
(死の棘の原稿)
奄美博物館には島尾敏雄家族のコーナーがあった。島尾が奄美に与えたインパクトの大きさがそこここにある。「死の棘」の原稿は眼をひきつけた。何度も手をいれたのだろう。薄汚れた原稿用紙の痕跡に書き直し、訂正、削除の痕が生々しい。論文を何度も書き直している自らの不甲斐なさをいつも感じながら取り組んでいるが、あの島尾の原稿は逆に勇気を与えてくれる。何度も書き直されることばがあり表現がある。
≪沖縄らしさ≫島尾さんは奄美の自然、歴史、文化を押し広げ、琉球弧、ヤポネシアを編み出したのだった。島尾さんが放った光りは奄美を照らし続けているー。
(この奥野健男の寄せ書きは何となくわかるような気がした。奄美は島尾なんだという思いのようなものが走る)
ほとんど私小説の作家だといえるだろうか。全作品を読んではいない。博物館に掲示された抜き出された文章が興味深かった。ミホさんが沖縄の出自の可能性があるのらしい、ということである。島尾が沖縄を度々訪問していた所以がうかがわれた。妻が狂気に陥っていたイタリアの作家ピランデルロを思い出した。「未知の女」の作家でノーベル賞受賞者だ。狂う妻と向き合って書かれた小説の凄みがあるのだろう。同じく、巫女のような妻(ミホ)の執拗な追求の中で狂うことなく、逃げることなく向き合っていたのらしい島尾はただ祈ることに、救いを見出したのではなかった。彼は書くことによって止揚したのである。恐怖や痛みの対象を見据えて切開して物語にしたてることによって耐えて生き延びてきた作家の良識があったのだろうか?関係性の絶対性の闇と光と書くのは単純だが、どうしょうもない闇を生きなければならないとき、闘うか、共存するか、逃げるか、殺すか、時間に身をゆだねて消えるのを待つか、家族の生き地獄はその当人たちではないと見えない世界があるに違いないが、しかし、想像はできる。
≪家族の光と闇、幸・不幸、過去・現在・未来・愛・≫
関係性の淵でたたずみ耐えて書く行為はもう受苦を身に、精神に負う決意そのものでしかない、しかし関係性の破綻は子供にかなりの影響を与える。自殺願望を植えつけたりしてしまう。どこかちがう空気の中で二人の生き様のすべてが浸透していくという、関係の怖さがそこにあるともいえるのかもしれない。簡単に離婚する離婚率の高さに見えるが、関係の沼から這い上がれない人もまた多いのかもしれない。一人の絶対性、人の存在の例えようもない尊厳さ、峻厳さ、愚かさ、道化的な繰り返しもありえりる。と書くときりがない。
それにしても奄美観光パーク内の田中一村美術館の設計の良さに眼を見張った。自然が息づいている空間に圧倒されて、肝心の一村の作品が負けているように感じられた。光りを暗くしていたせいか、以前那覇の展示で見たときより感銘は起こらなかった。ただ奄美の自然、植物や山々を見ていると、沖縄でも普段に見られる花々や木々、ソテツなど、羊歯などが懐かしくやってきた。赤ショウビンである!ソテツの花を意識したのはここ3,4年だから、植物や小鳥たちが絵画の中で生きている姿は、最近、綺麗な澄んだ鳴き声のイソヒヨドリを思いだしたりしていた。ピーヒョロロと鳴くアカショウビンはやがてまた大学の池の森にもやってくるのだろう。
(田中一村美術館の景観に驚く!)
博物館で学芸員の女性と話していて赤木名が興味深いと思った。そして喜界島、7000人が住むというその島はゴマで有名だとのことだった。なぜ第一尚氏にあれだけ刃向かえたのか、何か独特なものを秘めている島に思える。