電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

藤村三郎『なぜ162人全員が助かったか』を読む

2014年07月17日 06時03分41秒 | -ノンフィクション
社会評論社の単行本で、藤村三郎著『なぜ162人全員が助かったか』を読みました。東日本大震災で大津波に遭遇した女川町の若い中国人実習生162人が、なぜ1人の犠牲者を出すこともなく無事だったのかを探ったもので、日中友好協会宮城県連泉支部が編集したものです。

本書は、日本語版のページが縦書き右開きで約90ページ、それと同じ内容が、中国語で横書き左開きで約70ページという体裁の小冊子です。

内容は、まず女川町の実習生制度導入の経緯を説明するところから始まり、一時的な都合で導入したのではなくて、官民挙げて「中国人研修生は将来にわたって町と長くお付き合いをする人材として尊重する」という精神を基礎にしていたことが述べられます。そして、震災当時は港近くの19社に分かれて作業していたそうですので、中国人研修生のことを忘れる企業があれば、犠牲者が出てもおかしくない状況だったと考えられます。

しかし実際は、それぞれの企業で手だてを尽くして彼女たち中国人研修生全員を避難させることができ、帰国することができました。中には、専務が全員の避難を確認するために工場に戻り、津波に飲まれた会社もありました。

震災の後に、再来日した29人の研修生が、退職後に日本語を指導していた元校長のすすめで書いた作文がもとになり、この本の主な部分が出来上がっています。上手な文章ではないけれど、真率な訴える力のある内容です。「地震無情人有情」、まことにその通りと感じました。



うーむ、田舎では、心ある人間が他の人に接するときは、きちんと来客のつもりで応対することが通例となっている、と思っています。女川町の水産加工会社の人たちは、若い中国人実習生に対して、まさに自分たちの慣習に従って、ていねいに接したのですね。それは、災害の中で助け合う姿や、忍耐強く順番を待つ姿にも通じるものだろうと思います。だいぶ前に観たドキュメンタリー「小さな留学生」も良かった。あの頃と比較すると、日中関係は冷え込み、中国にも実に多様な人がいて多様な考えがあることとは承知しましたが、大きな震災の悲劇を越えて日中の庶民交流の中にこの本が加えられたのは、不幸中の幸いでした。

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