電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

片岡義男『なにを買ったの? 文房具。』を読む

2018年06月27日 06時01分29秒 | -ノンフィクション
人間ドックのおともに、肩の凝らない本を借りようと図書館にでかけ、片岡義男著『なにを買ったの?文房具。』というのを見つけて来ました。2009年に東京書籍から刊行されており、カラー写真をふんだんに使い、著者の文房具観をまじえて紹介されます。登場する文房具はほとんどが舶来製品で、このあたりは著者の嗜好性の現れでしょう。

  • 鉛筆、鉛筆削り、消しゴム
  • 色鉛筆、クレヨン、色チョーク
  • 輪ゴム、定規
  • ボールペン
  • ルーズリーフ、ノートブック
  • カード、封筒
  • 紙クリップ

  • ステープラー
  • ハサミ
  • 切手帳

こうした文具を写真で眺めながら、ふと思ってしまうのは、ツバメノート以外には私の趣味嗜好と重なるものはない、という点です。ボールペンはパーカーのジョッターではなく三菱のジェットストリームやパワータンクを愛用していますし、鉛筆と消しゴムで原稿を書いたり推敲したりするよりは、パソコン上のテキストエディタで済ませたい方です。著者には申し訳ないことながら、接点は限りなく少ない本でした。



ただし、一つだけ共感したのは、ノートブックを大量に購入して保管している点。なんと、本棚にいっぱい十年もののノートが並んでいるらしい。まあ、著述を業とする人には大事な商売道具の一つでしょうから、ある意味では当然のことなのですが、いろいろなノートが本棚にたくさんストックされ、よりどりみどりで選べるというのは羨ましいかも(^o^)/

でも、私の場合、いろんなノートに数ページだけ書き散らして、あちこちに放置してしまいそうだなあ(^o^;)>poripori

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小林龍生『EPUB戦記』を読む

2018年04月26日 06時04分40秒 | -ノンフィクション
慶応大学出版会より2016年夏に刊行された単行本で、小林龍生著『EPUB戦記』を読みました。「電子書籍の国際標準化バトル」と副題にあるとおり、要するにEPUB規格に縦組みやルビなど日本語の組版規則を組み込もうとした努力の内幕ものです。

著者の名前は、なんとなく記憶にあります。MS-DOSの時代に、雑誌「月刊アスキー」誌で黒崎政男氏と対談していた人ではなかろうか。調べてみたら、1992年の9月号に、「哲学者クロサキのMS-DOSは思考の道具だ《番外編》」で、ジャストシステム社員として登場していました。




本書でなるほどと思った箇所は、たとえばこんなところでしょうか。

「日本語の縦組をぜひ」では世界標準にならない。それが認知されるには、
(1)日本をはじめ東アジアに強いニーズがあり、
(2)文化的・商業的勝ちのある縦組の機構が
(3)技術的整合性を損なわず、実装・実行上の負担にもならない
(4)仕様化のために余計な時間をとらない
ということを納得してもらわないと同意がもらえない。(p.160)


本全体の中身については、「へぇ〜、そうなんだ〜」というレベルの感想にしかなりませんが、電子書籍の可能性について、昔ほど夢を持たなくなっていますので、熱烈な感動とは程遠いものです。例えば様々なライトノベルの縦書きPDFファイルをダウンロードして携帯端末で読める便利さは理解できますが、それはそれとして、やっぱり紙の本の魅力にはかなわないと感じてしまいます(^o^;)>poripori

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共同通信社原発事故取材班『全電源喪失の記憶』を読む

2018年03月31日 06時04分51秒 | -ノンフィクション
新潮文庫の新刊で、『全電源喪失の記憶〜証言・福島第1原発〜日本の命運を賭けた5日間』を読みました。共同通信社原発事故取材班・高橋秀樹編著となっているとおり、地元紙・山形新聞に配信されていた連載が元となり、単行本として刊行されて、このたび文庫化されたもののようです。本書の構成は次のようになっています。

第1章 3.11
第2章 爪痕
第3章 1号機爆発
第4章 制御不能
第5章 東電の敗北
第6章 選択
第7章 反転攻勢
第8章 1F汚染
最終章 命

東日本大震災の後、津波被害の惨状に息を呑み、停電が復旧し少しずつ報道が増えていた中で起こった、リアルタイムに全国が注視する中での原子力発電所のメルトダウン。責任ある地位にいた人たちの右往左往は今もほぼ記憶に残っていますが、現場ではどんな状況だったのか。全電源を喪失した福島第一原発で、状況を把握し対応するために必死の努力が続けられていたことがよくわかりました。「不幸中の幸い」という言葉が想起されますが、まさしくわずかな偶然と幸運によって、かろうじて東日本壊滅という事態を免れたこと。原発事故をローカルな事故とみなすのは大きな誤りだということが実感されます。

今にして思えば、非常電源設備が地下にあったこととか、そもそもの立地の海抜高度が低すぎたこととか、津波や地震国における想定が弱い米国製の設計など、問題点が悪い方に重なっていた点が目に付きますが、それにしても原発事故というものが、いわゆる「事故」とは質的に異なることがよくわかります。



毎年、3月には東日本大震災の特別番組がTV等で放送され、新聞や雑誌等でも特集が組まれ、ブログ等でも追悼の記事が多くなります。様々な明暗はあれど、津波の被害からは少しずつ立ち直り、復興の動きも進んでいるようです。しかしながら、福島第一原発の周辺は必ずしも同じ歩みとは言えず、むしろ沿岸被災地の希望が増すにつれて、原発立地地域の見通しの困難さが際立ってくるようです。明治150年が喧伝されるときに、過酷な会津処分を受けた隣県・福島県の未来を思うにつけても、あまりにも踏んだり蹴ったりではないかと、この事故の意味を考えこんでしまいます。

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池上彰『高校生からわかる原子力』を読む

2018年03月07日 06時05分19秒 | -ノンフィクション
私が原子力について書かれた本を読んだ最初の記憶は、たぶん小学校高学年の頃、母方の実家で接した『少年朝日年鑑』昭和29年版でしょう。ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験と第五福竜丸の被曝が大きな社会問題となった年の年鑑で、モノクロの写真と報道記事とともに、原爆と水爆の違いやアイソトープなどの解説が子供にもわかるように平易に書かれていました。この時には、父親がヒロシマで救援活動に従事し入市被爆したことなども承知しておりましたので、原子力の恐ろしさ、人間の手に負えないほどのエネルギーと死の灰の危険性を知りました。その後、中学〜高校と科学少年の時代を過ごしましたが、原子核エネルギーを解説してくれた物理の先生の影響も受けることなく、むしろ放射性廃棄物の始末もできない原子力エネルギーというのは不完全な技術なのだろうと感じて、疑いの目で見ていました。ただし、技術的な知識はあったものの、社会的・歴史的な背景についてはまるで理解がいたらず、大人になってようやく、池上彰著『高校生からわかる原子力』を読んでいるところです。

本書の構成は次のとおりです。

第1講 爆弾に使われた原子力
第2講 世界で最初の原爆投下
第3講 核開発競争始まる
第4講 原子力の平和利用へ
第5講 日本は原発を導入した
第6講 日本も核保有を検討した
第7講 拡散する核の脅威
第8講 原発事故と反対運動
第9講 悪戦苦闘の核燃料サイクル
第10講 原発に未来はあるか?

ここで、当方にとって興味深いのは、第4講と第5講でしょうか。第五福竜丸事件を経て、反米的な空気の高まりを抑えたい米国側の意思を受けて、改進党の中曽根康弘議員が莫大な原子力研究予算を国会で認めさせた、ということのようです。日本学術会議が調査機関の設置を勧告提案していた時期に、巨額予算を付けて、いわば札束で学者たちをひっぱたいたみたいなものでしょう。まさしく「見切り発車」のような事態で、放射性廃棄物問題はすでにここから始まっていたというべきでしょう。



以後の歴史の動きは記憶に残るものが多くあり、なんだかほろ苦いものがあります。

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鴻上尚志『不死身の特攻兵・軍神はなぜ上官に反抗したか』を読む

2018年02月05日 06時02分09秒 | -ノンフィクション
新聞の書評で知った講談社現代文庫で鴻上尚志著『不死身の特攻兵・軍神はなぜ上官に反抗したか』を読みました。2017年11月刊ですので、まだ発売間もないのに1月で第7刷となっています。売れているようです。たしかに、私も興味深く読みました。

本書の構成は、次のようになっています。

第1章 帰ってきた特攻兵
第2章 戦争のリアル
第3章 2015年のインタビュー
第4章 特攻の実像

第1章は、生き残った特攻隊員を集め、軟禁した特攻隊振武寮についての本の衝撃と、この本に書かれた陸軍の佐々木友次伍長の話を中心にしています。何度も特攻に出撃し、その都度生きて帰還した人の話です。その佐々木さんが、高齢ではあるが存命だと知り、北海道にインタビューに出かけます。
第2章は、佐々木友次さんの生い立ちと飛行機乗りになる話から。陸軍で岩本益臣隊長と出会い、大きな影響を受けます。大本営作戦課で考え、航空本部が決めた特攻作戦。跳飛爆撃といって、爆弾を一度海面で跳ね返らせ、艦船の横腹にぶつけることで貫通破壊する方法を主張し実践・教育していた岩本大尉を狙い撃ちして、陸軍初の体当たり部隊の隊長が指名されます。このあたりは、専門的技量の高い、自説を頑固に主張する部下を厄介視する上部組織の悪意と意地悪でしょう。岩本大尉と新妻との別れは悲しく、儀式好きの司令官の命令によって、挨拶のために飛ぶことになった岩本大尉は、フィリピンの空に散ります。
こんどは佐々木伍長の番です。岩本大尉は苦悩の末、訓練の努力と飛行技術の否定である体当たりを回避すべく、落とせないようになっている爆弾をワイヤーで手動で落とせるように現地で改造してもらっていました。佐々木伍長はレイテ湾で揚陸艇を攻撃しますが失敗、帰還すると自分が戦艦を体当たりで沈めたことになっていました。大本営が天皇に上奏したことは訂正できないので、今度こそ死んでこいと、参謀長は出撃を命じます。佐々木伍長は大型船を爆撃し、再び帰還。そんな繰り返しの中で司令官は台湾に逃亡します。そして敗戦、帰国復員。
第3章:92歳の佐々木友次さんへのインタビューの記録です。「下士官だから帰って来れた」。岩本大尉や出丸中尉は立場が違う、と。名誉やプライドが、組織の中では抜き差しならない立場に追い込んでしまうことがあります。特攻で亡くなった人の家族からも、「一兵卒」には何も言われない。別の特攻機に乗り換えても、整備兵はちゃんと爆弾をワイヤーで操縦できるようにしてくれていた。父親が日露戦争で「金鵄勲章で帰ってきたんだから、俺も帰れるわと、そういう気持ちは充分あった」という話も。「空を飛ぶことが大好き」で、岩本大尉の「死ぬな」という思いと命令、父親の経歴と言葉、飄々とした性格など、様々なものが支えとなったのでしょう。
第4章、ここは著者の解釈と考えです。最も印象的だったのは、「当事者でない人間の怖さ」(p.285)でした。多数の予科練出身者の中で、ただ一人特攻体験があった人がインタビューを受け、志願の実態や正直な気持ち・苦悩を答えると、集まった人たちから「取り消せ!」と面罵されたというのです。特攻体験をした人に向かって、体験しない人が面と向かって罵倒するという異常。自分の解釈こそ正しいと信じる人が、意に沿わぬ発言をする人を攻撃する。現代でもありうる状況だけに、怖いものがあります。



多くの人を生かそうとする国や組織は栄えるでしょうが、多くの人を死なせる国や組織はやがて廃れます。大局的には、そういうことでしょう。特攻戦術を採用した参謀本部・大本営は、おそらく頭の良い人が集まっていたのでしょうが、当面の戦局をどうするかを考え、大局的な立場に立つことはできなかった(*1)、ということなのでしょう。

(*1):牧原憲夫『民権と憲法~日本近代史(2)』を読む~「電網郊外散歩道」2017年4月

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加藤浩子『ヴェルディ~オペラ変革者の素顔と作品』を読む

2017年07月27日 06時04分01秒 | -ノンフィクション
平凡社新書で、加藤浩子著『ヴェルディ~オペラ変革者の素顔と作品』を読みました。老母の入院手続きや検査などでやけに待ち時間がありますので、手頃なサイズの未読の本を物色していたところ、2013年5月に新刊で購入したままだったこの本(*1)が目についた次第。初版第1刷です。

著者の本については、これまでも何冊か読んでおり、とくに『黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ』(東京書籍)はおもしろく読みましたし、辞書代わりに便利に使っている面もあります。さて、今回の本はどうか。

本書の構成は、次のようになっています。

序章 ヴェルディ、その「完璧」なる人生
第一部 人間として 作曲家として
 第1章 宿屋の息子~家計と家族
 第2章 人生の同志~二番目の妻ジュゼッピーナ・ストレッポーニ
 第3章 事業への意欲~農場主ヴェルディ
 第4章 「憩いの家」と病院の建設~慈善家ヴェルディ
 第5章 「建国の父」という神話から祖国統一運動とヴェルディ
 第6章 「泣けるオペラ」の創造~作曲家ヴェルディ
 第7章 作曲家の覇権の確立~劇場人ヴェルディ
第二部 現代に生きるヴェルディ
 第8章 ヴェルディ上演の現在
 第9章 今聴きたいヴェルディ歌手・指揮者
 第10章 イタリア人名演奏家・芸術監督、ヴェルディを語る
第三部 ヴェルディ全オペラ作品
 第11章 群衆ドラマと心理劇の間で~前期作品
 第12章 メロディとドラマの融合~中期作品
 第13章 壮大なる葛藤~後期作品
 第14章 シェイクスピアが開いた新しい道~晩期作品
 第15章 オペラ以外の代表的作品

本書は、政治とヴェルディにまつわる「神話」を解きほぐし、人間ヴェルディの苦難と成長、音楽と作曲家としての成長、劇場人としての成功と事業家としての面などを記述しながら、主要作品の魅力と現代における上演・演奏の現状を紹介したものです。新書というコンパクトな形態ではありますが、内容はぎっしりとつまっており、読みごたえがあります。何よりも、ヴェルディ愛があふれています(^o^)/



ちなみに、私がこれまでテレビ放送やLD/DVD等で複数回観た(聴いた)ヴェルディのオペラ作品は、著者の区分に従えば、次のようになっています。

  • 前期作品……「エルナーニ」
  • 中期作品……「ルイザ・ミラー」「リゴレット」「ラ・トラヴィアータ」
  • 後期作品……「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」「ドン・カルロ」「アイーダ」
  • 晩期作品……「オテロ」

ふーむ。そういえば、まだ「ファルスタッフ」は観たことがありませんし、まだまだ楽しみは尽きないということか。一番好きな作品はといえばやっぱり「ドン・カルロ」ですが、楽しんだ回数からいえば「トラヴィアータ」かもしれません。今、たっぷり時間があるならば、「シモン・ボッカネグラ」あたりを取り出したいところです。

(*1):今度の通勤ルートには〜「電網郊外散歩道」2013年5月

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稲川實『西洋靴事始め~日本人と靴の出会い』を読む

2017年05月16日 06時05分33秒 | -ノンフィクション
2013年に現代書館から刊行された単行本で、稲川實著『西洋靴事始め~日本人と靴の出会い』を読みました。坂本龍馬が西洋の靴をはいて写真を撮っている例はありますが、基本的に江戸時代は西洋の靴とは無縁です。明治維新・文明開化と共に、特に軍隊の近代化の影響で、西洋の靴が普及したのでしょう。では、その嚆矢となったのは誰で、どんな経緯で靴が普及したのか。ちょいと興味深いものがあります。

本書の構成は、次のとおりです。

第1章: 西洋靴事始め
第2章: 伊勢勝とレ・マルシャン
第3章: 明治・大正靴事情
第4章: 軍靴の響き
第5章: 向島の西村勝三像
第6章: 西村記念室の至宝
第7章: 靴業の先人たち
第8章: 靴商売百花繚乱

業界団体の機関紙に著者が連載した記事をまとめた本書は、日本の靴業の祖を、千葉県佐倉の人・西村勝三(1836~1907)とし、彼が洋靴製造を近代産業に育て上げ、今日の靴産業の礎を築いたと評価しています。明治3年3月、築地入船町に軍靴製造所を開業し、当初は香港で靴製造業に従事していた清国人の藩浩(はんこう)を雇って靴工を養成していましたが、明治5年からはオランダ人のF.J.レ・マルシャンやプロシャ人ボスケ等を雇い、指導に当たらせたとあります。ただし、あくまでも日本に来ていた靴職人を雇った形であり、長州ファイブが密航留学してご縁ができ、ウィリアムソン教授らの推薦を得て招聘することができた理化学関係のお雇い外国人教師とは違うようです。

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祖父の本で『リーダーズダイジェスト選集:世界のベストセラー16編』を読む

2017年05月12日 06時01分44秒 | -ノンフィクション
母屋のリフォームのために書棚を整理していたときに処分し残した本の中から、『リーダーズダイジェスト選集:世界の名作16編』を手に取り、読み返してみました。この本は、わが祖父のためにその弟(大叔父)の一人が贈ってくれたものらしいです。そういえば、子供のころに『リーダーズダイジェスト』というB6判くらいの小冊子が毎月送られてきていましたが、あれも大叔父が兄のために送ってくれていたもののようでした。



1957年当時の世界のベストセラーを要約し、単行本としてまとめた本書の内容は、次のとおりです。

  • 楽園に生まれて  フォン・テンプスキー
  • 皇太子と私    エリザベス・ヴァイニング
  • 白光に輝く天才  C.B.ウォール
  • コンチキ号漂流記  トール・ヘイエルダール
  • 1ダースなら安くなる  F.B.ギルブレイスII世他
  • 一天才と共にした冒険  アレイン・アイルランド
  • 草原に生きる   ラルフ・ムーディ
  • 天から降ってきた1セント  マックス・ウィンクラー
  • 秘境に降りた婦人部隊員  M.ヘースティングス
  • 名犬物語     ジョン T. フット
  • 死よ驕るなかれ  ジョン・ガンサー
  • 私はモントゴメリー原水の身代わり  クリフトン・ジェームズ
  • 新米おやじ活躍記  ジョン・ファント
  • 卵と私      ベティー・マクドナルド
  • 海のロマンス   レイチェル・カースン
  • トレーラー自動車放浪記  クリントン・トゥイス

たしか、初めて読んだのは中高生の頃だと思いますが、目次を見ただけでパッと記憶が甦るものがいくつかありました。よほど印象が強かったのでしょう。



今の視点でとりわけ注目されるのは、「皇太子と私」でしょうか。これは、現在の平成の天皇陛下がまだ皇太子だった頃、1946(昭和21)年に、昭和天皇の依頼でアメリカ人の家庭教師エリザベス・ヴァイニング夫人が招かれて来日した際に経験した四年間の回想記です。
侍従の顔色をうかがっていたローティーンの皇太子が、日本語を全く使わない英語のレッスンを通してアメリカ流のスタイルを身につけて行く。同級生と隔意なく親しんだり、同年代の外国人の子供たちと交流したりする中で、それまで宮内省の役人たちがしきたりとして押し付けていたものから少しずつ離れ、自由の価値を見出して行く、そういうエピソードが続きます。少年皇太子が占領軍のマッカーサー司令官と面会する際の様子は、自立しようとする少年の意識の中に、敗戦国の未来を見ようとする目が感じられるようです。

『死よ驕るなかれ』は、内幕ものの作家ジョン・ガンサーが、脳腫瘍に侵された息子の闘病のようすと、その精神の輝きを記録したものです。まさしく同年代の頃に本書を読み、大きな影響を受けました。要約ではなく全文を読みたいと、岩波新書の『死よ驕るなかれ』を購入したのは、たしか高一の頃ではなかったか。
今思えば、脳腫瘍の診断と治療はずいぶん進歩し変化しているのだろうとは思いますが、子どもが病気になりそれを見守る立場になった親の心情は、時代や洋の東西を問わないものでしょう。主人公である若者の立場ではなく、親の視点から読み返し、思わずホロリとなり、また厳粛な気持ちになりました。



1957年の刊行から2017年の現在まで60年。読み返してみて、実に感銘深いものがありました。

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牧原憲夫『民権と憲法~日本近現代史(2)』を読む

2017年04月27日 06時02分30秒 | -ノンフィクション
当ブログのカテゴリー「歴史技術科学」の関連で、日本の近現代史に関する本を探して少しずつ読んでいますが、岩波新書の「日本近現代史」シリーズの第二巻、牧原憲夫著『民権と憲法』を読みました。本書の構成は、次のとおりです。

はじめに
第1章 自由民権運動と民衆
第2章 「憲法と議会」をめぐる攻防
第3章 自由主義経済と民衆の生活
第4章 内国植民地と「脱亜」への道
第5章 学校教育と家族
第6章 近代天皇制の成立
おわりに

全体としては、自由民権運動の敗北と帝国議会の開設、近代天皇制の成立に至る流れを概観するものですが、当方の視点でみるとき、お雇い外国人教師の負の側面として、参謀将校を養成する陸軍大学校での教育のあり方を指摘する箇所に興味をひかれます。

参謀将校養成の陸軍大学校で教官となったドイツ軍人メッケルは、兵器よりも精神力を、論理よりも実戦を重視する戦術家だった。与えられた情報をもとに当面の作戦・戦闘を組み立てれば合格できる戦術教育だけで、戦略的な構想力を養ったり、錯綜する情報のなかから重要なものを選び出し総合的に判断するような教育は行われなかった(p.174)

破格の高給を取るお雇い外国人教師の資質について、リービッヒ流の実験室教育の洗礼を受け、ウィリアムソン教授らの推薦を受けて来日したアトキンソンやヘンリー・ダイアー、ダイヴァースといった人々を迎えて現代に通じる基礎を築くことができた幸いと、情報や補給を軽視し、戦略的思考の欠落が指摘される陸軍大学校の教育の不幸と後年の惨憺たる結果を、思わずにはいられません。

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ロバート.D.エルドリッヂ『トモダチ作戦~気仙沼大島と米軍海兵隊の奇跡の"絆"』を読む

2017年03月20日 06時05分04秒 | -ノンフィクション
集英社文庫の2月の新刊で、ロバート.D.エルドリッヂ著『トモダチ作戦~気仙沼大島と米軍海兵隊の奇跡の"絆"』を読みました。著者は、1968年に米国に生まれ、大学卒業後にJETプログラム(*)で来日し、神戸大学大学院を修了したという経歴からわかるように、日本通の政治学博士にして米軍海兵隊の政務外交部次長の職にあった人のようです。
本書の構成は、次のとおり。

序章:3.11東日本大震災と「トモダチ作戦」
第1章:被災した大島
第2章:大島に派遣された第31海兵遠征部隊
第3章:第31海兵遠征部隊の救援活動
第4章:ホームステイプログラム(2011年8月)
第5章:大島・海兵隊の関係(2012年)
第6章:大島・海兵隊の関係(2013年)
第7章:大島・海兵隊の継続した関係(2014~2016年)

前半の章は、東日本大震災で被災した地域の救援に向かうまでと、実際に救援に当たった海兵隊と被災地の人々の様子を描くものです。そして後半は、救援活動に当たった海兵隊員と島の人々や子どもたちとの交流を描きます。

当時のニュース等で、島の人々が海兵隊の救援活動に感謝し、海兵隊員たちが島の人々にとって思い出の品となるものを泥の中から一つ一つ選り分けてくれている様子などを見聞きして、強く印象に残っておりました。しかし、その後のホームステイプログラムや交流の様子などは、今回初めて知りました。どことなく軍人らしからぬ発想も、著者の経歴を知ればなるほどと思えますし、プロジェクトが突然中断されることになって辞表を出すところなども、心情的にはよく理解できます。

集英社文庫のために書き下ろされたという本書は、公共政策の研究者であって軍外交部の職員でもあるという著者の特色が強く出ているところはありますが、なかなか興味深いものがありました。

(*):JETプログラムとは~Wikipediaによる解説

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井沢省吾『エピソードで読む日本の化学の歴史』を読む

2016年09月20日 06時01分03秒 | -ノンフィクション
秀和システム社から2016年1月1日に刊行されたばかりの新刊で、井沢省吾著『エピソードで読む・日本の化学の歴史』を読みました。著者は1958年生まれで、自動車部品会社でプラスチックの成形加工技術の研究開発に従事したという経歴を持つ人のようで、多方面にわたる博学を披露しています。光触媒によるセルフ・クリーニングなど、随所に光関係の記述が見られて、興味深いものです。

本書の構成は、次のようなものです。

第1章:黄金の国ジパングに錬金術はあったのか?~江戸時代前の日本の化学
第2章:花のお江戸に化学者がいた!~江戸時代の日本の化学
第3章:成功するまで、根性で実験をやり続けた偉人たち~明治~第二次世界大戦の日本の化学
第4章:元気をくれたノーベル化学賞受賞者の奮闘~戦後の日本の化学
第5章:ユネスコ無形文化遺産に登録された日本の伝統化学技術~和紙と和食の化学
第6章:注目される未来の化学~日本がリードする光化学など

江戸時代の蘭学者の活動をもって、江戸時代の日本に化学があったとするのは、いささか評価が甘すぎるのではないかと思いますが、明治~大正期の黒田チカ、丹下ウメさんらの記述はたいへん詳しくかかれています。特に、同年に東北帝国大学理学部に入学した女子は3名であった(*1)こと、もう1人の牧田らくさんは、数学科を卒業後に画家の金山平三と結婚し、彼の画業を支えたことは、本書で初めて知りました。

金山平三画伯(*2)といえば、昭和20年、以前からスケッチのためにたびたび訪れていた山形県北村山郡横山村の村長をつとめた寺崎家に疎開しており、その縁で大石田町や天童市などに金山平三画伯の絵が残されているらしいことは承知しておりました。寺崎家とわが家は姻戚関係がありましたので、画伯が梨の花が好きでよくスケッチしていたことや、夫人が才媛で理学博士であったことなどを伝え聞いておりましたが、まさか日本初の女子帝大生3名のうちの1人であったとは、初めて認識しました。実に興味深いご縁です。



本書には、実験室の歴史に関する記載はありませんでしたが、「2050年の化学はどうなるのか?」という未来予測がおもしろかった。とくに、

中国をはじめとする東アジアの諸国は著しい経済発展を遂げ、科学分野にも進出して来ますが、ノーベル賞級の独創的な研究はあまり発展しないと予測されます。その理由として、独創的な成果を生むには自由闊達な研究環境が必要とされるのに対して、東アジアの儒教的な上下関係や中国の専制的な政治体制が災いするとしています。(p.255~7)

という見方が、本質的で興味深いところです。

(*1):これまで、化学科の大先輩であった黒田チカさん、丹下ウメさんの二人だけだと勘違いしておりました。
(*2):金山平三~Wikipediaの解説

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李登輝『台湾の主張』を読む

2016年09月09日 06時00分53秒 | -ノンフィクション
人畜無害の仙人を自覚する私が、現代の政治家の本を読もうと思い立つことは、まずありません(^o^;)>poripori
同じ化学出身ということで、英国の「鉄の女」サッチャーの自伝に興味を持ったことはありますが、図書館であの厚さに恐れをなして、ついに手にすることはありませんでした。そんな私が、なぜ台湾の元総統の本なんぞを読もうと思ったのか。それは、映画「KANO1931~海の向こうの甲子園」を観たり(*1)、あるいは温又柔著『台湾生まれ日本語育ち』を読んだり(*2)したことで台湾の複雑な近現代史に興味を持ったことに加え、日本語に堪能な元総統の青年期の自己形成への興味、すなわち植民地台湾から宗主国日本の帝国大学へ留学し、政治家として中国と米国と日本とアジアの狭間で自立を目指した人物の来歴と考えを知りたいと思ったからでしょう。いわば、生身の人物への興味、子供の頃に読んだリンカーンやガンジーへの興味と同種の関心です。1999年に刊行された本書は、台湾総統現役時代の本です。構成は、次のとおり。

第1章 私の思想遍歴
第2章 私の政治哲学
第3章 台湾の「繁栄と平和」の原動力
第4章 いま中国に望むこと
第5章 いまアメリカに望むこと
第6章 いま日本に望むこと
第7章 台湾、アメリカ、日本がアジアに貢献できること
第8章 二十一世紀の台湾
あとがき

いやはや、まさに政治的な立場が明確な主張です。でも、当方にはこうした本を日本語で書いてしまうほどの日本語力がどのようにして培われたのかを知ることの方が、実は興味深いものがあります。その意味では、第1章:「私の思想遍歴」がいちばん興味深いかも。ここでは、比較的恵まれた家庭に育ったこと、父が買ってくれた『児童百科辞典』のこと、自我の目覚めとそれを抑制する克己心を養う日本思想の影響、中国文化の弊害に対する反省、農業経済学を通じた数量的な見方、アジア的生産方式と毛沢東「聯合政府論」、台湾にやってきた国民党政府による「2.28事件」、キリスト教、土地問題と孫文、台湾のアイデンティティ、停滞社会からの脱出、などについて、「台湾は台湾だ」という立場から、かなり率直に語っています。

こうした考え方の基礎のかなりの部分が養われたのは、実は日本統治時代のオーソドックスな教育~公教育を経て高等学校から京都帝国大学へと進み、その後の台湾大学、米国のアイオワ州立大学とコーネル大学に学んだ経験からでしょう。京都帝国大学農学部農業経済学科での卒業論文に、「台湾の農業労働問題の研究」というテーマを選んだ背景には、マルクス経済学の影響が濃厚にあるようです。しかし、農業経済学を数量的に扱い農業政策を考える中で、地権の分配、土地で働く人に土地を与える方が、土地で働かない者に土地の所有を集中させるよりも生産性を上げることができるが、農業問題は農業だけでは解決せず、工業化を急ぐあまり農業と非農業を無理に分離してはならないという方向に進んで行った、と考えられます。それが、経歴に似た要素がある蒋経国総統に重用されるようになっていった理由の一つだったのでしょう。

(*1):映画「KANO1931~海の向こうの甲子園」を観る~「電網郊外散歩道」2015年3月
(*2):温又柔『台湾生まれ日本語育ち』を読む~「電網郊外散歩道」2016年4月

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ひのまどか『モーツァルト~作曲家の物語』が新潮文庫で刊行されていた

2016年07月27日 06時04分56秒 | -ノンフィクション
かつて、リブリオ出版から刊行されていた「作曲家の物語」シリーズから、ひのまどか著『モーツァルト』が文庫化され、新潮文庫の中の一冊として刊行されていることがわかりました。奥付を見ると、平成28年1月1日付けとなっています。たまたま入った書店で見つけたもので、喜んで購入してきました。

調べてみると、ひの・まどかさんの本は、これまでも『ハイドン』、『ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ~嵐の時代をのりこえた「力強い仲間」』、『シューベルト』(*1)、『戦火のシンフォニー~レニングラード封鎖345日目の真実』(*2)など、ずいぶん興味深く読んでいます。今回のモーツァルトの本は未読でしたので、まことにありがたい。他の『ハイドン』や『シューベルト』、ロシア五人組の本なども、ぜひ文庫化してほしいところです。

(*1):ひの・まどか『シューベルト』を読む~「電網郊外散歩道」2008年8月
(*2):ひの・まどか『戦火のシンフォニー~レニングラード封鎖345日目の真実』を読む~「電網郊外散歩道」2014年8月

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山住正己『日本教育小史~近・現代~』を読む

2016年07月01日 06時04分54秒 | -ノンフィクション
岩波新書の黄版で、山住正己著『日本教育小史~近・現代~』を読みました。1987年に刊行された本書は、今からほぼ30年前の本ですが、当ブログの「歴史技術科学」カテゴリーに関連する戦後の動きをコンパクトに知る目的で、久しぶりに手にしたものです。著者は1931年生まれの東京都立大教授(当時)で、内容的には教育をめぐる政治の動きや事件が多く扱われ、当方の興味関心の方向とはかなりずれているようですが、それでも多方面に拾い上げられた事実に関しては参考になる点が多くあります。



本書の構成は、次のとおり。

I. 開国・維新と教育
II. 近代化の推進と教育勅語体制
III. 軍国主義の加速する歩み
IV. 戦後教育改革
V. 教育の保守化と高度経済成長

当方の興味関心の点から注目したのは、次のような記述でした。

まず、学校建築の画一化が起こった時期についてです。明治初年に建てられた各地の小学校は、開智学校や朝陽学校など、それぞれに個性的なものです。ところが、現在の小学校は、大部分が似たようなつくりになっています。この点について、本書は1891年に制定された小学校設備準則において校地・校舎の基準や備えるべき教具の種類などを指示したころから、20世紀に入るあたりで、北側に廊下、南側に教室という兵舎スタイルの類型化が進行した、としています。20世紀の始まりは1901年、この年は明治34年にあたります。それまでの1県1中学校の縛りが取れて各地に中学校が設置され、少し前の徴兵令の改正の影響もあって、中学校への進学率が上昇していた頃でしょう。たぶんに学校建築の負担に対する、財政的な理由からではなかったかと思われます。

また、敗戦後の一般的認識の実情も興味深いものがあります。東久邇宮内閣における文部大臣、前田多門によるラジオ放送が、当時の代表的な考え方をよく伝えているように思います。

■8月27日「少国民の皆さんへ」
先生に教わった事を暗記するのではなく、常に頭を働かせて「ハテナ、その訳は」と自分で一応考えてみて、解けないところはよく調べて本当に自分の考えを練るのが知恵を磨くことであります。
■9月10日「学徒に告ぐ」
目先の功利的打算からではなく、悠遠の真理探究に根差す純正な科学的思考や科学常識の涵養を基盤とするものでなければならぬ。換言すれば、高い人間的教養の一部分として科学の重要性を認めたい。
■11月、前田文相、係官を各地に派遣し科学教育の実体を究明。×科学の軍国主義への従属、×国民的基盤の欠如。
「科学教育の目的について、科学精神を啓培して合理主義的・実証主義的心構えを国民生活に浸透させ、国民の教養を刷新向上して新日本文化の礎石を創成すること、近代科学がその本質において民主主義と密接不可分の関係にあることを明らかにするところにあるとしていた。」
(以上、p.152~2)

国によっては、統計数字がでたらめで、支配者あるいは独裁者の気にいるように勝手に改ざんされ、報告され、集計されていました。戦前の日本が良い例ですし、アマルティア・セン教授が指摘するインドのベンガル地方の大飢饉や、スターリンのロシア、中国の新五カ年計画で多くの餓死者を出した例、あるいは現代でも中国の李克強首相が自国の統計数字はいくつかの指標を除いては信用できないと述べたと言われるなど、たくさんの事例を挙げることができます。これに対して現代の日本では、例えば統計数字の正確さに対する献身と信頼(*1)が、広く国民的意識として存在すると言ってよかろうと思います。戦前に比較して、戦後のこの大きな変容は、おそらく前田文相のような意識がかなりひろく受け入れられたからなのでは。

(*1):映画「武士の家計簿」で描かれていたのも、まさにこの例。

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内田義雄『武士の娘~日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』を読む

2016年06月28日 06時04分07秒 | -ノンフィクション
講談社+α文庫で、内田義雄著『武士の娘~日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』を読みました。本書は、『鉞子(えつこ)~世界を魅了した「武士の娘」の生涯』という題で、2013年に単行本として刊行された評伝が、題名を変更して文庫化されたもので、オリジナルの杉本鉞子著『武士の娘』(大岩美代訳・ちくま文庫)は、残念ながら県立図書館にも配架がありません。それはともかく、本書の構成は次のとおり。

序章:エツ・イナガキ・スギモト
第1章:幕末維新に翻弄される父と娘
第2章:戊辰戦争と明治の稲垣家
第3章:婚約そして東京へ
第4章:空白の五年間
第5章:アメリカへの旅立ち
第6章:フローレンス・ウィルソン
第7章:帰国
第8章:賞賛された「不屈の精神」
第9章:協力者の死と戦争への道
第10章:鉞子が遺したこと
終章:黒船(The Black Ships)

本書を読み、はじめて知ったことがたくさんありました。

  • 稲垣鉞子の父親・平助は、長岡藩の筆頭家老で、非戦論の立場から主家存続を図ったが、主戦論者の河井継之助らに敗れ、失脚したこと
  • 明治維新の後、鉞子は東京に出てミッション系の女学校に給費生として学び、代わりに卒業後の五年間、遊廓のある浅草地域のミッション系私立小学校で教師として働き、熱心さと有能さを評価されていたこと
  • 渡米した兄が仲立ちして、サンフランシスコで事業を営む杉本松雄と婚約、オハイオ州シンシナティに移り、親日家のウィルソン夫妻のもとで結婚する。夫妻の姪フローレンスは、このとき花嫁の鉞子に付き添ってくれた人であったこと
  • 米国で夫が急死し、二人の子を育てる鉞子のエッセイ修行に、フローレンスが助力したこと。後にベストセラーとなる鉞子の自伝的小説『武士の娘』も、フローレンスの存在がなければ成らず。しかしフローレンスは絶対に自分の名前を載せることを許さなかったこと
  • 杉本鉞子は、太平洋戦争の終結を見た後に、昭和25年に亡くなっていること。日清・日露・日中戦争と太平洋戦争と続く争いを、戊辰戦争で非戦論を主張したために失脚した家老の娘は、何を思いながら見ていたのだろうか

鉞子は、米国における日本人初のベストセラー作家であるとともに、日本人初のコロンビア大学非常勤講師となります。そのころの感慨:

「米国人でも日本人でも人情に変わりはなく、ただ皮想が異なっておるばかりで、紳士はどこでも紳士、淑女はどこでも淑女、であるということに帰着いたしました」(p.227)

このあたり、今では常識となっていますが、当時の日本女性が自分の体験を通じて得た結論なのですから、言葉の重みが違います。



ところで、勇ましい論は人の耳目を引きますが、恭順を唱える非戦論は腰抜けだと非難されます。結果的には、藩主の地位は家老の努力によって保たれたというのに、藩主は家老を疎んじ、失脚させてしまいます。このあたりは、どうも君主のあり方の影響が大きいようです。もう一つ、河井継之助が抜け目なく確保したガトリング砲でしたが、どうやら使い方がわからなかったのか、活躍した形跡がないようです。

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