「暮らす」論への研究ノート(1)
この週末「最後のセンター試験」が行われた。試験内容を見ると、自分が受験した頃とは傾向が違っていたりして面白い。解ける気はしない。試験と言えば「直前になると部屋の片づけをしたくなる」はよくある話だが、それは集中するために余計な情報を遮断(片付け)するためだと聞いた。自分にとってはタイムリーな話だ。
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昨年の6月ごろに、諸般の事情により町内に引越した。相方さんが置いて行かざるを得なかった物が大量にあり、一人で住むには大きいが荷物を置くにはやや狭いアパートだ。収納に入りきらないので、リビング等に段ボールが積まれている。だから自分には不要なものが常に視界に入り、そのたびに思考が途切れる。新しい家の住み心地は良いのだが、何となく暮らすことに集中できていない気がする。
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「暮らす」は2年半前に「試論」としつつ何も言えていない記事を投稿させていただいたが、まだ進歩はない。かたちばかりにこだわっていて、どう暮らしたいのかを突き詰めていないような気がするのが原因かもしれない。自分がどう暮らしたいかより、どういう生活をするのが「カッコイイのか」を考えている気がするのである。(次回に続く)
【波風氏談】このブログ読者の方々はとっくにご存知だと思うが、『こめの学習帳』と『言葉のケイコ』の執筆者は、それぞれコメさん(男性)とケイコさん(女性)。本日のイラストは、懐かしい『ハラペコ日記』から