先ほど三時頃湯宿という鄙びた温泉から帰ってきたところだ。今から四十八年前の1960年の安保反対闘争をした頃の市役所職員組合青年婦人部役員だった人の集まり、六〇会 の人達(残り少なくなったが)との暑気払いであった。
「中仙道」を三国街道(に訂正、8月27日)の宿場町だったそうだが現在は群馬県みなかみ町湯宿温泉で、六つの温泉旅館の一つ ゆじゅく金田屋 へ泊まり楽しい一夜を過ごしてきた。二十二日(金)午後集合出発北関東道駒形IC~関越道月夜野IC経由湯宿まで一時間半ほど約八十キロ弱の旅である。この金田屋は街道筋の老舗のようで
玄関に往時の様子が伺える旅人やどの看板が飾ってある。
最近内装など近代的に手を加えたようで綺麗になって風呂も小奇麗だが小部屋など難が一部ある、家庭的で料理は医薬同源を実践していて野菜が多く健康的である。夕食ではキクラゲやヌルのある野菜のゴマダレで戴く料理が美味かった、朝食は鮭の味噌漬けの焼いたのが一番美味かった。
この温泉街には住民用に四つの共同浴場が整備され住民はもちろん部外者も百円で入浴で切るそうだ、町の中を通る旧街道の傍に点在する浴場を見て歩いたが、
一番大きいのが窪湯で薬師瑠璃光如来が祀られていてポケットパークも出来ている、竹の湯、小滝の湯は見つけられたが松の湯は等々見つけられなかった、これは民家の間にあって目立たないので分かりづらいのだ。
共同浴場
旧街道は石畳の部分とアスハルトの部分があって見せる場所とそうでない場所があるようだ。
昔駕籠や馬が大きな交通機関だった 頃の街道だから道幅は狭い、しかしその後少しづつ道を削るひとが居たのか極端に狭い場所がある、この道も歴史の中の生き証人として存在するのだろう、考えさせられる一場面でる。
今日は朝から小雨が降り気温も昨日よりなお低い20度以下かか、十時帰路に付き上毛クリスタルを見学途中蕎麦を食べて帰る。 半袖では寒い。