波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

コメの学習帳27頁目

2020年02月09日 | 【保管】こめの学習帳

図書館にいこう

図書館に行くと、予定していたよりも時間を使ってしまうことが多い。あらかじめお目当ての本が決まっていても、新着本を眺め、特集の紹介コーナーに目をうばわれ、地域誌を手に取って、と誘惑がたくさんあるからだ。そして何より私にとって図書館は大変落ち着く場所なのである。

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自分の初めての「図書館」体験は、実家近くの公共施設に設けられていた、「図書館」というより「図書室」のような場所であった。『怪人二十面相』を借りたような記憶はあるのだが、本当に読んだかは分からない。こぢんまりとしているのだが天井が高く、お城の隠し部屋のようだった(実際に建物の名前には「城」が入っていた)。市立図書館にもたびたび行っていたが、そこにいるだけで賢くなったような気がして嬉しくなった。

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本を買うことが多くなってからは、図書館からは足が遠のいていた。最近は物を減らす必要に迫られているため読みたい本を買おうか迷っていたが、図書館のHPで検索したら揃っていたので久しぶりに行ってみた。休日で人が多かったが、時折元気な子どもの声が聞こえる他は当然ながら静かである。マナーということもあるのだろうが、読書は私的というか、「個人的なこと」だから特に喋る必要がないのだよな、と改めて思う。こうやって、そこにいる人が「思い思いの一人の時間」を過ごしているところが好きなのかもしれない。


【波風氏談】画像は、腹ペコブログで使ったもの。ここ最近、ずうっとそうしているのは、コメさん一家とのことを思い出すことが多くなったから。懐かしいことが次々と浮かんでくる 今、珈琲を注文した。だいたい月に1度になってきた。

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理由と意味

2020年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

(公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」からの続き)

・・・・・反省の歴史をさかのぼるとこの時の恐怖と痛みを思い出す。鎖の長さを見誤った、眠っていたはずの犬が起きると思わなかった、囓(かじ)ることはないだろうと油断していた。それから犬嫌いになり、優しい犬の頭を撫でる今だって、「もしかしたら囓られる」心配を忘れたことはない。

回の題名『理由と意味』は、若い頃に失敗した時は『理由』を考え、若くない今は『意味』を考えることが多くなったからだ。子どもの時は大人から「失敗した理由を考えなさい」と言われ、仕事の失敗時も「同じことを再びしないように」と原因を探した。これは、未来を生きる時間がたくさんあるからだ。問題の大小はあるだろうが、老人生活では今までも何とかして来たから今回も何とかなるだろうという経験則からの楽天的な見方や、静かな生活に珍しく起きた刺激的な出来事に思えたり、未だエネルギーは残っているからひと頑張りすれば良いだけの話、という気持ちが強い。老人だから当然だが、人は誰でもいつからでも大人っぽくなれるのだ(笑)

味を考えるという意味は、起きるべくして起きたことの気づきにある。若い頃の原因追求は理数系の正解発見型でそれに比べて、文系の人生洞察型とも言える。今を起点にその前後の「人・もの・こと」を巡る連鎖の帯にできた傷というか破れを、大きく言えば我が人生に、小さく言えば自分の身体や人間関係に引きつけて、茶など飲みながら「この際、ゆっくり哲学してみよう」と沈思黙考してみる。
車の駐車でバックする進路を間違ってバンパーをこすったり、その数日後に郵便局に駐車してドアに追突された。理由を何度も口にして自分を責めるママヨさん、それに比べその百倍(話してない失敗を入れると百五十倍ぐらい)は反省必要な波風氏は、哲学的な雰囲気を纏いつつ静かに「原因よりも、2つの事故にどんな意味があるのか考えてみよう」なあんて優しく語りかけるのであった(笑)。


イラストは去年夏、白い秋田犬と。なんてかわいいんだろう(笑) 個性的作家描く『黄昏のダンディズム』(村松友視著:佼成出版社)、通院先待合で読む。後10年、いや今、12人中で何人が知られているのだろう『中原中也との愛』(長谷川泰子:角川ソフィア文庫)で、17歳の詩人と同棲した長谷川泰子。小林秀雄との三角関係の謎を垣間見る。

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言葉のケイコ【その拾玖(じゅうく)】

2020年02月04日 | 【保管】言葉のケイコ

今日気になるきょうきの一冊

前読書交流会で紹介されていた、今村夏子氏の芥川賞受賞作『むらさきのスカートの女』を読む。理解が難しいという話がそのとき出ていたが、読んでなるほどそうだろうなと思う。なかなか理解しづらい世界観だと。では私はというと、読み始めてからずっと、怖くて仕方なかった。視点がものすごく怖い。ストーリーは「むらさきのスカートの女」の生活を中心に進むが、その追いかける視線が誰なのかがずっとわからないまま進むことの恐ろしさよ。「むらさきのスカートの女」自体は、ちょっと変わり者の年齢不詳の女性。たぶん誰もが一度はこういう人を見かけたことがあるという程度の。それを執拗なまでに追いかける視線の主。なぜそこまでして、ということは読んでいればなんとなくわかる。けれど理解しようとは思えない。そこに共感しようとすることを脳が拒否している感じ。読後感も悪いし、なんだかどっと疲れた。でも、これを読んだことから目を背けられない、そんな一冊。

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間の感情を凶器として、狂気の末に狂喜を得るような話かと思う。いつだって人間の存在を形づくっていくのは人間。ただちょっとだけ普通の範囲を越えた(ように見える)人間を「むらさきのスカートの女」に仕立て上げるのは誰か。それを面白がるのは誰か。さあ、鏡を見てみなさいと、つきつけられているような恐怖がそこにある。

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コメの学習帳26頁目

2020年02月02日 | 【保管】こめの学習帳

感情の湧きどころ

目に入れても痛くない、とか、耳にたこができる、とか、体の一部を使った表現は数多くあるが、私はどうしても自分の身体感覚と一致するかどうかを考えるため、基本的に使えない。つまり、当たり前だが本当に目に入れたら痛いし、どんなに同じ話を聞いても耳にたこはできないのである。首も長くならないし、うでは鳴らない。しかし、「腹」については何となくわかる。

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つい最近、とある人に対してしばらく我慢していたのだが、あるやりとりをきっかけにどうにも許せなくなってしまったことがあった。自然と浮かんできた言葉は、「腹に据えかねる」である。身体感覚とぴったりであった。腹に据えかねるという以外に表現しようがなかった。今自分は腹に据えかねている状況なのだと分かるだけで多少は落ち着くことができたが、据えかねていたのであちこちに発散させていただいた。それは余談である。

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怒りの感情はもちろん脳が処理しているのだろうし、頭にくるという表現もあるが、先の言葉には「どうしても飲み込み切れない」というニュアンスを感じる。腸は第2の脳であるともいうが、そういう事とも関係があるのかもしれない。せっかくの大きい腹なのだからもう少し許容量を増やしたいが、据えてしまった脂肪が邪魔をしている。


【波風氏談】こんな風に感情露わな記事がコメ氏から送られくるのは珍しい。波風氏は「盗人から手紙貰うよりは、腹に据えかねるの方がまだマシではありませんか」と返信した。  ※参考ブログ → 1/20公式裏ブログ「盗人から手紙貰う

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