基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

秋はいつ来る Ⅲ

2012-08-31 18:14:56 | 日記・エッセイ・コラム

 寝苦しい一夜が明けて起きだして驚いた、寝巻が汗で着替えようとしたら何かネットリとした空気に温度計を見ると、温度29℃湿度70%ではないか、この状態で一日は恐ろしいと思いながら起床する。

 午後になって 「今日か明日かに雨」とのご託宣に一喜一憂と云うところ、とに角雨待ちの気持ちばかりが先に立つこの頃である。先ほどの予報では埼玉南に雷雨注意報の様だがこちらはすぐ隣だがどうだろう、群馬南部中部に雷警報ぐらい景気の良い予報が待ち遠しいところである。

 今日で八月も終わり明日から九月だというのに五時現在の室温34℃湿度50%、この部屋はエアコンのお蔭で29℃だからPCを叩いていっれるが八十爺にはつらい毎日のこの頃である。昨日は千葉にいる義弟からに電話があり「最近体調如何です」などと云われ「暑いので歩くこともしないのによく食べてしまうので腹のへんがボテボテしてしまって」と云うと、「私もそうだ」と同感の様子、「あと半月もすればいくらか楽になるのでは、お互いに歳だから頑張りましょう」と励ましあって電話を切った。

 九月はどんな陽気になるか、吉と出るか凶と出るか?ハテ気に成る処である。


秋はいつ来る Ⅱ

2012-08-23 18:23:36 | 日記・エッセイ・コラム

  二階の室温34℃湿度50%、八月も終わりに近ずいたのに上州は暑い暑い、気象庁が悪いわけでも無いのについ悪口が言ってみたくなる。今日も山沿いではにわか雨か雷雨がくるようだがこの辺はそんな気配もない、

001 北の空赤城山の上には入道雲が

                     でも来ないだろう

002 西の空、これでは全然来ないだろう
 これでは今夜も熱帯夜でフウフウ言いながら寝るのか、文明の利器も一晩中掛けっぱなしと云うわけにもゆかないし、まあエアコンも使って貰いだろうから使うが、エコ時代だからやや控えめにしなければならない。

秋よ来い ハアヤク来いと云ううところか。


戦艦大和

2012-08-22 18:25:01 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は市民病院内科の診察日、八週間ぶりに病院へ伺い押本先生に受診する。終わって会計の待合で伊勢崎工業の先輩で弁護士の森田徳司先生に逢う、「おお久しぶり」と声をかけられ近況報告などして「先生は大正生まれでしたね」と聞いたところ「うん大正も一番最後の方で軍隊では大分得をしたのさ」などと話となり、一五年の早生まれであることが分かる。もっともこの年はやく大正天皇が亡くなり何人もこの年生まれは居ない筈だ、こんな話から親の従兄弟が近衛聯隊に入り東京第二衛戍病院で戦病死している事や、親戚の相模新平さんが海軍兵学校を卒業して昭和一九年戦艦大和に乗り組んだ事などを話したところ、さすが大正生まれ「大和はすごかった四六糎砲を持った世界最大の戦艦だった」と主砲の大きさまで知っていた。

 やがて会計の順番が来て支払いを済ませて、先生と「お互いに健康に気を付けて、ではまた」と握手して別れる。

 戦艦大和と云えば、先日NHKのBSプレミアムで大和の記録と乗組員の生き残りの証言を特集していたのを録画して置いたのを見たばかりだった、新平さんは二〇年三月には「お前たちはここで降りるように」と云われ海兵同期の三人と少尉任官と同時に呉港で降ろされたそうだ。

 当時沖縄へアメリカ軍が上陸して人員物量ともに勝るこの敵に日本軍は島民も含め徹底抗戦を続けていた、この時日本海軍の連合艦隊の旗艦大和が、特攻として沖縄に向けて出港するという前代未聞の行動をおこし、九州東方海上でアメリカ艦隊の航空機の攻撃を受けて不沈戦艦と云われた大和もついに沈没してしまうのであった。

 このことは銃後と云われていた一般国民は知らなかった、いや知らされなかった、知ったのは敗戦後の事である。しかしBSプレミアムの記録に出てくる乗組員は、皆この大和に乗り組んだことを誇りに思っているかのようで、写りだされる自宅の部屋に皆大和の模型があったし、言葉の端端に乗組員の人間関係まで上下を問わず想いだしていた。

 親戚の相模新平さんに行き会ったのは、昭和四十年頃か倉渕村役場の助役をしているとき除籍の戸籍を貰いに行ってだった、大和に乗っていたんだとのこと当時の話をいろいろ聞いているうちに、呉でここで降りなさいとのことに成る話になると、「海軍は偉かった、もうじき戦争は終わる君達若い者が必ず必要になる、残って戦後の日本のために働いてほしい」と云う事だったと想う。と言っていた。

 まあとにかく漫然と生きる今の人達は今世界の中で何が起き、または起きようとしているかを常に注意深く見つめる必要があるし、見詰めなければ為らない。

 

 

 未完


これからどうする 

2012-08-19 11:45:11 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日はいくらか凌ぎよかったので買ってあった文春九月号などを紐解き気取ってみた、この近くの本屋では総合誌と云われる世界や新潮45、改造などは置いてないので、読みたい時に買えない、遠くへ行けば在るのだがこの暑さではなあ・・・

 まず第一に「総理候補」を採点するを読む、どの程度の記者かは知らないが、大手の政治部、経済部記者70人のアンケートの結果であるそうだ。そのランキングを見ると

 1位小泉進次郎 63,4点  2位野田佳彦 61,8点  3位細野豪志 58,1点  4位石破茂 57,0点  5位橋下徹 56,8点  6位林芳正 54,5点  7位石原慎太郎 52,7点  8位枝野幸男 49,3点  9位仙谷由人 48,9点  10位岡田克也 47,4点  と以上がベストテンである。続いて11位谷垣貞一、12位渡辺喜美であり16位河野太郎17位安倍晋三18位石原伸晃で、小沢一郎21位である。この結果を皆さんどう見るか、ご自由であるが俺はほぼ妥当と思うが、選挙ではまた政界再編ではどうなるか?興味ツツと言うところか。

 次に堺屋太一さんの橋下維新すべての疑問に答える を読む、こんなブレーンも居たのか、この他にも居るのだろうなと想いながら、  谷垣自民に国家を託せるか や小沢一郎の秘密を知る男 などを読んで八十爺本日の読書を終わる。


秋はいつ来る

2012-08-19 10:42:32 | 日記・エッセイ・コラム

 暑い暑いと云っている内に十日も経ってしまった、現在室温28℃湿度65%少し蒸してはいるが過ごしいいほうか、一昨日はザアーくらいでこの頃としては小雨、昨日は久しぶりにゴロゴロ、ザアーザアーと雷雨があって気持ちよかったが、今日は天気予報だと雨なしのようで残念、前橋気象台・熊谷気象台とでも唱えたいところ、七月二十日ごろの山瀬の襲来の頃が羨ましく懐かしい。

014 久しぶりの夕立、雨粒が写った一枚
 

 お盆が過ぎると日暮れが大分早くなり午後の日差しが縁側を超えて畳近くまで差し込み始めてくる、まさに秋であるが気温の方はそうは行かない、梅雨明けの頃よりは良いがまだまだ真夏の暑さである。

 早く(はあやく)コイコイ秋よ来い


ぶれない野田総理お見事

2012-08-09 12:13:49 | 日記・エッセイ・コラム

 とに角お見事、自民の小泉以来三代か四代かよく変わる総理に呆れていたら、民主に政権交代してやっと安定かと思いきや、とんでもない鳩山坊ちゃんがアッと言う間に政権を放り出し、哀れ菅さんは東日本大震災と東電福島原発問題で自滅、替った野田さんは当時新聞社説だったか人物評だったか「この人は化けるかもしれない」と云っていたのを今になると思いだすこの頃だ。

 自民党には何を言ってるのか反対したり協力したりクルクル振り回そうとしたり、民主党内では小鳩連合が足元を掬おうと狙いをつけた中を何とか潜り抜け来たところを、小沢グループの脱党と新党結成と、気の休まるところのない状況の中、「政治生命をかける」と云う「消費税の増税と生活関連法案の成立」に集中する姿はたいしたもんだ。

 又ここ二~三日の自民党のゴリ押しの状況は目に余る、さすが公明党は同調せず自民の要求する解散日時の言及には至らなかった。「アッタリメイよ、それは総理の専権事項と云うもんなんだよ」と云わずとも知れたことなんだと云いたい。

 これに所得税の累進課税の引き上げが加わればなお良いのだが、まあ徐々にと言うところか?。

 旧マニフェストはもう旧である、気にする事は無い出来ない約束をしたり、埋蔵金を掘り起こすといったのは小鳩であり、その時の一員ではあるが、大震災と原発問題で大きく時代変ったのだから、早急に新しいマニフェストを作成し、国民にぶれない野田総理を信任するよう働きかける必要がある。

 国民の信を問うと云うのはそうゆう事である。

 


8・8勧告

2012-08-08 18:49:02 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は西からの秋風が吹きこの時期としては凌ぎよい日だった、町や村では夏祭りの盛りで新聞の地方版を賑わしているし、甲子園では高校野球が開幕、そこへ今年はロンドンオリンピックと来て賑やか賑やか、まさに夏本番と言うところ。

 だがしかし六十七年前の八月六日広島、九日長崎とあの忌まわしい原子爆弾が投下され日中戦争から続いた太平洋戦争は終わった。その原爆忌の慰霊祭も、今年は昨年の東京電力福島第一原子力発電所の事故以来、さらに原子力の平和利用の難しさ、核分裂のコントロールの不可能さを見せつけている。まさに不戦と核の放棄を語る夏と云っても過言でない夏である。

 一方一九五〇年代やっと朝鮮動乱の戦時景気により息を吹き返した日本経済も、「これからの日本は無資源国で資源は人間だけである、国民は物作りに専念して日本経済を立て直さなければならない」とがむしゃらに働いた。

 当時地銀や民間企業で働き、故あって地方公務員になった八十爺はその低賃金に驚いたのだった。この頃は今日八月八日が来るのを楽しみにしていた、人事院勧告の出るのはいつもこの頃で、実施は年末に絡むことが多かった。

 我々若者は何千円かのベースアップに一喜一憂したものだ、何時も民間給与の後追いでやっと食いつないで来たのだった。それが最近の有り様は値下げの後追いか?、大阪衛都連や一部の景気の良い都市を除けば地方公務員など今だ安月給である。官僚と云われる人たちは別だが。

 まあそんな夏もあったっけ。


泣き虫愛ちゃんの涙

2012-08-08 17:45:51 | 日記・エッセイ・コラム

 久しぶりにあの愛ちゃんがテレビ画面で涙を見せた、かってのスポーツニュースだったか幼かった愛ちゃんが負けるたびに泣いていた姿が思い出されて感無量、この子は根性がある将来強い選手に成ると、多くの人が思った事だろう。

 そして若くしてオリンピックに出場、だがその度にメタルには届かなかった、それが今度は団体戦でチームメイトにも恵まれ銀メタルとはおめでとう。長年の精進のたまもの以外にない、その努力に報われた結果である、重ねておめでとう。

 故郷の皆さんも元気をもらい喜んでいるでしょう、今後も精進して次の機会を狙うのか、後進の指導に当たるのか、まだ決めていないようですが昨日の今日ではまだ無理でしょうが、いずれにしても今後の我が国の卓球界のためのご活躍を祈ります。

                                八十爺より一言


土用半ばに秋風が立つ

2012-08-02 17:59:01 | 日記・エッセイ・コラム

 八月二日午後五時半室温三四℃、湿度五十㌫暑い暑い、だが違う先月とはどこか違う、それもその筈湿度が全然低い、待っていた秋風だ。

 今日は北の方、赤城山の方角から黒雲が出ているが、予報はこ辺は降るか降らないか言って居ないが、「前橋測候所、前橋測候所」と唱えた方がいいかどうか?迷う所である。

 昔々この辺(上野の国)では今頃になると、暑さから逃れたくて早く秋が来ないかと待ちながら「土用半ばに秋風ぞ立つ」と云いつつ乾いた秋風を待っていたのだった。

 ナオナオ待ち焦がれた現代人に付いては如何にせん、バンザイバンザイと言う所か・・・