季節は移ろうなどとのんきなことは言っていられない、台風二十七号二十八号とノロノロと気を揉ませていたが、いよいよ明日二十五日から本土へ近づき二十六日は関東へ最も近づくらしい、伊豆の大島の人達はまだ先の二十六号の始末も付かなうちの襲来なんとも申し上げようのない状態、少しでも余計に逸れて貰いたいと祈るだけである。
小雨が降りだしたかと思われたが少し歩かなければと、広幹道を目指して家を出た、保泉団地を超え変電所へ近づく頃には背中が熱くなり始めてきたが休まず歩き、見晴らしの効く剛志大橋の上まで歩き続けて来て見る。さすが周囲の山々はよく見えない、大田の金山だけは高さがないせいかわずかに薄く見えるだけだ。
さすがに期待された道だけに車の通りの多いこと、歩道は我々のような歩け歩け人種がたまに通るだけだが便利になったものだ。これで利根川架橋が完成すればまた高崎がもっと近くなるという事だ。
保泉公園で一休み子供たちの三角ベースか、今は何と言っているのか知らないが見学か、しているうちに小雨が多くなり急いで帰宅、今日は久しぶりによく歩いた六千八百歩、四千四百メートルだった、ああいい気持ちだー 。
昨日は群大付属病院へ、今日は伊勢崎市民病院へと続いたが、両方共に順調とのことで安心して帰宅したが、午後になりトイレで息んだところ鼻血が出て軽い頭痛が続いている。心配になって血圧を計ると一六〇あり二度目は一四七だった、市民病院へテレホンしてみたが、担当医の押本先生は珍しく帰ったとのこと、今日は受け持ち患者に心配ないのか珍しいことだ。
まあ今日は飲酒と入浴はやめて大人しく寝てしまおううか、などと考えている。どっちにしても電話したりPCを叩いたり出来るのだから大した事ではないのだろう。
昨日は甲状腺がんの転移は、年一回入院治療で四年で四回のヨウド131治療でだいぶ経過は良いようだし、今日も血圧や胃の調子も良いようだとのことで、この調子だと持論の生きてるあいだ人の手を借りずに生活することが出来そうだとご機嫌だったが、はてさてどうなる事か今日も言われた「八十を過ぎてるのだからね」と・・・
今日は午後四時三十分に家を出てみようと待ち構えていた、この時間予報通り雲が出て薄曇り歩くのに丁度いい気温だ。何時もの北へ向かうメイン道路を行くと渡辺家の玄関ドアが開く、奥さんが出て来たところ暫くぶりに顔が逢う、「こんちわー」「体調如何ですか?」「ごらんの通り生かされてます」「お元気で良かったですね」と言葉を交わして別れて少し行くと、先日のハナミズキの所へ出る、其れこそ真っ赤になった実がすごい、しかも足もとにもう沢山落ちているではないか、
隣町の保泉団地へ入り少し行くとそろそろ背中は汗ばんでくる、横道から出て来たおじさんらしき人歩くのが速い、俺より若いのか?変電所を超えて広幹道の歩道を西へ行くスタコラサッサ、こちらはこの角の鉄の柵へ腰かけて一休み、もうその姿は小さくなっている。
変電所を一回りして保泉公園へ、子供が何人か遊んでいるが今日は大人か若いしか、二人でキャッチボールをしている。ベンチで一休みをしながら眺めていると、チャイムが流れ始める境町の行政放送だ、便利だ住民情報や危険を知らせたりできるので昔企画課時代考えた事が在ったが実現できなかったことがある。
公園は五時だと言うのに曇りとは言えもう外灯は灯が入り始めている、この時期の季節の移ろいは目に見えて早くなる、哺乳類の一種の人間も近ずく冬に敏感に感じているのかな、と想うこの頃である。
暑い暑い家に入る前に玄関前で一休み、携帯を見ると五七八〇歩で三,八キロ歩いていた。
いかに自然の力は大きいかと、その力の大きさをマザマザト見せつけた今回の台風二十六号であった。
日本海に入られると困るなどと前回書いたことを今反省している、早く不明者の発見と復興をお祈りいたします。東京都の対応をじっと見つめて居る処です。
ようやく訪れた秋の日よりと想ったら季節外れの台風24号が日本海に入ってしまい、おかげでとんでもない陽気になり、ジジババの歩け歩けの季節などとんでもない暑い事暑い事。
今日は昼ごろから日が陰り夕刻は何とか歩けそう、出かける事にしようかと家を出る。家の前の街路樹百日紅もさすがもう終わりか、枝先に微かにピンク色が残る程度である、少し先の北へ向かうメイン通りはハナミズキが早くも色好きハジメ赤い実も生っていた、いくらも歩かないのにアチチー背中が汗ばんできた、暫くぶりなので足も重いが頑張れ、保泉変電所まで行って見ようとまた歩く、いつの間にか季節は移ろう。
遠く広幹道を見ながら歩く、大分にぎやかに車が通っているなと思いながら、変電所の南の道を歩きながら見ると、あの夏野菜で一杯だった畑がいつの間にか秋冬野菜の苗植えられて一面平らになって居る。
帰路につき保泉公園で一休み、誰も見えないので人はいないと思ったら、声がするいたいた滑り台に二ー三年ぐらいのチビたんが、その内に自転車のご老人も自転車を置いて、前かがみに小足にヨチヨチと、人には言えないがアアはなりたくない。
家について玄関前で少し涼み携帯を見ると五千歩強ほど歩いてる、やや目的達成かよしよし。
ここ二‐三日暑い暑い、台風が今頃になって日本海へなど変な天気、先月の一八号台風は嵐山の渡月橋を水浸しにしたりして雨台風振りを見せつけたが、後は太平洋上を通ったり中国大陸へ向かったりと、いや二十二号は直撃だったが、被害も若干で済んだようだった。今回の二十四号は二十三号に続いて大陸へと思いきや、今現在対馬海峡を北東に進んでいるようだ、このコースを採られると我々にはもっとも悪いコースと云う事に成る。
日本列島は南から太平洋高気圧に覆われ、湿気の高い暑い空気に数日晒される事になり梅雨明けの頃の再来になってしまう、まあ十月だからあれ程では無いが嫌な天気が続くことになる、台風一過爽やかな日となる時期季節と当てにしている人類、日本人にしてみると大きな見当違いとなる。
これも地球温暖化の結果の一つか、その原因をまき散らした個体の一つとして諦めざるを得ないか、地球にやさしい原発や化石燃料を使わない生活を取り戻さない限り。
清々したこの初秋の空気の中こんな事は言いたくないが、我々戦時中は宿敵米英と戦い、戦後は無資源国日本復興のためとすきっ腹を抱え働きぬいた、漸く飯も満足に食えるようになったら、我々に関係ないペーパー資本主義(アメリカ資本主義)に巻き込まれた日本はしゃぶり尽くされようとしている。
その上政府も国会もそれを形成する政党も、かって国の為国民の為と汗水たらした官僚も今は何を考え何を仕様としているか、全く分からないと言うか目に見えない、
見えるのは
1、庶民泣かせの消費税増と、正反対の企業減税であり、
2、もっとも今必要な東日本大震災の復興処理であるのにその遅れ、我々が増税やむなしと想ったのは、復興推進と危機的な財政再建の為と思ったからだ。
3、福島原発の廃炉作業の遅れと云うよりその無策ぶり、東電だの政府だのと云ってる時ではないのでは、総理は大見得切っているが世界は見ている。
4そこへ東京オリンピック開催と云う騒ぎ、水を差すわけではないが本当に70パーセントが賛成していたのか?疑問を感じている。東京は地方が支えているからの東京都で、決して独り立ちしているので無い、その金を原発処理にと出せないものか、あの太った狐顔が何とも気に食わない。
5、又ここへきて年金の減額を打ち出してきたが、たとえ1パーセントでも大変な額だ、でなくても我々は現役世代に遠慮しつつ食べさせてもらっている、今までもだいぶ減額されているが騒がないオジンオバンだが、姥捨て(楢山節考)にはなりたくない。
最近又アベノミクスなどと云いペラペラと世界中で喋りまくっているが、真底信用されているかどうか、今日の朝刊では元小泉総理が「原発廃止を」と云っていたが大歓迎である。
実行の人小泉御大頑張れ 十月一日を期して