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同乗者のコロナ発症が判明する前、大雪で除雪に明け暮れる前の2月初旬、妻と手術入院前に観ておきたいと映画「雪の花〜ともに在りて〜」に行きました。吉村昭の原作『雪の花』はコロナ禍の中ですでに読んでおり(*1)、このストイックな、むしろ医学史の本を読んでいる感を受ける原作を映画化すると聞いた時には、ずいぶん地味な映画になるのではと少々懸念したものでした。しかし、小泉堯史監督、脚本は斎藤雄仁と小泉堯史、撮影は上田正治で制作された映画(*2)は、懸念を吹き飛ばす出来でした。
「医学史の本を読んでいるような」感さえ受ける原作を一般向けの映画にするには、脚本をふくらませる必要があるでしょう。しかし、史実や主人公を改変してしまうのはまずいでしょう。そうすると、周辺人物やエピソードを魅力的なものにするほかありませんが、この映画では主人公の町医者・笠原良策の妻・千穂の存在を大きくクローズアップし、清々しい女性を描いて成功しているようです。これなら原作の改悪と言われることはないでしょう。また、蘭方医学の師匠となる日野鼎哉もまた映画では「赤ひげ」のような大きな存在感を持って描かれていますが、原作では緒方洪庵など著名な蘭方医が多く登場します。しかし映画では緒方洪庵らは登場しません。このあたりは制作費の関係もあり、多くの蘭方医たちの存在を集約し一人の立派な師匠に託する形で描いたのだろうと思います。
ところで史実でもある雪の峠越えは、なぜそんな危険を冒さなければいけないのか、理解に苦しむ人も多かろうと思いますが、種痘では接種後およそ7日目に発疹がかさぶたに変わっていき、あとは次第に快方に向かっていく、ちょうどそのタイミングに少量のかさぶたを新しい子供に接種して(植え継いで)いかなければいけない。ところが京都から福井までは徒歩で7日かかる。そのタイミングとの兼ね合いで、日数、日程を延ばすことはできないのです。このあたりの事情は映画では充分に描かれているとはいえません。しかし、あまり説明的になってしまうとドラマ性を阻害してしまう面もあり、難しいところだなあと感じます。
もう一つ、映像として雪国育ちの者にとって違和感を感じるのは、あれほどの強い吹雪なのに背後の樹々の梢や枝が少しも揺れていないこと。おそらくは、強力な扇風機の風の力で再現した吹雪では、樹々を大きく揺らす自然の風の猛威を再現することはできないということなのでしょう。
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映画を観終えたあとにパンフレットも購入して来ましたが(950円)、なかなか読み応えのある良い内容でした。そこであらためて気づいたのが映画の題名です。原作は『雪の花』でしたが映画では「〜ともに在りて〜」という副題がついていました。ああ、ここにこの映画のメッセージが込められているんだなと感じました。納得です。
(*2): 映画「雪の花ーともに在りてー」〜公式サイト
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