志情(しなさき)の海へ

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表と裏ではなく、表と奥の概念は興味深い!コインの裏表は白黒と同じだけれど~。

2023-01-09 15:04:01 | 日々の記録・備忘録
物事を白黒、表裏と明瞭に線引きするのは西欧的合理主義の考えだろうか。必ずしもそうではないのは、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陽(よう)と陰(いん)の二つのカテゴリに分類する中国の思想がある。「陽と陰とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる」(wikipedia)。 0と1の二進法で成り立つPC。あいまいさなりグレーの中にある妙味、揺れ動く人間の心理や行動、それらすべてが今後数値化され、分析、分類され、統合されていくのだろうか。あいまいさが逆に固有の魅力に包まれるような気がしているのだが~。脱構築である。

時代は、科学技術は人間を空洞化していく気配すら感じさせる。均質化した分類がなされていくようだ。一方でまだまだミステリーな領域があり、スピリチュアルな思念と共にありつづけるのかもしれない。有史以前の叙事詩や哲学、文学が読まれる。神話は今でも人気がある。科学的、物理的な合理主義でこの世が成り立っていないことを示している。意識的にしろ無意識にしろ、また無神論者であっても、宗教や信仰が心身に根付いているゆえと考えるが、死ぬべき存在としての有限の命を生き生かされている事が大きな所以なのかもしれない。

 久しぶりに神社に初詣した。変わらず大勢の人々が参拝に訪れている。神社の表と裏の概念について沖宮を再建して宮司になった比嘉真忠氏の著書を読むと表は神社で裏は御嶽、沖宮は表裏一体と解説している。博論を書いた時、表と裏という概念で沖縄の芸能史を図式化したのだが、確か琉球歴史研究者の豊見山和行氏が、男性芸能が表で遊郭の女性の芸能を裏とした近世の芸能の図式に対して、奥という言葉をポツリと出されていたことが思い出された。比嘉氏は「天燈山御嶽は古木の根源であり、ここに祖神の鎮まられる土地を奥の宮と拝し、その神霊を祭祀されたところが沖宮本殿である」と、書いている。 ここでは奥と裏が類似している。裏の天燈山は奥の院でもあることが分かる。

 それにしても対語が多い。表と裏、表と奥もそうだが、この社会は対語認識の世界であることがよく分かる。善と悪、神と悪魔もそうか。それらの両面をもった存在(揺れ動く実体)でもある。 表層真相、意識無意識、善悪、左右、長短、過激穏健、下降上昇、片道往復、危険安全、帰納演繹、義務権利、供給需要、禁止許可、苦痛快楽、結果原因、後退前進、湿潤乾燥、質素華美、死滅誕生、集合解散、充実空虚、収入支出、縮小拡大、守備攻撃、承諾拒否、消費生産、真実虚偽、慎重軽率 などなど! 対立する概念が多く形をなしている。

対立概念が物事の判断に際立っているという事かもしれない。白黒の判断はわかりやすい。西欧的合理主義の影響ではなく、古来から培ってきた感性や認識とみていいのだろう。それは死すべき存在であり、生死という絶対的な宿命を前に人々が会得していった知恵であり、その感性の表示が言葉、概念になっていったと見ていいのか。その思念の流れで弁証法の論理は貫かれているように思えるのだが、それは時間の概念と重なっていくようだ。
(概念体系における反義概念の検討)

 ★アンビバレンスとは、ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すことである。たとえば、ある人に対して、愛情と憎悪を同時に持つこと(「愛憎こもごも」「愛憎半ば」)。あるいは尊敬と軽蔑の感情を同時に持つこと。

 ★二進法(0と1だけの世界)https://hamaguri.sakura.ne.jp/nisinhou2.html 

★アルゴリズムとは、解が定まっている「計算可能」問題に対して、その解を正しく求める手続きをさす。あるいはそれを形式的(formal)に表現したもの。加えて、アルゴリズムの効率性も重要となり、速く大量な計算を実現可能とする。このようなアルゴリズムを、コンピュータへソフトウェア的に実装するものがコンピュータプログラムである。 

★カントは「時間・空間は有限である」「時間と空間は無限である」といった二律背反を提示した。カントによれば、二律背反は本来生じるはずのない状況であるが、時に人間理性の誤解によって生じるという。

★二項対立(にこうたいりつ、英:dichotomy、binary opposition)とは論理学用語の一つ。二つの概念が存在しており、それらが互いに矛盾や対立をしているような様のことを言う。元々は一つの概念であったものを二分することにより、それを矛盾や対立をする関係へと持っていくことを二項対立と言うこともある。

陸と海、子供と大人、彼らと我々、臆病者と英雄、男らしさと女らしさ、既婚者と独身者、白と黒、運動と静止、明と暗のように、相対立する一対の概念を二項対立という。二項対立は、言語学者のソシュールや人類学者のレヴィストロースなどの構造主義の学者に由来する分類概念である。二項対立で注意すべきことを挙げる。
  1. 言葉の意味は対立する言葉と比較してはじめてわかる。
    例えば、「陸と海」の例で言うなら、「陸」は「海でないもの」、「海」は「陸でないもの」ととらえて初めて意味が明瞭になる。「陸」も「海」もそれだけで意味をなしているわけではない[要出典]。
  2. 二項対立は互いに排他的だが全体のシステムを形成している。
    陸であれば海でないし、海であれば陸でない。これが排他的な関係である。しかし、陸と海を合わせると、地球の表面のすべてを網羅している。これが全体のシステムを形成しているということである。
  3. あいまいさが生じる。
    二項対立によると、あいまいさや重複が生じることがある。例えば、「陸と海」という二項対立の場合、「海辺」はどちらに入るのか。海辺は陸でも海でもあるのか、それともどちらでもないのか。また、「彼らと我々」の二項対立の場合、そのいずれにも入らない逸脱者はどうなるのか。
  4. 対立する概念には社会の価値観が反映している。
    例えば、「臆病者」と言う場合、それは暗黙のうちに「英雄」と対比されて、「臆病者は良くない」というネガティブな意味が付与されることがある。これは社会の価値観が反映しているからだ。同じことは、既婚者と対比される「独身者」、男らしさと比較される「女らしさ」、我々と比較される「彼ら」にも言える。つまり、二項対立は単に自然を描写したものというよりも、社会の価値観を帯びたイデオロギー的なものということである。(イデオロギーとしての言語)
  5. 物語や映画などを読む時に役立つ。
    これはレヴィストロースが指摘していることだが、物語や映画などはある状態から別の状態に進行していくという特徴があり、それらの状態の関係は二項対立関係にある。例えば、暗から明へ、明から暗へ、あるいは制御からパニックへ、パニックから制御へ、あるいは人間と機械といったものである。
学習はさまざまな二項対立関係を学ぶことで成立するが、脱構築とは二項対立の矛盾を突き、二項対立では割り切れないものを発見することである。そもそも二項対立関係には暴力的階層関係がひそんでいるが、脱構築では両義的な言葉や主張と行為の矛盾に着目して階層関係を逆転したり無化する。二項対立では見えてこなかった盲点を発見しながら思考し続ける営為が脱構築操作なのである。
社会においての諸問題も二項対立から発生しているということであり、たとえば紛争の原点がこれである。このような場合の例を挙げてみれば、会社内において経営方針などが計画されている場合に有力な二つの意見が存在しているものの、それらの主張者や支持者が互いに相手に対して譲らずに、会社内においてこのことから対立が発生しているような場合がこれに当てはまる。(wikipediaより)

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