昨日の産経ニュースに「JR東海会長・葛西敬之 原発継続しか活路はないの記事が載っていました。
私の眼から見て全くの正論で葛西さんの勇気ある発言に感心しましたので、その概要(青字)を纏めました。 (なお黒字はそれに就いての私の意見です。)
全文に就いてはブログの紙数無制限、データが消えない特色を活かして・津波による福島第1原発の被災により日本のエネルギー政策は最後通告を突きつけられた形だ。
・現場の映像や風説に恐慌を来した人々が原発反対を唱え、定期点検を終了した原子炉の運転が再開できない状況で、このままでは1年余りのうちにすべて停止してしまうだろう。
日本は風に流されやすい国民性を持ち、それがしばしば国の政策に大きな影響を与えることが大きいようです。
占領政策に基づいた憲法が独立後も未だに変わらないこと、先進国に比して安い消費税など、国政や国の経済に大きな影響を与えています。
今回の菅さんの浜岡原発停止の発言で反原発の動きが国中に拡がっています。
「一事が万事」と言う言葉があります。
原発問題で言えば、廃炉の後処理、今回の事故のようにことが起これば一大事になることがそうです。
然し今回の福島原発の事故発生の「一事が万事」として他の原発に必ず起こるのでしょうか。
私は今までの東電傘下の原発事故が突出して多いこと。東電の隠蔽体質、福島第一の耐用年数を過ぎた1号機のように、他に比して古いこと。その後の技術の進歩に伴う設備の改善、強化されたか不明なことなどなど他の原発と違うような気がしてならないのですが。
その様な事実の究明もされたまま、反原発の動きが拡大しそうなのが日本の今までの行き方です。
・被災地域を復興のために日本経済が力強く活力に満ちていなければならない。そのために電力の安定供給を瞬時も途切れさせてはならない。
・原発停止を求める人々は火力発電や再生可能エネルギーの活用に活路を求めよと主張する。しかし質・量・コストいずれの点から見ても一部補完以上の期待はできない。
・原発を止めれば電力供給の不安定化と電力単価の高騰は、企業の業績悪化、設備投資・雇用の縮小、経済の停滞・空洞化、税収の減少、財政の悪化、国債の信用崩壊などの連鎖は日本経済の致命傷となりかねない。
・原子力発電は自前電力を確保する国策の切り札として推進されてきた。原子力を利用する以上、リスクを承知のうえで国はそれを正面から問うべきだった。
しかしながら見たくない現実には目をつむり、考えたくない困難には心を閉ざす敗戦後の日本の弊風の中でリスクはできるだけ当事者の腹中に収め、必要性と利用価値のみをアピールする形でしか進め得なかった。今回の災害がもたらした原発危機の淵源はここに発する。
「見たくない現実に眼をつむり考えたくない困難には心を閉ざす」のは、平和主義者、護憲論者、そして原発反対論者などに良くある傾向です。
だから例えば平和主義者が原発反対論者になる傾向が多いようです。
これは政治の世界でも言えることでが、少子高齢化、消費税、膨大な国債問題など面倒なことは後回しにしてきました。
それにしても、狭い国土で然も山地の多い日本で、風力発電、太陽光発電がどの程度に展開できるのでしょうか。 (山地での風力発電に伴う自然破壊に就いては 「写道 : 白滝山 風力発電」をご覧下さい。)
地熱、水力発電とそれに伴うダムの建設など(特に今の民主党政権は今までの政策を180度転換しなければなりませんが)の開発なども限度があると思うのですが、葛西さんの指摘のよう厳罰反対論者は「見たくない現実に眼をつむり考えたくない困難には心を閉ざして」いるとしか思えませんが。
・しかしすぐにでも現場の安全対策に生かせる貴重な教訓も得られた。それは初動における迅速な決断と果断な処置が被害を最小限に食い止める鍵を握るということだ。これを活かして日常の訓練により十分に習熟しておけば同じ災害に直面しても今回の事態は避けられる。
昨日のテレビでは日立、東芝など原子力機器に力を入れてきた企業が今後の方針を出していますが、日本は優れた技術の上に、得意に管理手法に加えて葛西さんが指摘するように、今回の教訓を活かして事故発生後のノウハウも世界に売り込むべきだと思います。
・冷静に現実を見れば結論は自明である。今回得られた教訓を生かして即応体制を強化しつつ、腹を据えてこれまで通り原子力を利用し続ける以外に日本の活路はない。
葛西さんも同じ意見と思いますが、一挙に原発の廃止は出来ないとしても、安全なエネルギーの開発とそれに伴う原発の漸減は出来るだけ進めるべきだと思います。
・政府は稼働できる原発をすべて稼働させて電力の安定供給を堅持する方針を宣言し、政府の責任で速やかに稼働させるべきだ。今やこの一点に国の存亡がかかっていると言っても過言ではない。本件については与党も野党もない。日本の政治家として、声を一つにして国民に語りかけ、日本経済の血液循環である電力の安定供給を守り抜いてほしい。この一案件だけに限った挙国一致内閣があっても良いのではないかと思う。
菅さんも福島、浜岡以外の原発の存続を認めているようですが、彼がその点で今後どの程度のリーダーシップを発揮するでしょうか。
それより彼が世論に流されてふらつきそうな気がしてならないのですが。
何しろ福島瑞穂さんのように、葛西さんが心配する危機的な状態の日本で、菅さん浜岡原発の停止に「ぴょんぴょん飛び上がって喜び」、原発全廃を進言する政治家が党首としてやって行ける日本ですから。
私も挙国一致内閣が出来ると良いと思いますが、今の民主党や自民党にそれだけの危機感がある様にはとても見えない様です。
何とかならないのですかね。
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「JR東海会長・葛西敬之 原発継続しか活路はない」全文
津波による福島第1原発の被災により日本のエネルギー政策は最後通告を突きつけられた形だ。
一方では、現場の映像や風説に恐慌を来した人々が原発反対を唱え、定期点検を終了した原子炉の運転が再開できない状況である。全国54基の原発プラントはこれまで総発電量の約30%を発電してきたが、既に7基がこのような形で運転停止となり、このままでは1年余りのうちにすべて停止してしまうだろう。
もう一方には地震・津波・原発事故で損害を受けた人々を支援し、被災地域を復興するという大事業があるが、そのためには日本経済が力強く活力に満ちていなければならない。経済の血液循環とも言うべき電力の安定供給を瞬時も途切れさせてはならない。
相剋(そうこく)する2つの現実のはざまで日本はまさに進退窮まってみえる。
原発停止を求める人々は火力発電や再生可能エネルギーの活用に活路を求めよと主張する。しかし質・量・コストいずれの点から見ても一部補完以上の期待はできない。
今日の原発は50年に亘(わた)る関係者の営々たる努力と数十兆円に上る設備投資の結晶であり、それを簡単に代替できる筈(はず)がない。原発を止めれば電力供給の不安定化と電力単価の高騰を招き、それに続く企業の業績悪化、設備投資・雇用の縮小、経済の停滞・空洞化、税収の減少、財政の悪化、国債の信用崩壊などの連鎖は日本経済の致命傷となりかねない。
これまで原子力発電はクリーンで低コストの自前電力を確保する国策の切り札として推進されてきた。原子力を利用する以上、リスクを承知のうえで、それを克服・制御する国民的な覚悟が必要である。国はそれを正面から問うべきだった。しかしながら見たくない現実には目をつむり、考えたくない困難には心を閉ざす敗戦後の日本の弊風(へいふう)の中でリスクはできるだけ当事者の腹中に収め、必要性と利用価値のみをアピールする形でしか進め得なかった。今回の災害がもたらした原発危機の淵源(えんげん)はここに発する。
しかしすぐにでも現場の安全対策に生かせる貴重な教訓も得られた。それは初動における迅速な決断と果断な処置が被害を最小限に食い止める鍵を握るということだ。緊急時の責任体制と対処方法を明確に定め必要な資機材を適切に配置し、迅速な動員体制を整え、日常の訓練により十分に習熟しておけば同じ災害に直面しても今回の事態は避けられる。
日本は今、原子力利用の前提として固めておくべきだった覚悟を逃げようのない形で問い直されているのだが、冷静に現実を見れば結論は自明である。今回得られた教訓を生かして即応体制を強化しつつ、腹を据えてこれまで通り原子力を利用し続ける以外に日本の活路はない。
政府は稼働できる原発をすべて稼働させて電力の安定供給を堅持する方針を宣言し、政府の責任で速やかに稼働させるべきだ。今やこの一点に国の存亡がかかっていると言っても過言ではない。本件については与党も野党もない。日本の政治家として、声を一つにして国民に語りかけ、日本経済の血液循環である電力の安定供給を守り抜いてほしい。この一案件だけに限った挙国一致内閣があっても良いのではないかと思う。