波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

崩壊の中の物語づくり

2022年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

人公が先生のTVドラマが浮かばない。随分昔で恐縮だが、夏木陽介『青春とはなんだ』、竜雷太『これが青春だ』、水谷豊『熱中時代』、武田鉄矢『3年B組金八先生』、中間美由紀『ごくせん』も、山田洋次監督『学校1、2、3』も教員時代自分をちらっと振り返る機会だった。少し前まで学園ドラマは番組表に必ずあったし、平成中頃まで先生は小中学生のあこがれの職業ランキング上位。看護師もそうだが教員の人気凋落は目に余る。先生が子どもからも世間からも外される時代が来るとは。

 

風氏は、「先生の仕事、面白かったなあ」と思っている。中学生の時に始まり、高校、大学、教員時代を通じて面白い先生に出会い続けることが出来た。それは『あこがれ』の持続。「卒業式で一瞬流した涙で残りの364日を我慢して働いてしまうのが先生」と言った同僚がいたが、こういう話を教員魂に蓄積しながら俺様先生物語の頁を増やしていく毎日だった。多様性の時代の教師像を創造するのは難しいが、作りがいは昔よりあるはず。


育崩壊の学校が未だ崩れ切らないのは、先生たち1人ひとりが必死にマイ学園ドラマを創造し続けているから。誰が何と言おうと何をされようと。シンプルに言うと、今一番大事なのは「教育ってそもそも何だったっけ?」と「先生という仕事は何が一番大事だったっけ?」という自らの問いかけから始まる、自己創造ドラマの有無。教育論の神髄が『教師論』なのは昔も今も変わらないが、最後の最後に残る先生側からの教育再生の足がかりはそれしかない。
「私のやっていることは間違ってないよね?」と語り合える人間関係を失わず、時々がんばり、時々手を抜く働き方に期待したい。こういうのはTVドラマにならないのかなあ?

 


わかったようなわからないような話になったが、先生たちへのエールのつもり 画像は昨年いただき裏庭で咲いてくれた面白い花。これは絵にして残さなくては晩飯は夏野菜カレー。畑の茄子、ズッキーニ、シシトウ使い、薄皮のミニトマトをライスの横に添えて。

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まどろみの午後

2022年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム

夜中の地震で朝方まで寝られずボンヤリ過ごす旗日の午後。グラッと来たのと緊急放送で目が覚めた、震度2でもこんなに恐いのか。止まない疫病と隣の国の戦に加え、天変地異も。黙っていたら夕食時ぐらいまで昼寝しかねないのでブログ書く。

 

が予想以上に採れ、冷凍したのを毎朝のヨーグルトで楽しんでいる。問題は、親株から最初に伸びた太郎と二郎や三郎のこと(苺の子どもの株をこう呼ぶんだって)。ユーチューブでは、太郎は実をつけないから次郎を育てよというのと、太郎も捨てないで育てよというのがある。さて、どうしたものか?

 

日清の『どん兵衛 鬼かき揚げうどん』、未だに当地のスーパーでもコンビニでも売っていない。たまあに『どん兵衛 天ぷらウドン』はあるが、鬼かき揚げのレベルには及ばない。波風氏大好物の玉葱の天麩羅に加え麺のモチモチ感と面の長さも少し違う感じ。前にもこのブログに書いたが、なぜ当地では売ってないのか。もしかしてこのまま消滅?(参照 本ブログ6/20「『どん兵』箱買い」)。というわけで某通販大手に再購入ポチッとしてしまったよ(笑)

 

内閣改造で『統一教会』に関わる議員を外すと言いながら、最も関わるというか先頭になってウィンウィンの関係だった元首相を『国葬』にするという不思議。税金使うんだから早くこの大矛盾を説明しなさいや。
夏目漱石が、日露戦争で日本中が喜んでいたその最中、車内に居合わせた中年男に日本は「滅びるね」(『三四郎』)と言わせた。国葬を巡る一連の経過知るにつれ波風氏もそんな気分。


昔、統一教会のことで先生たちに聞いてもらったことがある。教え子の入信を知り、先生は『指導』が仕事で『洗脳』はプロ教師でなくペテン。子どもに影響を与えれば与えるほど我が身を疑えと 坪内稔典先生の最近の新聞エッセー『緑陰のおしゃべり』に、スタンドバイミー、井上ひさし、大江健三郎、藤沢周平の名前。 「三月の甘納豆のうふふふふ」「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」なんてのを前から好きだが、もっと好きになった、好きな訳も感じた  画像は今が盛りの紫陽花。去年は全然咲かず腹いせにバツバツ枝を切ったら出るわ出るわ(笑)

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ここまで来た崩壊現象

2022年08月08日 | 新聞感想

生になりたい若者が減り続けているのは、仕事がきついだけでなくつまらないからだ。朝7時に家を出て夜10時に帰る、残業手当も出ない仕事が敬遠されるのは当然。学校がいつの間にか学力テスト対策で追い立てられ、子どもと学校・地域と先生が評価され続けられたら嫌になるのはあたり前。そのうち(もうそうかもしれないが)、先生やってますなんて恥ずかしくて口ごもる時代がそこまで来ている気がする。

べこべ言わずに先生の数をどーんと増やせばほぼ解決するだけの問題。これと学力テスト体制を止めたらこの国の教育問題の大半は良くなる。金のかからない屁のつっぱりばかりやってるうちに、教育と学校の崩壊が始まっている感。
少し前までは、免許持っていて採用試験受けないのが問題だったが免許そのものを敬遠する今、この国の礎=教育の崩れそのもの。教育の根幹になる学校は、教材と子どもと先生で成り立つが、子どもが減り、先生がいなくなるのだから。

こまでこの国の教育の内容(教える内容)も条件(教える先生や学校)も極端におかしくなった分岐点は、15年前の安倍政権による教育基本法(教育の憲法)の「改正」。今更ながら、某宗教団体の教義と重なる改正内容に唖然。

今はまだ、志のある先生たちが学校教育を支えている。小学校の教員採用倍率が1倍切った県が出ているが、中と高だって「どーんと」が無ければ同じになるのは時間の問題。


学力テストの大罪を、書評で書いた『書評という鏡』。教育のデジタル化も、少ない先生、画一化する指導内容、評価の一元化に直結するようだと教育の超崩壊  この頃、詩を読まない。こういう時、使う言葉が楽しくなくなる。絵も描かなくなる。まずいなせっせと三食作ってる。自分の為ならカップウドンや食パンにジャムで済ますのだが。納豆冷やしたタヌキうどん(自家製うどんは冷製も乙)、ホタテ・ズッキーニオイルパスタ、炙りうな丼、ほっけ三枚におろして塩焼き・・・・どれも、畑の収穫物と到来物で教育の無残な話なんか書きたくない。だが、予想超える加速度的な酷さに誰かに言いたい。

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続 お兄ちゃんは貧乏なの? 

2022年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回から続く)マヨさんの教え「売っているものは作れる」で暮らすのは理想。現実的にほとんど無理だが、「どうやるのかな」、「やってみるか」は、お金の問題というより(自分で作った方がお金がかかる場合が多い)、好奇心持ち手足動かし続ける暮らし方が大事と思いたい。同時に消費生活にどっぷり浸かっていることを忘れず、食べていくのが難しい人たちのことを気にしながら暮らしたい。地球上の人間半数の総資産と上位50人ほどの総資産が同じというのはどう考えても変な世界。個人の努力だけで解決できない問題が、目と耳を塞がなげればいくらでもわかるこの頃だ。とりわけ、子ども、女性、老人といった弱い立場の人間が心配。弱い人間にふれあって支える仕事が大事にされないことも。

             ■▲●

話変わって、住宅補修の話。先週、壁の穴を塞ぎ壁紙貼ってもらう。朝ドラ『ちむどんどん』を見ていて、新聞社デスクの俳優が波風氏の若かりし頃の風貌とそっくりで「先生、どうしているかな」と訪ねてくれた教え子がその筋の業者さんだった。そのつてで畳屋さんに表替えししてもらった。先月は玄関入り口に網戸入れた。先々月、ガス台を替えた。業者さんの作業を見ていないような顔してチラチラ見させてもらったが興味深く面白かった。職人さんは誰もが、さっときて静かに仕事する(当たり前と言えば当たり前)。応答は謙虚で礼儀正しい(揃いも揃って)。「良くなりましたね」というとニコッとして嬉しそうだ。打ち直しを頼んだ布団屋さんも、屋根や外壁の塗装の業者さんたちも揃ってそうだった。  
どれも積年の問題ばかりだが、解決すると実に晴れ晴れする。衣食住の中で一番の大事(おおごと)が『住』だが、解決すると衣食とは比べられない満足感。『終いの住み処』という言葉はあるが、終いの食事、終の衣装は聞かないから老人特有の心配事・満足事なのかもしれない。ここらにお金をかけられなくなったら「お兄ちゃんは貧乏だよ」と妹に言わなくては(笑)。


知り合いの葬儀屋さんが、どんなに貧乏でも亡くなった人を一番良い部屋、一番良い布団に寝かせている家は葬儀代を絶対に払ってくれる。逆に、どんなに金持ちでも悪い部屋悪い布団だと払わないことが多いと言っていた 『こうへいくん』のこと、このブログのどこかに書いたが、忘れられない思い出。無くなった母親が身なりや人の噂で人を差別しなかったこと。あのこうへい君は『公平』君と書いたのかもしれないな画像は48年前の文化鍋。波風食堂用に持ち手1ヶ所と蓋のツマミを修理。今年もこれでトウキビご飯を作りたい。                   

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お兄ちゃんは貧乏なの?

2022年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

からのストーレートな質問、「お兄ちゃんは貧乏なの?」。妹は笑っていなかった(涙)。昼ご飯をご馳走した後だったからきっと妹は、「無理しているのでないかなあ、兄ちゃんぶっているのではないかなあ」などど心配しながらトンカツ屋さんで箸を動かしていたのだろう。思い出してみると、「これがおすすめ、美味しいぞ」なんてランチサービスメニューをすすめ、自分はその店で一番安いランチにしていた。食後150円の珈琲もつけずに。そうか、「もうお腹いっぱいだからこれ食べて」と波風氏の前に茶碗蒸し押し出したのはそういう気持ちだったか。

うしてそんなこと聞くのかと訊ねたら、少し間があって「波風家は貧乏だってブログに時々書いているでしょ」とあり、少し笑った後、真面目な顔でこんなことを話した。
食べていくには今のところ困らない、贅沢しなければね。しかし、隣の国が戦争し始めたら我が国も対抗しなければみたいな馬鹿も出てきたり、何かの拍子に事件に巻き込まれたり病気になることもある、蓄えも無いわけでないがそれだって貨幣価値を一気に変えられたりして狡い方々に上手に持って行かれることもある、安心感は全く無いね。

                        ■

先生だから、教え子や保護者から「波風先生のところお金が無くて大変らしいよ」と心配させるのは忍びない。ではお金持ちかというとそんなことは全くない(笑)。年金暮らしというのは、決して増えず一方的に減り続ける貯金通帳に怯えながら暮らすことを実感中(会計は同居開始以来ママヨさんが担当し、波風氏はほぼ関知したことがない)。
ブログで『貧乏』を標榜しているのは素敵だからだ(笑)。無いならないなりに工夫し、ママヨさんの教え「売っているものは作れる」に従って暮らすことは理想。弱い人、貧乏な人の立場を思い公平に接することは波風夫妻の育ち方に根ざしていて・・・・・(書きはじめたら興奮してきて長くなってきたので次回に続かせることにします)


画像は義父が残した鉞。赤錆を落として研ぎ、持ち手に胡桃オイル塗る。使い道浮かばないが、開拓の精神を捨てたり汚れたままに放置するのは嫌だ 業者さんに畳の表替え、穴あき壁の補修してもらう。このとても嬉しかった話はブログで書いておきたい。業者作業中に、車の清掃・ワックスがけ3時間、こんなに徹底的に愛でたのは人生初  マンガ『ゴールデンカムイ』全31巻買い読み始める。

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