職場の同僚の某氏より、マンサクの花をいただきました。おやおや、例年ならば2月〜3月に咲く花かと思いますが、時ならぬ1月の暖かさで、もう咲いてしまったのでしょうか。手前の一輪挿しにさしてあるのがそれです。
詩人の丸山薫(*1)が山形県の西川町岩根沢に疎開し、国民学校の代用教員をしていましたが、そこで「まんさくの花」という詩ができます。
学生時代、教育学部の先輩から、この詩をどう読むかと試されたことがありました。今思えば、言葉にされたもの(詩)の中に根拠があるものならば良いけれど、読み手の主観で想像というか妄想というか、さまざまなことを子供に言わせることをどう思うか、ということだったのだろうと思います。
あれから半世紀、私の家の近所で、実際にまんさくの花が咲いているのを身近にみるのは稀です。今回は職場の同僚の風流心のおかげで、少々気の早い一枝を手にしました。詩人は「花としもない花だけれど」と逆説的にうたったわけですが、季節の変化が、早春の風情が感じられる花です。この週末から今季一番の寒波が襲来するそうですが、これを乗り切ればまた一段と春は近づくことでしょう。通勤の皆様の無事をお祈りいたします。
(*1): まんさくの花が咲いた〜ブログ「平方録」より
詩人の丸山薫(*1)が山形県の西川町岩根沢に疎開し、国民学校の代用教員をしていましたが、そこで「まんさくの花」という詩ができます。
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って 持ってくる
まんさくの花は淡黄色の粒々した
目にも見分けがたい花だけれど
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って 持ってくる
まんさくの花は点々と滴りに似た
花としもない花だけれど
山の風が鳴る疎林の奥から
寒々とした日暮れの雪をふんで
まんさくの花が咲いた と
子供達が手折って 持ってくる
学生時代、教育学部の先輩から、この詩をどう読むかと試されたことがありました。今思えば、言葉にされたもの(詩)の中に根拠があるものならば良いけれど、読み手の主観で想像というか妄想というか、さまざまなことを子供に言わせることをどう思うか、ということだったのだろうと思います。
あれから半世紀、私の家の近所で、実際にまんさくの花が咲いているのを身近にみるのは稀です。今回は職場の同僚の風流心のおかげで、少々気の早い一枝を手にしました。詩人は「花としもない花だけれど」と逆説的にうたったわけですが、季節の変化が、早春の風情が感じられる花です。この週末から今季一番の寒波が襲来するそうですが、これを乗り切ればまた一段と春は近づくことでしょう。通勤の皆様の無事をお祈りいたします。
(*1): まんさくの花が咲いた〜ブログ「平方録」より
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