基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

姪のお棚上り「四十九日」と納骨を

2013-07-29 14:05:19 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日二十八日は姪恵美子君のお棚上りと納骨を済ませて夕刻帰宅、戻り梅雨の合間の晴れた日で、後期高齢者は大変な行に成る。まあ若い人も大変だろうけれど、三-四十人ほどの参列だったか。

002 華蔵寺書院を出て庫裏の前の坂

                          を下る家内と次男健君

006 会食中の長男勇君夫婦と孫(二歳と六歳)

 天台宗華蔵寺で午後一時の開式の供養、次に昭和町の墓地に埋葬、プリオパレスでのお浄めと会食と済ませて、位牌を自宅へ送り五時前に帰宅、

 お疲れさんでした。


ゴロゴロと鳴りザット降っている

2013-07-27 18:49:24 | 日記・エッセイ・コラム

026 いい降りだ「カメラが新しくなり明るく映る」

 先ほどから降り始め二-三十十分となるか、こんな降りがずっと続くとあのニュースの画面のようになるのか、水瓶の役になって居る上州はそんな気も使わなければ為らないとは大変な事、使う方はどんな気で使っているのかな?、チョット気に成る処。

024 実際はもっと暗い

 昨日からこのブログ人の新記事作成画面が「このページは表示できませんと」と表示されて白紙の状態、やむを得ずいろいろ調べたが分からずカスタマサポートも満杯、まさに四面楚歌のの歌、でもないか。

 ようやく何かトラブルらしいと見つかり、最初の頃一度だけ使ったユウーザー名とパスワードでこのページに到着と言う処、早い復旧を願う処である。

 誰の仕業だ「コラッ」


山本太郎君頑張れ

2013-07-23 18:33:53 | 日記・エッセイ・コラム

 変な茶番劇に国民はここ数日振り回されてしまい、なんと情けない事か。これは野党と言われる政党や、その構成員の責任非常に大と言える。理由は今更説明する必要ないが、情けない限りだ。

 その中で平野辰夫さん、山本太郎さんの二人の無所属参議院議員が生まれた、輝かしい結果と言える、特に山本さんの長い間の努力、ぶれない姿勢、子供を悪魔の火から守ろうとする不断の努力、こうゆう人達こそこれからのわが国日本を任せられる人達であろう。

 核の平和利用と言い始めて半世紀を過ぎていまだ実現しない使用後核の後始末、何時何が起きるか分からない日本列島、核を神の火にするも悪魔の火にするも、決めるのは貴方達次第である。

 太郎さん頑張って   ミゾユウでない太郎さん


今日は西風やや強

2013-07-15 18:36:44 | 日記・エッセイ・コラム

 現在六時十分いつものこの小部屋がエアコン無しで居られる、珍しい事だ、梅雨明けから十日もう十五日になって居たのだ。室温三十℃湿度四十五%朝から北西の風やや強と言う処、何とも珍しい。

 月初め街路樹のさるすべりが咲き始めたな、と思っていたら家の前はもう満開だ、此れから九月末まで咲き続けるのだが、百日紅の別名もある珍しい花である。

001 満開の百日紅

002 街路樹の百日紅は珍しい

 と云う事で今日は西友、セキチュウへお使いに出て北を見たら、この頃は見えることが少ない赤城山がスッキリと見えるではないか、何とも珍しい今夜は楽に眠れるか?、眠れてほしいものだ。


オリャー モウヤダー

2013-07-10 11:44:29 | 日記・エッセイ・コラム

 梅雨明けちょうど五日メか、去年より二日早いと思っていたら今日の新聞によると、五日で無く六日の明けだと言っていた。

 記憶によると去年より一~二日早い梅雨明けのようだ、去年も長い長い夏で暑い日が延々と続いたのでウンザリしていたのを思い出し、今年もこの暑さ(三〇℃を超え三七~八度の日が時々ある様な)が三か月近くも続くのかと心配になるこの頃である。

 オイドンのブログも日記、エッセイの部類であるので、どうしてもPCに向かうのが夕刻で、この部屋(我が家の二階西北の隅の四畳半)へ入る頃は将に四〇℃近い酷暑時刻帯である。と云う事でつらい行をこなすことに成るので怖い時間である、そんな事でこの部屋へ午後入るのがどうしても億劫になってしまうので、ブログも間の空くように成るのではと言い訳をして置く事にした。

004 簾は下げてはあるが西日が酷い

006  六時を回ってが温度計三十六℃ がめんをクリックを

 と云う事とで今日は新聞二紙を読み終えた十時にはこの部屋に入って、エヤコンを付けてPCに向かっていた。

 あの戦前の十歳頃学校プールは毎日のように「母ちゃん寒暖計が二十八度を超えたよう、行って良い」と許可を得て、日がな一日水の中で遊んだ頃を思い出す今日この頃である。

 最近の子供は如何しているのだろう、みだしの「おりゃー もうやだー」は子供の頃の上州弁、「俺は もう嫌だ」とでも云ってるか?それともエヤコンの利いた部屋かにいるか。


大竹ペインクリニックへ

2013-07-06 18:21:48 | 日記・エッセイ・コラム

 暫くぶりに大竹先生の所へ行ってきた、この春に足の関節痛がひどくなり、こばやし整形でロキソニンゲルを貰って付けて以来、調子が良かったが、最近になって可っての椎間板ヘルニアのオペ後の後遺症が、いつ起きるかという瀬戸際となったので、今日はどうしても神経ブロックをと想い出かけて来た。

001 おおたけペインクリニック

 名前を呼ばれ「お世話になります」「暫くぶりですねどうしました」「また起きる寸前の様なので」と云うような会話の後、「では注射をして置きましょう」と云う事で、処置室へ、六床ほどのベットはもう半分ほど埋まっていて、後からも来て大変だ、今日は土曜日だったのだ。

 この椎間板ヘルニアのオペはちょうど五十年前の三十二才の時に、今井外科医院でしてもらい、その後遺症に長年悩まされてきたが、三十年ほど前に伊勢崎市民病院に麻酔科が開設され、以来ペインクリニックのお蔭でこうして動いて居られるわけである。

 この夏も此れで乗り切れるか、後期高齢者もああり方やあり方や、と言う処か。


曽我孝之さんご多忙なのにご苦労様です

2013-07-02 18:32:53 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝の上毛でお姿拝見、ご多忙でしょうに本県の警察行政のお目付け役のトップとは大変ですね、年齢を見ると(72歳)とありました私から見ると10歳若いのですね。

003 上毛新聞記事 やはりあの若き時とはね、

                      でもお若いお元気でご活躍を  

 あの頃約50年ほど前になりますか、皆さん青年会議所のメンバーで若く張り切って居ました、前橋、高崎、伊勢崎、藤岡の四市と、周辺町村を含め150万都市建設研究会を、県、市町村行政や商工会議所、連合会まで巻き込み設立して、その中核として研究活動に専念していましたが、その中に行政の担当職員として加わり一緒に活動させて貰った事が懐かしく思い出されました。

 その後奇しくも伊勢崎商工会議所専務として一三年ほど勤めましたが、その退任少し前会議所に見え懐かしく話すうちに、当市に事業所を出されたとのこと、早速当市会議所の会員にとお願いした処、その場でご快諾、誠に有難うございました。

 もうお若くは有りません、健康に気を付けられてご精励されんことをご祈念いたしております。