志情(しなさき)の海へ

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「わが街のロミオとジュリエット」の批評です!デイフォルメされたシェイクスピア作品のスリル!

2012-11-01 20:12:16 | Theatre Study(演劇批評)

島元さんへ

いい批評ですね。

島元さんは本当に演劇が好きなんだなーと思います。

福永さんも奥様もとても勇気を得ることは確かですね。

 

彼のこの間の演劇体験のたまものですね。持続

してきた感性・知性・身体が蓄積してきたもの

は、またこうして表出されるのだという事、それは

こちらも励みにもなりますね。

キジムナーでのデフォルメ化されたロミオとジュリエットを

見ていないので何ともいえませんが、嘉数さんの笑劇の

翻案とも異なりまだこの方が現代の感性を取り組んで

いますね。

 

斬新な若者たちのほとばしりがいいですね。

ことばが残るか映像が記憶されるのか闇の中の十字架は

背後にあり続けるのですね。

最後にジュリエットはゆりえは生きる!そこが新しいの

のですね。愛に殉死しない個=女の意志がナウイのかもです。

もっと書いて見たいけれど島元さんのコミットに負けます。

他の仕事をやっていました。

 

ではまた

劇場にてお会いしましょう。次は11月6日辺りかな?そして11日?

 ロミオの安泉清貴さんは骨のような身体の美を見せていた。ジュリエットの山内千草さんも大胆に自我の骨まで見せますの体当たりの演技だった!クールな美しさがいいね。ジュリエットの母役、中年・小太りのサトウケヤキさんはふんわりとしていて引きつけられた。最も生々しい肉感的な場面が母と娘のやり取りである。娘は母を殺さなければ生きていけない。娘に寄生する母は殺される。凄まじいね、でも現実はそうした外から隔離された関係の淵の中なのかもしれない。為す術もなく時の波に揺られている。

音楽は耳に心地よかったね。小さな街の劇場が祝祭空間になって光がさしていた。ドアの後ろからは車が通りすぎる騒音!でも十字架が輝いていた。十字架は受難の印、若い恋人たちは受難(愛)に生き、犠牲になる。そうさせない仕掛けがなされていた。生きる選択だ!

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再び島元さんへ

何やら雑事でコメントを書こうと思いつつ書けません。

スリリングな舞台でしたね。

 応援するためにいろいろ書きたいのだけれど

書くとなると時間がかかりそうです。

ロミオとジュリエットのデフォルメということですが

嘉数さんたちの笑劇も面白かったけれど、脱構築した現代劇も

いいですね。批評性があると言えます。

 本筋と脇筋、走れメロス的なスケッチも網羅しての

現代のロミオとジュリエットだけれども、

風俗嬢の彼女とジュリエットの重なりの比喩も面白かったけれど、

十字架、そして生き抜くジュリエット

 男であることの直線的な悲しさと単直な実存の骨のような姿、

女であることの悲しさとしなやかさのようなもの、

 母を殺さざるをえない娘、娘にたかった母親、生きることの

耐え難さのようなものがそこに横たわっていて人の世の決壊

がああでもなくこうでもなくあちらこちらで繰り広げられて

いくのだと、寄生虫のような人殺しの人間虫の普通の感覚

もある世情、もう何が起こっても不思議ではない無限の物語は

無限の命の花の物語!

 S拝

 【島元さんの批評の一部です。(ご本人から了解を得ました。感謝!全部公開できないのは残念です)】

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演劇を見るときの原初の喜びがありますね。

 

 詩的な言葉。

 と言うと言葉に失礼ですが

 詩が、生きた言葉として立ち上がってくる瞬間に立ち会う喜びがありますね、

 まずは、これです。

 

 それにしても、

 もどかしさも露わにからだの中から感情の導火線を引きずり出すような芝居、

  演出ですね。

 

 説明を拒むスピードで狂おしさがはき出され、戸惑ったり、共感、共振したり

と観客も忙しいですね。

 ほっと息をつけるユーモアの感覚と、とまった時の絵の美しさがあるから、余

韻が残ります。

 

 平田オリザさんが仰ってたように、演劇って映画とちがって、最終的には絵

(映像)ではなく、言葉の媒体という気がしますが

 (作品を思い出す時に、出てくるのが映像か言葉か、ということです)

 あれだけ激しく動いていると、とまったときの美しさは映像としてその残像が

尾を引きますね。

 

 「ロミオとジュリエット」という物語を憎んでいるような物語だなと思って見ていて、終

盤、寄り添って眠るよう壁にもたれかかっている二人の美しさと

 最後の言葉は「祈り」に感じて、涙が出ました。

 

 レクイエムではなく再生の祈り、詩を感じました。

 

 「ロミオとジュリエット」という聖なる「純愛物語」からはじき出された人た

ちの物語。

 ロミオとジュリエットの純愛物語に対して、純愛の対極(と思われている)風

俗の従事者と客の物語というあたりから狂おしいのですが、

 「純愛物語」を奪われた人たちが奪還する「純愛物語」という無謀で壮大な

夢につきあった甲斐がありました。

 

 シェークスピアの翻案なので当然と言えば当然ですが

 のべつ幕無しな過剰な言葉も、純愛を語る言葉を持たない、持てない人たちが、

 もし仮にそれを語る言葉を手に入れたらという壮大なファンタ ジー。

 

 愛を語る謳う言葉は巷にあふれかえっていますが,うそ寒くない実態のある

 身にしみる言葉で語ろうとすると、そんな言葉が奪われてしまっている 世界に

私たちはいる気 がします、

 大事な言葉を奪った世界に対する憎しみをナイフに託すのではなく、自分たち

の言葉として、奪還するのは演劇にしかできない仕事だと思っています。

 

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神父の川満先生だ!
福永武史の脚本&演出はシャープな面白さだった!詩になっている台詞を少し紹介したい。
(でも脚本を読んでいないし、開演間際まで駐車場の駐車券をバッグに入れたはずが見つからず
そのことでバッグの中を探しまわっていたので、気持ち的にすぐ入れなかったのが残念、音楽には
魅了されていた。筋はシェークスピアだけど、現実の風俗と家族とメロス的な純粋さが絡んでいて
銃であっさり人が死ぬ。包丁も飛び出すが、生々しい。実存の軽さ重さが迫る。そして尚、彼女は
生きる。ロミオの自殺を超える。)
 上田真弓さんや桃子さん、パクさんにも会った!みんな元気そうで良かった!
若い演劇人が育っているね。「わが街の劇場」はユニークな小ささだね!ステージの使い方に工夫が
必要で、40人キャパに緊密感が増す。大いに闊達な空間であってほしい!終了後の外での対話
もwwwーーいいね。

 

 
  

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