波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

水仙を描く

2020年05月14日 | 図工・調理

 

 

 

雨の降らないうちにと、せっせと描く。間違い直すことのできない筆ペン。憲法前文書いてこの道具の使い勝手に味しめる。黒白だけで何とかする面白さ、かすれも味わい。心の勢いがそのまま出る怖さも楽しみの一つ。

 

外は未だ寒く、厚手のセーター着込み、ひたすら描く。どんな花も人を立ち止まらせるが、このけなげさ、清潔さ、しゃんとした存在感はやはり水仙。2枚描いたうちの一枚。

 

「売ってるものは作れる」って身近な人が教えてくれた。お金にはならないけれど面白い暮らし方や、納得のいく考え方だって、自分で作れるようだしこの歳で借りものじゃ情けない。

 

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あわてず ゆっくり 行こう

2020年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 

アイヌネギ描いて送ったら、水芭蕉の返信。「何せこのような状況で、なかなかその気にならなく(絵を描く)良い機会になりました」、「札幌のパークゴルフ場も閉鎖中でオープンがいつかわかりません。腕が落ちますね ハハハ・・・・」とあった。

        

3日日前に日本最後の桜開花だった当地。庭に一斉に咲いた水仙が嬉しい。天気予報裏切り快晴、外に出て描いてみよう、未だ寒いけれど水芭蕉のお便りに促されてみよう。

        

絵も手紙も、不要不急なものだけれど、こんな時に楽しみながら心をしっかり保つ楽しみ。遠くに住む人とのやりとりも嬉しいことだ。

 

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言葉のケイコ【その参拾参】

2020年05月12日 | 【保管】言葉のケイコ


蜘蛛の糸はなぜ切れた


川龍之介の『蜘蛛の糸』。私が国語を教えていた頃、授業で扱うと必ず子どもたちにしていた質問。生前、盗み殺しなんでもありの大罪人のカンダタは、たった一度一匹の蜘蛛を助けたことで地獄から這い上がるチャンスを与えられる。それこそが釈迦が垂らした一本の蜘蛛の糸。何万里ものはるか上には極楽浄土。それを上るカンダタ。だが蜘蛛の糸は、途中で切れてしまう。私は、問う。「蜘蛛の糸はなぜ切れた?」と。子どもたちは実に様々な意見をくれた。「お釈迦様が愛想をつかせて切った」「自分だけ助かろうと思ったから、極楽にふさわしくないとなって自然と切れた」「蜘蛛がカンダタを見限って切った」など。糸が切れる直前のカンダタの思考と言動は、とても単純だ。自分以外のものを排除して自分だけ助かろうとする。なぜ自分に蜘蛛の糸が垂らされたかなど考えもしない。とにかく目の前にぶら下がった糸を上って極楽に行きたい。そしてその糸は自分だけのものだと信じた。自分だけが救われるべきだと。


「蜘蛛の糸はなぜ切れた?」という問いに、大人ならなんと答えるだろう。この問いは裏返せば、「どうすれば蜘蛛の糸は切れなかったのか」。私たち大人が子どもたちに指し示すべき答えは、こちらではないか。そしてその答えにこそ、私たちの日常と大切な人たちを守るヒントがあるのではないか。私たちが真に「蜘蛛の糸」の意味に気づくことは、難しくはないと思うのだけれど。


公式裏ブログを『もの凄くカッコ悪い人』で更新。検察官僚定年延期は、自分を助けるため自分が糸を垂らして自分が這い上るという実に馬鹿馬鹿しい実話だが、寓話のように是非とも糸が切れて欲しい 波風新聞7号の作成開始。特集は今年度の開店計画。新作ウドン含め今月の読書交流会『ほんのおつきあい』は、5月31日(日)14:00~暖かければ波風食堂で。詳しくは後日ご連絡。デジタル版の読書交流記録は近日中UP。懐かしい方のご参加も。

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『星々の悲しみ』を読む。

2020年05月08日 | 読書

30歳の時に読んだ宮本輝著『星々の悲しみ』。内容はほとんど忘れ、青春、友情、死、みたいなことに触れることがあったら、題名だけを思い出す短編小説。最近、それが何度か浮かんだのはコロナ禍のせい。印象的な表紙絵(佐藤忠良)の文庫初版は字も小さく黄ばんでしまったから、新装版で読む。小説というのは、こんなに気持ちよいものだったんだ。『川三部作』に驚き、30歳前半は宮本輝をずーっと読んでいた。

備校生3人が喫茶店に掛けてあった百号の油絵を盗み出すことが小説の重要な要素だが、その絵は読者の想像に任されている。小説には「ある不思議な切なさが、その明るい色調の底に沈んでいる・・・・少年がひとり眠っていた。少年は麦わら帽子を顔に載せ両手を腹のところにおいて眠りこけていた・・・・初夏の昼下がりらしい陽光がまわりを照らしている・・・・題〈星々の悲しみ〉作者享年20歳」とある。
画像は、画集(鳥海青児)にある『メキシコ人の昼寝』。この小説を最初に読んだ時にすぐ浮かんだ油絵。今回、画集を開き「そうだよ、これだよ」とスキャンした。


子どもはわかってあげない 上下』(田嶋列島作:講談社)読む。急がず騒がず、感情の丁寧な表現 波風立男氏の本棚』を1年ぶりに更新。昨年春からブログにUPしたもの。気が向けば感想書いておきたい。読書交流「ほんのおつきあい」の記録も、このアプリでやればいいかもなあ。

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言葉のケイコ【その参拾弐】

2020年05月05日 | 【保管】言葉のケイコ

  • うちの
    ともちゃん(たった一度の 編)

もちゃんは本当によくできた息子である。休校中の今は寝てるか食べてるかスマホ見てるか(と少しのお勉強)の生活でだらけてはいるが、一緒にいる私に悪態をつくことも鬱陶しがることもほぼない。お互いにイライラすることはもちろんあるが、長く引きずることもない。なんだかんだ仲がいい。これは今に始まったことではなく、小さい頃からそうだった。私の仕事を尊重し、寂しいとか嫌だとかあまり言うことはなく、じっと私の帰りを待っていた。そんなよくできたともちゃんがたった一度私に訴えたこと。それが、「どれだけ帰りが遅くなってもいいからご飯を作って欲しい」ということ。私が忙しさにかまけて3日連続コンビニご飯になってしまったとき、ともちゃんは初めて私にきちんと自分の思いを伝えた。今までどれだけ我慢していたことか。だから私は深く反省し、それ以降よっぽどでない限りは必ず自分で作るようにした。たとえ帰宅が20時を過ぎても、ともちゃんは私の料理を待っていた。

れから5年ほどたったが、ともちゃんは相変わらず私の作るものは黙々と食べる。もちろん今は仕事を離れて余裕もあるから、それだけバランスのいい食事も作ることができる。でもたまに、スーパーのお惣菜を買ってきたっていい。ともちゃんに必要だったのは、「ママがともちゃんのために使う時間」だったのだと今ならわかる。おそらくあと数年で私はその時間を手放さなければいけなくなる。だから今は、毎日ともちゃんのためにご飯が作れることを幸せだと思うのだ。


【波風氏談】『うちのともちゃん』は、ケイコさんの心を時々キューンってわしづかみにする。彼はそれをわかっているのかわかっていないのか。今日は『こどもの日』 画像は、民芸品店で見た『和紙の鯉のぼり』を作りそれを描いたもの。11年前になるんだなあ。

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