基左衛門の独り言

坂東の風上毛の空と風景をブログで皆様へ、八十爺

またまた高崎へ

2013-03-29 18:17:44 | 日記・エッセイ・コラム

 「高崎へ行ける」との家内の問いかけに、「ブログが昨日中途半端で終わしてあるんだがな」とも言えず行ってきた。先週今日金曜日に高島屋へ行きバーゲンでシャツと下着を買い、紳士売場でズボンを仕入れて来たが、このズボンのレシートにポイント交換が今月末までと書いてあったので、この仕儀となってしまった次第。

 たった〇〇〇円ではあるが早速金券に交換、駐車券用に靴下二枚を買い帰ろうとしたが、大北海道祭りだか何だかやっていると言うので覗く、これで味見をさせられたのが運のつき海鮮弁当やら、何々漬け、何々パインなどと買い込み結局赤字で帰宅。

001_2 帰り際慌てて一枚

 九時三十分出発~十一時四十五分帰着二時間十五分のお使いだぅた。


驚いた車がゾロゾロ走って居るではないか

2013-03-29 15:24:59 | 日記・エッセイ・コラム

 今日二十八日いよいよ供用開始も近いか、ともうセレモニイーの準備でも始めているものと思い、東毛広域幹線道粕川橋梁架橋現場へ行って見て驚いた、車がトラック、乗用車をはじめ軽トラック、バイクなどゾロゾロと走って居るではないか。

005 来る車

001 往く車

 新聞にも出ていない供用開始とは珍しい、どうした風の吹き回しだ、橋の上まで行くと橋名板に「剛志大橋」とあった、此れでは正式に供用開始だなと理解せざるを得なかった。

 剛志とは明治時代の町村制施行の時の剛志村の名前で、西から保泉村、上武士村、下武士村、小此木村、中島村の五村が併合して剛志村となったもので、戦後昭和の大合併まであった地名で、今も小学校名としては使われているのである。

007 橋名板の「剛志大橋」の文字

 こうして古い地名が残る事は地域として非常に良い事と思うので、出来る限り小学校区などとして意識して残すべきと思う処である。


あーあ良い天気 誘われて少し動き回る

2013-03-22 18:28:49 | 日記・エッセイ・コラム

 三寒四温とわよく言ったものだが、この処の陽気は四文字熟語には無いが、二寒三温か二温方が合うような気がする、毎年の事だがジジババにはこう気温の変動があると、体の調節機能が古いのでついてゆけない様だ。

 今日は丁度その二温か三温に入ったようで暖かい日だった、朝家内と家を出て玉村町から出来かけの東毛幹線道に乗り高崎へ、途中道路工事で遅れて十一時にやっと高島屋へ着く、本当に久しぶり高島屋だ。

 優待などと云うがそれ相当の安物を安くしているだけだが、そのつもりで買っているので問題はないのかも知れない、その催し会場を離れて紳士売場へ行って見ると、結構ここもバーゲン札が下がり易くなっているでは無いか、ズボンを一本仕入れてお終い、家内は見に行ったが気に入ったのが無いとお終いにして昼を食べて、地下食品売り場で味噌ずけと晩のおかずを仕入れて帰途に就く。

 見ると羽黒給油所が止めてしまいガソリンを暫く入れてない、この歳でセルフで入れるのもといろいろ考えて、会議所時代に入れていた島田石油へ入れに行く、奥方はいたが見たことのある人位である、大将は不在の様子。

006 島田石油の店頭

007

 此の辺もまあ良く変わったものだ、ビルが出来マンションが出来、お店も出来て会議所ビルのマークがやっと見える程度、田圃も畑もその姿がほとんど見えない、裏へ回れば別だろうが、驚いたものだ。

008 前の交差点は貢司や理恵が通った殖蓮小中への道

 


暖かい?好い日の一日

2013-03-19 17:41:29 | 日記・エッセイ・コラム

 何とも暖かい?良い日だった、この時間(午後五時)を回ったが未だ暑い、彼岸中日を明日に控えてこの暑さ尋常ではない、今から之ではこの夏はどうなる事か。

 娘や孫が帰ってから何と無く気が抜けて歩く気も起きなくてブログも材料が見つからない始末、十五日にはなんとなく腰の辺が突っ張ったようで気分が悪いので大竹ペインクリニックへ行ってきた、「どうしました,其れではまた注射をしておきましょう」と云う事で毎度の事神経ブロックをして貰い帰宅、その内に二回目をして貰えればまた快調になるか、お楽しみだ。

 余りの陽気に桜はどうだろうもうじきかと気に成りだした、今年は町内の気の合う仲間と林公園で花見でも仕様かなどと考えたり、仕出しを蕎麦屋に頼んでなどと。

 明日は墓参り、いつもの様に我が家の墓参りを済ませ、家内の家と育ての親のと合わせて三か所の墓参りをすることになる。

 明日は予報だと曇りか、雨はどうか寒くは無いようだが、天気は良いことに越した事は無い、テルテル坊主に祈るかな。

 


晴れ薄曇り今夜は雨か

2013-03-13 18:19:11 | 日記・エッセイ・コラム

 急に午前中に帰ると言うので十一時前に本庄駅まで娘と孫を送る、帰ってテレビをみると強風で総武線が運休、続いて常磐線、云々とつぎつぎ各線のダイヤの乱れのニュース、此の辺は良い天気だ、朝の予報のとおりよく当たる物だ。

 先日の日曜の迎は北西の強風、今日は南東の温かい強風、先日は関東北部の各線ダイヤの乱れ、今日は関東南部のダイヤのおお乱れと空港も着陸できたり出来なかったり、着陸先を変更したり大騒ぎ、この時間まだ安心ではない様子、こんな事はあまり当たってくれなくて良いのだが。

 今日は南関東だが先日の北風強風は北関東で本当におっかなびっくりだった、久しぶりに上州の空っ風の強さを実感、倒木や火災の発生で心配させられた。あれが砂嵐と云うのだろう、よく殴りの茶色の砂煙で前が見えず、空は茶色に濁り太陽も時どき日差しが遮られていた、続いて雨が降り出し車は泥んこの有り様、まさに踏んだり蹴ったりと云う事だた。

 孫も驚いたろう大変な時来てしまったと、娘は育った処だから良いようなもののどうだか。折角の受験突破の報告祝いの日なのに空は変な歓迎をしたもんだ。

 まあこれも三月の上州の恒例行事、こうして春が来るわけだし「梅は咲いたか桜はまだかいなー」と歌の文句「端唄か何か、それともいわゆる俗曲と云うのか?歌詞は聞いたことはあるがよく知らない」にあるとおり着実に春が近づいていると言う処、期待して待つことにしょう。


植物は季節に正直

2013-03-11 17:56:57 | 日記・エッセイ・コラム

 一昨日は伊勢崎工業高校の同窓会、相変わらず四十人くらいの出席、情けない有り様。

001 余りにも少ない出席者

 昨日はお江戸に住む娘が孫娘を連れて帰省、本庄駅に迎えに行きあの前線通過の強風の中、よろよろと利根川に掛かる阪東橋を何とか通過、太陽も見えなくなるほどの砂埃と、時々降る雨の中ほこりにまみれて帰宅、何とも大変なお出迎えになってしまった。

 今日は午後になって、その娘や孫さらにオバンになった家内を連れてスマーク(大型しょぴんぐスーパー)へ出かける、風は強く冷たいが車の中は暑いくらいの良い日だ、孫は今年は大学合格のお祝いの記念の年、オバンに何か買ってもらったかご機嫌の様子、いつもの様にソフトアイスクリームをしかも何時もと同じバニラを食べて帰路に就く。

 帰着して庭を見るとあんなに元気に咲いていた福寿草も盛りを過ぎた様、代わりにチュウリップか、紫の花芽を出しているのはヒヤシンス?か、とにかくこの植物の季節に敏感な事、これは三寒四温と云うが日足の長さを読んでいるようだ。自然には勝てない我々は。

002 盛りを過ぎた福寿草

003 芽吹いたチュウリップ

007 こちら元気がいい

004 ヒヤシンスだったか?


東毛広幹道着々

2013-03-08 18:32:13 | 日記・エッセイ・コラム

 開通までに一ヶ月を切った、いい陽気に誘われて粕川架橋現場へ行って見た、車線の線引きも終わり片側一車線交通とわ云えもうほぼ準備OKの様だ。

007 分離帯の黄色い線も引かれた

009 橋に向かう、土盛り部分から橋梁部分へ

011 橋の上は境方面へやや下っているか?

014 橋上から上流を

015 同下流を

 橋に掛かった頃から曇り始め、上州名物空っ風が吹き帽子が飛ばされないように用心しつつ歩く、帰り道がちょうど風向かいの西向きと来ている、オジンには高い橋の上と来てちょっときついこと、保泉の人達はこの風の中白菜の収穫に余念がない。

 保泉団地の公園に来ると境西中の生徒か、この時間にもうワイワイ騒いでいる、期末試験も終わった解放感か、もう卒業も真近か、何れにしても元気いっぱいよく動きよく騒いでいる、八十爺には羨ましい限りだ。

024 公園の子供たち

 携帯の歩数計を見ると6000歩を超えている、家まで7000歩は行くのではないか今日はお疲れ様。


宝憧院役員を降りる

2013-03-04 18:38:32 | 日記・エッセイ・コラム

 平成十三年春委嘱されて手伝い始めてちょうど十三年になる、きょう正式に電話連絡して辞任の意思を住職に伝えた。三年前甲状腺癌のオペのあと後任の人選を住職にお願いしておいたが、大字違いの地域ではなかなか人が見つからない様なので今日になってしまった。

239 宝憧院山門

238同本堂

 いつの間にか十三年の歳月が流れてしまったが、真言宗豊山派の菩提山宝憧院へ先祖の遺骨を本籍地の同宗派蓮華院から移して三十七~八年経つのかしら、墓石を改めてみないと忘れたが、こんなに時は過ぎていたのだ。

 まあとにかく友人と云うか伊工高の同級生の井田の紹介で檀家となり、前住職には日中友交協会の設立に当たり理事長などをお願いしてお付き合いを深めたりして今日に至ったが、随分お世話になり、また檀家でお世話になったわけである。

 (寺名の宝憧院の憧はヘンが巾なのだが残念ながら我がPCではないので心ヘンで済ませてある)


我が家の梅 白加賀 咲く

2013-03-02 18:32:23 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日の晩の雨の後の大荒れで、気温は急降下朝から寒い一日だ。しかし気が付いて庭に出て梅の木を見ると、白い小さな花が開いて居るではないか、一昨日は綻びかけた処だったのに。

005 咲き始めた我が家の梅白加賀

004  同じ

 昨日のあの暖かさで咲いたのではと思うが、今日はもう十数輪が開いている早いものだ、騙されたかと驚いているかな。

 家の中では何とか生き残っている胡蝶蘭の花芽が伸び始めている、この胡蝶蘭は家内の八十歳の誕生日に娘が贈ったもの、去年の十一月頃芽をだし、その後の寒さで伸びを止めていたのか、家へ来て四年目になる。

 009 根と茎の分かれ目にチョコンと クリックして

 向こう側にももう一つと云うか小さいのが一本生えてきた。今年は何と豪華な鉢となるのではないか、花の時期 「四~五月頃か」が楽しみになる。 

 大学生になる孫娘がいつ来るか、其れには間に合わないが。