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文春文庫で、川上弘美著『センセイの鞄』を読みました。2001年だかに谷崎潤一郎賞を受賞したとのこと、当時は単身赴任夜間勤務の頃で、そうした情報にふれることもなく知らずにいましたが、高齢化社会を視野におき多くの読者を獲得できる狙い目の作品だろう、などと揶揄しながらも、なかなか面白く読みました。
「月と電池」、松本春綱センセイは、飲み屋に出入りする妙齢の教え子、大町月子さんを、わざわざ名簿とアルバムで見て確かめたのですね。
「ひよこ」、飲み屋でアルコールの取り持つ御縁ですが、ひよこが「可愛くないのがいいんですか」「可愛いと、つい夢中になる」という会話は、象徴的です。
「二十二個の星」、頑固で意固地な二人の性格の共通点が描かれます。
「キノコ狩」、いつもの飲み屋の主人の誘いで、センセイと一緒にキノコ狩に行きます。山中でのキノコ料理の最中に、センセイが息子や、出奔した妻の話をします。自由な妻の、日常の小さな失敗を許すことができなかった夫の回想の形で、説明が語られます。
「お正月」、月子さんの母子関係も、なんとなくぎくしゃくしています。父親不在の家庭のようです。兄夫婦はにぎやかに暮らしているようですが、かつて月子さんの恋人との関係も不器用なものでした。えらいえらいと頭をなでてくれるセンセイは、まだ父性的存在です。
「多生」、袖すりあうも多生の縁、ですか。理系石頭の私も、てっきり「多少」の縁だとばかり思っておりました。センセイと月子さんの二人に絡んだ酔っぱらいからの戦利品のエピソードは、70歳にして元気なセンセイの心意気を描きます。
「花見」、毎年、学校前の土手で、学校が始まる何日か前に、元職員が集まって花見をするのだとか。当地で花見のシーズンは四月下旬ですので、これはありえません。センセイが石野先生と親しく話す様子に、月子さんは嫉妬します。また、バツイチ同級生の小島孝からアプローチされますが、どうもしっくりいきません。求めるものが父性から変質する章です。
「ラッキーチャンス」「梅雨の雷」。小島孝の誘いを受けながら、センセイへの思いを自覚していきます。雷がこわい月子さんの背中をなでるセンセイの心中はかなり複雑でしょう。
「島へ」「干潟ー夢」。出奔した妻の墓碑を見せるために、センセイは島へ誘ったのでしょう。そして、老いの自覚と、もうすぐ四十になろうとする教え子との年齢差を自問自答したのでしょう。月子さんが見た夢は、生と死の境を漂うものでした。
「こおろぎ」、夢のせいか、センセイを避けていたのですが、センセイが風邪を引いたらしいとの情報にあわてます。センセイを失いたくない、何も望まない、センセイが元気でいてくれれば、という心境です。
以下、「公園で」「センセイの鞄」の章と続きますが、哀感に満ちた美しい幕切れは、最後はお楽しみと言うことにしておきましょう。
◯
さて、自分の娘が月子さんのような立場になろうとしたら?たぶん、やめなさい、と言うでしょうね。人間は、自分の年齢を超えることはできません。できれば、同じテレビ番組の話などで盛り上がれる境遇や年代で相手を見つけてくれると、なんとなく安心します。あとは二人の心がけしだいでしょう。
では、自分がセンセイの立場になることは?これは明解で、ありません。なぜなら、自分よりもずっと年若い女性を誘うなど、彼女と同世代の男の子たちにたいして、卑怯だと思うからです。このあたりの公平さに対する感覚は、女性である作者の感性とはだいぶ異なるものがあるようです。
でも、たいへん面白く読みました。谷崎潤一郎賞受賞は伊達ではありません。
「月と電池」、松本春綱センセイは、飲み屋に出入りする妙齢の教え子、大町月子さんを、わざわざ名簿とアルバムで見て確かめたのですね。
「ひよこ」、飲み屋でアルコールの取り持つ御縁ですが、ひよこが「可愛くないのがいいんですか」「可愛いと、つい夢中になる」という会話は、象徴的です。
「二十二個の星」、頑固で意固地な二人の性格の共通点が描かれます。
「キノコ狩」、いつもの飲み屋の主人の誘いで、センセイと一緒にキノコ狩に行きます。山中でのキノコ料理の最中に、センセイが息子や、出奔した妻の話をします。自由な妻の、日常の小さな失敗を許すことができなかった夫の回想の形で、説明が語られます。
「お正月」、月子さんの母子関係も、なんとなくぎくしゃくしています。父親不在の家庭のようです。兄夫婦はにぎやかに暮らしているようですが、かつて月子さんの恋人との関係も不器用なものでした。えらいえらいと頭をなでてくれるセンセイは、まだ父性的存在です。
「多生」、袖すりあうも多生の縁、ですか。理系石頭の私も、てっきり「多少」の縁だとばかり思っておりました。センセイと月子さんの二人に絡んだ酔っぱらいからの戦利品のエピソードは、70歳にして元気なセンセイの心意気を描きます。
「花見」、毎年、学校前の土手で、学校が始まる何日か前に、元職員が集まって花見をするのだとか。当地で花見のシーズンは四月下旬ですので、これはありえません。センセイが石野先生と親しく話す様子に、月子さんは嫉妬します。また、バツイチ同級生の小島孝からアプローチされますが、どうもしっくりいきません。求めるものが父性から変質する章です。
「ラッキーチャンス」「梅雨の雷」。小島孝の誘いを受けながら、センセイへの思いを自覚していきます。雷がこわい月子さんの背中をなでるセンセイの心中はかなり複雑でしょう。
「島へ」「干潟ー夢」。出奔した妻の墓碑を見せるために、センセイは島へ誘ったのでしょう。そして、老いの自覚と、もうすぐ四十になろうとする教え子との年齢差を自問自答したのでしょう。月子さんが見た夢は、生と死の境を漂うものでした。
「こおろぎ」、夢のせいか、センセイを避けていたのですが、センセイが風邪を引いたらしいとの情報にあわてます。センセイを失いたくない、何も望まない、センセイが元気でいてくれれば、という心境です。
以下、「公園で」「センセイの鞄」の章と続きますが、哀感に満ちた美しい幕切れは、最後はお楽しみと言うことにしておきましょう。
◯
さて、自分の娘が月子さんのような立場になろうとしたら?たぶん、やめなさい、と言うでしょうね。人間は、自分の年齢を超えることはできません。できれば、同じテレビ番組の話などで盛り上がれる境遇や年代で相手を見つけてくれると、なんとなく安心します。あとは二人の心がけしだいでしょう。
では、自分がセンセイの立場になることは?これは明解で、ありません。なぜなら、自分よりもずっと年若い女性を誘うなど、彼女と同世代の男の子たちにたいして、卑怯だと思うからです。このあたりの公平さに対する感覚は、女性である作者の感性とはだいぶ異なるものがあるようです。
でも、たいへん面白く読みました。谷崎潤一郎賞受賞は伊達ではありません。
「オペラ座の怪人」は、80年代の映画をLDで持っています。娘が好きでよく見ておりました。機会を見て、記事にしてみたいと思っている作品の一つです。
卑怯、ですか~。思いもよらぬ言葉で、びっくり半分、納得半分。
narkejpさま、ミュージカルの「オペラ座の怪人」(近年の映画版ではなく)はご覧になったことがおありでしょうか。
あれは、おじ様方が我と我が身に怪人を重ね合わせたゆえの大ヒットと思っているのですが、もしご覧になっていたら感想をお伺いしたいところですわ(^^)
なにせタニザキ的観点から評価される作品でしょ、お父さんが茶の間で娘と一緒に喜んで観ていたら、そのほうがヘンですね(^o^)/
もう、これはモロに作り話。でも、しっかり読ませてしまうところが、作者のウデでしょう。純文学不振の時代、ウケるねらい目は高齢化社会に突入する団塊世代、という編集者の意図が透けて見えますけどね(^o^)/
記事を読んでいたら、小首を傾げながら見ていた(あまりの年の差に理解がおいつかなくて)私の隣で、父が「こんなのは作りモンの中だけの話だっ」とか、大変気に入らない様子でぶちぶち言っていたのを思い出しました(笑)
でも、フィクションとして面白く見る分にはいいですよね。いつか小説も読んでみたいと思います。