月日はあっという間に5年が経ったのです。龍潭池からまだ火の粉が上がっているお城を見上げました。驚嘆と失望、悲嘆から復興に向けたこの間の時間の流れは緩やかに、議論を伴いながら流れているようです。
悲劇作品には常に覚醒と光が差し込んでくることが頭を過ります。
破壊から復興、再生へ、ダイナミックに動く社会の唯物的進化は、唯心論と対をなして、人間の集合的無意識「うむい」に根差しつづけるのでしょうか。
さて大々的な復興祭です。国際通りや首里城、そして首里のメインストリートは、祝福に包まれる三日間になります。
あまり祭に参加することはないけれど、何となく気がそそられています。