基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

坂東もいよいよ晩秋か 初冬か

2015-10-31 16:49:04 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年が夏が長く秋が短かったので、何となく今年は秋が長くしかも冬が速い様な気がする、坂東平野の今朝の南さんの予報は曇り時々晴れと言う事だったが、昼の予報は平井さんでなく誰だったっけは曇りに変更、結局一日曇り空でうすら寒い晩秋を思わせる一日となって仕舞った、夕刻チョット日が射したが。

 坂東もいよいよ冬近しか

 山茶花ももう時期は終わりか、白い小菊も今盛りと咲いているが文化の日も近ずき薄紫に色ずいたのも見える。

  植物は季節には忠実だ

 坂東全体今日の最高気温は十八-九度の予報が、軒並み二度ほど下がりうすら寒い夕暮れである。五時現在室温十八度室外は十三-四度か、長期予報は暖冬などと言っているが果たして如何なものか、一昨年のあの大雪は七十センチだったかは御免蒙りたいところ。


イッテってー痛みは何時かはやって来る

2015-10-29 17:23:57 | 日記・エッセイ・コラム

 何時だったろう我が家の慣れ親しんだ階段を早降りしたのは、最後の一段か二段か分からないが踏み外して転んだ、その時はたいした事なく済ませたが、幾らか痛みが膝に在ったけれど普通に動いて歩きまわって居たが、いよいよ痛みが出てきて整形外科へ、診断は関節の石灰化が原因との事、痛み止めをの塗り薬戴き家内の湿布薬との併用で済ませていたが、その間孫の大学祭や仲間の紅葉狩りとで歩いたせいか痛みを増してしまい、「はたと考えた、どう仕様、そうだ暫くご無沙汰の鍼灸師へ」と気が付いたのが昨日だった。

 早速小林君「かっての同僚が資格を取り開業」へ電話を入れたが留守電なので用件を申込み待つこと三十分ぐらいか、施術できると言うので出かける。

 どのくらい開けたか、確か春先頃だったか状況を話し施療してもらう。

 とに角軽くマッサージの後鍼をするのだが、何時射しているのかたまにチクリとするが後は分からない、終わると体がせいせいとしていい気持ち、軽くなったとはこのことかと思うが、「足に置き針をして置きましたの暫く三-四日はそのままにして置いて」とのこと、お茶など戴き暫く雑談の後帰宅、夕食後入浴したがそのまま入浴して置き針の上は洗わずに済ます。

    左足の膝へした置き針の様子

 久しぶりに良い気で起き出したが今日は頭がピンピン痛い、ロキソニンゲルを塗ったが治らない、家内に頭痛薬「たぶんロキソニン」を貰い昼食後のみ治まる、痛みは来るときに来るものだおお嫌だ。


猿ヶ京は紅葉まだ少し早かった

2015-10-24 18:02:37 | 日記・エッセイ・コラム

 1,960年安保の時代のジジババが紅葉狩りと洒落こみました、最近は車乗合わせはよしてJR を使っています、歳のせいで近親者に心配掛けまいとの配慮でした、しかし紅葉は今一つと言うところ残念でした。

 しかし夜の宴会は久しぶりにカラオケなどを入れて盛り上がりました、この処オイドンの甲状腺全摘で声の出ずらいのを考慮しての事、しかし今回はそんな遠慮をしないで全員張り切った様、オイドンも(昴や長崎は今日も雨だったなど)二曲を久しぶりに唄いましたが残念声が途切れてしまい今だ不完全でした。、

   ジジババの歌謡ショウでした

 料理はマアマアお値段通り美味かった、その後ワイワイオイドンは早めにと云っても十時半頃か爆睡、良く眠りました。

 翌朝は吉長なる宿をタクシーなど呼んでもらい出発、此処を出る前に当宿のご主人に記念撮影シャッターをおして貰う。

  旅籠前の記念撮影

 まあ紅葉はどうでも年一度の懇親会こんなモンでしょう。


先日注文の補聴器出来る

2015-10-20 18:34:33 | 日記・エッセイ・コラム

21 先日注文した補聴器が出来て来たとTELが在ったとの倅の話、早速メガネの板垣へ受け取りに行く、デジカメではないが何でもデジタル化して便利になる、PCでソフトを入れて試聴して合せてお終い、型を取って作っただけに耳穴ピッタリ、温感も普通と言うわけには行かないが可っての補聴器の差ではない、機械だが雑音も少なくいい感度と言うところ、映像は後程撮影して公開いたします。

 本日は報告のみで失礼。

   乾燥器の中の耳穴ピッタリの補聴器(左の出っ張りは電池、

                      使用時は押し込んでから使う」 21日撮影


昨日の暫くぶりの江戸村へ 孫娘の大学祭応援は尻切れトンボに

2015-10-20 16:54:03 | 日記・エッセイ・コラム

 やはりもう齢かなーなどと言う気になる出来事となって仕舞った、最終の写真を入れて改行と思ったが画面がイッパイで進まない、おかしな事にと思ったがサッパリ分からない、時間は進むのに記事は、そこでお昼を戴きお終いに成ると言う珍事となって仕舞った、実はまだまだキャンパス内を歩き経済学部、社会学部、その中間にある総合棟や図書館や向かいの工事現場の丸い建物、現代福祉学部などを眺め、歩き疲れてジジババは帰路につく、途中法政トンネルなど見えたがスポーツ健康学部やグランドや野球場はトッテモトッテモ、途中構内循環バスをと思ったがタイミングが合わず乗らず仕舞いとなって仕舞った。

  福祉学部、と社会学部だったか

 又西八王子駅へバスに揺られてつき、つぎの駅前の娘の予約してあった八王子京王プラザホテルへ、部屋で暫く休憩娘夫婦と少し早い夕食を済ませて解散して娘夫婦は帰る。

 京王プラザホテル

 翌日は十一時に新宿駅で待ち合わせ、何処にしようかと相談し帰りに便利な上野鈴本にしようと向かうが、早すぎるとデパートで暇つぶしに昼食になど仕入れて入場、暫くぶりに江戸村の良い雰囲気に浸り「アッハハー」とよいご機嫌になり、四時半発の上野始発列車に、娘に送られて帰路につく、籠原止まりなので少し待ち次の列車で六時十分には到着倅の迎えで帰宅、おさんどん様がお疲れで蕎麦屋の出前で夕食、早めの入浴就寝となる。

 これが顛末でした。


暫くぶりの江戸村へ 孫娘の大学祭応援

2015-10-19 18:37:06 | 日記・エッセイ・コラム

引退前の十七-八年まえの昭和の終い頃から平成の十年頃まで、江戸村へは年数十回通ったものだが、現役引退後はたまに出かけるだけ、ここ数年は坂東平野は車で用足ししていて済ませていたが、今回はそんな訳にもゆかず列車でという事に、しかし列車事情も様変わり本庄早稲田から東京駅まですくない本数の新幹線で、ここで娘夫婦と合流中央快速で西八王子へ大学までバスにて到着、話には聞いていたがまさに山の中のキャンパスだ。

 西八王子からバスで 

   

 バスを降りるとキャンパス入口だが緩いの上り坂 飾り付けのゲートヲ入り歩くこと何分か、オジン・オバンには厳しいナダラカナ上りもこたえるものだ、漸く売店などのある本部近くまで辿り着く、 

  マアマア在るは在るは何十軒殆ど食べ物屋だ、

  ようやく孫を呼び出し記念撮影「学生スタッフに頼み写して貰ったがその技術は?」

 昼飯は学食でと言うので行って見たがもう終い寸前、カレイライスで済ます。

        


秋想いだす「芋串」アア食べたいー

2015-10-15 16:53:02 | 日記・エッセイ・コラム

 ここ数日毎朝ご飯が何となく滑らかで舌あたりが良い、聞くと新米との事穀屋で買ったもの何割が新米か、でもこんなに旨いとは、農家から直接とって居たときはどんなに旨かったのだろうなどと考える、なりあき・採り秋などと人は言うが秋の農産物は豊富で旨い、生きとし生けるものを育て生かす根源の物だからであろう。

 などと想っている内に急に想いだす「芋串食べたいー」などと、我々八十爺が育った昭和十年代(千九百四十年代)は戦前の昭和が色濃く残った時代だ。 だが前半は第二次世界大戦に突入前で食べ物も後半より豊かだった、六才くらいからよく通った一銭商いの店「駄菓子屋」でも商品はまだよくあった、飴、煎餅、団子、二銭菓子(半生菓子)などと、その店の特徴を出したもんじゃ焼き、えび天(赤い小エビを載せたもんじゃ焼の一種)此れはおばさんがリヤカーの店だ焼いた物や、焼き芋(大きな土べつい上に切った黄色いサツマイモを載せて焼いたもの)これにごま塩を振った物、または沢山とれた里芋の小芋を蒸かして串にさし焼いて焼き饅頭に付けるような味噌を付けた、本日の主題の芋串など、今想うと時季時季の物が在った。

 夏は1銭2銭の掻き氷やアイスクリームと言っても、(今では長崎で言うアイスクリーンと云って売っていたが今はどうか知らない、)など我われ餓鬼どもには思いで深い時季だ、焼き芋より芋串の方が旨かったのかそれで芋串の方がかったか食べた回数は少なかったような気がする、最近では秋間梅林へ十数年前に仲間十人ほどで行った時に売店で買って食べた以降お目に掛かって居ない、あの時一緒に食べた仲間のご婦人が連れてきた四-五歳のお孫さんも大きく成ったろう、だが昭和の初めに食べた小芋の芋串はもう食べられない、美味かったなー・・・

 食べたいなーと梅見に行くのもどうか、伊香保温泉の手前のかびやだったかへ行くのも考えられるが、はーてどうしたモノか…それ程の事でも無いか。


久しぶりの広幹道剛志大橋まだ暫定二車線だった

2015-10-12 17:46:41 | 日記・エッセイ・コラム

 いよいよ秋らしい日々が続く良い日和、今日は北へ向かいかってよく通った東毛広域幹線道の工事現場へと急いだ、目当ては暫定二車線開通の剛志大橋だ、行って見てガッカリだもう大分たったのにまだ暫定二車線のままだった。

 残念未だ二車線だった(画面をクリックを)

 開通から一年は過ぎたように思うが未だとは、快適に高崎や館林まで走って見たいもの、地元の期待を込めて始めて半世紀以上たつ、もう少しと云う事で我慢するか、ともに伊勢玉大橋こそ期待したいが如何な物。

 東電保泉変電所の周りを回って帰路につき、恒例の保泉公園で一休み、今日は体育の日だのに子供たちが居ない、淋しい祝日の公園だ。帰ろうとしたらサッカーボールを持ったお父さんと子供が現われた、午後五時十分日が沈み逢魔が時だ、だが親子だから大丈夫か頑張って早く上がって欲しい。

 帰路可愛いワンちゃんに逢う、聞くと「シーズ」との事、胴体は良く刈り込まれ頭と尻尾は毛がフサフサと可愛い、そこでぱちりと一枚。

  おお可愛いシーズとはこの子の事か

 帰って玄関前のかまちに腰を下ろしてアッチイを冷まして家に入る、大分歩いたと思ったが携帯の歩数計は四千歩少し今度の携帯おかしいのでは。ドコモに聞いたら富士通との事いちど聞いて見たいもの・・・。


GOOブログが教える去年の今日 この頃

2015-10-11 17:40:31 | 日記・エッセイ・コラム

 人間気候によって考える事が同じサイクルで変わるのだろうか、ここ何回かGOOからの昨年の記事が届くが、陽気やお天気は同じような記事になって居るし、補聴器などは八日にに試聴をはじめ、二十日頃には断念している。

 補聴器購入の去年との違いは、耳道の形を撮りメーカーが作り耳に装丁する形で、調整がパソコンで細かくでき、雑音もよく調整出来そうなので決めてしまった。 

 もっとも先の補聴器の業者は医院の推薦で隣の市にある店で在り、耳穴に当たるし雑音をよく拾ってしまうので断念したが、今回のは当市の業者でもあり、社長も昵懇ときている、もう一社もあるがメガネでもお世話になるし、もう一社はデントの専門工場では敷居が高いので止めた次第と言うところ。

 大きな違いは昨年の今頃はまだ暑い日が多くアッチイなどと言っていたが、今年はもう薄ら寒い日が続き、上着だけでは何となく寒いのでカーデガンを着だすという事だ。

 ここ上州では天気もマーマー台風も大過なく過ぎ、米も平年作のよう他の農産物も順調にきた、TPP交渉も一応決着のよう今後の政府の対応はどの様な形に成るか、じっと真剣に見つめる必要ありと言うところ、何れにしても一次産業の人達には大変な事ばかり、最近の経済界はおかしなことばかり言う人達が増えている、経団連会長などトンデモナイ自分の会社さえ或いは業界だけが良ければとの感じ、もとの考えはブラック企業その物ではないか、昔のと言っても四-五十年前の経営者が懐かしい。


秋空スッキリ アベノミクスは失敗だが

2015-10-07 17:12:30 | 日記・エッセイ・コラム

 この処しみじみ秋だなーと思うこの頃だ、抜けるような秋空と言うが当にその通り、その内に天候を予測させるような秋の雲が次々に現れるだろう、楽しみにしている。

 例えばいわし雲、羊雲などいつ出るか、残念ながら今日の空にはまだ出ていない、台風二十三号の影響の西風で雲一つないは大袈裟だが、良く晴れた日暮れだ、いわゆる「秋の日は釣る瓶落とし」なのだろう、ゆっくりと地平の彼方へ沈んでゆく。

  良く晴れた空  沈みゆく西の空「画面クリックを」

、先の国会で安保法案を通し多くの国民の心配をよそに説明不足の中 三年がかりの懸案のTPP交渉も概ね妥結したよう、経済界の一部はお喜び、農業を始め一次産品を扱う業界は反対か或いはご機嫌ななめ、そんな中で政府自民党は第三次だったかの内閣改造と役員人事を行いつつある。

 またまたキャッチフレーズ好きの首相が、一億総活躍だか何だかの部署をを作り閣僚を指名したよう、指名された方が何してよいか分からないのではないか、はたが心配になる。アベノミクスのように言いだしっぺはペラペラしゃべって居れば何とかなると思って居るよう、完全な失敗ではないのかな。

 その悪あがきが新キャッチフレーズなのか、先に幾つのフレーズを喋り進めたが、その中いくつ実現しただろう、第二時アベノミクスと云うらしいが果たしていくつ実現するやらお楽しみ、と言うところか。


何でしょう爆弾低気圧とは

2015-10-03 17:41:54 | 日記・エッセイ・コラム

 一昨日から続き今日も未だ北方領土の方でお騒がせの台風モドキの大風が吹き荒れてたよう、昨日も書きましたが台風21号から化けた物のよう、それを爆弾低気圧とはオカシナ名付け方ではないでしょうか、再生とか再来とか再起・結合いろいろ考えられるだろう。

 しかし恐ろしいエネルギーがあるものですね台風の抜け殻と思っていたものが、寒気の塊の低気圧と合わさるととんでもない力を出すと言う、われわれ素人には想像もしなかった事態になってしまった。

 しかし十六夜の月は明るいという事でスーパームーンと言い、皆さんで大歓迎でした、片方の台風モドキの大風は爆弾低気圧はないのでは、リ ジェネレーション暴風雨とか、太平洋で発生したものでないから台風と出来ないと言うならなんでお月様だけどうしてスーパーが付くのやら、…、分らない。

 スーパームーン流石明るい

 去りゆく爆弾の片割れの雲

 八十爺の独り言何かご意見をお願いします。


大荒れでしたが上州は無傷

2015-10-02 17:34:51 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は急いですだれを片づけて大風を待ちましたが難なく雨のみで過ぎてくれました、予報の精度もよく分かり安心しましたが、今も北海道は荒れ模様のよう心配です。21号もずうっと大陸奥地は言ってしまってくれれば良かったのに、中途で右折などしてしまうとは、熱帯低気圧の残りと寒気の低気圧が合わさると、とんでもない力を出すのですね、恐ろしい事です。 またまた22号と先ほど23号と発生したとのニュース、一つは大陸へ向かうようだが、23号はどうなるか東へ行ってもらい処、祈るのみ。、

 ところで上州は今朝起きて見るともう庭先や木々は濡れていたがもう雨は止んでいた、その内に青空が見えまた曇ったが九時過ぎには第大分青空が広がり、風もさわやか秋風となった来た。

  

 東の空はまだ雲が       西の空は真っ青  (ともに10時前)

 夕刻五時頃の室温二八℃湿度五五%と暑いが凌ぎ良い気温、写真の現像と言うか今は印刷と言った方が良いか、大分はかどりお蔭でこのブログに掛かれた、武州の放念の爺のように毎日書けると良いのだけれど、とんでもソンナ訳には行かない、八十爺では・・・。