 明日はいくらか暖かくなるか、八十爺は楽しみにしようか。


補聴器使うの止めとこーと

2014-10-22 17:15:10 | 日記・エッセイ・コラム

 去る八日補聴器を使おうかと耳鼻科医院へ行って診断を受け、さらに補聴器業者と話し合い二週間の試用を決めてきましたが、今日がその試用の最終日でしたので結果報告に行ってきました。

 昔四-五十年ほど前になるか、育ての親の伯父御が折角の補聴器を「ザーザー煩くって嫌だ」と言って使わなかったが、今はグッと良くなり聞こえは良かったが何か金属的な音がして歩いたり動くと耳にキンキンするので一週間であきらめてしまった。

 まあ贅沢を言えば切りが無いけれど今の聞こえ方だと家内が言うほど悪くはないし、日常生活にはそれほど不便ではないので「もう少し症状が進み不便になるまで様子を見て、その時また考えたいので今回は使わない事にしたい」とお断りして試用した器械をお返ししてきた。

 人間贅沢なものだと思うが、贅沢を言えるのも今の内、その内にその贅沢も言えなくなるのではと心配になる昨今である。


大きな繭が 子供の森に

2014-10-18 17:27:57 | 日記・エッセイ・コラム

 夕刻風邪予防ウォーキングに出かける、今日はまた広瀬川堤頭上を走るサイクリングロードを歩くことにした。

 流石県道だけある、自転車でヘルメット姿の若者、小型な携帯用か小さな自転車の中年夫婦、子供を乗せたお婆ちゃん、更に歩く俺のような老年、中年、若者まで賑やかなものだ、

 豊東橋から見た大きな繭

 だいぶ大きく成った

 それは子供の森公園に在る繭ドームだった

 だんだんに近づくと学習の森繭ドームであった、子供たちが学べる様に作った学習館で養蚕の盛んだった地域を忘れない様にと高橋基樹市長が最終の任期に建てたメモリアムであったであろう。

 あれから何年になるだろう、この正面のステージでは今も吹奏楽部などの演奏会が開かれて居る様である。森を左に見ながら堤防を更に歩き豊東橋まで来る、ここから帰り道である。

 豊受橋からはさすがに遠い

 広瀬川左岸を我が町内リバータウン広瀬に帰るコースに入り眺めると、何と近いここへ可って歩道用の橋を掛ける計画が在ったが、こんな地方の市も市長が変わり頓挫してしまった、でなければ今頃もっと気楽に散歩できたのに・・・。

 本日やく6000歩 約1里か良い気持ちだ。


噴火だ 台風だ この処週末災難続き

2014-10-15 15:19:55 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は朝から青空だったが昼少し前から雲が増え気温もあがら、今(三時)はもう曇ってしまった。

 午前中は晴れていたが

 曇り始めて来た

 上州伊勢崎も夜は予報通り坂東の沿岸部のように雨の様だ、何となくここ二-三週間を見ると天変地異の前触れのような雰囲気がしてきた、雨季から夏にかけての長雨、しかも土砂災害や洪水を伴うなど、漸く秋ともなれば折角の紅葉シーズンに入ったと言うのに選んだ様な土曜日の御嶽山の噴火、翌週から土日と言うと台風一八号・一九号と続いて襲来、まあ我々の辺まで来ると勢力は衰え、速度をぐっと上げて通り過ぎるからまだいいが、沖縄や九州の北緯三〇度線近辺までの地方は毎回大変な事、お見舞い申し上げます。

 これも東日本大震災の列島プレートの異変により常態化してしまうのではと心配になるところ、この処の地震情報の頻度の増加なども多いのでは、もっともこの列島も有史以来いやいや其のずうっと以前からこのような状態を繰り返して今日に至っているのかも、ご先祖様もこのような繰り返し中この列島に住み守って来たのだろう、各世代が守り継いで往くきり無いのか、御苦労な事神仏に祈りながらこの星に住まわせて貰いながら往くとしようか。


風邪予防のウオーキングを

2014-10-11 18:38:34 | 日記・エッセイ・コラム

 風邪予防のウオーキング第三日目だったかを本日実施、此れで帰って牛乳を飲まなければならない、テレビの力は凄いものだ何人全国で言う事を聞いてウオーキングをしている事だろう。

今日は元のコースの保泉変電所に向かい、東毛広幹道を右に見て変電所を一回りするコースへ向かった。

 街路樹のハナミズキは赤い宝石のような実がぎっしりとついて壮観だ、

真っ赤なハナミズキの実 

 団地を抜けて変電所までの間は農家の人達が畑の農産物の手入れに追われて居る処だ、先日来た時に植えていた白菜がもうこんなに大きく成っている、暮れか正月には食べられる様、この辺は二月頃まで畑に置くようだがその家の方針なのかも。

 植えつけて二‐三週間か、大きく成って白菜苗

 広幹道を右に見て変電所を回り帰路につく、相変わらず車の通りの多い事これだけ便利になったと言う処か、反面変電所は福島原発が廃止と言うのにすごい鉄骨の塔が林立、危険と言う標識があるが原発が無いのに電気が流れているのだろうか?、早く再生エネルギーの流れに使って貰いたいものだ。

 電気流れているの?この変電所

 帰って携帯の歩数計を見ると5860歩歩いている、まあ早足でウオーキング5000歩と言う処か、家に上がり牛乳をコップにイッパイゴクゴクと戴く本日土曜日はノンアルコール日であるから。


掃除が出来た 久しぶり

2014-10-10 17:39:02 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は掃除をしようと思い二階の寝室やおいどんの小部屋をハタキ掛けから始めた、廊下やトイレまで含めると結構の広さがある、そして掃除機掛けでお終いだが何とか体が動いた、それもその筈昨日は大竹ペインクリニックへ行き腰椎へブロック注射をして来たばかりだ、このブロック注射も話せば長くなるが三十数年のお付合いである、その昔五十数年前の椎間板ヘルニアのオペの後遺症が本だからである。

 出た出た埃がでも終わるとスッキリ綺麗な空気を吸えるようで気持ち良い事また格別、そして昼飯、昼寝、お八つ、そして今ブログと言う処。

 秋の日は釣る瓶落としと言うがまさにその通り、もう周りは六時だと言うの真っ暗である、まだまだ日は詰まる年末まで。

 (釣る瓶の意味が今の人には判らないと思う、昔桶の着いた紐で汲んでいた井戸が在ったのです。) 


トウトウ観念 補聴器使うか

2014-10-08 16:53:29 | 日記・エッセイ・コラム

 朝から日の射す最高の秋日和だった、ただし先日の台風十八号の後を追うように十九号が発生、またもこの週末から日本列島を窺う様に接近中とのこと、真っこと面倒な雲行きだ。

 そんな良い日和に誘われたわけでも無いが、懸案の補聴器選びの為にひろせ町の広瀬耳鼻科医院へ行って来た、前々から家内に「補聴器を入れたら」と言われていたが、一寸伸ばしにしてきて現役時代に突発性難聴を患って入院などして、もう二十六-七年になるだろうか、その頃は職員に「お前たちの悪口が聞こえなくってちょうど良いだろう」などと云って強がっていたが、この歳となるとイマイチ聞こえが悪い様なので思い切る事とした。

 始めに聴力検査次は聞こえ正確性の検査として、認定補聴器専門店アヅマ補聴器センターの下山勉なる人から説明、この程度の物でどうかと勧められ取りあえず二週間試用期間としてつかってみることとした。

 補聴器とそのカタログ

 終わって見たら昼を回ってしまっていた、止むを得ず帰宅昼食と日課の昼寝をして、三時のお茶をいただきヨーカドウへ下着を仕入れに行く、着いて驚いた駐車場がイッパイ、満車の表示に驚きながら入ると空きが在るではないか、前はそうだったのか今日は八日で特売日だったのか今は空いて来たのか、など考えながら下着売り場でグンゼの半そでシャツを買い、会計で二枚組二つで二千百円ちょっと安いと言ったら、「四割引きになったます」と言うので驚き納得して退散帰宅、

 グンゼの半そでシャツ

 何という一日だったろう、何とも感無量と言う処。


コース新発見か

2014-10-04 17:40:13 | 日記・エッセイ・コラム

 九月の幾日だったか忘れたが、冬に向かい風邪をひかない体つくりをしようと、テレビで呼びかけていたのを思い出し、三週間ほど前から始めて見た。

 今日も夕刻歩きに出かける前に「牛乳を頼むよ」と言うと牛乳は本日なしとのこと、さて弱ったなと考え込んでしまった。テレビでの体質改善の方法は、二~三十分歩いてそのあと牛乳をコップ一杯飲むことを励行する事だった、続けることが良いのだが最低でも週一回実践するという事だが、そうだ西友まで行くか、いや途中に薬のアオキが出来たあそこで買って飲もうと歩き始めた。

 何時もより遠いかな五-六千歩なんだが、と考えながら出発する。我がリバータウン広瀬なる団地を抜け北隣の保泉団地をいつも通る逆方向に歩き目指す南千木町へ入る、随分家が出来たものだ見たことのない町に入ったようだ、車が多く道は混んでいる、何時もの床屋の前を通り薬のアオキへ着き、二〇〇CC入りの牛乳パックを買い一〇五円也を払いお店の前で早速いただく、携帯を見るとちょうど三千歩ほどだ、なんだたいした事は無いやと帰路につく。

 帰りは早い様な気がする、かって此の辺に住んで早くから家がポツポツ出来るのを眺めたのだから良く知った町である。家について時間は二五分往復小一時間のコースだ、歩数約六五〇〇歩だ新コースにしよう、汗ばんだので玄関前に腰かけ涼んでから家に入る。暫くぶりに南千木町へ歩いてみた一日だった。


意欲減退 さぼり癖出るか

2014-10-02 15:56:13 | 日記・エッセイ・コラム

 どうも書く気が起きない、左こめか みが時時々つんつんと痛いので何か嫌な事の前兆かとも気になって、昨日はそれが少しひどかったのでPL顆粒に変ってトーワチームなる風邪薬を飲む、PLはもう三十数年の付き合いだがトーワは今はやりの後発医薬品だそうだ、変らずよく効くので助かる。

 今日はそのせいで眠い事眠い事、午後は徐々にいいが、頭痛もお蔭様で良さそうだ。急に午後娘からTELがあり「何処かぐわいでも悪いの」とのこと、BLOG を書いてない様だという事らしい、そうそうブログの引っ越しを知らせてなかったのだった。

 ごめんごめんである、OCNからGOOに変ったが同じNTT傘下の親戚なのに、いくらか画面も変わりシステム構成も違うようだ、この歳になるとシステムは変わらない方が良いがまあ止むお得ないか、最近いくらか慣れたが意欲は幾分落ちているようだ、ブログ為るものには間隔がある程度あるらしいが、空きすぎると良くなようだ、今後気を付けよう。

 早くも白菜と想ったらトンデモナイ掻き菜だった

 広瀬川の堤防の曼珠沙華               

 画像を付けて御愛想を。今日は一日曇りこの後雨か?。