基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

大殺界はこの国か

2010-12-30 18:38:36 | 日記・エッセイ・コラム

 もうあと明日一日で2011年の新年である、早いものだ俺が細木數子さんの六星占術に寄る大殺界に入って3年があと一日で終わる。

 若い現役時代は興味はあっても気にする余裕は無かったが、大殺界とはどんなものかと見ていたら数年前から可笑しかった右大腿が昨年春から痛みが増し、いろいろ治療をしたがよくならず、秋になり群馬大学付属病院へ紹介され、検査の結果甲状腺濾胞癌の骨転移肺転移との診断であった。

 十二月に甲状腺の全摘手術を受け、その晩内出血ありというので即再手術を受けICUに放り込まれたりしたが、何とか無事退院できた。続いて今年7月には再び入院、ラジオアイソトープヨウ素131を飲み癌の細胞攻撃と言うのかをして退院、以後味覚障害が出て甘辛の味が一か月チョット分らない日が続き、不安の毎日であったが何とか回復。

 現在体重もなんとかオペ前の66ー67キログラムに回復してきて元気で新年が迎えられそうである。

 そんな事で私事でガタガタしている内に世の中はクルクル変っていた、昨年八月の総選挙で自民党に変り民主党が政権党になり、大いに国民に期待を持たせたが、これがトンでもない食わせものでったと言う事で、政策はマニへストとか言うものであったが実現したものは華々しく登場した事業仕分けだが、予定数量があわず、予算はばら撒きに終わり大赤字の予算編成はどうなる事やら。

 初代の鳩山さんは脱官僚などと言い、大いに張り切ったが外務省からの情報が上がらないのか聞かないのか、碌に根回しもしないでアジア重視を打ち出しアメリカに袖にされ、沖縄の皆さんに期待だけ持たせて退場、菅さんは中国ロシアに領土領海問題を突きつけられ、現政権の頼りなさを国民に見せ付けたところである。

 官僚とは明治の昔、この国を世界の列強を追いつけ追い越せと元勲といわれた人達が作った制度である。百数十年の歴史と膨大な情報を蓄積し、多くの繫がりを持つ人たちを利用しない事の方がおかしい、だが自民党のように任せきりもおかしい、どう使いこなすか、どう協力するかと言うところだろう。

今頃になって仙谷官房長官は「政務三役会議に事務次官と官房長を陪席させる」などと言っているが、遅きに失したことは間違いない。

 今の政治家はその位のことが判らない人たちばかりなのか、判る人が居ても表面に出ないのか不思議な時代と言う外は無い。

 この方がこの国の大きな大殺界だ。   


ああ 暖かい日だった

2010-12-20 18:13:25 | 日記・エッセイ・コラム

 リビングに居ても今日は暑い位の日になった、とに角この部屋は八畳で、南面からよく日が入るので冬でも暖かいのだが、今日は暑いのでダイニングとの境の障子を開けて調節せざるを得なくなった。

Img_1347サンサンと左から射し込む日光

 此のところしばらく寒い日が続いたので、サボっていた散歩をすることにして出だした、何時ものように公園前の十字路を北に向かい、保泉団地を抜けて保泉変電所の横の道を通り、建設途中の広幹道まで出ると暑いので上着を脱ぐ、此処まで約二十分。

 途中やわらかな師走の日の光をカメラに収めようとしたが、どうも調子が可笑しい、画面が暗いし弄ると画面に変な物が出る、「まあ良いや」撮っておけばと映してみる、

Img_1343変電所に向かい一枚

                 さらに白菜畑を一枚と

                 写す

 Img_1344

 やわらかな太陽の光が映せたか?

 出来はカメラ任せか、パソコン任せか、どちらでもいいか、とに角ブログに入れて見るよりしょうがない。

 と言う事にして保泉公園で一休みして帰路につく、暑いあつい玄関前で少し休んで涼み家に入る。

 こんな時タイミングよく剣持君が来る、もう少し早ければ居なかった、良かった良かった。


今年は寒い筈が

2010-12-14 18:24:43 | 日記・エッセイ・コラム

 近年になく珍しく寒い日が続いたが今日は暖かい、昨日は一日雨で寒い一日だったが、今日は朝から段々に日が射してきて、この時期としては暖かい日となった。

 来年はどんな正月となるのやら、長期予報は平年並みにと言っているが、果たして雪が見られるかどうか、  その統計の数値其の物がここ数年で上がっているだろうし、雪が第一暫らく見られなく遠く山並みに在るのが見えるだけとは情けない。

 今住んでいる此処は群馬の中でも特殊の所か?、今年の夏はこの辺は一月も雨が降らず、台風でも雷でもと想ったが降らず、ただし草むしりが楽だった。しかし特に渇水に弱い皐月や躑躅などの水くれは大変だった、水道水の使用量が増えて相当の使用量になった。

 同じ伊勢崎市で赤城山近い所は降りながら、利根川に近いこの辺は雷様も素通りしてしまうと言う所だ。

 はたしてこの冬は夏と同じか、この辺は雪も降らずに素通りか、我々オジンは助かるがこれでは雪の知らない子が出来てしまう、 大袈裟か?

 せめてこの辺も平年並みを望みたい、人間世界が頼りないのだから。 


今冬は寒いと言うが雪は

2010-12-08 18:18:29 | 日記・エッセイ・コラム

 今日八日は久し振りに寒気が日本列島に入ると予報は言っていたが、そのとうりに寒い一日だった、今外は木枯らし「と言うのは少し早いかな」が吹いて上弦の三日月が寒々と輝いている。

 ここ数年暖冬で雪が殆ど降らなかったが、今年の正月は珍しく良く雪が降り、何となく懐かしいような気分の冬だった。がさて今年の冬はどうなるか、期待してよいのかな。

 ただしおじんには困る事がある、車にチエンもスタットレスタイヤも無い、親子で車をエコ減税にのって新調してしまい、今回はいいや降ったらおとなしく乗らなければ、と言う事になって用意しなかったのだった。

 雪が降るか?期待と不安で正月を待っている所である。

 Img_1342西南の空に三日月が

  夏に張った朝顔用の網の目の中に見える

 


愛国少年は安保反対だった

2010-12-04 18:49:57 | 日記・エッセイ・コラム

 第二次世界大戦(大東和戦争、太平洋戦争などと国内では言った)の最中「うちてしやまん」等と言っていた(軍や文部省が教えた古語)愛国少年は、敗戦後成人して大の戦争嫌いとなり、日米安保反対の賛成者となつた、戦後の極端な食糧不足と貧乏生活への不満は組合運動や政治活動へ純真な若者を傾斜させていった。しかし日本人の特性か極端な左翼活動には入る者は割合少なかったようだ。

 戦後六十五年その頃十代の若者も今は八十台のオジン、オバンになり鬼籍に入った人も多くなった。

 国内の政治経済、世界の動きなどを人生かけて見て来たが、我々に当時新聞・ラジオぐらいで理解するきり方法が無かったが、それが是だけメディアが発達し我々庶民にこれでもか是でもかと言うほど情報が流され、それが取得できる時代に成り、物によっては無駄でもあり食傷気味のところもあったが、その気になれば世界や地域或いは国内の政治経済や国民生活など必要な情報がいくらでも勉強できる時代になったのである。

 こんな時に朝鮮半島情勢が慌しくなって来て、情報はテレビ新聞更にインターネットなどで流されて居るが、平和ボケの日本人は気にする風でもない様子、なんとも気がかりな事だ。

 特に政治家という高給サラリーマン諸氏の行動だ、何の情報発信も所信表明も無く、何を考えているのか分らない、高杉晋作を尊敬すると言う今の偉い人など、「この国難の時この身を呈してその処理に当たる」などと大袈裟な事を言わなくていいから、せめて「自衛の為有事に備えて自衛隊に警戒態勢を指示したので、国民各位も慎重な行動と協力を」ぐらいのことを言ってはどうかと想いますが、皆さん如何な物ですか、こんな時こそ政争さておき与野党よく協議協力して政治に当たってもらいたい。

 もう我が国を狙える射程距離の弾道ミサエルも在るようだし、狂犬は何時噛み付くか分らない、情報収集を怠り無くして備えを厳重にお願いしたい所です。

 往年の愛国少年はもう歳でジェット機には乗れないが、銃ぐらい持てますよ、今のは三八銃より全然軽くて性能も良いでしょうから。

 八十オジンにこんな事言わせていいの?