基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

冬ー春ー冬ー春がおかしかった

2014-03-30 11:53:44 | 日記・エッセイ・コラム

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 今日は朝から雨、今は十一時だけれど小止みだ、外は気温十七-八度かな、昨日はポカポカ陽気でこの辺も桜が開き始めたようだ。

 お花見は来週週末あたりが最高か?、ただし雨風しだいだが、今年の春は三月初めに春が来たようで浮かれて広幹道の写真を撮りに出かけたりしたが、また冬となり暫らくしてちょっと春また冬と繰り返し、ようやくここに来ての春という処、例年の事だろうが今年は特にこの冬ー春ー冬ー春ー冬ー春の繰り返しが気になった様だ、冬が寒の戻りだったせいかなあー。

 そして昨日のポカポカ陽気誘われて家の周りを見ると、あの我が家の雨樋を壊した大雪が落ちて山になっていた家の周りが雑草に覆われているではないか。

Dsc_0578 盆栽棚も見えなかったのに

                        今は草だらけ

Dsc_0577_2 東側だが雪の山で通る事も出来なかったのに                     

 午後大竹ペインクリニックで腰痛治療の神経ブロックをして来たので、気分良好ズボンを穿き替え雑草退治を始め約小一時間、薄暗くなる頃終了夕食入浴就寝と言う処、これで本年度のブログも最終かな・・・。


アッ デジカメが取り込めない

2014-03-26 18:28:29 | 日記・エッセイ・コラム

 突如デジカメの映像がマイピクチャーに取り込めなくなってしまった、さあ大変(これがが四日前の日曜日)どうしよう困った困った、ということで途方に暮れてしまった。

 今はニコンのデジカメNIKON 1J2で非常に鮮明で健全に作動して健在というところ、弱ったのは吾輩のブログにどの様に映像を取り込むかである、方法なしだ。

Dsc_0574 デジカメの本物が移せないのでカタログで

 その頃記憶容量を上げようとCデスクからDデスクへ移そうと思っていたが上手く行かず、そろそろFMVのpcコンセルジェにご指導をと思っていたのでTELでお願い、それが二十四日(月曜日)先ずDデスクへの移動は順調に、つぎが映像これが流石プロも手古摺る、原因が解らないようでDデスクからCへ戻したりしたがダメ、翌二十五日に本田さんという担当がでて、色々と聞いて前日の二人の対応が録音してあるのでそれも調べ、「タスクバーが右に持ってきてありますが何時もですか」「横長の画面で物によるとバーが見づらいので一昨日変えました」「タスクバーのなかにデスクトップのオーナーなど一部もありますがどうして在るのです必要なのですか」「いやいつの間にか入ったのではないかと思います」と言うことでこれを削り「それではこれでデジカメ取り込みの操作をしてみてください」と言うのでしてみたら何とあいたタスクバーに何時ものようにデジカメのマークが在るではないか、ああ良かったが実感早速「有難うございました助かりました」と丁寧に御礼申し上げ三度目の正直TELを切る。

 なんて事もない、今になってみればバーが見づらいので画面右に移動したのが原因だった、縦になると自然に丈が短くデーターというかアイコンの数が減るため余裕を持たないと、カメラの格好のアイコンも映らないわけだ。


春だー ウララー

2014-03-25 17:52:10 | 日記・エッセイ・コラム

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 あっという間に昨日で彼岸明け、中日は折角の墓参りが午後は黄塵万丈ほどではないが、上州の空っ風でいい日ではなく冬の続きの様なもの、ようやく一昨日あたりから春風らしい物が吹き始め、今日はいい日だ。この部屋の温度午後五時過ぎているのに二十三度、暖かい。

Dsc_0567_2 剛志大橋まで工事用車両なし

 二十三日日曜日暖かさに誘われて東毛広幹道四車線かどうしたなと出かけてみた、早いものだあれだけあった工事用車両が一台もない、片側二車線を剛志大橋からスイスイと往復している、左側二車線は黒々ともう舗装も済みあとは線引きぐらいで完成か。

 保泉公園の樹木はと回ってみる、流石もう綺麗に片付いているが樹木は型が崩れ可哀想、

 やがてと言っても何年掛かるか観られるように成るには、皆んなで見守ろうではないか。

Dsc_0569 サッカーの親子の向こうの樹木哀れ


ジュディ・オング 倩玉 木版画の世界展 を観る

2014-03-19 17:28:37 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜から名物空っ風が吹きまくり今朝はいくらか弱くなったか、だが気温はいくらか高めで過ぎたようだ。

 先月十五日から始まったジュデイ・オングの版画展を見に行ってきた、会期も残りあと四日となり会場は大分混んでいた、もう昔NHKの子供番組であれは何と言う番組だったか、子役の渡辺淳君とジュデイ・オングちゃんの「オラアーサンタダー」「オラアーハナコ」で始まるドラマで、子供達と毎日のように楽しく拝見したのを思い出しながらの鑑賞であった。その子供たちも今は五十歳代半ばを過ぎようとしている、早いものだ。

Dsc_0560 作品の一つを刷り込んだ入場券

 俳優であり歌手でもあるというのに中年になって版画界の巨匠棟方志功の弟子入り、その後の活躍、寝る間もないのではと心配になる処だ。

 作品は主に日本家屋の粋寂びと言うのか障子の棧から庭の苔敷石、樹木の葉まで丹念に描写していた。これも下絵から色刷りする板を何枚掘るのだろう、大変な気の抜けない作業が続くのだ、今が一番脂の乗り切った処とは言え体に気をつけてのご活躍を期待しているところである。


相変わらずの同窓会総会だが春は着実に

2014-03-17 18:15:03 | 日記・エッセイ・コラム

 明日は彼岸入り、いよいよ春が近づいたという感じ、早速墓掃除に行ってきた。お寺さんの墓地に着くともう隣の隣の千吉良家では若夫婦か掃除が終わろうとしているではないか、偉いなあ若いのにと感心、我が家は暮れに綺麗にしたので草もなく墓石を磨き花立てを綺麗にして終わり、早いものだった。

 先週土曜日は母校伊勢崎工業高校の同窓会総会だった、相変わらず四~五十人の出席だ、

Dsc_0549 懐かしい仲間と先輩達

Dsc_0552 挨拶する現会長細野正夫氏ぐぐうと若い

空襲で本館講堂などの消失やその後片付け、焼け残った実習工場での寒さ暑さの中の授業などを経て卒業して六十五年になる。そしていつの間にか七回目の年男(午年)になっていた。

 もう出席名簿を見ると卒業年次別になっているので五番目くらい、なんとも恥づかしいが懐かしい森田先輩や小保方さんや川島君に逢えるのでつい出てしまう。かってよく出た平塚、佐藤君など見えなくなってしまった、八十歳過ぎたので無理もないか、十年ほど前か工化と機械合同でクラス会しようかなどと話が出たが実現しなかった、先日も電話でそんな話をしたが機械は最近地元有志が集まる程度とのこと、我が方の工化のように伊香保で一泊と言うような訳にはゆかない様だ、まあ我が方でアンケートでも撮るときに意見をきいおてみようというところでその件は御終い、飲むことに専念。

Dsc_0557 機械科の川島君現伊勢崎機械「株」会長

Dsc_0558 何が嬉しいか、この笑顔、久しぶりですね

 帰りのタクシーを頼んでいるとオボチャン「小保方さん」に二次会へ、トウトウ隣の町内のスナック蜂の巣へ、帰宅は久しぶりに九時ころか?、覚えがないすぐ就寝。


スギ花粉スゴイと言うが

2014-03-14 18:29:48 | 日記・エッセイ・コラム

 寒い日が続いたが昨日おとといと暖かい日が続いた、久しぶりに歩こうと思ったが家内に「花粉がすごいから花粉症になると大変だよ」とブレーキ、なんとも大変な時代になったものだ。

 2月に入ると鼻がおかしくなり鼻水が「ツツー」と、今年も飛び始めたかなどと思っていたが、検べて貰うと医師は花粉症はありませんという、毎年のこととは言え便利な鼻も嫌なものだ。

 昨日は雨になりそうなので大型ショピングモールと言うのか、スマークへ行き歩いてきた。プレビ劇場でプログラムをもらったり三越でメーンズ品を見たり、くまざわ書店を覗いたり文庫を買ったり、一階三階を言ったり来たり、長崎ちゃんぽん餃子を戴き口福堂の牡丹餅などを買い込み帰路につく。

 今日は夕べからの雨も上がったがヒドい風、上州名物だが空は何となくスッキリしない空、これでは花粉凄いだろうなあーと外へ出ないでいるが、はたして結果は?

Dsc_0546 空っ風にしてはスッキリしない空

  今日は昨日買い込んだ中公文庫「早雲の軍配者」初めての作家冨樫倫太郎の物だがを読む、面白いので夕刻には上巻読み終わる。

Dsc_0545 面白い文庫、早雲の軍配者

 韮山さまなる北条早雲が孫の軍配もの、風間小太郎を将来のために子供の頃から面倒見て育てる話なんとも面白い、下野の足利学校まで勉強に来るなど案外身近な話もあり時を忘れさせる。

 下巻は明日にしよう。


3、11近づく 3、10もね

2014-03-09 18:16:26 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日今日のテレビの報道は明後日で三年になる3、11東日本大震災の日の特別放送がまさに盛んである。其々の局も其々の視点で問題点を洗い出し感銘を与え、政府や東電の問題解決への取り組みやその遅れ不手際を洗い出している。またこの時期に大消費地の東京の地方に対する不遜さなど気になるところが多すぎる、オリンピックなど次回でよかったのでは。

 いっぽう六十九年前のあの太平洋戦争、今は何と言っているのだろう第二次世界大戦か、まさか大東亜戦争と言っていまいが、の終結まであと五か月よに迫っていた三月十日夜、B29爆撃機の大編隊による東京大空襲である、今の江東、墨田、荒川区などの下町と言われた地域は、日本の木造家屋専用に作った焼夷弾という爆弾の焦土作戦で壊滅状態になり、一口に死者十万人と言われた惨状を呈したのであった。

 これから敗戦まで地方の大都市と言われた都市を始め中小都市まで、日本の隅々までこの焼夷弾なる殺戮兵器により、家屋人員までも多くの被害を受けたのだった。

 戦争終結直前の広島、長崎の原子爆弾の攻撃と併せて、平和をうたうアメリカも俺はこれらの人類に対する殺戮については、心の中だは許すことの出来ない事件と常に思っている。

 国の右傾化は絶対いけない、自衛のための戦い以外はしてはいけない、我が国が攻められればこのオジンでも特攻ぐらいは出来るぞ。


暑い寒いも彼岸まで、と言うが?

2014-03-08 15:19:45 | 日記・エッセイ・コラム

 こう寒い日が続くと今年の春はどうなるの?、ちょっと気にかかるのだが果たして結果は。と言うのもわずか半年前の去年の秋、秋分過ぎて十月になっても暑い日が続き、あっという間に秋が終わり冬になってしまった、この春もこの二の舞では叶わない順調な春の到来を願いたいものだ。

 今日の今は上州名物空っ風が吹きまくり、黄塵万丈は前回の大雪とその後の雨で土も黒く湿っているので其れはないが、寒い寒い日が続いている、今朝も今時珍しい氷点下の朝だった。

 トンネルを抜けた雪国の人たちも待っている春が順調に来ることを願うばかりだ、三年目の震災の日を迎える被災地の皆さんこそナヲのこと、早い早い春爛漫を皆さんに送りたい。


久し振りの広幹道工事現場へ

2014-03-04 18:04:32 | 日記・エッセイ・コラム

 ひな祭りも終わり三月も四日になっていた、今年は暖かな日はまだ少ないが今日はまだ良いほうか、久しぶりに東毛広幹道(東毛広域幹線道路)に向かい歩き始める、大雪禍3を書く事もなく湾岸低気圧も雪にならずに済んだ、しかしこうして歩いてみると日陰には雪の山が幾つも残っている、もう半月も経っているというのに。 

Dsc_0535 残る日陰の雪

 白菜畑も収穫が半分以上済むだようだ、前回の五日ほど前は久しぶりで途中で帰ったが、今日は久しぶりに広幹道の工事現場まできてみた、四車線への拡幅工事も今が盛のようで、剛志大橋に向かい工事用作業車が隙間なく並んで工事をしている。片側二車線は多くの車が往復している中であるけれども、順調な進捗状況のようだ。

Dsc_0538 工事用作業車の並ぶ広幹道

 歩くと暑い背中が汗ばんで来たので何時ものように保泉公園で一休み、あの大雪で折れた大木のの枝が未だそのまま置いてある、あまりの多さで焼却場も満杯で処理不能なのか、これも想定外と言うところか、しばらくは無理というところかもしない。携帯の歩数計を見ると動いていない、何歩かナアーもう判らないどうしよう、「電源入れてここから測り三倍か四倍すればよいか」などと考えながら帰宅。

 着くと昨日頼んだ雪害の雨樋の見積に来ていたので説明、見積は幾日かかかるだろうと想うがどうか、とにかく多いのだからどう仕様もない、お願いだけはしておかないとと言う処である。

 庭を見るとあの雪の前我が家の梅白加賀が一輪開いていたが、今日はなんと五分咲きかあの雪に夢中でいたが、遅れはしたが自然は進んでいた地表を見ると雪に埋もれていた福寿草も黄色い花を思い切り開いているではないか。

Dsc_0533 我が家の白加賀 赤は山茶花

 

Dsc_0540 可憐にも雪割草とも言う福寿草開く