波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

『海街diary 9 行ってくる』を読む。

2018年12月16日 | 読書


 

5年前に旅先で手にした『海街diary1』。さしたるドラマなく、絵もまあまあ、なのに昨日初版発行の完結編(全9編)まで買って読み続けた。理由の1つは、4姉妹の関係と自立を古都鎌倉の四季の暮らしの中で注意深く表現していること、2つめは誰もが体験する身近な人の「生き死に」がもたらす心の機微を、納得のいく筋と絵柄と言葉で綴っていることだ。この点が惹かれる一番の理由。

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もが持っている親子や兄弟、恋人や夫婦、隣人や同僚。だが、そうした人間関係で、互いに共感しあう関係は簡単ではない。だから、本書の「誰かを気にかけ 誰かに気にかけてもらい 働き 食べ 笑う その時間は ただいとわしい」(完結編 P.64)ことを、言われなくたって皆が知っているが、誰かに問われなければ「幸せとは何か」を間違いかねないのが今の時代だ。同名の映画もこの一点で撮られていると思う。

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書の登場人物一人一人が割合に深刻な課題を持ちながら、色々あっても元気よく暮らす中で、わかってもらえる人のいる嬉しさが伝わる本書。依存に陥らない爽やかな人間関係の距離感・空気感も魅力だ。波風立男氏にとってこの6年間は、永く続けてきた仕事の区切り、親の死、新たな仕事と人間関係の開始。始まりのための終わりだった。そうした中、深呼吸できるような気持ちで新刊の本書を開いてきた気がする。戻って来ることができる安心な場所が作られた時、人は『行ってくる』(完結編の副題)ことができるのだ。


本書のことをこのブログで4回も書いた。『「海街diary 8 恋と巡礼」読む。』(2017.4.15)、『「すずちゃんの海街レシピ」買う』(2015.6.16)、『海街ダイアリー』(2013.5.28)、そして今回。買って読み続けたいコミックは無くなった。

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公式裏ブログ、更新しました。

2018年12月15日 | ご連絡

 

クィーンの残像』で更新しました。どうでもよい記事ですが、動画あります 今朝の新聞一面に「辺野古 地元の反対無視して土砂投入」の記事。底知れない暴力を感じたとともに、『顔に泥を塗る』という慣用句が浮かんだ。歴史的なおぞましさ中でも、決して許されない精神に対する国家の蹂躙。

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映画『ボヘミアン・ラプソディー』観てきた。

2018年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム

Queen Perform Live at LIVE AID on 13 July 1985 [ORIGINAL]

ルストイ「文化とは感情の交流である」を実感する2時間。70年代に生まれた英ロックバンドQueenというか、リードボーカルのフレディ・マーキュリー(1946~1991)の物語。高校生の波風三郎君がママヨさんに「きっと気に入る」と聞かせてた20年前。波風家の小さなオーディオはいつもクィーンを流していた。映画の曲はどれも親しく、当時のことが浮かんだ。知性と道化の混在、圧倒的な迫力とハーモニーの美しさについていけなかった。まさか、三郎君がそれほど深く音楽を感じていたとことも。波風氏だけがビートルズを聴いていた。

                                                                       

詞の意味を全然理解しないまま20年、スクリーン上の和訳が、感情を煽り続けたが、意味を知らなくても別に困らないとも思った。この動画は、ライブ・エイドの実写だが、映画も驚くほど見劣りせず、少し小さめのフレディ・マーキュリィーもブライアン・メイも違和感を与えない。圧倒的な音楽性と生ける伝説となった主客一体の爆発。あれからほぼ30年、エイズやLGBTは当時と今の状況は大きく違う。そして、生きるということは奇蹟の連続かもしれないと思い、生きる意味や価値は本人にしかわからない。そんなことを、観客数7名の16:00開幕の劇場で感じた。


今年は映画を観る機会がいつもの年よりあった。夏からなら、毎月1本ぐらいは観たかもしれない。その度に、静かに感情の交流をしていた。劇場には居ない身近な人たちと吉田秋生作『海街diary9 完結編』読む。「誰かを気にかけ 誰かに気にかけてもらい 働き 食べ 笑う その時間は ただいとしい」(P.64)が、この漫画を語るり最もふさわしい。映画『Queen』の高揚感も悲しみもこれに通じる久しぶりに、「『さみしさ』の研究」の書評をamazonに。自分の読み方を他と比較して読むのは悪くない。

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2019 カレンダーにつきまして…

2018年12月12日 | ご連絡

 

最初に言っちゃいますと、来年の『波風カレンダー』はお休みします(汗)。12ヶ月分の絵を描かなかったので作りたくても作れないのです。これまでは、古いのも集めてやりくりしてきましたが、今回はちょっと…というわけで申し訳ありません。

忙しかったけれど心は静かに過ぎた昨年、は先ほど作った年賀状冒頭の言葉。雪降る前までの波風食堂ごっこ、読書交流会『ほんのおつきあい』、珈琲教室、そして秋の『KT 2人展』。定年退職後6年間で一番忙しく充実した年だったと思います。気に入ったカレンダーの数字を真似して描いているうちに、自分でも作ってみようと始めた『2015 波風カレンダー』(※ユーチューブ画像)、何だかんだで昨年まで連続4回作りました。お世話になった感謝の心で勝手に送りつけたり(笑)、「欲しい」という親切な方もいて嬉しく思っていました。暮らしの中に波風氏のイラストがあったと思うと、とても心が温かくなります。ありがとうございます。

来年は、波風食堂2期工事(主に前面庭づくり)とピアノ修行と自転車運転(自転車操業ではありません)に努力したいと思っていますが、絵の方も描きたいなあと思っています。早めに作って「2020 波風カレンダー展」などを波風食堂イベントとして開催したいと思っています。そんなことで「カレンダーは一回休み」をご連絡いたします。

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『「さみしさ」の研究」を読む。

2018年12月10日 | 読書


ートたけし著「『さみしさ』の研究」(小学館新書)読む。一言で言えば、成功した表現者が、その成功の決定的な要素である自分の置かれている立場と期待を十二分に把握した上で、この国の大きな課題【さみしい老後】を語ったように思わせる一冊。その点では、期待に応えたり、驚くような話しは無い。標題は編集者がつけたのだろう、プロはなるほど上手い。

者は、これでもかこれでもかという具合に、自分の貧しい育ちや「虚像」としての芸人の立場で、言って良い範囲の芸能界話題に限って言いたい放題。だが、人生のさみしさを語る上で欠かせない、真の友人、そして絶対に欠かせない家族については何一つ出さない。激烈な競争業界で功成り遂げた時に、そうした人間関係をすべて失ったと言うのなら、それは実に標題にふさわしいのだが。今後も元気よく「新しいことをやりたくてウズウズしている」、「いつ死ぬか分からないので、トコトンやりたいことをやってやる」と書いて終わる。結局、それぞれの置かれている立場で、自己評価を間違わず、人は人自分は自分で、やりたいことをやるのが一番、というのが結論。「本当の孤独」なんかはちっとも書いていない。もし書いてあっても、同じ頂点に立たなければわからない類いのことなんだろう。

から、大部分の自分の老いと孤独、友の死の章は、「へーっ、そうなんだ」ほどのエピソードの羅列。だが、「ニッポン社会も老いている」は少し読ませる。安倍政権が、何でもありのタケシに似てきてとんでもないことしていても、「仕方がねーなー」ゾーンに入り支持率が下がらないとか、AI(人工知能)は賢い奴らが上手に儲ける格差拡大の道具論などはなかなか。『新しい道徳』(北野武著:幻冬舎)がそうであったように、社会的な発言を口にする芸能人が皆無な中、ビートたけしという芸人の成り上がり方、バランス感覚、発言環境の作りが凄いと実感させる一冊。


森下典子著『こいしい たべもの』の後に『いとしい たべもの』と『日々是好日』、柳家小三治著『ま・く・ら』読む。そういう種類の本が続き、『「いき」の構造』(九鬼周造著:岩波文庫)を本棚捜して開く。一度そこらを切るつもりで、『「さみしさ」の研究』 未だ50前の人(一人息子)亡くなりご両親を訪問。何も出来ないが側に少しでも居ることはできると思って 前途洋々の若い人訪ねてくれる。若さとはこんなに明るいんだ。年を取るというのは、生と死をたくさんたくさん意識して生きることなんだ公式裏ブログ「狐の団らん」で更新しました。

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