お盆中の昼休みや夕方の空き時間を利用して、庭木の剪定を行なった。
僕が庭木に手を付けるのはほとんど初めてで、唯一の例外は、三十年以上前に造成予定地から掘り出してきて自室の前に移植した形の悪いもみの木の若木だけだ。
思いついては枝を払ううちに背が伸びて、今や5メートル超に育っている。
庭木いじり、まるでロックじゃない。
そう思って長いこと植木屋や父親に任せきりにしていたのが、どちらも年老いてしまい、ジャングル寸前まで放置していたのを、今回自宅を改修したのを機に自身で手掛けることにした。
気持ちを奮い立てようと、ザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」のTシャツなど着こんで、手ノコと剪定ばさみの人力のみで、ジャングルに挑んだ。
松、かえで、糸杉?、金木犀、銀木犀、椿、つつじ、くちなし、右から左にどんどん枝を落として行く。
やり過ぎてスカスカになるかも、と時々心配になるくらいだったが、この感覚は、自分のワードローブを思い切って処分した際とよく似ていた。
あの時は本当に着たいものだけが残って、クローゼットがより自分らしく濃くなるという意外な結末を得た。
手を止めないためには、これもそう信じるしかない。
猛暑の中、計4日ほどかかって、作業は終わった。
きれいさっぱりした庭を見渡すと、何となく自分のタッチが見て取れる。
やはりそういうものなのだな。
庭の中央に集めた枝葉は、6畳一間ほどの体積になっていた。
自宅の二階から悲しそうな目で僕の作業を眺めていた父親は何も言わなかったけれど、母は陽が差し込むようになって明るいね、と満足そうに言った。そのあがりに、アンタは虫に刺されるとひどく腫れる体質だから、事前に虫よけスプレーを振らないと、と小言も頂戴した。
一体、僕が何歳になったと思っているのだろう。
「ヒロシマ私の恋人」はフランスの女流作家マルグリット・デュラスがアラン・レネ監督のために書き下ろしたシナリオ本である。邦訳は、やはりデュラスがアンリ・コルビ監督のために書き下ろした「かくも長き不在」とのカップリングでハードカバーが筑摩書房からひっそりと出ていたのだが、今春「ヒロシマ」一本で文庫化されている。
映画化作品(1959年)の邦題は「二十四時間の情事」。新しい文字の旗手、アンチ・ロマンの作家デュラスの小説はどれもみな難解と言われているが、この映画も鑑賞の際に、作品へのスタンスの取り方を間違えると乗りはぐってしまうかもしれない。
実際、ヒロシマを舞台にしていながら原爆の悲劇をメイン・テーマにしているわけではないし、平和を声高に訴えているわけでもないこの映画は、封切り当時日本では興業的にさんざんだった。
ファースト・シーン-べッドで抱き合う男女の裸体が浮かび上がって来る。女(エマニュエル・リヴァ)はフランス人の女優。平和をテーマにした映画を撮るためヒロシマを訪れ、男(岡田英次)と出会った。映画はほとんど撮り上がっており、二十四時間後には帰国する予定だ。
二人はポツリポツリと独り言のような会話を交わす。
「私はヒロシマですべてを見た」女が言う。
「きみは何も見ていない」男が冷たく繰り返す。
男は出征中に原爆で家族を亡くしている。
このやりとりに喚起され、女の記憶が徐々によみがえってくる。
第2次大戦中ヌヴェールという町に住んでいた彼女は占領国のドイツ兵と愛し合った。
フランス解放後彼は殺され、彼女は群衆によって丸坊主にされた上、ハーケンクロイツ〔鈎十字〕を額に書き込まれるという辱めを受けた(フランス全土で起こったこの集団リンチは記録映画などによく登場する)。
両親は彼女を恥じて地下室に閉じ込めた。
狂ったように大声で叫んだりした彼女だったが、髪の毛が再び生え揃うにつれ平静を取り戻し、ある日こっそり家を捨てパリヘ出る。そこで彼女は原爆投下のニュースと、ヒロシマという名前を聞いた。
時は流れ、その恋と体験は彼女の意識の底にすっかり沈んでいたのだが、ヒロシマによって、あるいは新しいロマンスによって突然浮かび上がったのだった。
路上で、ホテルで、男の家で、ナイト・クラブで、過去を語り続けているうちに女はヌヴェールのイメージがヒロシマと重複するのをはっきりと感じる。
ここへとどまってくれ、と嘆願する男を逃れて夜の街をさまよった挙げ句、駅の待合室にたどりつく。
女はとうとう理解した。
「ヒロシマ。それがあなたの名前よ。」
「それは、僕の名前だ。そういうことだ。きみの名前はヌヴェール、フランスのヌヴェール。」
この映画からストーリーだけを抜き書きするのは不可能に近いし、あまり意味がないような気がする。書きながら改めてそう思った。
ところで作品のテーマだが、過去と現在にまたがった“意識”、それと“個人の戦争”だろう、と個人的に解釈している。
延々と続く静かなダイアローグ〔対話〕の間ヘ、ヒロインの脳裏をよぎる過去の記憶をやや断片的にインサートしたスタイルには観ていて想像力を非常にかきたてられたし、“意識の流れ”を描いたブルーストの心理小説に似た印象を受けた。
またレネ監督独特の長い移動撮影はじっと観ているうちにヒロインの意識の深層の中ヘ落ち込んで行くような錯覚を起こさせる。
それからこれは二次的なことだが、夜のヒロシマの街並みが(昭和三十四年の日本でありながら)全く馴染みのない場所―まるでトワイライト・ゾーンのように撮られているのがものすごく面白い。無機的で、冷たく、暗く、そしてなにか知的ですらあるのだ。
なごみに電気自動車のサクラがやってきました。
しかも特別塗装色(暁アカツキ-サンライズカッパー/ブラック 2トーン)です。
この嬉しさと誇らしさを胸に、当法人はこれまで以上の熱意を持ってSDGsへ舵を切って行きます。
夏バテだ。
例年通りこの時期はもう、そうめんとざるそば以外食べられなくなっている。
あとはソフトクリーム。
このように猛暑だと溶け出すスピードに負けず急ぎ食べなければならないのがややつらいが。
年代のせいか、ソフトクリームは日世のマスコット人形が立っていると、素通りできない。
驚いたことに、あのマスコットは昭和30年代から存在していたのに、ニックンとセイチャン、5歳でともにアメリカ人、という(公募で)名前とキャラづけされたのは21世紀になってからだそう。なんて悠長な会社だ。
その割に、「ソフトクリーム」というネーミングは創業者が考え、日本中に爆発的に広がり、定着している。
僕はけせもい市亀島にあるウエルカムターミナルで土日のどちらかに食べることにしている。
ただ食いしん坊だからというわけではなく、亀島への観光客の入り込みを、ニックンとセイチャンの隣に置かれたテーブル席からにさりげなく観察するためだ。
なにせ、昨年度事業譲受した亀島ぽらんは、島内最大の事業所なのだそうで、僕はその雇用を守ったということになる。
こう書くと、表彰までは要らないけれど、あえて火中の栗を拾って偉かったね、とソフトクリーム1年分くらいの副賞があってもいいんじゃないかな、と思えてくる。
まあ、それはともかく、島の人口動静や人流に注意を払うことは経営者として必要な姿勢だ。