
宮崎駿論なんだね。「風立ちぬ」はネットでも多様な論が飛びかっていて、タバコを吸う描写が多いことでも批判されていたり、男のエゴイズムだとの論もあったり、また子供から脱皮した作品だとの批評があったり、対としての結核の妻との関係への批判があったり、作品は一度世にでたらもう映画を見た者たちの自由な思いの世界で寸断され刻まれ、そのれらのエキスが塊として残っていくのだろう。ゼロ戦の美化であり、反戦ではないの意見もあった。創造する者たちの究極のエゴイズムを擁護しているのだとの意見もあった。結局は強者の論理とも、とてもいい批評も著名な作家などが書いていたようだ。まずは映画を見なければで、躊躇した状態。まだ上映されているのだろうか?
ゼロ戦を造った主人公ではなく、対のパートナーだった女の生き方に関心がいく。でもいつ見れるだろうか。女のイニシエーションなり成長は、嫌でも恋をして大人になり子供を産み母になっていく変化が著しい。一個の自我が命を生み出し育てる役割を引き受けていく。変容があからさまだ。
しかし、子供を持つことの喜びが苦しみになることもありえる。自然のサイクルをそのまま美化して生きていくことにも落とし穴があるようだ。美と残酷さが常にそこにあるようなそんな不思議な命の揺らぎがありつづける。
一人の孤独の底の底、底で繋がりあうところに真の愛があふれているのだろうか?偽善の家から膿がこぼれ、海とはほど遠くなるのも、その通りなのかもしれない。
男の成長物語とはどんな物語だろうか?男たちの競争原理や暴力的なすべてに嫌気がさしているところがある。いつでも「いい男」を求めている。いい男とはどんな男だろうか?わたしはいい男たちに出会ってきたのだろうか?大学で見る男たちの中にいい男がいるだろうか。凡庸さに辟易する男たちは多い。久しぶりに医学部の学生たちの顔に接していると、彼らの顔はやはり強い意志のようなもの、簡単にひるまないぞのスタンスが見える。なかにはソネタ子供のような歪みを身体で見せる学生がいたりで、解剖などを経てどう変わっていくのかと興味をもった。感情やこころ、精神、脳に関心がある学生は精神科医でも目指すのかどうか、彼らの意識のありよう、流れに接する面白い学期にはなりそうだ。関心のありかが福島に向いているのは、原発の影響の大きさだね。IP細胞やタンパクなど医学、病理的なものは必ずしも読む課題としては多くはない。