先ごろ、映画「蜩ノ記」を楽しんで観ましたが、原作者の葉室麟氏は、藤沢周平作品を好み、よく研究しているらしいと感じています。その氏が藤沢周平作品について書いている記事を興味深く読みました。文藝春秋社の「本の話」に掲載された、「ラスト一行の匂い~「オール讀物」没後15年・藤沢周平大特集より」~葉室麟です。
藤沢周平作品の「最後の一行」の見事さ、「さりげなく締めくくられていながら、物語のエンディングとして鮮やか」な理由を、業界紙の記者あるいは編集者として仕事をした経歴を取り上げ、「記者の眼」を感じる、としています。たとえば、『風の果て』については、
としているのはなるほどと思いますし、また、この文章の終わりに、
とあるのは、まったく大賛成です。
たしかに、藤沢周平作品の最後の一行の、さりげないけれどどこか余韻の残る終わり方には思わず参ってしまいますが、それを「記者の眼」ととらえた視点は初めてです。なるほど、と読みました。
藤沢周平作品の「最後の一行」の見事さ、「さりげなく締めくくられていながら、物語のエンディングとして鮮やか」な理由を、業界紙の記者あるいは編集者として仕事をした経歴を取り上げ、「記者の眼」を感じる、としています。たとえば、『風の果て』については、
記者に心を許して、思わず自分の過去を語ってしまった重役は、やがて話し過ぎたと我に返り、インタビューが終わると同時に、
――咳ばらいした。威厳に満ちた家老の顔になっていた。
のではないだろうか。『風の果て』の最後の一行は、インタビュー記事の秀逸な締めくくりのようでもある。
としているのはなるほどと思いますし、また、この文章の終わりに、
仕事を通じて、藤沢さんは社会の中核を担いながらも、自らを語らないひとびとの真実に触れたに違いない。
無名のひとびとを癒す記者の視線が物語の中に込められているという気がする。
だからこそ、藤沢作品は〈大人の小説〉なのだ。
とあるのは、まったく大賛成です。
たしかに、藤沢周平作品の最後の一行の、さりげないけれどどこか余韻の残る終わり方には思わず参ってしまいますが、それを「記者の眼」ととらえた視点は初めてです。なるほど、と読みました。