基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

坂東荒れ模様のなかペインクリニックへ

2016-02-29 17:59:01 | 日記・エッセイ・コラム

 四年に一度の二月二十九日の今日腰回りが何となくオカシイので、もう五十年以上もお付き合いのペインクリニックへ行って来た。

 今日は相対的に列島すべてが荒れ模様の様だが、上州は良い天気のポカポカ陽気此れはこのまま過ぎるかと、タカを括っていて夕刻空がおかしくなって来たのに出かけ、車の窓にポツポツ当たる様だったが、治療が終わる頃は凄い雨、上州だけは大丈夫とは行かなかった、帰りは雨風ともに凄い事凄い事。

 秋の空は良く変わるが、春の空も良く変わる、これに杉花粉が混ざると此れからは大変だ。

 まあ明日から三月ドッチニしても陽気は良くなり、スギ花粉は良く飛ぶ季節、ご自分が便利に生きてきた付けの、大気の汚れが元生活を戻すわけにもゆかないでしよう。

 いずれかの我慢でしょうね。


気になって居た市民の森公園の河津桜 さてその後は

2016-02-28 16:16:44 | 日記・エッセイ・コラム

 本日日曜日朝から清々しく晴れて良い天気、ここ上州は最高、気温十四-五度かに成りそう、午後になるのお待って去る二十日(土)に見て来た河津桜はさてと出かけて来た。

 駐車場は公園の東西南北にそれぞれ広く取ってあるが、もうやや一杯で空きを見付けるのが大変である。

 市民の森公園はやや西風は吹いているが早春気分、良い陽気に誘われ集まり始めている、多いいのは年配者は中央丘の河津桜の辺、子供たちは中央入口の傍にあるピヨンピヨン跳ねる、何という遊具か知らないが白い空気の入った丘の様な遊具の辺に集まっている。

 一週間と一日たったが五分咲きぐらいか

 中には大分開いたのも

 チビ連が好きな遊具

 

 いつの時代も人気遊具は決まって居る様、我が家も昔孫が来ると伊香保のグリーン牧場や前橋のフラワーパークなど、桐生の丘公園赤城榛名などにも出掛けたが、そのピヨンピヨン跳ねるのが良いようで、三-四歳の頃は大きいのが跳ねると跳ね飛ばされていたが、其れでも真剣に噛り付いていたが、今は就職したり今年は就活の年だったりと、生意気な大人に為りつつある。

 早いものでもう忘れているかも、しかしこの連中が大人に為りさらに曾孫が大人にと云う頃は、果たしてどんな世界情勢になって居るだろう、人類が戦争しないような平和な地球になって居るだろうか、地球が壊れないように祈るのみである。


坂東いやヤマト列島 寒気にすっぽり

2016-02-25 17:41:46 | 日記・エッセイ・コラム

 朝起きだして驚いた前の家々の屋根が真っ白だ、一~二センチか植木の上などはうっすらと白いが地面や道路はもう見えない、昨晩の予報では平地でも雨か雪がと云っていたが、まあ降るのは海寄りだろうと他かを括って居たが驚いた。

  雪がすっぽり

 今朝の予報を見ると列島を寒気がすっぽりと被って居る様、寒い分けだ雛祭りも近づき梅も満開だと言うのに、上州などはまだいいほうか贅沢は言えない。

 午後のニュースを見ると大阪梅田だったかの阪神ホテルの前の歩道で、またまた自動車が歩道に乗り上げて十数人をひき亡くなった人も出たよう、マタマタ規制薬剤の使用か?脳梗塞でも起こしたか、いずれにしても関西の一大商業都市ど真ん中の出来事大変な事件だ、また近い処だはベトナムの若い人達が仲間を刺して金を奪って逃げ、信州で捕まった様、なかなか事件は尽きないよう、ヤマトも治安が悪く成った様で心配の種が増えている。

 地球も小さくなったもの、事件もあっと言う間に地球を駆け巡る、アメリカ大統領選も民主・共和ともに大へんのよう、ドナタガ出るのやら。

 


坂東は曇り夜は雨か雪のよう 上州はなのに晴れ

2016-02-22 16:50:16 | 日記・エッセイ・コラム

 常陸の小母さんのブログでは今朝は霧の朝のよう、なのに上州は晴れて漸く夕刻に薄曇りと言うところ、今夜は予報外れで雨も降らないか、いや山手の雪は降るかもね。

 二‐三日前から開いた福寿草 土は良く湿って居る

 かっての坂東はこの頃になると、来る日も来る日も乾いた西風が良く吹いた、タマに雪やそれこそタマに雨も降ってが、空気も大地もカラカラで子供たちはヒビしもやけで手足は酷いものだった。

 尤もそれは七十年ほども前の話だったが、ここ数年は確かにオカシイどうも温暖化が進み過ぎたか、こんなに湿度の高い冬は珍しい、我が家の庭は狭い坪庭だが、今年は乾いてパサパサなんて一度も無い、昨日は珍しく西風がピユーピユーと吹いたが、一昨日の雨で土はいい具合に湿っていたので土煙など全然立たずだった。

 一方今朝の新聞では内閣支持率四十六ポイントに下落との事(共同通信提供)、子供達もデモを始める時代だ当然では。

 政党も隣近所を信用しないで、太平洋の向こうの国を頼りにしている処と、隣近所とを含めて仲良くしようとする処とある様、大国の世界の警察気取り時代もそろそろ終りでは。

 


降水量多い 上州らしからぬお天気 暖冬だからか

2016-02-20 16:55:58 | 日記・エッセイ・コラム

 かかあ殿下と空っ風と言われた上州名物も変わったもの、今日も昼前から小雨が降り出した今夜は大振りになるか?。

 一昨日は比較的暖かく十二-三度くらいだったか、イナックスが二階洗面所の温水器を交換修理をして行った、昨日はさらに暖かくなり坂東全般に十八度くらい、我が上州もポカポカ陽気で市民の森公園の河津桜は如何したなと出かけて見た。

 あと一息か   丘の木々は色づている

 梅は紅白もう満開だ           

 此処の丘には河津桜が二百本ほど植えられ、木がもう少し育つと凄い景観になるだろう、花は大分蕾も大きく成り赤く色づいていたが残念ながらあと一息と言うところ、日暮れまでに一輪くらいほころびたか、それとも今日の雨でそのままあと一息か、その後昔の同僚の通夜に焼香に行き確かめていない、まあ満開は来週だろうからまた出かけてみよう。


一日良い日とは往かないもの ここ上州は午後大荒れ

2016-02-17 17:01:45 | 日記・エッセイ・コラム

 先ほど室温十三度外は何度だろう、もう相当冷え込んで来たろう。

 今日は週一回の膝痛の治療で多賀谷整形へ、診察の結果水も溜まって居ないとの事、と云うのは炎症が大分良くなったという事だそう、痛みはと聞かれ「だいぶ楽になりました」と云うと二週間後に来てくださいとのこと、この後リハビリをして行ってくださいと言うので、リハビリ室へ行くと先ず温湿布ついで重りをつけて足を上げる器械で体操、最後がベットで温水が動き全身を揉みほぐす様なマッサージ(ナンだろう)と思う器械で揉みほぐされ、合わせて約一時間半ほどの治療を終わり、会計二週間分の薬を戴き帰宅、と云う事でもう一軒ペインクリニックは予定だけで行けなかった。

 リハビリ中に西風と共に黒い雲がモクモクと現われ、たちまち空を覆ってしまった、これは大変降られるかと思ったが何とか帰着まで間に合った。車を入れて家に、入るかどうかにパラパレと軽く一降り、ああ良かったこんな程度でと云う事でした。

 此れだけ雲を持ってくるとは何時もの空っ風とは違うよう

 それから午後は恒例の事ながら、三国の山々に雪を降らせた空っ風が雲まで連れて吹きまくり、寒い寒い午後となってしまった。


昨日上州は春一番吹かなかった 今年司馬遼さん没後二十周年だそう

2016-02-15 17:16:38 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は暖かった雨も少し降ったが日中は日も射し、予報の春一番は何時吹くかと待ったが上州はそよ風だけだった。

 今日は朝の内は昨日の暖かさの残りで良い気温、良い気持ちで居たがこの時間になると西風が強まり朝からの厚い雲を吹き払い始めた、気温はグングン下がり始めた、明日の朝は冷え込むだろう、氷点下か。

夕刻西風が厚い雲を吹き払い始めた

 昨日の朝刊を見ていたら、大きく司馬遼太郎さんの没後二十周年の文春三月特別増刊号の広告が出ていたので、早速近くの書店蔦屋へ出かけ仕入れて来た、タマに思い付いて行くと大きな店は時々陳列替えが在ってマゴツクが、爺さんには止もう得ない仕儀、年は取りたくねえもんだ。

 文春特別号

  戦車隊将校姿と将校団

 直木賞のお祝いの出席者

 我々年代は戦中戦後を経験し、学徒動員を受けて勤労奉仕や工場へ兵器づくりに行き、先輩学徒の大学高専校の繰り上げ卒業と軍へ動員、其れを送る神宮外苑の壮行会の様子を当時のニュース映画で見る、などして大いに感激したことなど、想いだせる年頃であった。

 しかしいい時期の企画である、文春も考えたものだ、自分では随分読んだつもりだったがとんでもない、年表を見ると一割か二割かくらいか、特に「この国のかたち」は今からでも読んでみたいものだ。

 又写真で見る福田定一さんと読むかの、司馬遼さんは戦車隊将校として米軍を待ち構えたよう、中学大学も戦時体制の中での生活で軍事教練の写真も載ると言う、同じような体制の中での学校生活を送った者としての親近さもある様だ。

 時期を得たいい企画と絶賛したい、未だ読み切って居ないが・・・  。


今年は暖冬? 明日は春一番か 春の嵐か

2016-02-13 17:14:43 | 日記・エッセイ・コラム

 今年は暖冬なのか庭の白梅の白加賀が今朝二‐三輪開いて居るではないか、去年も一昨年も三月に入って開いたようこの寒さも暖冬の内だったか。

    開き始めた庭の梅

 予報では明日は荒れ模様、雨風共に強くなりかなり気温も上がる様、春の嵐になるのかも。 

 そんな中我が家も築後もう二十五年もたったか、二階のトイレの洗面台の温水装置が故障、其れも決定的な本体の水漏れらしい、メイカーのイナックスへ連絡今日見て貰ったが、今日明日は土日になるので早くて明後日月曜日でないと担当は来られないよう、日常使う物暫く不便をしなければならない。

  遮蔽板をはづした洗面台下

 去年は雪害の雨樋修繕、今年は温水装置と、金が掛かる事が続きそう用心用心と思うが、用心してもどうにも成らないという事、特に痛みやすい水回りでは。


紀元節だったっけ

2016-02-11 17:35:36 | 日記・エッセイ・コラム

 この日が来ると想いだす、「くーもにそびゆる高千穂の たーかね颪に草も木も 靡きふしけんおお御代のー・・・」当時小学校から国民学校に変り、朝礼には毎回東京の方に向かい宮城遥拝と云い、最敬礼と君が代斉唱をしていた。

 当時国の記念日と祝日とあった様な気がする、どちらが大事かは思い浮かばないが皇室優先の様だった、節が付く日は特に大事な日だったと思う。

 又その日にはそれぞれの節の歌が在って、その式典を行い国歌斉唱と共に歌い、教育勅語を校長先生が奉読、講話を聴いて饅頭などを戴き開散だった。祝日でお休みなのにそれだけの事で登校は嫌だったが、ミカンや饅頭が戴けるのは楽しみだった。正田虎四郎町長さんの自腹の供物だったソウだが。

 昭和十二年の入学だから十八年の六年卒業まで、続き進学と高等科に分かれたがその頃は勤労動員で工場で飛行機や鉄砲玉などの兵器を作って居た。

 我々高等科生の中には十九年に(とは言え若干十三才だった)少年兵志願をしていたが、昭和二十年八月十五日正午に詔勅が在り敗戦、軍隊へ入らなくて済んだギリギリの年代だった。

 改憲も戦争をしない為のものだったら止むを得ないが、民主主義の危うさもあり過去の例もある、最近のアメリカ大統領選の様子を見ていると何とも危うい気がする、特に共和党の様子は、良識を信じ祈るほかは無いのだが。

 地球の安泰を祈りつつ ナムー アーメン アッラー・・・・・


坂東は大荒れ 株価も大荒れ 黒さん余計な事をするから

2016-02-09 17:04:42 | 日記・エッセイ・コラム

 ここ上州は朝は大へん冷え込んだマイナス二度くらいか、日中日が出て南風が吹き気温十度以上いったか暖かい、其れが午後になると三時頃には俄かに黒い雲が現われ曇り、四時過ぎに気が付けばにわか雨が降った様、其れも大粒で道路もぬれていた、寒さもぶり返したよう寒い寒い北西風だ。

 部屋の窓ガラスの雨粒 四時半頃

 降った様

 坂東平野は時々こんな天気が在る、然も山手から海岸線まで時間のずれが在り色々な変化が在る、東京を中心に海よりは今日はポカポカの春到来だったようだが、兜町は大騒ぎのよう朝は七百円台の値下がり、三時には九百円台まで落ちたよう、日経も分かりながら米中やヨウロッパの経済がと云っている、マイナス金利で日本経済が好転するのだろうか、日銀の政策委員会の腕の見せ所 鬼と出るか蛇と出るか、今日のお天気さんの様に荒れ模様ノチおお寒いかな。


我が家のシンビジューム賑やかに

2016-02-06 17:13:20 | 日記・エッセイ・コラム

 今のシンビジュームの二鉢目が開くのを今か今かと待ちわびていたが遂に開いた、だが今にも開きそうだった一番下の蕾は中々開かず三日目に開き、色づいたなと思った二ー三段上の蕾が今日見たら開いていた、何時も見ていると必ずしも一番元の蕾が速く咲くのでなく何輪かやや同じタイミングに成る様だ。

  中々開かなかった一番元の蕾

  と思ううちにその上の蕾が開いてくる

  二鉢満開と成るとなんと豪華になるか楽しみだ

 暮れの開花を合わせると三鉢目だが今は二鉢が競い始めた、シンビジュームは全輪ひらいて三-四週間持つから暫く楽しみだ。

 庭の梅の木や椿と違い、これは鉢で家の中で咲かせるだけに楽しみは大きい、ただし春爛漫の時は残念ながらもうお終いだ。


久しぶりに高崎高島屋へ

2016-02-05 17:04:41 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年の三日のブログが節分の日にGOO事務局から送られてきた、上州展か群馬展か開かれて居たっけ、など思いお天気さんと相談しつつ出かける日を捜し今日行って来た。

 昨夜家内と「明日でも行くかな」どと相談、今朝新聞一紙を読み終えた頃「行けるよー」との事其れではと出発、時間を見ると昨年とほぼ一緒の行動、違うのは着いてからの行動で先ず四階の紳士服売り場、ズボン「最近はパンツと云うらしいが」仕入催し場へ、今回は群馬展は終わりポイントアップや冬物バーゲンのよう、丁度その前の辺は子供(と云ってもローテンの)売り場のよう、孫も二十代となると爺さんの後など追わないし早く曾孫でもできないか思うところ、「可愛いー」などとカメラを出してて色々と眺め写してみる。

 可愛い洋服

 諸々

 今流行のブーツか

 そんな事をしているうちに家内の買い物や景品交換は終わった様、腹減ったーと思ったらもう昼は回って居た、十一時半頃に着いたのだから当然だ。

 レストランいろいろ在るがやはり「かつ久」とする、八十爺と婆さん一番小さい130グラムのロースかつ定食を頼む、届いたキャベツの刻みにドレッシングをかけて食べている内にかつが上がってくる、二センチはあるか厚くて良い肉をうまく上げてある、美味いものだご飯を少しお変わりして堪能、夕飯は要らな様だ。

 かつ定食

 思い付いてace 鞄売場へ向かう、30年ほど前に買ったスーツケースやスーツカバーのハンガーが壊れてしまい使えない、入れ物だけでは宝の持ち腐れだ、聞いて見たが年式はとか聞かれても番号など判らない、本社へ問い合わせしたりしているが直ぐと云う訳には行かないよう、後日現物を持つか調べるかして次回に伺う事にする。

 まあ老舗だけは有る、まだまだ似たようなものが大分ある様だ、家内もご機嫌いい様「小さなカバンが欲しい様だったけれどこんなのどう」との事、とうとう買い入れてしまう。

 二階で少し休憩中に家内は自分のものを仕入れ地下へ、念願の黒毛和牛の切り落としの良い処を三百グラムほど仕入、つぃで甘いものと云うので買いに行くが売る気ないのか売り子が居ない、違う店で羊羹でも無い旨いものを見付けて買い御帰還の途に就く。

 上着を脱いで運転、暑い暑いいい日だ、三時過ぎに帰着、去年より遅い何の所為か「あちらこちら寄り過ぎか」。

 


今日は膝の治療で整形医院へ

2016-02-03 17:33:17 | 日記・エッセイ・コラム

 上州の空は昨日に続き晴れ、冬の日は弱いが日足は少し伸びたよう、信州越後の山々に雪を降らせた上州名物空っ風は冷たい、今朝の最低気温は氷点下四度ほどのよう寒い分けだ、スキー場はホクホク喜んでいるだろう。

 週一回の様に指示されているヒザ治療も三回目になる、先週は湿布薬に被れてしまい四-五日湿布をお休みして、ヒリヒリが治ったので又昨日から貼り始める。

 今日は近い「と云っても車で二十分ほど処」のでゆっくり新聞を二紙読み、十一時過ぎに出かける。この時間にしては混んでいるそれでも昼前には診察処置ともに終わる、また二度目の膝の水を取り、ヒアルロン酸を注射しただけだったが、会計して帰路につく帰宅十二時十五分ほど、通院もこの位だと良いのだが。

 まあ贅沢は言わず自分の痛みの治療、コツコツ通院することにしよう。


群大病院診察日お蔭様で行ってこられました

2016-02-02 17:03:56 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日は群大診察日珍しく七時すぎには朝食、八時には家を出て隣市の前橋市へ向かう、心配した雪も無く八時五十七分には受付機で受付完了、乳腺内分泌科へ(この病院は甲状腺外来はこの科が担当、何となくはづかしい)、今回は事前の採血も他の検査も無く,定刻より遅れること二十分か長岡りん医師に呼ばれて診察、経過を聞かれ順調な様、丁重に御挨拶の後放射線科へ、ここも比較的早く呼ばれ担当の岡本医師の質問に応え、診察終了、十一時半頃会計を済ませて帰宅の途に就く。

 昼には当市内に入ったのでこの処もりむら内科と共に行き付けのゆず薬局へ、チラージンを処方して貰いさて昼飯はと考える、そうだあすこのラーメン屋にしよう名は忘れたが一度食べたつけ麺の旨い店だった、小さな店だが昼時分は近所の会社の月給鳥達が余りの混みように時間を調節して行くような店だ、行くと丁度一部が帰った処のよう早即つけ麺注文いただく矢張りつけ汁が手を掛けて在り旨い、久しぶりに堪能帰宅すると一時頃か、家内が「うあー早いあたしの方は混んで混んで今帰った処」近所の内科医院だが、先週の雪で診察日の変更組とぶつかった様まあそれでも近所の良さ、オイドンより遅く出て早く帰れるとは有難い事。

 昨日今日と上州は晴れて良い日だ、しかし寒の内明日は節分とは言え風は冷たい、日陰の雪は二週間たち殆ど消えたが一部はまだ残る。

 節分・立春と続くが暦の上だけ春は当分先の事、雛祭りが過ぎないと春とは言えないだろう、梅の蕾も未だの様だから。