イギリス出身の名優チャールズ・ロートンの長いキャリアについて、ここで短く書くのは不可能だ。
だから、一点決めして書いて行く。
イギリス映画でありながら「ヘンリー八世の私生活」(1933年)でアカデミー主演男優賞を獲得した後、ロートンはナチの迫害から逃れて渡英していたプロデューサーのエーリッヒ・ポマーとメイフラワー・ピクチャー・コーポレーションを設立した。
ただ、結果から言うと、この会社は第二次大戦によってイギリス国内での映画製作が困難になったことから3本の作品を残したのみで解散してしまうのだが、その3本がとてもセンスがいいのだ。
第1作はサマーセット・モームの短編「怒りの器」を映画化した「Vessel of Wrath」(1937年、日本未公開)。自堕落な南海のあぶれ者ロートンが聖職者(ロートン夫人のエルサ・ランチェスター)の尽力により改心するという、同じモームの「雨」をひっくり返したような、とても楽しいドタバタストーリーだった。
第2作は「セント・マーティンの小径」(1938年)。知る人ぞ知る、ビビアン・リーのイギリス最後の作品だ。こちらも日本未公開だが廉価のDVDが出ている。
食いつめてすりまではたらく小娘(リー)を拾った大道芸人の中年男(ロートン)。なんだかだと世話を焼くが女は若くハンサムな作曲家(レックス・ハリスン)についてとっとと出て行き、女優にまで登りつめる。一方、捨てられた大道芸人ロートンの零落っぶりが見事で、(彼の映画はみなそうなのだが、)これも忘れられないキャラクターだ。チャップリンの「ライムライト」の元ネタとも言われている。個人的にはローレンス・オリヴィエの「黄昏」に近いように思えるが。このあとリーは先に渡米していた恋人オリビエの後を追い、ハリウッドでセルズニックにスカウトされて「風と共に去りぬ」に主演する。この映画のストーリーそのままだ。また、レックス・ハリスンが出演していることから、「マイ・フェア・レディ」と重ねることもできる。
そして第3作は、ヒチコックのイギリス最後の作品となった「岩窟の野獣」(1939年)だ。原作はダフネ・デュ・モーリア。このあとヒチコックがセルズニックに招かれてハリウッドで撮った第1作「レベッカ」は、同じデュ・モーリアの小説が原作だ。
プロデューサーも兼ねていたロートンは主演女優に無名の新人モーリン・オハラを抜擢した。ヒチコックは映画の出来には満足しなかったようだが、映画は大ヒットし、オハラの知名度も一躍上がった。
前述のようにメイフラワー社が解散するとオハラは活躍の場をアメリカに求めて渡米し、RKO社へ入社する。そこで撮ったのが「ノートルダムの傴僂男」(1939年)で、大柄な彼女がヒロイン、エスメラルダを堂々と演じていてほれぼれする。彼女の快進撃はこのあとも続き、その燃えるような赤毛から「テクニカラーの女王」と呼ばれ、またジョン・フォード一座に加わって一連の作品で最高のヒロイン役を演じて行く。
この「ノートルダムの傴僂男」でカジモドを演じているのがロートン。才能のある男性は女性たちが巣立って行っても落ちぶれたりはしないのだな。
当時18歳のモーリン・オハラと。
「怒りの器(未)」より。白いスカートの聖職者がエルサ・ランチェスター。
「セント・マーティンの小径」より。
同上。
「岩窟の野獣」より。扮装が怪し過ぎ。
同上。
「ノートルダムの傴僂男」より。エスメラルダを演じるオハラ。
カジモドのメイクが怖すぎるので、顔の見えない写真を載せた。
フォードの名作「我が谷は緑なりき」(1941年)のオハラ。
「1960年代、オーソン・ウェルズは好きな監督は誰かと聞かれ、『昔の巨匠たちだ』と答えた。
『つまり、ジョン・フォードや、ジョン・フォードや、ジョン・フォードだ。』」
唯一の監督作となった「狩人の夜」の原作本を、主演のロバート・ミッチャムと。
ミッチャムに演技をつけるロートン(中)。