基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

坂東三十三霊場結願

2007-06-28 18:29:00 | 日記・エッセイ・コラム

 二十六日(火)最終の二寺を参詣して結願した。朝本庄発八時二十八分の高崎線特急赤城に乗ろうと家を七時四十分に出て東海道線、京浜急行と乗り継ぎ十時半頃か横浜弘明寺駅に着く、弘明寺という地名も駅もある処であるがさて如何ゆけばと近所の人らしき買い物帰りの人に聞く、近道を教えてもらいお寺へ向かう、二・三分かで着いてしまう。参拝、納経御朱印を貰い逆さでは在るが今度は正面の参道の石段を降りることとして、お堂ごとに手を合わせながら長い石段を降りて境内の外の道ををぐるっとまわり駅へ向かう、「なるほど近道を教えてもらって助かった」としみじみ親切に感謝した。Img_0475

Img_0476_1  これから最後の結願寺の浅草寺時へ向かう、時間が掛かるが昼は浅草でと娘に携帯を入れて待ち合わせることとして出発、京急・東海道・銀座線と乗り継いで雷門へ一時近くに着く、娘はもう着いていて腹ごしらえが先と鰻屋を見つけて有り入る、美味いがご飯がもう少し欲しいけど我慢する。仲見世・伝法院通りを通り門を入り参詣、何時もの通りすごい人出だやはり浅草寺だなと思う。御朱印所と表示がある他所と少し違う、窓口へ行き少し待つが「お願いします」というと、隣の青年が「順番をまっていたのだけれど」と抗議の弁、見ると十冊以上御朱印帳持っている添乗員か、なかの御年配の担当の僧侶が「先にしてよいですか」と念を押して記帳御朱印を押して「この写経は後ほど納めます」と預かっていただく、気持ちよい応対だ。納経手数料三百円と線香を百円なりを払い遅まきながら上げる。Img_0479_1 Img_0482 Img_0480 Img_0484                    

 仲見世を眺めながら雷門へ向かい途中紀文のアンミツ屋の前を通り理恵がアンミツ食べようかというので寄る。うまい「おなかいっぱい」と理恵と家内は残す。

 それでも親子水入らず二時間ぐらい過ごせたか、そろそろ帰ろう銀座線で上野へ、理恵は日本橋から東西線へ回るという、バイバイ。前橋行きの普通三時二十六分にのり、本庄へ四時五十分位だったか到着。我が家には後十五分ほどだ。

 残すところ結願御礼の信濃の善光寺と対の寺別所の北向き観音様ですべて結願だ、何時にしようか梅雨明け前におわしたい、貢司が行きたいというので連れて行くか、


またまた長寿銭袋

2007-06-23 17:59:37 | 日記・エッセイ・コラム

 今日伊工高同級生高柳敬一郎君の御母堂ゆきさん「101歳」の葬式に伺う、元気で100歳を過ぎても男やもめの喜寿になる息子の敬ちゃんの食事を世話をしていたとの事、奥さんが亡くなってからお袋さんのお世話になることが多かったのだろうに此れから如何するんだろうか、呑気な敬ちゃんも今度は応えるのではないかな。

 二十一日(木)の朝ドック二日目で四階の病室の窓から庭を眺めているとどうも敬ちゃんらしい人影が病院の救急玄関へ向かって歩いてくる、「お袋さんでも悪いのかなもう100歳を超えたのだから」と思っていたら昨日の新聞に死亡のお知らせが出ているではないか、何年か前交通事故にあったそうで少し足がおかしい歩き方するので直ぐ分る。

 葬式には病院時代の関係者を含めて5-60人はいたか、いずれにしても今後元気でいて貰いたいものだ、そして何時もの飄々とした態度でクラス会に顔を見せて貰いたい。


坂東三十三霊場巡りもおおづめ

2007-06-14 18:29:05 | 日記・エッセイ・コラム

 念願の上総、下総の六か寺を巡るため6月11日(月)8時5分車で出発する、天気もよし家内の体調も良さそうだし、東に向かい走り東京に近づくに従い雲が増え外環を走る頃は猛烈な盥をひ繰り返したような雨、柏で下り16号を千葉へ向かうが久し振りのことで高速道になっていて面食らいながら走っていると、またまたワイパーの効かない様な雨で、千葉北出口を通り越してしまい又戻りなどしてやっと千葉寺へ着いたのは昼を回ってしまった。納経帳へ御朱印を頂き写経を収めて駐車場で家内の用意したお握りを頂く。

 「こうゆう時のためにお結びを用意したけどやはり良かった」と言われながら背に腹は帰らImg_0442_2れぬで黙って頂 Img_0443く。

 さて腹ごしらえが済み次の木更津の高蔵寺へ向かう、ここも高速自動車道で館山自動車道である、木更津北で降り県道を暫らく走り山道にはいる、平野山高蔵寺というが平でない最も近い第一駐車場へ車を止めて参詣し写経を収め納経所で御朱印を頂き、「綺麗なお寺さんですね」などとと言いながら境内の中と思われる喫茶店に入り紅茶を頂く、参詣人と思われる先客が三組ほどいた。Img_0446 Img_0447_5 Img_0450_2

 木更津市内に帰りホテルロイヤルヒルズ八宝苑にはいる、高台の見晴らしのよいホテルだ、夜景は夕食を食べながら東京湾が横浜まで一望できるロケイションがよいし、東京湾産の穴子の天ぷらが記憶に残った。

 さて二日目の始まりだ、朝飯を済ませ笠森寺へ向かうホテルのある太田山公園から4-50分房総山地の中間ぐらいか、寺への上り口前に長南町の町営駐車場があり端に食堂を兼ねた山荘があった。車を置いて案内板を見て登りやすい女坂をえらび登る、それでもきつい、うっそうとした森と古木の間を登ると山門が見えてくる、境内に入ると見上げるように高いやぐらが見えその上が観音堂である。靴を履き替え階段を登る汗ばんだ背中に又汗が噴く、入場料100円と納経料を払い参詣,厨子がしまり前立ち観音に祈る、よい見晴らしだ回廊は隙間から下が見え気味が悪いがよく掃除の行き届いた寺である。Img_0453_1 Img_0454_3 Img_0456

 下の食堂でソフトクリームを頂き一息入れて次の長谷寺へと向かう。

ここから南に向かい山中の集落入り口で道に迷ったりしながら長谷寺の駐車場に着く、近くの人か「未だ上が長いですよ車も行けるし駐車場もありますよ」と言うので車で登る。ここも立派なお寺で納経所へ寄ると子供の声が賑やかだ、中学生か「今日はなんだい休み」「学校は麻疹がはやって休校です」との事僧侶に飴玉などを貰っているよく来るのか仲良しらしい、納経帳に御朱印と飴玉を頂き次の銚子市の円福寺へと向かう。Img_0460 Img_0461

さて今度は長いぞ九十九里を飛ばさなければならない、2時間で着くか国道より混まなくていいだろう海を見ながら走ろう、途中で蕎麦や見つけて昼飯にざる蕎麦を頂く女将は埼玉の出だそうだ。

ここ円福寺は銚子の街なかに在ってすごく立派だが納経所は少し離れた大師堂のある寺でしているかっては一緒だったのか?Img_0463 Img_0464 御朱印を頂き万願寺へよるよう勧められ向かうが道を間違えたか見つからないで今夜の宿犬吠崎観光ホテルへ行くこととした。

 チョッと名前に似遣わないたたずまいだが止むを得ない、チェックインを済ませて一休み、4時チョッと前か何と長い一日だったことか。しかし海の直ぐ端で岬の突端の犬吠崎灯台が絵のように見える、夜は波頭をライトアップして又珍しいい眺めだ。

 今日は最終日、残すは滑河山龍正院のみとなった、昨日の寄り残し万願寺へ最初寄る、まあ壮麗というか煌びやかというか金ぴかのサザエ堂や赤い本堂など拝観参詣納経を済ませ、途中の水郷あやめ祭りを見ようと佐原の水生植物園へ寄る、行くとこ何処も人の波ジジババの多いこと売店のあやめを写し本命の龍正院へ向かう、ここは品のある古色蒼然としたよいお寺だ、参詣を済ませ方丈の納経所で御朱印を頂き話好きそうなご婦人が「どちらからお出でですか」「伊勢崎からです」などと話し「先日八十三歳の方が一人で石川県から車で見えました、お寺の境内で車の中へ泊ってきたというので注意をしたんですよ」との事、六歳も上だ最近は活動的なご老人が多くなったものだ。Img_0472

 これで今回の予定完了、一路帰宅だが遠い県道Img_0474 国道を常Img_0473 磐道柏ICへ  途中蕎麦や見つけ、たぬき蕎麦を食べる一時頃か、所変わればというが大葉や餅の天ぷら卵焼きなどが入りつけ麺でもかけ麺でもお好みとの事、家内が騒ぐのでガソリンを二十リットル入れようやく柏ICより高速へ乗る。東北ジャンクションを素通りするハプニングはあったが、関越本庄ICへ三時に着く怪我の功名で三時十七分には我が家だった。

 走行距離 605.4キロメートル お疲れ様でした。

 


坂東三十三霊場もう少しだ

2007-06-09 15:43:26 | 日記・エッセイ・コラム

 ここ2-3日寒気をもった低気圧が日本海から関東を覆って雷や雹を降らせたりしているが、しばらく雨がなく乾いた状態だったのでよいお湿りでもあった。

 今(午後3時)になって日がさしてきたが洗濯物には有り難いことだ、今日は土曜日あさっての月曜から上総、下総、安房ののこり六か寺を回ろうかと思って準備に入った。しかし長い道中だ、600㌔を越えるのではないか、回って見ないと分らないがしんどい事だ、そんな事を言うと観音様に申し訳ないか、とにかく眉につばして元気で頑張るか、ガソリンを満タンにして。


国民よシッカリしよう

2007-06-01 18:21:10 | 日記・エッセイ・コラム

 六月一日、梅雨の季節か、うっとうしいのは嫌だなー、でも雨の温泉というのは好きだ、しっとりとしていてアジサイが似合う風景はいいね。

 おかしな五月だったね、安倍さんは何にも知らない坊ちゃんというのかイッチョ前に話し且つ動いているが、何か間抜けの感じ。閣僚が自殺したり官僚のOBが死んだりしても、あまり顔に出さないが大物なのか抜けているのか分らない、こおいう人は何があってもやめないのではないかな。

 本当は小泉御大が郵政で選挙をして大勝して辞めたのだから、今度は年金でも国民投票でも法案を出す前に国民の信を問うのが道理と想うがどうだろう、とおじんは考える。皆さんはいかが?