[「相棒」が取り上げた裁判員制度]
先日、テレビ朝日系の地方局で「相棒」シリーズの「複眼の法廷」の再放送を見た。
水谷豊さん扮する杉下右京と寺脇康文さん扮する亀山薫が、始めて施行された裁判員制度で裁判員の警護に関わる間、発生した裁判員の不審死、審議中の殺人事件の真犯人を発見するという話だ。
その話の中では素人眼で見ても、裁判官と裁判員の会議の中で右京が口を出し、最後には担当の裁判長が警察のトップとやり合うなどおかしな点もあったが、全体としては示唆に富んだ作品に仕上がっていた。
これに関してエントリーする前に念のため、相棒・裁判員制度で検索してみると、533,000 件もヒットしたのには驚いた。
詰まり国民は如何に裁判員制度に大きな関心を持っているかを示すものだ。
その中で本職の弁護士さんが専門的な立場で書かれた弁護士のため息: 相棒「複眼の法廷」を見てで内容の詳細な説明と批評をされているのでご興味のある方は一覧することをお勧めする。
そして私もその中の一部を引用させて頂くことにした。(青字)
・警察官の殺人事件が起こる。犯人は最初は否定していたが、遂に自白。その供述により殺人に使われた拳銃が供述した場所が発見されたのが決め手となった。
素人でも判るような犯罪の事実が明らかな事件として、最初の裁判員制度の実施でその殺人事件が取り上げられた。
・公判で裁判員の一人が不審死をしたため、裁判員は怖がって全員裁判員を辞退し、全員入れ換えになり、右京と亀山が警護に当たる。
・例え一人でも死刑にすべきだというA裁判員にたいしてB裁判官は
「裁判は被害者遺族の復讐の場ではない。」とたしなめる
「被告人の報復が怖い」という裁判員、警備がついているという裁判官に「裁判が終わっても護ってくれるのか」と詰め寄る裁判員
・評議の内容が裁判員から漏れる。
ホテルに缶詰にされた裁判員たちは(洩れた内容を報道する)テレビを見ながら、「厳しい量刑を求めるマスコミ報道に、このまま(マニュアル通りの)懲役18年にしたら袋だたきにあいそう。」と心配する裁判員ら。亀山は「皆さんが裁判員だったことは秘密にされるはずですから。」と諭すが、「そんなこと言ったって、法廷で顔を見られているしね。」と心配する裁判員。
・量刑の評議になって「死刑、死刑」と繰り返すA裁判員に「あなたは簡単に死刑という言葉を口にします。しかし、あなたは被告人に死刑を言い渡す裁判官の苦さを知らない。裁判官はその苦さを一生背負い生きていかなければなりません。それが裁判官の責任だからです。その覚悟があって死刑と言っていいたいのですか。」と言うB裁判官。
・亀山が「後のことを考えて死刑を下す裁判員がいなくなるんじゃないですかね。」と言うと、B裁判官が「それなら裁判員などすべきではない。」「人を裁くなら覚悟すべきです。事件関係者からどれほど恨まれようと、たとえ悪夢にうなされようとも。裁判官はそんな夜との闘いです。」と答える。
・A裁判員は不審死を遂げた前の裁判員の元部下と判り外され、残りの人達で裁判が続けられてる。
・右京と亀山の活躍でこの事件の犯人は別にいることが判り、被告は完全に無実となって、この裁判は完全に振り出しに戻る。
・右京とB裁判官の会話
B裁判官「今まではプロの裁判官が長時間かけて膨大な資料を読み解き、判決を下していても冤罪がでることがある」「それをこれからは素人が短期間でやろうとしている。」
右京:「現実に死刑被告人の再審無罪は何度かありますね。」
B裁判官「それが何十年も刑務所に入れた後に、いや、刑を執行した後に分かったら、あなたは責任が取れますか。」
右京:「一方、一般の方の感情を無視してきたからこそ、裁判員制度が導入されることになったのだと思いますが。」
裁判員制度についての著者の意見:
国民のあいだから、「刑事裁判に国民を参加させるべきだ」という声が挙がったために、裁判員制度が議論され、採用されたのではないのである。 (詳細は注記の「裁判員制度制定の経緯」参照)
[私の意見]
私は「「刑事裁判に国民を参加させるべきだ」との国民の意見から裁判員制度が採用されたのではない」と言う著者の意見に全く賛成だ。
然し私の意見は注記にあるような内閣直属の審議会である司法制度改革審議会に同問題を掛ける前の経緯に基本的な問題があると思っている。
私は裁判員制度と後期高齢者医療制度で
裁判員制度の目的は、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。(Wikipediaより)
しかし、その制度を推進した人達の目的は明らかの違う。
死刑制度に反対する公明党の同制度の提唱を、与党を組む自民党が受け入れ、有名な安田好弘弁護士などを中心とする死刑廃止論を唱える弁護士会が協力してあれよあれよと言う間に決まったものだ。
(先の「相棒」シリーズを紹介した弁護士さんは導入に反対の立場のようだ。)
その彼ら目的はその制度の
・対象事件は、死刑又は無期の懲役・禁錮に当たる罪に関する事件
・裁判員は量刑(被告人に下すべき宣告刑を決定する作業)にも参加する
を見れば明らかだと書いた。
司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図るために、何故良く誤判として問題になる、そして素人でもある程度の常識でも判断出来る民事でなくて、刑事事件にしなければならないのか。
しかも死刑又は無期の懲役・禁錮に相当する事件でなくてはならないのか。
そして「相棒」で指摘されたように、何故ズブの素人に耐えられぬほどの非常に大きな深刻なストレスを受けさせねばならないのか。
詰まり裁判員が犯罪者にたいして死刑を課する事に伴うストレスを感じさせることで、結果的には死刑の減少、撲滅を図りたいのが同制度の本音だ。
これでいくら最高裁判所が同制度の周知に躍起になってもなかなか国民に浸透しないのは当然だ。
「呑まされた屁理屈のどを通らない」のだ。
いくら良いことを言われても、それが本当に納得できないときは、消化されないままになっているのが今の実情だ。
[後期高齢者制度の二の舞をするな]
前にも書いた様に、「相棒」・「裁判員制度」で検索してみると、533,000 件もヒットしたのは如何に意識の高い国民の同制度に対する関心の高いか、そとに出ないのはまだそれはネット内に止まっていることを示している。
そして、実施直前になってその制度の問題点に気づいた国民の反発が出てきそうな気配だ。
政府や政治家は後期高齢者医療制度のように、施行後に慌てて根本的な手直しをしなくても良い様に今の内から手直しをすべきと思うが、今はそれ所ではないだろう。
そしてまた後期高齢者医療制度の二の舞を踏むのだろう。
これが日本の政治の現実として諦めるしかないのだろうか。
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*注記:裁判員制度制定の経緯
内閣直属の審議会である司法制度改革審議会という組織の中で、「司法への国民参加」というテーマのもと、何ら現行の刑事裁判の問題点とその対策を議論することなく、陪審制を導入すればわが国の刑事裁判はよくなるはずだという強い思い込みのある陪審制導入論者と、英米の陪審制には誤判が多いから危険だと主張する反対論者との妥協の産物として生まれたのが裁判員制度である。