基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

借金大国の国費を使う猿芝居は止めて貰いたい

2012-06-30 18:33:58 | 日記・エッセイ・コラム

 関東平野はこの処梅雨の晴れ間に入り暑い日が続いている、がそれはやはり六月の暑さでやはり真夏日にはならない、なってもたまに少しと云う所かである。

 明日はもう七月いつ梅雨が終わるか、それでいよいよ夏本番に入る分けだ。政局はつまらない猿芝居を長く見せられていたような物の、何とか収まるところへ収まったと言う所か、馬鹿が一人いると無駄に時間と金がかかる勿体無いことだ、しかもこの借金で首の回らない国の国費をだから大変なことだ。

 これで参議院で同じことを繰り返されては観客はたまったものではない、早く衆議院議員定数を削減し違憲状態を脱して、衆議院を解散総選挙を行うべきだ。

 こんな可笑しな議会そのものが我が国の恥だ


気分爽快 梅雨の晴れ間

2012-06-23 18:59:59 | 日記・エッセイ・コラム

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 梅雨に入って早速台風四号五号と続き荒れ模様の日が続いたが、昨日から晴れ間が出てようやく関東平野も梅雨の晴れ間に入ったようだ、今日は昨日のようなムシムシ感がなく昼前少し歩いてみようと北へ向かい、保泉団地を抜け畑の中へ出て例の粕川橋梁の工事現場を右に見てされに北上する。

 ようやく背中が汗ばんできたが嫌な感じがない日だ、「湿度が少ないとこんなに違うのだなあ」と妙に感心などしながら保泉変電所への小道まで来ると、水たまりが続くので畑道はぬかるみで大変と回れ右、帰り道となり西を見るとキャベツ畑かかぼちゃ畑の向こうに榛名山が今日はよく見える.

002_2  榛名山,右が前橋、左が高崎

 さわやかな風の吹く良い日だ。

 

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戦国北条氏五代読了

2012-06-18 18:42:40 | 日記・エッセイ・コラム

 標記の件読了申し候、か。我が家の苗字(名字)相模と云うけれど元碓氷郡烏渕村水沼だというと皆不思議がった。元郷土史家で群馬の苗字の佐波郡地方を担当した橋田友治さんは健在のころ「サガミ君の家の苗字は珍しいね何時かよく調べて見よう」などと云っていたが、その後脳梗塞になり其のままに終わってしまっていた。

 そう言われると気に成るもので新聞に連載されてもう四-五十年に成るか、ずうっと気になりぱなしであったが先日新聞広告で戎光祥出版の中世武士選書8巻黒田基樹先生の「戦国北条氏五代」が載っていたので有名書店と云われるところへ電話してみたがなかった。

 そこでいよいよインターネットかと調べたが見つからず、楽天書店で漸くあって購入、昨日日曜から読みはじめ先ほど読了、

 

001 いわゆる後北条と云われる時代の歴史で

                    戦国乱世の坂東の話でなんとも大変な時でした

 読むほどに史実としての記録の大変さが分かりこの道の研究者としての先生の研究努力に頭が下がりました。

 自分では多分このころ松井田城にいて負けて隠れ住んだのが三つの尾根を越えた烏渕村だったのだろう位に思っていたが、この記録によると小田原城は秀吉軍に包囲されていて、北陸軍の前田・上杉・真田らは碓氷峠から攻め寄せ三月二八日に松井田城を攻撃、城将大道寺政繁はよく戦い四月二十日まで二二日も守り抜き降伏するという事に成る。以後前田軍に従軍案内役となり坂東の城は次々に降伏することとなる。

 でもこの合戦で小田原城の人達も城主の切腹で名跡を安堵される人達が多く、源平のころの悲惨さは無いのが今見ると救いであり良さであると思う所である。


東毛広域幹線道粕川架橋工事現場へ

2012-06-13 18:11:01 | 日記・エッセイ・コラム

 だいぶ長い間工事現場へはご無沙汰だったが、今日は気分が何となく良かったので出かけてみた。四時に家を出て北へ向かう、保泉団地を抜けると右手に遠く鉄の太い赤茶けた橋梁の桁が見えてくる、何とも逞しい姿ではないか、

001 遠く東に橋梁の桁を望む

 さらに北上すると剛志駅へ向かう道路の上を通る何工事と云うのか、既設の駅に向かう道から言えば下を通るのだから隧道工事になるのか、しばらく見ない内にもうコンクリートが打ち終わり、上の道路面の工事に入っているようだ。

002 土盛りがあってよく見えないが

                     コンクリートは打ち終わったよう
 

003 こっちの方がよく見えた、ビルデングの様

 いつごろ舗装工事が始まるのやらまだまだ先に成るのだろう、秋口に成るのだろうか、オジンに為ると気がせいてしょうがない早く通ってみたい思いが先に成る。

 何か年度内全線開通と云うような話の様だが記憶違いか、本当か?。

 家に帰って五時五分前、六千歩を歩いて約四キロメートルの散歩だった。

 


ただ今アー群大付属から退院

2012-06-08 18:02:35 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ年中行事の三年目、一週間と云うけれど五日間の入院で、その間隔離されてRI沃素131を飲まされることは前述のブログのとおり、だが胃のムカムカと口のまずさは将になんと言ったら良いか、今日は帰って昼は久しぶりに出しの利いた汁の蕎麦を食べてにっこり、夕食はやはり蕎麦屋の出しの利いた蕎麦屋のソウスかつ丼でも一杯は無理だが食べたいところ、それに風呂に入り五日間の垢(と云っても時々体はふぃたが)を落としたいところ、さらにコップ一杯のビールでもあると最高だが。

 明日から梅雨入りらしいが、なんとも暦は正確だ、今年はどんな梅雨になるのやらここ少し天地ともヘソを曲げてるようだから気を付けないとならない、まあ地に住む人間もしょうがないが、地球と云う天体の上にすまわせてもらっている動物の一つである、という事を念頭に謙虚になるべきである。

 この処繰り返される天変地異は御免蒙りたいところである。