<頼りになる女性達>
少子化の問題で避けて通れないのは、女性の責任についての考え方です。
テレビの少子化に関するテレビのインタービューで、子供を持つ自信がないと言うのはよく分かりますが、一人でいる方が楽しいとか、他にやりたいことが一杯あるとか女性の人が言うのを聞くと、少子化に関する女性の責任などについて読んで貰えるかどうか、心配していました。
然し、先日の日テレ系の「たかじんのそこまで言って委員会」の放送を見て、ひょっとしたら読んで貰えるかも知れないと思いました。
男女共同参画というテーマで田島陽子先生と遥洋子さんの熱弁の後、司会者が彼女達の意見に賛成の人の拍手を求めた所、半分近く女性が占めている聴衆から、全く拍手がありませんでした。
そう言えば、昔、私たちの英語のクラスで、外人の女性の先生が、いかに日本女性が惨めた立場におかれているかを話した後、クラスの女性達にもし貴女達が生まれ変わるとすると、外人と結婚するか聞いた所、一人も手を挙げる人がないのを見た先生のキョトンとした顔が今でも思い出します。
つまり日本でも自分の考えをしっかり持った女性も多いこと。
然し、テレビではそんな人の発言を殆ど放送しないこと。
それと女性が少なくとも(私の家のように)家庭では支配的な立場にあるのを良くわきまえていることです。
<<女性の責任>>
日本のメディアは権力や強者には厳しく、弱いものには同情的で、極端な場合強者は悪、弱者は善と言わんばかりの報道をしがちです。
そしてそれが日本を可笑しくさせて来た一因となっているようです。
例えば、学校の荒廃の問題では、最初は国に全責任があるようなこと言い、次は校長や教育委員会、それから先生に批判の矛先を向け(何故か日教組は対象外)、最後には家庭に一番大きな問題があるかも知れない事が判って、メディアの報道は鎮静化して、荒廃の問題はメディアにとって既成事実の取り扱いになってしまいました。
もっとも教育基本法の問題が出てきて、また国の批判が始まりましたが。
女性の問題について言えば、昔、農村の花嫁の報道が盛んな時がありました。
然し、農村の男性の立場から、嫁が来なくて困っていることを報道しているのは良いが、農村の人口の半分を占めている筈の、女性がテレビの画面に殆ど出てこないのです。
農村を守る責任が仮に男性があるとすれば、当然同じ農村に住む女性にもその責任があると立場からの検証が殆どないのです。
女権論者からすれば女性を馬鹿にするなと言わねばならぬ事ですが、そんな意見も殆ど出ないので、当然に問題の解決にいたらず、教育の問題と同様、既成事実化して、メディアにも殆ど取り上げられなくなりました。
<少子化に対する女性の責任>
田島陽子先生の立場からはまだまだ不満でしょうが、既に家庭では女性が磐石の地位を占め、社会的地位の向上とともに、女性の社会に対する責任の重さも増えてくるのも当然です。
特に女性にとって大きな負担を強いる出産の問題については、女性の意見が大いに反映されるべきなのは当然です。
それで女性自身が、自分自身の立場だけでなく、国と言う私たちが生活を共にしているグループの将来も考えて行動すべきだと思います。
<少子化に対する若い夫婦の責任>
これが戦時中だったら、「生めよ殖やせよ」の大キャンペーンをやる所でしょうが、そんなことをしたら軍国主義の再来を狙っていると批判が出ます。
人によっては、少子化が必ずしも悪くないと言う人もいますし、労働力が足らなければ輸入すれば良いと言う人もいます。
然し、彼らは少子化から派生する年金の危機などの余りにも多くの問題、労働者の輸入に伴う人種問題や階級社会化等は余り言わないし、勿論、そのその具体的な解決策など出そうとしません。
このような楽観的な発言には眉に唾を付けて聞くべきだと思います。
結局は一番の当事者として、夫婦自身で問題を考えるしかないような気がします。
<子供に対する親の責任>
昔だったら普通3~5人からの子供がいて、その家庭の中や近所の世界の中で自然と社会のルールを学んで来ました。
現状からして全く仕方がないのならともかく、自分たちの都合だけで、子供を一人だけ生むことで、そのような子供の権利や勉強のチャンスを奪って良いのでしょうか。
今でも、進んで来ている少子化がその子たちの教育面で、良くない影響を与えているのも考えるべきではないでしょうか。
私が6日に投稿した貴方たちの老後の問題、今の立場、国の将来の問題等考えると多くの選択肢があり、それのどれを選ぶかは本人の価値観の問題で、誰も批判できることではありません。そして政府の人達もその選択に対して何も言えないのも事実です。ただ一つお願いしたいのは、貴方達の選択が貴方達自身だけてなく、国の将来も決めることを良く考えて、充分過ぎるほど良く考えて頂きたいのです。
(June 6, 8 投稿参照)