【世界遺産の高野山。宗教都市である。今回は奥の院です。】
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高野山。一の橋口から東へ広がる一帯を「奥の院」と呼ぶ。
一の橋は泉鏡花の「高野聖」で有名な場所。
御廟までの約2kmの石畳参道の両側には、
大小、新旧、数十万基とも言われる石塔が立ち並び、
高野山を訪れる多くの人々は、この参道を通って
弘法大師御廟所へ参詣するのである。
参道は杉と高野槙の見事な並木道で、
推定樹齢800年の平安期から残っている樹もあれば、
新しいものもある。
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風化して姿も判らなくなった地蔵菩薩や、
元は何かもうわからなくなったような石塔もある。
これらの石塔は、時代、階層を越えた人々の墓碑で、
隙間無く建てられ静かに並んでいるが、
メインの通りは圧倒的に武将達の墓である。
それも秀吉以降の、戦国時代から江戸時代にかけて
大名達の墓所が多い。
ここには敵味方の区別なく祀られているが、
「関ヶ原の合戦」がここで起こったのかと、錯覚しそうだ。
(全墓標の約40%が大名墓と言うことだ。)
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【高野山・奥の院①↑。一の橋からの参道と中の橋からの合流点。】
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【高野山・奥の院②↑。徳川家康の二男、結城秀康の石廟。】
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【高野山・奥の院③↑。うっそうとした杉木立。夏でも涼しい。】
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【高野山・奥の院④↑豊臣家の墓所(史跡)。とても広いのです。】
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【高野山・奥の院⑤↑。筑前、黒田家の。何故かお地蔵さんも。】
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【高野山・奥の院⑥↑。織田信長と筒井順慶の墓所。明智も。】
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【高野山・奥の院⑦↑。武将に交じり俳優も。彼も戦争経験者だ。】
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【高野山・奥の院⑧↑。浅野内匠頭の墓所。赤穂四十七士も。】
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【高野山・奥の院⑨↑。肥前島原 松平家墓所。時の流れ、、。】
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【高野山・奥の院⑩水向け地蔵。金仏の地蔵菩薩や観音菩薩。】
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【高野山・奥の院⑪↑。御廟橋から眺めた奥の院の真髄。】
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※この橋まで、お大師さまが迎えに来て、送ってくれるそうで
皆、この橋の手前で、必ず合掌・礼拝をするのであります。
※橋を渡ると、大師御廟があります。
ここから先は撮影禁止、脱帽です。
※まるで、時代絵巻ですね。
高野山は、 高野山真言宗の総本山。
でも、ここには
あらゆる宗派のお墓があります。
お大師さまの心はとても広いのですね。
と、言うことで写真もここまで!
では、御廟所へと、、、。
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コメントありがとうございます。
この日、我が家の温度計は36℃。
高野山の大門付近の電子温度計は25℃でした。
我が家から40分ですが
まるで別世界です。
それに、風景も別世界です。
特に、奥の院は
時が止まったかのように
静寂です。
時たま、高野山の観光ガイドが
引率する団体が通り過ぎるのを見て
やはり、ここも観光地なのかと思います。
いつまでも、悠久の地であって欲しい場所。
それが高野山です。
ご訪問ありがとうございました。[E:club][E:eye][E:ear]