波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

第59回/愛される努力

2015年06月20日 | 【保管】腹ペコ日記

愛される努力

 ある日の腹ペコ家の朝食談義のこと。「大学は国の税金で運営しているのだから、国旗掲揚も国歌斉唱も当然だ」という言い方は、国旗と国歌の価値を低くしているという話になった。つまり、お金を出さないと大事にしてもらえないと言っているようなものじゃないか、ということだ。

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 この間の「愛国心」の問題は、人間関係に置き換えるとよくわかる。愛情や尊敬の気持ちは強制されて持つものではなく、自然と沸き起こってくるもの。好きな人に好きになってもらいたくて、あれこれ努力するのが普通だと思うのだけど、それを怠って「愛せよ」というのは、自信がないのかなんなのか。「いい国だと思ってもらう努力はしません」と宣言されているようにも思えて、脱力してしまう。「付き合ったあとだって愛され続ける努力をするのに、その最初の段階を怠るなんて!」とぷりぷりしながらの朝ごはんとなった。

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ワラをつかむ

2015年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 【藁】イネ・ムギの茎を干したもの。「溺れる者は-をもつかむ(=非常な苦境に立たされた者は、どんなに頼りになりそうもないものでも頼りにしたがるものだ)〈新明解 国語辞典〉。集団的自衛権の法的根拠にした砂川事件判決を、憲法学者の方々がバッサリ批判した時に使ったことわざ。戦争できる国の根拠に、よりによって【藁】を持ち出すお粗末さを笑ってる。いつまでたっても【藁】は【藁】でしかないですよ、は痛烈かつ痛快。

 この言葉を聞いて以来、アベシとハシモトシの極秘会談なんかも、別口の【藁】さがしだったり、【藁】を高く売りつける狡い構図がくっきり見えてくる。悪代官と越後屋だね。TV記者会見した「憲法の範囲です」の2人の学者も、「御用学者」では大層な学識がありそうだが、憲法学会の「【藁】学者」だと思うと笑ってしまう。


  今日の話、裏ブログに書いていたのをこちらへ 。 朝食の後だった。新聞を読んでいるとママヨが「…私って馬鹿だなあ」と言うのが聞こえてきた。中身をちゃんと聞きもせず反応した立男は「馬鹿な女は嫌いだ」と口にした。するとママヨの「では今日をもって分かれることにいたしましょう」の一言。個別的自衛権の発動、これで十分に効果はあるのだ…「すいません。許して下さい」。肉を切らせて骨を切る…アベシにも教えてやらなくちゃあ。

報道ステ-ション「安保法制 憲法学者アンケート」

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「すずちゃんの海街レシピ」買う。

2015年06月16日 | 読書

 「すずちゃんの海街レシピ」(吉田秋生監修:小学館)立ち読みし、浪風文庫の保存版図書に指定。表紙の「ちくわカレー」に参った。この一品には、全道版のコラム書いたぐらい思い入れがある。…そうか、目玉焼き乗せる手があったか。「しらすトースト」は既に浪風家の味。今年は「梅の甘露煮」に挑戦予定だ。 ※「ちくわカレー」って打ったら「地区別れ」って出た。
                 
 池波正太郎や山口瞳、今日の新聞に訃報記事が載っている高橋治もそうだが、心憎い小説は、食べ物の扱いが上手。漫画「海街diary」も同じ。本文中の30品はすべて普段の食卓(半分は総菜屋、喫茶店、定食屋かな)に並び、高級食材とは無縁。だが、だからこそ、食卓風景で登場人物たちの心模様や人間関係の匂いまで感じさせられてしまう。美味い、いや上手い。
                        
 この「海街diary」にリンクするもう一つの海街物語、って帯にある「ラヴーズ・キス」を買ってしまった。「これ知っている。なぜかな?」と思って読んでいたら、前に買ったしょとママヨさん。それでも最後まで読んだ。「海街…」に弱い2人だ。
 久しぶりに読書紹介したら、 「波風文庫」をしばらく更新していないことに気づいた。

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【その216】 はんこ

2015年06月15日 | 【保管】一寸凡師コラム
  ハガキの隅っこにポンッと一押し。朱色のハンコが凡師のハガキに彩りを添える。荒馬さんからもらった「凡師の『凡』」ハンコを始め、荒馬さんと共用している言霊ハンコ。以前挑戦した消しゴムハンコは、鋭意制作中のまま。手作りのハンコをハガキに押す日はもう少し先か…。
 先日、結婚披露宴に参加。凡師には少々荷が重い「来賓挨拶」を経験。300人を前に、まさしく「僭越ながら」の挨拶。良い経験をさせてもらった。後日、新郎新婦に送ったハガキには「ご縁に感謝」ハンコをポンッ。末永くお幸せに。
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第58回/メッセージ

2015年06月13日 | 【保管】腹ペコ日記

   メッセージ

  波風先生のポスター展を見て改めて感じたことは、「誰にどんなことを伝えたいか」を明確にすることが大事だなぁということだ。同時に、ひとつのポスターの「宛先」は、必ずしもひとつではないんだな、とも思った。「子どもたちにはこういうことを、大人にはこういうことを、そして地域に向けてこういうことを」と、複数のメッセージが込められているものもあれば、ひとつの対象に向けてストレートなメッセージが込められているものもあったように感じた。ポスターに限らず、デザインというものは、「どうしてもこれを伝えたい、わかってほしい」という想いをイメージとして表現するものなのかなと思った。

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   デザインに限らず、宛先やメッセージを吟味していない発信物は、見ていても関心が持てない。むしろ、「宛先の中にあなたはいません」ということをメッセージとして出してしまうことがある。反省も含めてそんなことを考えながら、ある企画のフレーズを構想中。


 

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