電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ワールドカップが近付くと

2006年05月17日 22時06分29秒 | コンピュータ
前回、サッカーのワールドカップが行われたのは、たしか四年前の2002年だった。あの年は、ワールドカップの日韓の試合結果を速報すると称して、添付ファイル方式のウィルスが登場したはずだ。たぶん、今年もサッカー大好き人間の弱点を突く形で、ウィルスが登場するのではないか。
ウィルスが攻撃するのは必ずしも機械ではない。ウィルスは人間の心理を攻撃する。ウィルスの増殖に好適な条件を作らせるために、なんとかして Windowsユーザーをだまして、たとえば Active-X スクリプトを有効にさせようとするのだろう。

写真は、夕方のプルーンの花。
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X線撮影のこと

2006年05月16日 21時12分35秒 | 健康
ライラックの花盛りの今日このごろ、水田には田植えを終えたばかりの細い稲苗が風に揺れている。先日、健康診断でX線撮影を行った。バリウム世代という言葉のとおり、どろりとした白い硫酸バリウムを飲み、さまざまな角度からX線写真を撮る。どこかに異常ははないか、読影者の観察眼と経験によるところが大きいのだろう。最近は、集団検診の非効率性や弊害を指摘する声もあるようだが、第一次スクリーニングの意味は大きいのではないか。

以前、京都の島津製作所の歴史を展示した、島津創業記念資料館(*)を見学したことがある。興味深い展示が多数あり、見ごたえがあった。その中で、医療用レントゲン機器の展示コーナーが目に付いた。昔、近所の医院で見たのと同じレントゲン機器があった。

昭和38年頃の話だが、医療用レントゲンは、フィルムに焼き付ける方法と直接影像を見る方法と、二つの方法があった。フィルムに焼き付ける方は、保険以外に現像代などのお金が余分にかかった。だから、貧しい患者は注意深くフィルムを読影することができず、一瞬の判断で見落しも起こる。また、鉛のエプロンをするとはいえ、直接影像を見るわけだから、医師もかなりの放射線を浴びることになる。近所の医師は、患者にフィルムか直読かを尋ね、要望に応じてX線撮影を行っていたようだ。今考えると、自分の命を削りながらの仕事である。この医師はたしか60歳台の年齢で亡くなったのではなかったか。息子が医師となり医院の後を継ぎ、親子二代にわたって地域医療に貢献した。息子の方の先生も、寝たきりの祖父、全盲の祖母と、20年にわたりわが家に往診に来てくれた。先年亡くなったが、立派な医師の親子だったと思う。

島津製作所は、医療用レントゲン機器のパイオニア・メーカーの一つであり、研究の過程で放射線障害により犠牲となった人もいたという。医療用レントゲン機器の展示を見ているうちに、遠い記憶がよみがえり、ある医師の親子を思い出した。

(*): 島津創業記念資料館
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もうひといき

2006年05月15日 21時34分31秒 | Weblog
ゴールデンウィークに資源回收があり、思い切って雑誌等を処分して、本棚に少しだけすき間ができるかと思ったら、意外にすき間はできませんでした。これまでテーブルや台の上にあった本が棚に移動しただけで、あいかわらずです。これは、もう少し抜本的な対策を講じる必要がありそうです。
FM放送からエアチェックしたカセットテープも、大事なものから少しずつMDにダビングしています。これも、意外に作業が進みません。やっぱり、捨てるには思いきりが必要のようです。老人性捨てられない症候群は、意外にてごわいです。
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シューベルト「交響曲第9番」を聞く

2006年05月14日 21時41分12秒 | -オーケストラ
午後から晴れた日曜日、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏で、シューベルトの交響曲ハ長調「ザ・グレイト」D.944を聞きました。番号は第9番とされることが通例でしたが、最近は第8番とされることもあるとか。それはともかく、彼の死の半年前の1828年に、ウィーン楽友協会に提出するため作曲されたものだそうです。ところがウィーン楽友協会は、あまりにも重苦しく長大であると拒否、結局この交響曲は日の目を見ずにシューベルトは32歳で亡くなります。現在「音楽の都」と呼ばれるウィーンは、多くの音楽家が失意のうちに亡くなった街でもありました。

その十年後の1838年、ローベルト・シューマンはウィーンを訪れ、ベートーヴェンとシューベルトの墓に詣でます。そして、だれか縁者に会いたいものだと考え、シューベルトの兄弟でフェルディナント・シューベルトに会いに行きます。フェルディナントは、シューマンが文筆活動を通じてシューベルトに賛辞を贈っている事を知っており、遺された多くの楽譜を見せたのでした。その中に、このハ長調の大交響曲があることを見つけたシューマンは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で演奏することとし、翌1939年に実際に初演されます。このあたりの事情は、吉田秀和氏が訳したシューマン著『音楽と音楽家』(岩波文庫)に、「フランツ・シューベルトのハ長調交響曲」という文章として記載され、臨場感あふれる興味深い読み物となっています。

第1楽章、アンダンテ-アレグロ・マ・ノン・トロッポ。ゆったりしたテンポ、堂々たる歩みです。
第2楽章、アンダンテ・コン・モト。イン・テンポで、きっちりしたリズムを刻みながら演奏されます。シューマンはこの曲を「ジャン・パウルの四巻の大部の小説に劣らず、天国のように長い」と評していますが、マーラーやブルックナーを経た現在、イン・テンポの快感は感じても、それほど長いとは感じません。
第3楽章、スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ。流れるような軽快なスケルツォです。
第4楽章、アレグロ・ヴィヴァーチェ。きっちり正確なリズム。金管楽器の突出を避け、バランスを取りながらも、ここぞという場面では輝かしく音楽が発散します。

ジョージ・セル指揮するクリーヴランド管弦楽団の最後の録音の一つであるこの演奏は、イン・テンポの魅力を存分に発揮し、シューベルトの古典的な様式感を感じさせる演奏になっていると思います。リズムの快感が通勤の音楽としても良いですし、今日のような休日に、音量を上げて音楽にひたるにも適しています。

1970年4月27/29日、クリーヴランド、セヴェランス・ホールで収録されたEMI録音で、LPの番号はEAC-55003、解説は西村弘治氏です。

■セル指揮クリーヴランド管弦楽団、1970年のEMI録音
I=14'12" II=14'27" III=9'40" IV=11'38" total=49'57"
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藤沢周平『三屋清左衛門残日録』を読む

2006年05月13日 21時05分58秒 | -藤沢周平
藤沢周平の作品の中で、『蝉しぐれ』や『用心棒日月抄』シリーズ等とともに実に読みごたえのある作品、『三屋清左衛門残日録』を読みました。
主人公は、先の藩主のもとで用人を勤め、長男の又四郎に家督を譲って隠居した三屋清左衛門。新藩主の好意により屋敷内に隠居部屋を作ってもらい、嫁の里江がしっかり者で暮らしに不便はないものの、病死した妻のいない寂寥感を感じながら、隠居生活が始まります。

「醜女」では、旧友で奉行の佐伯熊太の依頼で、先の藩主のただ一度のお手つきのため、実家で十年も隠棲生活を強いられた奥勤めの女が妊娠したという、ちょっとしたスキャンダルを解決するために奔走します。「高札場」も、昔女を裏切ったと思い込み、自殺した中年男の真相を探ります。「零落」では、かつてライバルであり、藩の派閥争いで敗れた方につき、自身の失敗もあり零落した男との苦いエピソードが描かれます。
「白い顔」は、若い頃にふと見知った女性の娘を、道場の後輩の平松与五郎に後添えに紹介する、ほほえましく好ましい話です。「梅雨ぐもり」は、お嫁に行っても引っ込み思案で、夫に女がいると心配のあまりやつれてしまった娘のために一肌脱ぐ話です。ここで、後に大きな事件の背景となる、遠藤派と朝田派という藩内の派閥抗争が描かれます。「川の音」では、釣りに出かけた川で助けた農婦おみよと子どもを狙う武士の姿から、藩内の抗争の秘密が暗示されます。「平八の汗」では、小料理屋の涌井で旧友から家老に紹介状を頼まれ、しくじりをした息子と家を守るために利用された結果になりますが、家老は清左衛門に遠藤派の集まりへの参加を求めます。
「梅咲くころ」では、昔、江戸屋敷でプレイボーイにだまされ生きる望みを失ったのですが、清左衛門に諭され生きる気力を回復した娘が、久方ぶりに訪ねてきます。清左衛門は、縁談が金目当ての詐欺であることを見抜き、信頼できる男に紹介します。「ならず者」では、冤罪で退いたが病気の孫を助けるために今賄賂を取っている男と小料理屋「涌井」の女将みさにつきまとうならず者とが、陰影ゆたかに描かれます。
「草いきれ」では、夏かぜをひき、嫁の里江に看病してもらいますが、亡き妻には言えたようなわがままが嫁には言えない。一方、昔は意気地なしだった少年時代の友が今は若い妾を囲っているという老いの実情に唖然とします。「霧の夜」では、朝田派が企む誰かの毒殺の謀議を聞いたために、ぼけを装った旧友が清左衛門に真相を伝える話です。「夢」は、清左衛門 が過去の悔いをただす話。こういう話は、意外とどなたでも身につまされるものがあるのでは。ただし、涌井の女将みさとの艶っぽいエピソードは、どなたでも体験しているとは限りません。
「立会い人」では、中風で倒れた友人を見舞い、試合の立会い人を承諾し、奉行の佐伯熊太と密談し、隠居はなかなか多忙です。「闇の談合」になると、朝田派の陰謀が石見守の毒殺という形で現れます。しかし、藩主の意思を伝える船越喜四郎に清左衛門が同道し、表沙汰にしないかわりに朝田家老の退陣を求めます。最後の章、「早春の光」では、朝田一派の企ても頓挫し、清左衛門を慕う涌井のみさも故郷に帰り、おみよも再婚し、寂寥感を覚えますが、中風で倒れた大塚平八が歩く練習を始めたことに心をうたれます。

この隠居は、年齢的にはちょうど私と同じくらいでしょうか。他人事ではないように感じる箇所が多く、心を打たれるところがたくさんあります。藤沢周平の代表的な傑作だと思います。
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今、読んでいる本

2006年05月12日 22時20分38秒 | 読書
このところ、藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』を読んでいます。そろそろ終盤にさしかかり、涌井の女将「みさ」さんとの食べ物談義がおいしそう。
娘が孫の「ほにょリータ」を連れて帰って来て、にぎやかです。『ロケットボーイズ』を映画化した「遠い空の向こうに」のビデオを借りて来たとかで、週末に見るのが楽しみです。
読みたい本はたくさんあります。藤沢周平の『早春』、宮部みゆき『かまいたち』、ディケンズ『ニ都物語』、宮城谷昌光『奇貨居くべし』、ジャック・ウェルチ『わが経営』、レイチェル・カーソンの評伝『レイチェル』、などなど。
さて、お天気が良ければ明日は桃の花つみをすることとし、お天気が悪ければゆっくり本を読むとしましょう。
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シューマンの「ピアノ三重奏曲第2番」を聞く

2006年05月11日 18時22分12秒 | -室内楽
最近の通勤の音楽は、R.シューマンの「ピアノ三重奏曲」を聞いています。三曲のピアノ・トリオの中で、暗い表情の第1番も充実した音楽ですが、とりわけ第2番ヘ長調Op.80がお気に入りです。

第1楽章、きわめていきいきと。淡い陰影はあるものの、明朗で活発な音楽です。交響曲のようながっちりした構築感も見られます。
第2楽章、心からの表現をもって。ヴァイオリンの可憐な歌と、チェロ、ピアノの織りなす優しい音楽です。これは実にシューマンらしい緩徐楽章。
第3楽章、中庸の動きで。少々愁い顔の間奏曲ふうの短い音楽です。
第4楽章、急ぎすぎずに、という指定のあるソナタ形式のフィナーレ。

作曲年代は、1847年といいますから、第二交響曲を完成した翌年にあたり、神経障害と精神の不安定に悩まされていた時期だといいますが、この曲ではそのような不安定さはあまり見られません。

演奏は、ジャン・ユボー(Pf)、ジャン・ムイエール(Vn)、フレデリック・ロデオン(Vc)、録音は、1978年から1979年にかけて、パリで行われています。エラートのアナログ録音で、1981年のフランスACCディスク大賞を得た「シューマン 室内楽全集」のうちの一枚。この春の東京旅行で入手したもので、何度も繰り返して聞くほどに味が出てくるようです。

■ユボー(Pf)、ムイエール(Vn)、ロデオン(Vc)盤 (WP, WPCS-11379-80)
I=7'41" II=8'40" III=5'35" IV=5'27" total=27'23"

写真は、数日前に撮影したモモの花。桜はすっかり緑の葉をつけています。
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スメタナの「わが祖国」を聞く

2006年05月10日 20時56分35秒 | -オーケストラ
五月になると、「プラハの春」が思い出されます。いえ、戦車に踏みにじられた動乱の記憶ではなく、毎年の「プラハの春」音楽祭のことです。私にとって格別の感慨があるのは、なんといっても1990年の「プラハの春」開幕コンサートです。

この音楽祭は、第二次世界大戦が終わり、ナチス支配から解放されてチェコスロヴァキアとして独立を果たした1946年、スメタナの命日である5月12日に始まったとのことです。初日には、スメタナを記念して「わが祖国」を演奏することになっているとか。最初の演奏会の指揮者は、まだ壮年期にあったラファエル・クーベリックでした。そして1948年には政治体制をきらって亡命。以後、西側の高名な芸術家として不自由のない生活をしていたとき、故郷を思い出すことはそうたびたびではなかったことでしょう。けれども、年老い病を得て、指揮者生活からほとんど引退同然だった頃に民主化を勝ち取った故郷の音楽祭から打診があったとき、心おだやかではいられなかったのでは。

解説書には、劇作家のハヴェル大統領とチェコフィル首席指揮者のヴァーツラフ・ノイマンの尽力により、実現したとあります。開幕の一ヶ月前にチェコ入りし、父ヤン・クーベリックの墓に詣で、オーケストラと入念な時間を取り、復帰した指揮台の上から紡ぎ出す音楽の堂々たる姿!

私は、1990年の6月10日に、NHK-FM放送でこの演奏会を聞きました。最初にハヴェル大統領の出席を伝えるアナウンスと拍手があり、指揮者が登場します。
第1曲 ヴィシェフラト(高い城)、第2曲 モルダウ、第3曲 シャールカ、これが前半の三曲。休憩をはさみ、第4曲 ボヘミアの森と草原、第5曲 ターボル、第6曲 ブラニーク、以上の後半三曲はほとんど続けて演奏されます。エアチェックしたテープを聞くとき、当時の感動と興奮が思い出されます。

しばらくして、この演奏がCDで発売されていると聞き、レコード店に注文して入手しました。DENON COCO-6559です。録音は1990年5月12日、プラハのスメタナホールにおけるデジタル録音。残念ながら、最初のアナウンスと拍手はカットされていましたが、FM放送の音域(50~15,000Hz)では味わえない、繊細かつ迫力ある演奏に大満足でした。

あれから16年が経過し、冷静な立場でこの演奏会を振り返るとき、演奏の自然な流れの他に、なにか別なものがあるようにも思えます。それは、音楽の前向きで活力ある前進力に加えて、何か暗くて大きな穴を覗きこむ時のような、前進力を押しとどめるようとするところがあるように感じます。もしかしたらそれは、クーベリックの年輪に刻まれた「時代の重さ」だったのかもしれません。

■ラファエル・クーベリック指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団
I=15'39" II=11'35" III=9'42" IV=13'09" V=12'59" VI=14'37"
total=77'41"
■ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団
I=14'08" II=11'42" III=9'20" IV=12'39" V=12'53" VI=13'37"
total=74'19"

参考までに示したのは、これも好んで聞いている、民主化前の1981年5月12日に行われた「プラハの春」音楽祭開幕コンサート、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコフィルによるレーザーディスク(パイオニア MC034-25LD)。音楽祭の様子や美しいプラハの風景や街並みも楽しむことができる、こちらも実に堂々たる演奏です。

写真の右下の新書本は、白水社の文庫クセジュ・シリーズの「チェコスロヴァキア史」。
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故郷の山や川は

2006年05月09日 21時32分37秒 | 散歩外出ドライブ
人間は年をとると幼い日々を過ごした土地の山や川がむしょうに懐かしくなるものだといいます。若い頃は、そんなものは年寄りの感傷であり、他愛のない一時的なものだと思っていました。

ある日、大叔父(祖父の弟)が当地ではかなり大きな賞を受賞することになりました。祝賀会のあと、主催者が帰りのタクシーを用意してくれたそうです。当時、もう80歳を過ぎていた大叔父は、名誉ある華やかな式典会場を後にして、自宅ではなく生まれ育った実家であるわが家に、ふらりと立ち寄ったのです。雑談の中で祝賀会の様子を話し、「それはよかったですね~」と実家の甥(わが父)たちに言われて、それは嬉しそうでした。

さて、帰りのタクシーはもう帰したあとでしたので、私が大叔父の自宅まで車で送ることになりました。大叔父は途中で「ちょっと止めて」と停車させ、懐かしそうに山々を見上げ、ためいきをついているのです。世間的には知られた存在であり、子どもたちも独立して夫婦二人、生活には不自由ないはずです。にもかかわらず、故郷の山々は今は亡き人々や若かった日々を思い出させ、限りなく懐かしいものなのでしょう。年老いて人が向かう先にあるものを、他愛のない、一時的なものと言ってよいのかどうか、深刻に反省させられたことでした。

自宅まで送り届け、大叔母にお茶をごちそうになって帰りましたが、なぜか忘れられない場面です。
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ヴェルディの歌劇「椿姫」を見る

2006年05月08日 21時53分05秒 | -オペラ・声楽
昨日NHKの芸術劇場で放映したザルツブルグ音楽祭の演目、ヴェルディの歌劇「椿姫」を、DVDに録画していた抜粋版ですが、今日ぞんぶんに楽しむことができました。最近は、老年性早寝早起き症候群(?)と思われる症状が顕著になっており、とても夜は最後までは楽しめないので、こういう時間をずらす機器はありがたいものです。

演出の特徴と詳しい説明は、Schweizer_Musikさんの詳細な記事(*1)を参照いただくこととして、私の感想。まず、ずいぶんと気性の激しいヴィオレッタだこと!これが現代風なのかも。でも、この気性の激しさが、ネトレプコの素晴らしい声と歌唱とともに、第2幕で別離を決意する場面の説得力を増すから不思議です。また、娘の幸福を願う父ジェルモンの訴えも、素晴らしい歌唱です。もしかすると、ヴィオレッタ自身もまた、妹の事情がよく理解できるような経験をして、今の境遇にあるのかもしれない、などと思ったりします。小デュマの原作でもそうなのですが、どうもアルフレードを思うあまりに別離を決意するというのは、やや無理があるように思います。

昔、シーボルトが持ち出した日本の椿、ヨーロッパに渡り、さまざまに品種改良されて19世紀に大流行。以前テレビで番組になっていました。そのときの原木が今もドイツにある(*2)ようです。ちゃんと強化ガラスで移動式のおおいが設置されており、ずいぶん大事にされている藪椿の大木でした。
パリの社交界で高級娼婦が手にした椿も、もしかするとこの子孫でしょうか。椿姫は、今で言えば流行の洋蘭を持った女性、といったイメージになるのかもしれません。やっぱり、清楚で可憐な女性、というイメージからは遠いのかも・・・(^_^;)>poripori

(*1):「NHK教育TVの芸術劇場で椿姫を見る」
(*2):「椿」~伊藤三吉さんの解説~
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資源回收で雑誌等を処分

2006年05月07日 22時22分21秒 | Weblog
このゴールデンウィーク中に、毎年恒例の地域の資源回收が行われた。中学生を中心とした子どもたちが、保護者が運転する軽トラック等と一緒に資源回收に歩き、各家庭から雑誌やビン、空き缶、ダンボール、古新聞などを集める。集約場所には資源回收業者の大型トラックが待機していて、人海戦術で集めた資源ごみを引き取って行く。
このリサイクル・ボランティアは、よく考えればすごいシステムだ。いくら有意義な活動であっても、ただばたらきではいつか中断してしまう。ところが無償の労力奉仕ではなくて、ちゃんとお金になって、地域の子どもたちの活動資金になっている。そのために。中断されることなくきちんと毎年行われ、各家庭でもそれを当てにして古紙やビンなどを仕訳して待ってくれている。

わが家でも、だいぶ雑誌や新聞紙、ダンボール、空きビンや空き缶類を出した。一部の新しい雑誌類は、ブックオフに持っていこうかとも思ったが、最近のブックオフはクラシック音楽CDの最低価格が@750と、なんだか魅力が薄くなったのでやめにした。地域の活動に協力した方がまだ気分がいい。
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童門冬ニ『近江商人魂』(下)を読む

2006年05月07日 06時15分23秒 | 読書
ゴールデンウィーク後半を利用し、童門冬ニ著『近江商人魂』下巻を読みました。こんなときでないとなかなか読めませんので、読書三昧を決め込んでいます。

織田信長の死後、柴田勝家と羽柴秀吉の後継争いが起こります。蒲生氏郷は秀吉側につくことを決意しその重みを増していきます。利兵衛は氏郷に従い政商の道を歩もうとしますが、必ずしも思惑どおりにはいきません。仁右衛門は行商一筋、中仙道のほか長男とともに北陸道に販路を求め、古着を商います。さらに木綿の直接仕入れを求めて東海道に進出、現金買入れで活路を開きます。
天下人となった秀吉は、奥州の伊達政宗と関東の徳川家康を押えるため、蒲生氏郷を会津に転封します。氏郷の町作りで会津若松は飛躍的に成長し、利兵衛も成長します。商売に精を出す妻や息子たちに恵まれた仁右衛門は、後継者の育成に成功したと言えるでしょうが、秀吉も蒲生氏郷も、権力争いの中で後継者の育成に成功したとは言えないでしょう。

わかったようなわからないような、なんだかヘンな読後感です。とにかく、ものを粗末にせず、徹底的に利用して商売に生かしたのが近江商人であり、当地の「おみ漬」が「近江漬」からの転化だとする説も、あながちありえないことではない、という程度の認識は得ることができました。

写真は、巣箱を出入りするミツバチです。
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ドヴォルザークの交響曲第8番を聞く

2006年05月06日 06時52分39秒 | -オーケストラ
当地の果樹園は、ただいま一番良い季節をむかえています。モモとスモモとサクランボの花が満開、プルーンの花もいくつか咲き始め、良い香りがしています。養蜂業者が来て巣箱を置いたので、ミツバチが盛んに飛び回り、蜜を集めています。なんとものどかな田園風景です。

昨日は、ドヴォルザークの交響曲第8番を何度も聞きました。今朝も、起き抜けにまた聞いています。ラファエル・クーベリックの指揮、ベルリンフィルの演奏と、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏したEMI録音です。

第1楽章、アレグロ・コン・ブリオ。解説によると、最初に出てくる主題の楽器の組合せは、チェロとホルンとクラリネットだそうですが、もうこの出だしだけでぐいっと音楽の中に引き込まれます。そして、フルートがひときわ透明な響きを聞かせてくれます。続く管弦楽の爽快感。青空を見つめるような愉しさを満喫します。
第2楽章、アダージョ。弦楽のやわらかな響きに、木管楽器が鳥のように歌います。とても「ハ短調の音楽」とは思えません。
第3楽章、アレグロ・グラツィオーソ、モルト・ヴィヴァーチェ。なんとも美しくノスタルジックなメロディに、思わず一緒に歌い出します。これはもう、親しみやすいスラブ舞曲の世界です。
第4楽章、アレグロ・マ・ノン・トロッポ。そういえばこれは交響曲だったと思い出させるファンファーレに続き、はじめの主題が次々に変奏されます。

まるで青い空に鳩の群れが飛び立つようすを見つめているような音楽。ああ、いいですねえ。休日にこういう音楽を聞いていると、ほんとに満ち足りた気分になります。

クーベリックとベルリンフィルの演奏は、ダイナミックで情熱的。ぐいぐいと進めていきます。以前取り上げた、カール・ライスターの「一番印象深かった録音」という記事(*1)にあるように、フルニエ(Vc)とセルとベルリンフィルによるチェロ協奏曲とのカプリング。
(*1):カール・ライスターの「一番印象深かった録音」
セルとクリーヴランド管の演奏は、比較的ゆったりしたテンポで、きわめて正確なリズムを刻みつつ、モダンな外観の中にもほのかにノスタルジーを感じさせるようなタイプ。これも以前取り上げた、ブラームス「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」(*2)に併録されています。
(*2):ブラームス「VnとVcのための二重協奏曲」を聞く
いずれも素晴しい演奏で、しばしば取り出して聞くCDとなっています。

参考までに、演奏データを示します。
■クーベリック指揮ベルリンフィル (DG POCG-90356)
I=9'50" II=10'16" III=6'36" IV=8'46" total=35'28"
■ジョージ・セル指揮クリーヴランド管 (EMI FECC-30535)
I=10'42" II=10'29" III=6'35" IV=9'27" total=37'13"
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童門冬ニ『近江商人魂』(上)を読む

2006年05月05日 09時42分44秒 | 読書
昨日、杉崎ボタニカルアート美術館を訪れた帰り道、図書館に立ち寄ってこの本を見付けた。同氏の『上杉鷹山』を読み終えたばかりで、近江商人をどんなふうに描いているのか興味があり、読みはじめた。
当地と近江商人との間には、格別の縁はないと思う。全国展開の近江商人にとって、みちのくの寒村にすぎないだろう。ただ、当地には「おみづけ」という名のうまい漬物があり、実は「近江漬」がなまった言い方だと言われている。なんのことはない、大根や青菜など各種の野菜を細切れにして漬け込んだもので、御茶漬に良し、おかずの一品にも良し、当地ではなじみの深い冬の定番メニューである。では、なぜこれが近江漬と呼ばれるようになったのか。山形市の漬物本舗の社長の説によれば、近江商人が残り野菜を集めて漬け込み、食卓に供したことからきているのだとか。では、近江商人とはどんな人たちだったのか。それが知りたい。

上巻は、藺草と畳表を行商する仁右衛門が行商の心得を体得する内容だ。商人は右の物を左に移すだけで利を得ている、という蔑視から離れ、甲の地で必要なものを乙の地から運ぶ仏の心、という視点を展開している。上巻では、織田信長や蒲生氏郷らの戦国武将の盛衰と関わりなく歩む行商人の生き方と、戦国武将と一心同体の政商となる生き方とが対比される形で描かれる。いわば、行商と政商と、どちらが仏の道にかなうか、という提起の仕方だ。
ちょっと問題の立て方にかなり違和感を感じるが、行商人の生活ぶりは興味深い。奥州路を長期間売り歩くには、近江漬のような知恵も必要だったのだろう、と思う。
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杉崎ボタニカルアート美術館

2006年05月04日 22時07分31秒 | 散歩外出ドライブ
午後から、山形市門伝にある「杉崎ボタニカルアート美術館」を訪ねた。当地の地方紙に、故太田洋愛氏の原画展が開催されることが紹介されていた。かねて杉崎紀世彦・文子夫妻(*1)の細密なボタニカルアートのファンだったので、夫妻の師匠にあたる太田氏の原画展ならぜひ行ってみたかった。
(*1):杉崎ボタニカルアート美術館
場所は、山形市内の南沼原小学校の交差点を県民の森方面へ西に下り、須川の橋を渡って、とかみ共生苑を過ぎ信号の南西角である。富神山の麓にあるログハウス風の建物なのですぐわかった。
入館料は500円だが、おいしい紅茶が付く。今日は文子夫人(*2)の手でショウガの香り高いジンジャー・ティーとイチゴをいただく。園芸植物図鑑の原画として描かれた太田氏の作品が並ぶとさすがに見ごたえがある。図鑑の原画だけあり、正確で精緻でかつ美しい。杉崎夫妻のサイン入りでお二人の作品を集めた画集を購入し、家に帰る。植物学と芸術の間で、ちょっと幸せな気分になった一日だった。
(*2):「人生ってどんなことがあるかわからないけど、無駄なことは何もないって思いますよ」(杉崎文子さん)
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