今度突然の辞意表明で日本中を驚かせた安倍さんの研究を、私の現役時代に出会った会社の同僚、上司と比較しながら彼の人となりを考えて見たい。
これは7月4日の私の安倍さんの評価 でも一部触れたが、改めて同部分を簡単に纏めて書く。
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私の現役時代に出会った人達
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<<K工場時代>>
<山口出身のAさんと私の比較>
Aさん私の入社後2年遅れで同じ旧制中学の資格で、同じ施設管理の職場に配属された。
[性格]
Aさん:温厚で、良い人当たりだが、筋の通った自分なりの考え方をしっかり持ち、言い出したら一歩も引かない。
私:お人好し、独りよがり、気が弱い。
[仕事の進め方]
Aさん: オーソドックスのやり方で確実に仕事を進めるので殆ど失敗なし。
一方、設備トラブル解決のための改善などのリスクのあることはなるべく避ける。
私:仕事の進め方や設備の改善などいろいろ考える事が好きなのは良いが、仕事にポカが多い。
[当時の会社の評価]
Aさん: トップクラス
私:いくら良く考えてもワースト5内
<<M工場1期時代>>
超大型の工場建設が企画されB課長のに率いられて保全部門の選抜メンバーとともに転勤した。
選抜メンバーは当然、私のように現場にとって?の付く人達が選ばれた。
<B課長の性格とやり方>
豪放、決断力があり、部下に指示したら細かい所は言わないが、精神的にサポートしてくれた。
例えば、建設中で当面保全の仕事がないので、事務所内は空になっても、部下全員を建設プロゼクトに派遣した。
一方、下請け業者の個人的な付き合いが派手で人事から眼をつけられていた。
M工場一期の建設が終了したが、工場のあった地域では、業者要員の不足と、会社としてエンジニアリング会社を始めて使用したこともあり種々の不具合の問題が続発した。
それで、B課長と建設部門のC課長の合意で、建設工事の標準化に着手した。
<C課長の性格とやり方>
物に拘らない性格で、良いものは良いと言う割り切った考えを持っていた。
それで保全側から見た建設に対する提案を快く受け入れてくれた。
一方、その性格から本社の連携が悪くM工場モンロー主義の噂がたった。
当然本社から眼を付けられていた。
彼のお蔭で、例えば、一期工場の問題点の一つの溶接不良対策として、保全提案の溶接工の資格制度の導入や、資格はあっても現地工事に不慣れな土地の溶接工でも簡単に溶接出来るような、配管設計の変更など私の多くの提案を受け入れてれた。
逆に、保全側の要望で、会社初のコンピューターを利用をした保全管理システムに必要な工場の番号制度や、予備品の標準化やコード化が建設時から出来る様に建設標準の変更も受け入れて貰った。
このように、B保全課長と建設部門のC課長のお蔭で、非力な私が中心になって確立した、最小人員によるM工場の保全管理システムは全社の評判になり、先輩工場からの見学がくるようになった。
なお、これには私の優秀な部下(出身現場からやっかい者扱いにされていた)の協力があったことを付け加えて置く。
<<M工場2,3期時代>>
BおよびC課長のお蔭で、その後2,3期の工場建設とその保全が順調に進み、B課長の定年に伴って、Dさんが保全課長として赴任してきた。
<D保全課長の性格とやり方>
一言で言えば誠実な性格で、仕事も与えられた仕事をルールに従って確実且つ無難に処理してきた。
強いて難を言えば工場が順調に動いている時に、そつなくこなせるが、問題が発生すると、上司の指令を仰ぐだけで、自分自身の判断や決断力に欠けるところがあった。
なお参考までに彼らと私の最終処遇は次の様になる。
Aさん:旧制中学卒としては最高の部長待遇
Bさん:旧制中学卒として普通の課長待遇
M工場保全組織立ち上げ上げて゜大きな仕事をしたのに業者
との交際が問題視された。
Cさん:旧帝大卒としては普通の子会社の常務取締役
M工場の1~3期の建設を済ませたのに、本社機構の連携不
足を問題視された。
Dさん:旧制の専門学校卒としては最高の子会社の常務取締役
私:ポカの多い私らしく、関係会社出向の直前に、担当部門のぼや騒ぎのため、自分の作った工場規則違反で始末書を書かされ、所謂晩節を汚す結果となったが、幸いに海外での仕事の成果が認められて、旧制中学卒としては最高の部長待遇で終わった。
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安倍さんの研究
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上で見ても判るとうり、安倍さんは私の狭い交流範囲で言えば、私のようなお人好しでポカの多い人間は論外として、環境が落ち着いていない時代の、BさんやCさんでなく、平時で適任のAさんとDさんに良く似ているような気がする。
安倍さんにとっては幸か不幸か、いきなり私の元の会社で言えば、確実に仕事をこなすだけのタイプの人がなる子会社の常務クラスの人が小泉さんのサプライズ人事で、いきなり確実に仕事をこなすのは勿論、緊急時や異常事態にも対応できる人がなる本社の副社長に抜擢され、小泉さんの引退に伴って社長までにいきなり登り詰めたことだ。
彼が首相になった時代は、小泉さんの急速な改革の賃金、社会格差などの余波が出始め、彼の仕残した年金、福祉、少子高齢化の問題が噴出してきて、政治的には混沌の時代になり掛けていた。
それに輪をかけたのが、慰安婦模擬裁判に関する誤報問題で、朝日新聞が安倍さんの敵に廻った事だ。
それが安倍内閣の発足から、参院選までの政治と金の問題への執拗な追求となり安倍内閣の傷口を大きくすることになった。
安倍さんは小泉さんの半独裁的の運営の下では、与えられた仕事を忠実に実行するだけで、無難に過ごす事ができた。
そして、Aさん、Dさん型の彼が首相と言う大役に立った途端、政治の荒波に晒される事になった。
そして彼がした事は、
・性急かつ強引な国会運営。
・問題閣僚の庇い過ぎ。
・国会会期終了後の内閣改造の見送り。
・新人材バンクのような小手先の思いつき政策。
・慰安婦問題についての不要な発言。
・選挙戦敗色濃厚の時の「小沢さんを取るか自分を取るか」の問題発言。
・参院選大敗後の続投宣言などなど。
私が7月4日に書いたAさんの言い出したら一歩も引かない性格がこう言う形で当たるとは思わなかった。
これらの全てが野党(中には自民党自身)やマスコミの攻撃の材料になってしまった。
そしてマスコミから安倍さんはKY、空気が読めないと揶揄される有り様だ。
私は何度も安倍さんの人柄、考え方の優れている事とその経験不足を考えると、大きなチョンボをする前に、ある程度の所で首相の地位を一旦退いて、経験を積んだあと再度出直しをするべきだと何度か書いてきた。
勿論、退くタイミングだが今のような時期でなく、一仕事終えた後で健康上の理由などで退陣して、再起のチャンスを残しておけば良かったのだが。
然し今度の辞意表明で、評論家の中には彼の政治生命が終わったと言う人もいる。
もしこれが事実なら彼にとっても、自民党にとっても日本にとっても大変残念なことだ。
参照:
カテゴリー → 安倍内閣
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