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さて、申年が始まって一ヶ月。お陰様でなかなか楽しい日々を送ることができている。忙しさはあるものの、充実感や新たな発見、楽しさ、ワクワ ク感・・・、まさに濃厚な時間。よし、そろそろビックプロジェクトに本腰を入れなければ。申年だけに、“赤くなるまで”突き出したい。
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縄文後期(約3500年前)にエゾシカの角で作られた人形『角偶』(カクグウ)。四半世紀前に函館の貝塚で出土、一昨日の夕刊で、「『ロックな感じ』 口コミ評判」の紹介。全身の穴の理由は不明、手足の指が特徴、儀式等で使われたのかとある。
肩を突っ張らせて右側にやや傾いた姿勢、精巧な手足の指がすごい。『ロック』は言いえて妙。驚くのは、5.5センチの全長に比べ、屈託の無い「俺を見ろ、どうだ、どうだ!」の存在感。
拾った鹿の角を見ていて、人間の形を作ってみたいと思った縄文時代の立男の祖先。角の根っこのところを頭にして、枝分かれしたところを手足に工夫したら良いかも、と思ったのに違いない。大切にしてる道具の中で一番小さな硬い石で指を熱心に彫り込んでる姿が浮かぶ。全長からして指の大きさはミリ単位。相当に器用だ。ママヨさんの先祖が、「仕事って言うけど、そんなの少しも腹の足しにならないんだからね。角で喜んでないで、肉の方を持ってきてよ。」なあんて言ってたはず。
材料と道具の制約でシンプルにならざるを得ないが、「これで良いんだ」の潔さがある。顔の中心の穴に、文字通り突き抜けたイメージ、「さあ来い」の感じする。そして愛らしい。無数の穴は飾りなんかじゃなく、様々な脅威に負けずに立ち向かう感じ。当時のママヨさんが「今回のは意外にいいかも。」なあんて言って、本当は儀式の後に焼いてしまうのを、ヘソクリ用の土器にしっかり隠していた、だから完全な形で保存・発掘されたのかも。妄想は尽きない(笑)
この角偶を何の説明もなく見せられたら、過去でなく現在を、未来だって感じても不思議はない。新聞で見た立男はそうだった。シンプルでプリミティブな美意識、『つくりたかったんです。それが何か…』の主張、今でもちっとも色褪せない。
最初は小さな電車かと思った。車いすやベビーカーの使い勝手を徹底追及した軽自動車『ノリオリ』(※1)である。車いす2台をそのまま積めて、助手席側のドアが両開きで収納式スロープがあり、後ろにリフト。面白い。19日の夕刊で見つけてオッ、TVの動画でオーーッ!だ。
日本固有の軽自動車である。基準(長さ3.4m×幅1.48m×高さ2m、排気量660CC以下)を最大限活用し、経済性と合理性を追求し続けている。制約の中のデザイン力は優れた文化で、この国の大きな平和資源だ。
デザインは「ものを介して暮らしや環境の本質を考える生活の思想」(※2)で、斬新な形の提案だけではない。<もの>を通じ、手の届く素敵な未来、今よりは少しましな<ひと>と<こと>の提案だが、この車にストレートなそれを感じた。
シンプルな合理性、安心と安全性、そしてこの車が走る街とそうした街をつくり出せる人間性、そんなイメージが湧く。かっこいいデザインだ。積雪地帯用に素敵な『長靴』や『かんじき』はいたみたいなのも提案して欲しい。こういう美意識が受け入れられる未来なら長生きも悪くない。
(※1)軽自動車『ノリオリ』のPVDは今日の公式裏ブログ「波風食堂準備中」にUP。(※2)「日本のデザイン -美意識がつくる未来」(原研哉著:岩波新書)
罪悪感
子どもを産んでから、女性の権利の話をすると自分の言い訳をしているような気持ちになるようになり、講義でうまく話せなくなったような気がする。共働き率日本一の福井県で生まれ育ったはずなのに、子どもを小さいうちから預けることに抵抗を感じる自分に、正直驚いた。
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その罪悪感は、思いがけないところでぽつんぽつんと表出する。「今日はお子さんは?」と聞かれただけで、相手にそんなつもりがないことはわかっているのに、なんとなく後ろめたい気持ちになってしまったりする。
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その点、相方さんは明快だ。母親にも働く権利はあること、やりたいことを我慢して子育てに向かうことが本当に子どものためになるのかということ。家族3人、それぞれの要求があって、そこはお互いに折り合いをつけながら、協力し合いながらやっていくしかないのだ、ということ。相方さんの言うことはわかるのだが、罪悪感が簡単には消えないのはなぜなんだろう。