愛される努力
ある日の腹ペコ家の朝食談義のこと。「大学は国の税金で運営しているのだから、国旗掲揚も国歌斉唱も当然だ」という言い方は、国旗と国歌の価値を低くしているという話になった。つまり、お金を出さないと大事にしてもらえないと言っているようなものじゃないか、ということだ。
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この間の「愛国心」の問題は、人間関係に置き換えるとよくわかる。愛情や尊敬の気持ちは強制されて持つものではなく、自然と沸き起こってくるもの。好きな人に好きになってもらいたくて、あれこれ努力するのが普通だと思うのだけど、それを怠って「愛せよ」というのは、自信がないのかなんなのか。「いい国だと思ってもらう努力はしません」と宣言されているようにも思えて、脱力してしまう。「付き合ったあとだって愛され続ける努力をするのに、その最初の段階を怠るなんて!」とぷりぷりしながらの朝ごはんとなった。