散骨は彼の人生を彩る場
すでにしてイメージされた別れの日
君も彼もあなたも、わたしも死者の群れ
淡々と余命を語る顔、何故かやすらぎのような決意にも見えて〜。
死と向き合う時は誰にもやってくる。
21世紀に入ってもはや24年目だ。9・11に何らかの覚醒を得ての現在。時代は無常、恒常的なものを内包しつつ変容していく。その中で人の生死は変わらない。クローン技術や新しい再生医療が永遠の生を可能にする未来も掌中にありえるのかもしれない。死後に残されたDNAからの再生もありえるだろうか。
にしても、マジョリティの人類は生まれて死ぬサイクルを繰り返していくのだろう。
仮に余命を宣告された時、どう自らの明日を終末まで生きていくか、と考えると、身震いするわけではなく、人は、淡々とその日までの時を受難に耐えながら生きざるを得ないのかもしれない。
病床にあっても髭をそり、香りのいいオーデコロンで爽やかだった父の顔が浮かぶ。
お父さん、貴方の人生をkさんが、まとめはじめました。