ヒーラーモーイ親方からの長いメールをご紹介します!琉球舞踊保持者の問題です!どうなっているのでしょうか?コメントを紹介します!それで更新します!コメントが増えて活気があります。なるほどと思えるコメントもあり、ウチアタイしますね。それで今日のトップにまた持ってきますね!5月25日→5月31日へ!保持者の発表が6月にあると聞いたのですがー。コメントくださったみなさん、ありがとうございます。今回は盛重系統なり玉城流以外の他の系統、例えば渡嘉敷流や松含流などを中心に選考するというのも、なるほどですね。戦前からの芸能の歴史を考えると、なるほどと第三者としては考えるのですがー。、→6月6日、ブログのトップへもってきますね!→6月17日へ
琉球舞踊界の不都合な真実。伝統を守らない強者が、伝統を守る弱者を殺していく。
by ヒーラーモーイ親方
今の琉球舞踊界を牛耳っている主流派は、かつて、琉球舞踊界の大物に近づいて権力を手にした舞踊家たちだ。「大物に近づく」というのは、具体的には「自分の師匠から教わった大切な技を、大物の流儀にあわせて変えること」。(それ以外のことは、ここには書かない。)「師匠の技を変える」。これは、大変な裏切り行為だ。伝統文化とそれを命がけで守ってきた師匠に対する裏切り行為。それをよしとしなかった舞踊家の多くが非主流派になった。これは暴露ではない。沖縄の舞踊家なら誰でも知っていることだ。
主流派は、自分たちの立場の安泰と私欲のために、邪魔な非主流派を追い落とそうとしている。
今回の琉球舞踊保持者の選考問題は、そのことを明確にした。
「琉球舞踊は滅びるのではないか」(このブログの昨年の12月15日)という島元要さんの危機感に同感する。それに反論する狩俣恵一さんの見解(このブログの今年1月31日の記事)は、あまりに楽観的ではないか?
この問題に関心のある方は、上記の2つの記事と、沖縄タイムスと琉球新報に掲載された記事、そして舞踊家有志による嘆願書が掲載された記事を、是非読んだ上で、以下の文章を読んで頂きたい。
琉球舞踊には、王国時代からの7系統があるという話は、以前から聞いていた。しかし、平成21年に国の重要無形文化財に指定された「琉球舞踊」の技能保持者は、7系統の内、ほぼ玉城盛重の1系統のみで占められている。これは島元さんの記事で初めて知って驚いた。7系統すべてが貴重な沖縄の文化ではないか。琉球舞踊の望ましい継承を考えると、盛重系統以外の6系統からも保持者に相応しい人材がいれば、選ばれるべきだと考える。
ところが、現在の保持者から成る「琉球舞踊保存会」は、国が進めている次期保持者選考に、「身内」や「自分たちの弟子」「仲のいい他流派」という偏った候補者を推薦しようとして伝承者(保持者育成のための研修を受けている実演家)から抗議を受け、何度も候補者選びをやり直している。今回は、伝承者有志から嘆願書が文化庁長官、県教育長、保存会会長宛てに出されたことも新聞記事で知った。状況はさらに深刻になっていないか。記事によると、推薦資料の国への提出は、1,2月中が締め切り。だから、資料はすでに国に提出されたと見られるが、果たして、候補者選考は改善されたのだろうか。いまだにその選考方法は、伝承者の尊厳を傷つける全国でも異例な(沖縄タイムスの記述)そして不透明な方法という声は私の周辺でも多い。これらの記事を読むと、保存会は抗議を受ける度に、本質的な反省や改善を行うのではなく、手を変え姑息なやり方で自分たちの私欲を通そうとしているように見える。
島元見解、そしてそれを踏まえたと思われる嘆願書の「盛重系統以外の6系統の演目や技芸が失われると、琉球舞踊は途絶えてしまう恐れがある」という見解に対して、狩俣さんは、「日本舞踊の例を見ても分かるように、芸統の存続と保持者に指定されることには直接不可分な関係ではない」と書く。
しかし、日本舞踊と琉球舞踊はちがう。日本の伝統舞踊の中で、重要無形文化財に指定されているのは、琉球舞踊だけである。日本舞踊には、琉球舞踊にある「保持者選考問題」は存在しない。「国の保持者」という「権威」を手に入れるための暗闘はない。
琉球舞踊には、保持者になるための「権力闘争」がある。これは、以前にも見た景色だ。琉球舞踊は、国指定無形文化財になる遥か前、昭和四七年に沖縄伝統舞踊として県指定無形文化財になった。それ以降、「県の保持者」という権威を手にするために、有力な保持者に取り入り、守るべき伝統の技を変える人たちが現れた。
もちろん、琉球舞踊も生きた芸能である以上、変化の波に曝されている。基本の崩れという嘆かわしい理由だけでなく、流会派に分かれる中で特色を出すための変化、実演家それぞれの資質による変化や、技の研鑽や探求による深化や進化という文脈で検討されるべき変化もあるだろう。しかし、権威を手に入れるための変化は、その芸能の豊かさに何の貢献もしない、逆に大きな問題を作り出すだけではないか。
具体的に書く。
琉球舞踊界の女帝であった故真境名佳子先生が、この県指定保存会の会長の頃、玉城盛重系統で中心的な流儀である玉城流(盛重師の甥の盛儀師が開祖)の四天王と呼ばれる花形舞踊家たちが、こぞって佳子師詣でをした。佳子師の指導を仰ぎ、盛儀師の技を変えたのは、玉城秀子、玉城節子、谷田佳子、金城美枝子(敬称略)の4人の方々だ。
盛儀師の門下で、師の手を変えることをを良しとしなかった方々が、宜保雅子、金城清一、金城千寿子、宮里敏子の4人の方々である。
結果として、四天王(玉城秀子、玉城節子、谷田佳子、金城美枝子)の方々は県指定沖縄伝統舞踊の第3次認定保持者になった。宜保雅子、金城清一、金城千寿子、宮里敏子といった方々は、四天王と同世代か年上でありながら、その下の世代とともに、遅れて第4次、5次認定保持者である。
県指定の保持者の選考は、県の教育委員会の文化課(現在の文化財課)で行われている。選考の資料として芸歴書や公演実績や年譜を精査して、有識者を交えて総合的に慎重に審議しているという。ただし、選考資料は、県の保存会から推薦があった者たちのみに限られる。推薦がなかった方々は審議の対象にならない。4次、5次認定の方々は、果たして3次認定の選考の際に県の保存会から推薦されたのだろうか。
歴史は繰り返す。今回の国の重要無形文化財「琉球舞踊」保持者選考に際しても、主流派詣でをして、師の技をすてた人がいる。そうやって流儀の名前は残っても、中身が変わっていれば、その流儀は滅んだも一緒じゃないか。
1次認定、2次認定保持者である大きな先生方のほとんどが亡くなると、県の沖縄伝統舞踊保存会は、3次認定保持者になった主流派の天下になった。会を動かす役員は、大半が3次認定保持者。4次、5次から役員になっているのは、3次認定保持者の弟子だけである。目には見えないが、3次対4次5次という対立構造ができた。
そんな折り、平成21年に、県指定だった沖縄の舞踊が国指定になった。そこで国指定保持者として選ばれたのが、県の3次認定保持者。4次、5次の保持者は、県の保持者として残った。
国の重要無形文化財「琉球舞踊」の指定は、県指定に潜在していたこの対立構造を顕在化させた。
県指定の沖縄伝統舞踊。国指定の琉球舞踊。この二つは名前は違っても、実は同じものだ。指定が国か県かという違いだけだ。なぜ、同じものが二つある理由がよく分からない。琉球舞踊として一本化すればよい話ではないか。組踊のように、沖縄での指定(当時は琉球政府指定)がそのまま国指定になっていれば、今回の問題は起こらなかった。国は、文化庁はいったい何を考えているのか。
国指定の保持者が、県指定とは全く関係なく、国独自の人選で選ばれたのなら話は分かる。国の保持者の全員が、県の3次認定保持者だ。それ以外から保持者になった舞踊家はいない。県指定の保持者以外にも優れた舞踊家はいる。それらの方々を選んでくれたらよかったのに、そうはなっていない。明らかに、県指定の保持者からの人選だ。国、文化庁は、県指定を踏まえながら、3次の方々だけみて、4次5次をなぜ切り捨て、尊重しないのか。県の教育委員会、中でも文化財課はどう考える。県指定の誇りは大きく傷ついた。
県指定の「3次対4次5次」が、そのまま国指定の「保持者対伝承者」に
なってしまった。これはまた、冒頭で述べた「主流派 対 非主流派」の対立構造と重なる。力関係から言うと、主流派である「保持者」に対して、「伝承者」の中の非主流派は、圧倒的に弱い立場にある。そんな弱者をなぜ、同保存会は、「いじめる」のか。(この「いじめ」の内容や実態については後述する。)
単に身内を優先したい「保持者の私利私欲」だけでは説明がつかない。根はもっと深い。一言で言うと、非主流派の存在自体が、主流派である保持者にと不都合だからだ。
師の技を変えることで保持者になった主流派は、師の技を守っている非主流派がいては、自分たちの正当性(本物であること)を主張できない。非主流派が伝承者という弱い立場にいるうちは心配ないが、自分たちと同格の保持者になって、正当性を主張をされては困るのだ。だから主流派は水面下で、非主流派に対して「技を自分たちに合わせる」ように懐柔したり強要したりする。それが効かない場合は、保持者候補者から外す暴挙に出る。潰すしかないのだ。
この投稿のタイトル「琉球舞踊界の不都合な真実。伝統を守らない強者が、伝統を守る弱者を殺していく」は、皮肉でも冗談でもない琉球舞踊界の現実だ。
伝統を守る手本であるべき「保持者」たちが、伝統ではなく自分たちの権威や利益を守るために、伝統を守っている人たちを潰していこうとしている。
これを指導すべき行政は何をしているのだろう?
「琉球舞踊は滅びるのではないか」と警鐘を鳴らした県の元担当者の島元さんの新聞記事が出た日、島元さんの上司の野原忠班長という人が、保持者候補者の実技選考の会場に駆けつけ「勘違いをした部下が、でたらめなことを書いてしまった。我々の指導不足があり、誠に申し訳ない」と謝罪したという話を複数の保持者や保存会以外の芸能関係者から聞いた。それどころか、琉球舞踊保存会は口頭の謝罪ですまさず県庁まで抗議に行き「謝罪文」を県教育委員会に出させたと言っている保持者もいる。本当だろうか?
あの記事が「でたらめ」というのは、県教育委員会の公式見解か?ちゃんと事実関係を調べたのだろうか?あの新聞記事の内容は、個人の意見や「でたらめ」ではなく忌まわしい「舞踊界の現実」でありながら、誰もこれまで書かなかったことだ。私の周辺の関係者たちはそう言っている。「でたらめ」という否定的な意見は聞こえてこない。
琉球舞踊保存会も一枚岩ではない。舞踊家の暴走を快く思わない保持者もいる。候補者名簿等の重要な情報が外に漏れる(というより確信犯的に白日の下にされた)のは、そのことを表していないか?狩俣さんの寄稿文では、この保存会内部の情報の漏洩を問題視しているが、私はむしろ、琉球舞踊保存会(保持者)の中にも、この不正な選考方法に疑問を持つ人間がいることは、一つの希望だと思う。そこに琉球舞踊保存会の再生の可能性がある。琉球舞踊保存会が健全な組織であり、公正な保持者選考を行っているのなら、そこでの情報の漏洩は大問題だが、現在のこの不健全な団体が疑念をもたれるような選考を行っている状況なら、どんどん情報を外に出してほしい。不正をはびこらせないために是非そうしてほしい。心ある保持者には是非そうしてほしい。
問題は、県の教育委員会だ。文化財課は、保持者と伝承者双方に聞き取りをすれば様々なことが分かるはずだ。それをやった上で「でたらめ」と断じているのか。行政の中立性は守られているか?
伝承者によると、文化財課は市町村に指示を出して、適正な保持者選考を求める「署名」や「嘆願書」(記事にある嘆願書を伝承者有志で文化財課に直接持って行ったのにお座なりに対応されたので市町村経由で提出しようとした)を握りつぶしているという。
また、衝撃的な噂がある。
島元さんは、県教育員会内部で孤立し、精神を病んで休職に追いこまれたという。
事実だろうか?本当なら県の文化行政の唯一の希望が消えたとすら思う。
琉球舞踊が滅びる以前に、沖縄の文化財行政は死んでいないか?
文化財保護の観点だけでなく、文化振興、産業の面でも大きな打撃ではないか?沖縄の宝である舞踊の「7系統」が「1系統」になるかもしれない瀬戸際だ。言い換えると「7」あるコンテンツ(実はコンテンツどころかその源泉になるもっと大きな存在だが)が「1」になるというのは、大変な損失ではないのか?系統が一つになれば、系統同士で切磋琢磨して進化することはのぞめない。いったん形骸化してしまえば元に戻らない。薄っぺらな観光土産のような舞踊が残っても、それを琉球舞踊と呼べるだろうか。世界に誇れるだろうか?
沖縄県の文化行政は、文化財保護が県教育委員会の文化財課、文化振興が県の文化振興課と分けられているが、この二つは取り組みとしてはわけられても、無関係ではない。どちらの取り組みが空洞化しても、双方に及ぼす悪影響は甚だしい。県教育委員会の文化財課だけでは無理なら、振興課の力も必要ではないか。この二つの部署が手を取り合って、状況を改善してほしいと切に願う。
マスコミはどうだろうか。琉球新報、沖縄タイムスともこれまでになく、担当記者がかなり踏み込んで、問題を浮き彫りにしていた。ただ、その後トーンダウンした感がある。両新聞とも舞踊のコンクールを事業として行い保持者との関係も深い。マスコミ人の中には、「正直言って舞踊の問題にはもう触れたくない」と漏らす人もいる。これ以上の追究はマスコミに期待できないのか?
では、有識者に期待できるか?
芸能関係の有識者といった人たちの中で今回の件で発言したのは、ただ一人狩俣さんだけである。私とは認識は異なるが、打開策としての具体的な提言もあり傾聴に値する。しかし狩俣さん以外の方々はどうしたんだろう?
有識者も琉球舞踊との関係が深い。保持者に不都合なことは言えない、書けないのか?琉球舞踊保存会の顧問である三隅治雄、宜保栄治郎、田中英機、織田絋二、波照間永吉といった方々は、この状況をただ看過しているだけか?新聞記事では、この件については保存会から連絡が無かったとあったが本当だろうか?保存会としめしあわせて責任逃れをしているのではないか?とすら勘ぐってしまう。顧問以外の大城學、当間一郎といった方々はどう考えておられるのか。手をこまねいていると、研究対象である沖縄の芸能はひからびていく一方ではないか?後進である研究者たちに豊かな裾野を残すため、いや琉球舞踊そして沖縄の芸能文化を愛するのなら、重い口を開いて前向きな提言をしてもらえないか。保持者との関係悪化が気になるのなら、有識者のお一人お一人が少しずつでもいい。できる範囲ででも提言をしていただけないか。
現状は厳しい。国の保持者、文化行政、マスコミ、有識者の対応について見聞きするたびに絶望的な気分になる。その気持ちを振り払って、これら関係者各位にお願いしたい。現実を直視しそれぞれの立場で出来ることをして欲しい。
最も気になるのは、もう一方の当事者である県の保持者(伝承者)の動向。
非主流派(国保持者に選ばれなかった県指定の3次4次保持者)が、国の保持者に選ばれるには、国の保持者の団体「琉球舞踊保存会」の伝承者養成研修を、研修生(伝承者)として受講し、同保存会から保持者候補者として推薦されることが絶対条件だと記事にある。これは、県の3次4次保持者にとっては衝撃だったにちがいない。これまで、同じ保持者同士であった人たちが、先生(保持者)と生徒(研修生)に峻別され、自分たち(3次4次)は生徒(伝承者)側として扱われる。芸能家としての晩年に辱めを受けるという精神的苦痛は、ブログ記事にあるように察するにあまりある。
もちろん県の保持者には、研修生(伝承者)にならず、文化財の指定認定と距離をもって我が道をゆくという生き方もある。しかし、不要な権威をもった者達が保持者として舞踊界を牛耳って、自流派のことを優先している現状では、伝承者それぞれが先達から受け継いだ芸の未来、特に弟子達の将来のことを考えると、舞踊の伝統を継承するための「保持者認定」から脱落することは大きな心配がある。嘆願書にある「公平な選考」を望むのは無理はない。
芸の研鑽は芸の向上のためであり、保持者に認定されるためではない。ひたすら芸を研鑽すれば、結果として保持者に認定される。という世界をつくらねば、この悩みは続くであろう。国の保持者としての「権威」獲得という私欲より「先達のわざを何としても残さなくては」という強い意志を持つは存在する。私が知っているだけでも、県の保持者以外の伝承者にも、また伝承者以外の実演家の中にも何人もいる。その人たちこそ沖縄の宝ではないか。誇りに思う。そういう人たちにこそ、国の保持者なってほしい。
ところで、研修生(伝承者)の話では、研修は開始当初から波乱の連続であったという。県の保持者の方々は、他の研修生とは別格に「特別研修生」という特別扱いを受けたと記事にはあったが、何かにつけ絶えず国保持者との間に精神的な齟齬があり、指導する側(国保持者)と指導される側(県保持者)も、疲れ果てた(先述の研修生の言)25年度に、晴れて研修を修了となり、研修修了生として「保持者候補者名簿」に載せたという報告が、26年度研修の開校式であり、多くの人が胸をなで下ろした。だから今回の「保持者候補者」を選ぶ実技選考、そのための「実技発表」に多くの人(伝承者以外の人も)が衝撃を受けた。なぜ、研修終了時の研修修了生全員の名前がある「保持者候補者名簿」が反故(無し)にされたのか。何の説明もない通知文に「裏切られた」と感じた伝承者は多い。「やっぱり」とか「またか」という反応も。研修修了の際の琉球舞踊保存会からの説明では、修了生に対して、今後研修の場に立たせて実技の披露を強要したりはしないという約束があったからだ。
選考会についての通知も不公平だ。この「実技発表」が保持者候補者選考のためのものだと、発表会当日の2ヶ月前から知っていた国の保持者の弟子と、数日前に知らされた国の保持者の弟子以外の研修修了生。これは事務局のミスにしても大きい。意図的なものではないか勘ぐってしまう。通知文と一緒に、選考を辞退する届け文の様式も添付されている。「欠席届」ではなく「辞退届」であることが衝撃である。事務局の連絡や通知の不備を謝罪もせず、選考会に参加できない場合は、「保持者になることを諦めろ」という訳だ。
このパワハラと言っていい処遇に、伝承者の嘆願にこめられた思いは切実だ。
「インターネットには、文化庁など宛の嘆願書提出の有志15人の実名を掲載しているが、盛重系は12人、成重系以外の芸統は3人だけである。」(狩俣)この「だけである」というのは誤解だ。この15人の有志というのは、県の保持者(研修修了生)31人の中で今回の嘆願書に賛同し署名をした15人のことだ。その系統の内訳は、盛重系が27人中12人、盛重系以外の芸統は4人中3人。半分に満たない盛重系に対して、盛重系以外の芸統はご高齢の仲宗根文子先生以外は全員賛同している。もとより盛重系以外の芸統は少数派だ。しかし総員の数では負けても、団結の強さでは勝っている。
この署名の人数から「本当に流派存続の危機ならば、盛重系以外の芸統は伝承者も含めて一致団結すべきではないか」(狩俣)というのも的外れだ。この嘆願書は、県の保持者(研修修了生)有志のもの。県の保持者でもない伝承者の名前がないのは当然だ。名前がないというだけで一致団結していないということにはならない。新聞記事では、嘆願書は県の保持者有志から県教育委員会、文化庁、琉球舞踊保存会に提出されたとあるが、その後、有志だけではなく、県の沖縄伝統舞踊保存会から会長名で、県教育委員会(文化財課)を経由しないで、直接文化庁の吉田担当官に手渡したという。思わしくない状況の中で、県の保持者は諦めずに、未来を見て頑張っておられる。
むろん県の保持者だけでなく、伝承者全員あるいは出来るだけ多くの伝承者の署名をあつめるべきだという意見はあるだろう。しかし、伝承者の立場は弱い。特に、県の保持者ではない伝承者は、県の保持者から成る県指定沖縄伝統舞踊保存会のような流派をこえた大きな統一団体を持たない。狭い沖縄の芸能界。様々な団体合同による公演の場合、トップに立つ国の保持者の機嫌を損なうと、あからさまな虐めに会う。自流派の師匠の庇護が及ばないところで傷つけられることも多い。伝承者が自らの名前を出して抗議するのは実に難しい。だから連帯や団結は見に見えないところで行われる。一般の人にはこの特殊な事情や問題は見えないゆえんだ。だからこそ、非主流派、特に盛重系以外の県の保持者は、弟子を守りつつ、不正義と闘っていかなければならない。
だから、この苦しい闘いを続ける全ての芸能家にエールを送りたい。
そして、一般の方も、もっとこの問題に関心を持ってほしい。琉球舞踊が変わり果て滅びることは、沖縄の大事な心がなくなるに等しい。実は、琉球舞踊保存会には毎年税金から700万円以上の公費が投入されている。これを芸能の私物化に使われてはたまらない。同保存会の動向を注視してほしい。
ここまで、この拙い文章を読んでいる方々にお願いしたい。琉球舞踊保存会、マスコミ、有識者に失望や期待だけするのではなく、このブログのコメント欄に思うところを投稿してほしい。反論。訂正。異なる意見。新しい情報。匿名でかまわない。そうして、沖縄の大切な宝、琉球舞踊を守る力になってほしい。一人でも多くの方が。切なる願いだ。
まだまだ書き尽くせない。コメントで指摘いただければ、いずれ補足したい。
ヒーラーモーイ親方
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文化行政の場で真実を追究すべく、勇気をもって現状を社会に訴えた島元先生の立場が気になります。沖縄芸能、この琉球舞踊保持者問題について沈黙している専門家の方々は責任をもってしかるべき方向性を指し示してほしいものです。県の文化行政担当の責任者、文化庁の責任者、担当者も含め、このヒーラーモーイ親方の問いに真摯に応えてほしいものですね。
芸能史や演劇史をまとめたいと考えています。女性芸能史は遊里を中心にまとめてみました。
元々は王府時代の冠船芸能者から近代以降は『沖縄芝居』の中で、大衆芸能は雑躍も含めて誕生ですよね。沖縄芝居役者として、大衆の趣向を取り入れながら近代の形ができたのですね。その中で組躍も古典舞踊も継承されてきたのですね。渡嘉敷守良さんや新垣松含さんが玉城盛重さんなどと肩を並べていたのですね。近代の芸能の中身は史料が残っていますね。盛義さんが遊里のお座敷で人気があり芸妓に舞踊を指導しているのですが、松含さんもかなり勢いがあり、芸妓に舞踊を指導したことも事実ですね。
1930年代の真楽座や珊瑚座の隆盛があり、その中軸を担った方々が戦後のリーダーになっていったのですね。真境名由康さんや伊良波尹吉さん、親泊興照さん、宮城能造さん、島袋光祐さん、少し遅れて大宜見小太郎さんや真喜志康忠さんなどでしょうか。舞踊の型が纏められた50年から60年代が沖縄タイムスの豊平良顕【1904-1990】さんたちが真境名佳子【1919-2005】さんを中心にピラミッドを構成したということになるのでしょうか?
戦前佳子さんより抜きん出ていたのが遊里の芸妓だった上間郁子さんたちですね!沖縄内の差別(の眼差し)があり、芸妓の芸を軽んじてきた戦後ですが、遊里270年の歴史(女性芸能)を踏襲したのが『乙姫劇団』ですね。乙姫の女性たちの『舞踊』はいいですね!玉城流にその流れはある様子ですが、綺麗な造花の美と品の良さ、格式、しかし、古典女踊のほとんどはその歌詞を見るとユカッチュから美らジュリへの愛の歌が基軸になっていますね。琉歌を吟味するとこの間の曖昧さが見えてきますね。
琉球舞踊の問題でした。現在は新聞社を中心にコンクール制度で、継承・発展のシステムが出来ているのですね。家元制度も盛んです。どれほど舞踊の型や手、元歌が異なるのか、その差異を払拭してきたのが、コンクール制度だともいえるかと思います。
それぞれの流派固有の個性(美や型)が統一されているのならば、家元制度もおかしくなりますね。似たような雑踊や古典躍りですから、誰が抜きん出ているのか、差異があまりありませんね。型があるとしたら沖縄タイムス系と琉球新報系があるのでしょうか?
盛重系以外の型や手の特徴を吟味し、その舞踊を継承している方々を招聘し、多くの皆さんに披露する会を持ってほしいですね。盛重系の躍りと渡嘉敷系や松含系、その他の躍りの違い(差異)をじっくり鑑賞したいですね。←是非実現を!
ここで琉球舞踊の国保持者から国宝が誕生すると、状況は変わってくるのだろうか?権威に媚びる傾向があるのも沖縄芸能の特性でしょうか?ヒーラーモーイ親方がこの可能性(流れ)についてどう考えているか、知りたいですね。
6・6:現琉球舞踊保存会の問題がかなり指摘されてきていますね。コメントも増えているので、このブログのトップへ今日の日付でもってきますね。コメントを御覧ください!どう結果が反映されるのか、見守りたいと思います。
全然変わっていないことに愕然とします。
いやもっと酷くなっているのでは、前回保持者(二次)になった保持者の先生に聞くと、自分達はツンボ桟敷で、保持者候補者選考の会議に呼ばれないで、一次保持者の天下。一次保持者たちで勝手に決めている。県(保持者)の人たちは可哀想だね。でした。前回と今回、新たな保持者が決まりましたが、全然状況が変わらないのでは、一次保持者の多くが鬼籍に入らんと変わらないのか?その頃には、2次3次の人たちも1次の人たちみたいに闇堕ちして、芸能を私物化する様にならなければいいけど。
琉球舞踊の問題は大御所の先生方というより先生方の性格を知りながら意図的に
野放にし、補助金の不正流用を勧めた当時の文化財課の課長の犯罪的な対応です。
さらに、先生方の横暴を抑えていた担当者である島元先生をパワハラで休職に追い込んだそうです。
嘘であって欲しい。
弱肉強食って他流派弾圧肯定派?
絶対やばい!!
流派によってワザとか考え方とか
歴史が違うから分かれているんですよね
いくつか流派があるんだったら
ベストは他の流派も公平に指定されることじゃないんでしょうか?
1つ残った流派もなくなったらどうするんでしょうか
これも弱肉強食?
やっぱり、舞踊とかで「弱肉強食」ってコメント絶対やばい!!
どんだけ上から目線
強いところが残れば。
7系統全部が残らなくても、1系統が残れば、琉球舞踊は滅びていないことになる。
今はもうもっと昔話みたいです。
もう誰も闘っていません。
県の先生方ももう誰も反旗を翻す方はいない。
権力維持と自分と身内、仲良しの利益だけを追い求める魑魅魍魎の天下です。
残念ですが、琉球舞踊の終わりの始まりです。
一つ目は恣意的な追加認定の過程で当時の文化財課の課長と班長の指導で補助金が不正流用されたこと。
二つ目は不正流用された補助金を資金源を元に、恣意的な追加認定候補者選定コンクールが開催されたこと。
三つ目は追加認定候補者選定コンクールで、主流派じゃない候補者の先生方が侮蔑的にあつかわれ上に、差別的な審査によって人権が蹂躙されたこと。
四つ目はこれまで保存会が暴走しないように丁寧に指導していた島元先生が一方的に担当者を外され保存会が暴走しやすい体制になっていたこと。
五つ目は恣意的な追加認定候補者選定コンクールについて新聞に投書した島元先生が課長や班長のパワハラで精神的に追い詰められたこと。
実態と書類を付き合わせると、ちぐはぐなことをしているのに
全部なかったこになっている。
こんな幕引きでいいの?
指定の候補から理不尽に
外された先生がたは
これでいいんですか!!
声をあげないとこれから同じことが何度も起こる。
こころある人は追加認定で何が起こったのか出来るだけ多くの人に広めてほしい。
保存会の大御所たちは権力にすりよれば、なんでも思い通りになることを学んだのだから。
これを読むと、この問題の概要は分かると思います。
資料を整理すると (資料をどう読むか)
2019-05-05 11:26:12
nasakiさま。ありがとうございます。
①~⑮の膨大な資料が見られるようになったおかげで、島元要先生の教育長あて「直訴状」の全貌がつかめるようになりました。
この①~⑮の資料は、下記の本ブログ2019年4月7日掲載記事の添付資料ですね。
島元要先生の直訴状。県教育長あて。琉球舞踊問題。(1) 匿名天使
島元要先生の直訴状。県教育長あて。琉球舞踊問題。(2) 匿名天使
この(1)(2)を読みながら、その根拠資料である①~⑮を参照すればいいですね。
ただ、上記の(1)(2)の内容は、実は1年ほど前(2018年4月14日)に下記の記事で3回に分けて掲載されています。同じ内容ですが、下記の記事のほうが掲載が古いためか。様々なコメントが入っていて、これが勉強になります。
「琉球舞踊問題」① 島元先生の直訴状。県教育長あてです ... - Gooブログ
「琉球舞踊問題」②島元要先生の直訴状。県教育長あて。 匿名天使 - 志情 ...
「琉球舞踊問題」③ 島元 要先生の直訴状〔県教育長宛〕匿名天使さんより ...
RE:これまでの流れを整理しますね。 (資料をどう読むか)
2019-05-05 22:32:00
先ほどのコメント、参照しやすいようリンク貼って再送いたします。
nasakiさま。ありがとうございます。
①~⑮の膨大な資料が見られるようになったおかげで、島元要先生の教育長あて「直訴状」の全貌がつかめるようになりました。
この①~⑮の資料は、下記の本ブログ2019年4月7日掲載記事の添付資料ですね。
島元要先生の直訴状。県教育長あて。琉球舞踊問題。(1) 匿名天使
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/edd02d5726046a6d8dc6ed7f892e687a
島元要先生の直訴状。県教育長あて。琉球舞踊問題。(2) 匿名天使
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/74181466a866bda58d871a83b7ffe5a3
この(1)(2)を読みながら、その根拠資料である①~⑮を参照すればいいですね。
ただ、上記の(1)(2)の内容は、実は1年ほど前(2018年4月14日)に下記の記事で3回に分けて掲載されています。同じ内容ですが、下記の記事のほうが掲載が古いためか。様々なコメントが入っていて、これが勉強になります。
「琉球舞踊問題」① 島元先生の直訴状。県教育長あてです!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/d105d84f491d301ffdc8ad1402a1b578
「琉球舞踊問題」②島元要先生の直訴状。県教育長あて。
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/b4035e4942ac0cc2ee58ea302672c350
「琉球舞踊問題」③ 島元 要先生の直訴状〔県教育長宛〕匿名天使さんより。 https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c4eee051d5397b8a5fe1932fb96dc858
資料リンク
資料①
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c1c4425704b0d084360a4d31c6dc351e
資料②です。
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/60ad2987aa5e31f9ada1e60821a2841a
資料③会議資料
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/335aa04ffa3485ed16bede06e4a08230
資料④係官派遣依頼
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/d33a21195be2e8ba863016a1ccb00793
資料⑤予算関係
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/4021a41fd1865b47ef16420598c04098
資料⑥
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/22c12628e62236ecdf0cc6c8eeae27ae
資料⑦報道発表
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c5265dfd0b2f7be456312563a168dac1
資料⑧同僚の文化財課のみなさんへの島元さんからのメール!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/cc72ac9f02a5523674a55053cf4dc7bc
資料⑨教育長への嘆願、沖縄タイムス掲載記事に対する文化財課の対応、他!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/7e02b3fa5d1e345c1ce315a8864b8fd6
資料⑩「琉球舞踊保存会」の保持者候補選考に係わる問題について
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/462a79ec997192f2fc83eed51e34ef1c
資料⑪沖縄タイムスへの投稿に対する当局の分析(すでに以前UPしたのと同じデータ)https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/fee1f553659ea76e033f65a7df1c39b9
資料⑫主治医と職場上司との相談会報告
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/e33541c4d6f1b493bc00323df523bbad
資料⑬教育長ヒヤリング報告「琉球舞踊保持者追加認定についての問題点」
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c5c7d85dbf16cee97f2d9520d5adfdbe
資料⑭「琉球舞踊をめぐる国の支援の現状について」
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/af12e7cc113624fb514d395096482513
⑮「琉球舞踊保存会」顧問とのご相談、他沖縄の家元制度の問題など、芸能問題の集約でしょうか?
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/2c827c9e06d5ba72fd2057bc67e1f313
これを読むと、この問題の概要は分かると思います。
資料を整理すると (資料をどう読むか)
2019-05-05 11:26:12
nasakiさま。ありがとうございます。
①~⑮の膨大な資料が見られるようになったおかげで、島元要先生の教育長あて「直訴状」の全貌がつかめるようになりました。
この①~⑮の資料は、下記の本ブログ2019年4月7日掲載記事の添付資料ですね。
島元要先生の直訴状。県教育長あて。琉球舞踊問題。(1) 匿名天使
島元要先生の直訴状。県教育長あて。琉球舞踊問題。(2) 匿名天使
この(1)(2)を読みながら、その根拠資料である①~⑮を参照すればいいですね。
ただ、上記の(1)(2)の内容は、実は1年ほど前(2018年4月14日)に下記の記事で3回に分けて掲載されています。同じ内容ですが、下記の記事のほうが掲載が古いためか。様々なコメントが入っていて、これが勉強になります。
「琉球舞踊問題」① 島元先生の直訴状。県教育長あてです ... - Gooブログ
「琉球舞踊問題」②島元要先生の直訴状。県教育長あて。 匿名天使 - 志情 ...
「琉球舞踊問題」③ 島元 要先生の直訴状〔県教育長宛〕匿名天使さんより ...
RE:これまでの流れを整理しますね。 (資料をどう読むか)
2019-05-05 22:32:00
先ほどのコメント、参照しやすいようリンク貼って再送いたします。
nasakiさま。ありがとうございます。
①~⑮の膨大な資料が見られるようになったおかげで、島元要先生の教育長あて「直訴状」の全貌がつかめるようになりました。
この①~⑮の資料は、下記の本ブログ2019年4月7日掲載記事の添付資料ですね。
島元要先生の直訴状。県教育長あて。琉球舞踊問題。(1) 匿名天使
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/edd02d5726046a6d8dc6ed7f892e687a
島元要先生の直訴状。県教育長あて。琉球舞踊問題。(2) 匿名天使
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/74181466a866bda58d871a83b7ffe5a3
この(1)(2)を読みながら、その根拠資料である①~⑮を参照すればいいですね。
ただ、上記の(1)(2)の内容は、実は1年ほど前(2018年4月14日)に下記の記事で3回に分けて掲載されています。同じ内容ですが、下記の記事のほうが掲載が古いためか。様々なコメントが入っていて、これが勉強になります。
「琉球舞踊問題」① 島元先生の直訴状。県教育長あてです!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/d105d84f491d301ffdc8ad1402a1b578
「琉球舞踊問題」②島元要先生の直訴状。県教育長あて。
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/b4035e4942ac0cc2ee58ea302672c350
「琉球舞踊問題」③ 島元 要先生の直訴状〔県教育長宛〕匿名天使さんより。 https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c4eee051d5397b8a5fe1932fb96dc858
資料リンク
資料①
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c1c4425704b0d084360a4d31c6dc351e
資料②です。
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/60ad2987aa5e31f9ada1e60821a2841a
資料③会議資料
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/335aa04ffa3485ed16bede06e4a08230
資料④係官派遣依頼
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/d33a21195be2e8ba863016a1ccb00793
資料⑤予算関係
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/4021a41fd1865b47ef16420598c04098
資料⑥
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/22c12628e62236ecdf0cc6c8eeae27ae
資料⑦報道発表
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c5265dfd0b2f7be456312563a168dac1
資料⑧同僚の文化財課のみなさんへの島元さんからのメール!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/cc72ac9f02a5523674a55053cf4dc7bc
資料⑨教育長への嘆願、沖縄タイムス掲載記事に対する文化財課の対応、他!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/7e02b3fa5d1e345c1ce315a8864b8fd6
資料⑩「琉球舞踊保存会」の保持者候補選考に係わる問題について
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/462a79ec997192f2fc83eed51e34ef1c
資料⑪沖縄タイムスへの投稿に対する当局の分析(すでに以前UPしたのと同じデータ)https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/fee1f553659ea76e033f65a7df1c39b9
資料⑫主治医と職場上司との相談会報告
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/e33541c4d6f1b493bc00323df523bbad
資料⑬教育長ヒヤリング報告「琉球舞踊保持者追加認定についての問題点」
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c5c7d85dbf16cee97f2d9520d5adfdbe
資料⑭「琉球舞踊をめぐる国の支援の現状について」
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/af12e7cc113624fb514d395096482513
⑮「琉球舞踊保存会」顧問とのご相談、他沖縄の家元制度の問題など、芸能問題の集約でしょうか?
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/2c827c9e06d5ba72fd2057bc67e1f313
新聞社主催の芸能コンクールの応募者が激減しています。この10年くらいで、半分以下に減っています。
私が受けた30年前の盛況ぶりが、嘘みたいです。
明確な「意図」があるぶん、琉球舞踊問題がはるかに悪質です。
首里城の火災は消防や警察によって原因究明がされていくでしょう。
琉球舞踊はどうなんでしょうか。コメントにもありますが、県文化財課や文化庁で、琉球舞踊「問題」はないことになっています。
ないことになっている「問題」の原因究明を誰がするのでしょうか?
大綱も首里城も、徹底した原因追求がなされることを念じています。
琉球舞踊に関しては近代66年間の推移をキチンと研究すべきだと考えます。
私はオカルトチックな人間ではありませんが、この一か月にもならない間に、
「あり得ないこと」が二度も起こったのです。しかも、どちらも「人災」。(火災も電気系統の故障の線が濃いので)
人智を超えて大いなるものからの警告と受け止めて、謙虚に真摯に取り組むべきと思います。
首里城のことだけ言ってるのではないです。琉球舞踊も。
このタイミングでのコメントはあまり好ましくはないと思うが、琉球舞踊の問題とリンクせずにはいられなかった。
収蔵されていた沖縄県指定有形文化財も被害にあったかもしれない、状況確認を急ぐと新聞の一面で記事にされた。幸いにも有形の県文化財3点無事が確認されたことは心から良かったと思う。反して、沖縄県指定無形文化財技能保持者の先生方への扱いはどうか。同じ文化財(技能)であり長年先生方が継承してきた技芸や技、人生をかけてきた先生方自身をも踏みにじる対応。何故、沖縄県がそのようなことをするのか今だ信じられずにいる。誰が何のために?他の分野の無形技能保持者に対してもこのようにできるのか?琉球舞踊の保持者にだけ非道な仕打ち?何故?今回の有形文化財と同じく大切に守り次代へ継承していくものとして認定したはずだ。
この件に関してはマスコミもほとんど報道せず、沖縄県にとって琉球舞踊とは無形文化財とはなんなのか。今回のように注目が集まらないから失ってよい文化財(技能)ではないはずだ。首里城に収蔵されていた沖縄県指定有形文化財と同じく、沖縄県指定無形技能保持者への誠実な対応を心から心から願う。失ってからでは遅い。誠実な対応で先生方を先生方が継承している技を守っていただきたいと願う。
救いなのは、その悲しみ 、喪失感が、ウチナンチュだけではなく、本土や国境を超えて共有されていること。
これが、わが琉球舞踊だと、芸能の継承だと大切な技や芸統がなくなっても、一部の関係者以外は気づかない。
ある意味こちらの方が過酷だと思います。
二人の指導がないと補助金の流用は出来ない。島元先生とのやり取りからも明らかだ。さらに琉球舞踊保存会の歯止めとなっていた島元先生を担当から外し、パワハラで追い詰めた。
結果として萩尾前課長、野原前班長は琉球舞踊保存会に資金的な援助を行い、行政的なお墨付きを与えた。二人がいなければ琉球舞踊保存会は保持者候補者を選ぶのに第三者を排除した歪なコンクールが出来なかっただろう。そして、流儀間の憎しみの炎に油を注ぐこともなかった。
口車に乗った国の保存会の先生方は許されないが、影で指導していた萩尾前課長、野原前班長も決して許してはならない。
補助金の不正流用によって行われた不当なコンクールが、誰の指導によって補助金が流用されて資金源になり、大御所が気に入らない人間を排除するためにどのようなこと行われていたかを、身内の噂話ではなく公にしなければならない。
真実が明らかになることは、憎しみの炎を小さくし、若い世代の希望の灯りとなる。
そして、琉球舞踊の全ての流儀を身を挺して守ろうとした島元先生に報いることだ。
ただし、誰でも公に出来るわけではない。舞踊家として真摯に琉球舞踊に向き合いながらも今回の候補者選定コンクールで不当に排除された人物でなければ、多くの人に共感を与えることは難しいだろう。
便利な時代になりましたが、パソコンやスマホは急いで記述する場合、誤字や脱字をしてしまいます。皆さんその点を想像で補って中身を理解しているかと思うのですが~。
投稿された文章をこちらで訂正出来ませんので、そのまま公開しています。
一度投稿されたコメントをワードにコピーして誤字脱字を訂正する事は可能かもしれませんが、今までやった事はありません。
ご丁寧にご自分で訂正されての再度の投稿、ありがとうございます。
率直なご見解、多くの皆様に読まれてほしいです。小さな声でも、声に出さないとなかった事にされてしまいます。
近代の琉球舞踊の展開、歴史の検証はまだまだ研究は深められていません。渡嘉敷守良の芸についても當間一郎さんが編集されたいいご本が上梓されていますが、板谷徹さんがご研究されているようです。きっと、新な近代舞踊史が公開される事を楽しみにしています。
時勢の流れとはいえ、現在の潮流がそのまま続くとも思えません。心ある方々の誠意と志が現況を変えていく事を念じています。
タイトルの「琉球病」は「琉球舞踊」の間違いです。あちこち表記ミスあります。最後の「あたたですか」も「あなたですか」です。
意図したことではないけど、「舞踊」を「病」と誤記したのは、舞踊好きを自認する自分にしてもあり得ないと思いつつ、現実の深刻さに愕然とします。病気なら治ることもありますが、治るのでしょうか?渡嘉敷流もいくつか流派がありますが、2代目のところは、本番前夜に旅の色を合わせるよう琉球舞踊保存会の事務局から強要され、稽古どころではなかったと聞いていますぢ、東京の児玉先生たちは、東京や神奈川で渡嘉敷流を継承して頑張ってきて、この研修に参加していたのに、今年はいらっしゃらない。先達の技を本当の意味で守り継承して来た方がたに対して一片の敬意もな。玉城盛重先生をはじめ玉城の先生方、島袋光裕先生も、宮城能造先生も、多くの大先生たちも、渡嘉敷守良先生にはお世話になり、交流もあったのに、その歴史に泥を塗っている。今の先生方は。
誰かの得のための芸能じゃないでしょう。琉球舞踊。
また、踊りの所作だけでなく、各系統にはそれぞれの流儀でこしらえ(衣装や小道具)が異なるのに、房指輪を用いるかどうか、足袋の色まで統一しているのはなぜですか。流儀によっては師の教えに背くことになります。何のための研修ですか。玉城系統のデモンストレーションでうか?言っておられることと、やっておられることが矛盾してませんか。
以前は、各系統や流儀の衣装や小道具を尊重し、子写真も含めた写真集まで出しておられたのに、いつからその真逆のことを始められたのですか。いったいどなたの提案ですか。能鳳先生。あたたですか。
琉球舞踊の先生方だけに問題があるようには思えません。
むしろ、文化財課が問題をおこるように指導しています。
ブログにあるように萩尾課長、野原班長が担当者であった島元先生をパワハラで休職に追い込み、補助金を流用して国の保存会の保持者選考コンクールの費用を捻出しています。
心ある先生方が提出した嘆願書も無かったことにしています。
萩尾課長・野原班長の目的って何なんでしょうか?
萩尾課長・野原班長の肝いりで開催した保持者選考コンクールによって島元先生が長い時間をかけて整理してきた、流儀間の関係がめちゃくちゃになりました。萩尾課長・野原班長は琉球舞踊を滅ぼしているようにしか思えません。
資料⑧同僚の文化財課のみなさんへの島元さんからのメール!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/cc72ac9f02a5523674a55053cf4dc7bc
誰が、島元要さんを潰したか
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/a5fd5afbf6d2e22caabfe6b3374f0144
沖縄県教育庁文化財課の不可解な人事←投稿です!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/93b1533f9694997d25f74dd4308298c7
琉球舞踊保存会による保持者候補推薦事業は幻か?:萩尾前文化財課課長は、こんなもの(推薦事業)存在しないと明言!by 匿名紳士
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/s/%E5%B3%B6%E5%85%83
資料⑫主治医と職場上司との相談会報告
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/e33541c4d6f1b493bc00323df523bbad
資料⑬教育長ヒヤリング報告「琉球舞踊保持者追加認定についての問題点」
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/c5c7d85dbf16cee97f2d9520d5adfdbe
資料⑨教育長への嘆願、沖縄タイムス掲載記事に対する文化財課の対応、他!
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/7e02b3fa5d1e345c1ce315a8864b8fd6
文化庁長官殿「嘆願書」琉球舞踊保持者の次期保持者候補者選考について、他
https://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/246fa8d2eadfd61bd6c08f9300b3134f
私は舞踊をやっていますが、何十年と舞踊の世界にいる私の先生は立派な人です。曲がったことが嫌いで、弟子たちにも分け隔てなく接する方です。そして、師の教えを守ってそれを後進に伝えるため日々努力しておられます。小学校から高校まで学校で出会ったどの先生でよりも尊敬出来る(勿論学校にも尊敬出来る立派な先生はいました)先生です。尊敬に値しない人間的に問題のある方々が、権威を持って好き勝手にしていることが問題なのです。
この人たちが、琉球舞踊の品位を落としています。
でも大好きなウチナアンチュの友達はあんまり怒らん人なのに怒ってました。泣きながら怒っていました。エライ人が自分勝手する。その世界の掟としてはOK(?)でも、フツーの社会でダメなものはダメではないか?琉球舞踊。やる人、誰もいなくなるよ。
金額にかかわらず文化財課による補助金の不正流用は言語道断です。ご担当の島元先生が休職された件もパワハラです。組織に人権意識が欠如しているとしかいいようがありません。
特定の人間へ利益(金銭的なものだけでなく)が不当に供与された琉球舞踊一連の問題は一部にとどまっているようなものではないです。関係者の方はいろいろと努力されたと思いますが、問題が解決されるためには正しい情報がもっと多くの人に広がる必要があるのではないでしょうか。
ただフェイドアウトしているように見えます。先日、組踊の保持者認定がありましたから、琉舞の次期認定も近いのでは。
また同じことが繰り返されるのでしょうか?
どんなに時間がたっても不正は不正です。
前に何人かの教育委員会関係者に聞いたところ、教育委員会では問題は何一つ起こっていないことになっています。
起こっていない問題は解決する必要がありません。
例えば議会の議事録によると、玉城議員に教育長は「県教育委員会では、その間、適切な内部基準の策定や公正な選考が行われるように随時、指導助言をして参りました。」と答弁しました。さらに、玉城議員が県教育委員会に提出を求めた補助金の不正流用の証拠となる報告書についても予算書のみを提出して誤魔化しています。
このやり取りは当時の文化財課課長や文化財班長が問題を隠蔽している証拠です。
さらに、当時の萩尾課長や野原班長は、問題を指摘した県の伝統舞踊保存会にわざわざ足を運び、自主的に会を解散するように指導しています。
祝賀ムードの中で、絶望している人がいることを想像するだけで胸が痛みます。
だからこそ、問題を風化させないために常にいい続けることが大事です。
いい続けることで問題は顕在化されます。
本来であれば、具体的な問題の解決策を提示すべきですが、その前に教委育委員会に問題を問題として認めさせ、顕在化させる必要があります。
問題が社会一般に顕在化してはじめて教育委員会に行政としての責任をしっかりと負わせることが出来ます。
当然、教育委員会は問題を隠蔽した当時の萩尾課長、野原班長を処分する必要に迫られるでしょう。
さらに教育長は島元先生へ正式に謝罪し、先生の健康状態が許すなら担当に復帰してもらいたいです。勇気ある投書をした島元先生の名誉回復です。島元先生の復帰が難しい場合は芸能に詳しく情熱のある専門職員を新規に採用します。
文化財課の組織が正常化してはじめて、芸能の伝統と未来について行政と実演家、学識経験者が話しあう。というのが理想のロードマップでしょうか。
その時は今回の不正に関わっていた人が自己弁護やアリバイ工作をしないように、候補者選考に関わった保存会役員(会長、副会長、事務局長)、保存会顧問、文化財課現担当、旧担当(島元さんの出席が可能なら)、外部の有識者(大城學先生、当間一郎先生、狩俣恵一先生等)に集まってもらいたいものです。
これくらいやってもらわないと文化財課、さらに保存会を正常化することは出来ないでしょう。
恣意的な保持者の追加認定には指導すべき県文化財課(萩尾課長・野原班長)が積極的に関与していました。ダメなものはダメとケジメをつけなければ、今後、保存会はますます一部の人の利益供与組織に成り下がってしまうでしょう。
琉球舞踊問題は誰を顕彰したかどうかという個人の問題ではなく、後世に残す必要がある琉球舞踊の技を見極めていく過程で不正が行われたという、沖縄の芸能、ひいては文化全体におよぶものです。
だからこそ流儀をこえて、心ある芸能家が大同団結し、芸能のために声を上げた信頼ある人物の知恵を借りこの問題を社会に明らかにし、個人の問題から琉球舞踊、そして沖縄の文化の問題にしていく必要があります。
あらためて、問題の根深さと、高い見識の方が多いに驚きました
絶望と希望が入り乱れている状態です
事情に詳しい職員を排除し、大御所の先生の暴走に手を貸した県文化財課の罪は本当に重いですね
最近、琉球舞踊問題が表に出ることがなりましたが、豊かな琉球舞踊の世界を滅ぼさないためにも心ある関係者には追及を手をゆるめないで欲しいです
そして島元先生の決死の訴えも・・・。
補助金の不正流用も、アリバイづくりのためのコンクールも、恣意的な追加認定の証拠も萩尾前課長と野原前班長の手によって文化財課の資料は改ざん・隠蔽されている。
琉球舞踊、関係者はあらためて、前課長と班長がしたことについて証拠をもって、新しい課長と班長に説明しに行く必要がある。
証拠はブログにいっぱい提示されている。根拠となる資料も、県庁内での島元先生の情報提供により旧関係者数十名に共有されている。
今回、不正によって選考からもれてしまった先生たちは先達の技を守るため、自分たちの手で正義を示さなければならない。
毎日このブログを訪れる方々が800人前後です。繰り返しご覧になる回数は3000ほどで、日によって5000以上になります。
まだまだ関心を持っている方々が多いのですね。
ヒーラーモーイ親方にはその後の展開を投稿してほしいですね👍️
『「てんぶす」で「いっとーばい」を観劇した際思いがけず島元先生にお会いした。舞台は盛況、新たな歴史への開示と問題提起!』
http://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/bb4285c3e4b793bd95c433dc353ce854
に詳しいです。
とは言っても4ヶ月まえの記事です。ブログ主さんは、先日の二代目渡嘉敷守良襲名公演の際、お会いしたらしいですが、当初の予定ならこの10月から復帰のはずです。復帰されたのでしょうか?どなたか情報ないですか?
パワハラ問題の概要は7月16日の投稿
「沖縄県教育庁文化財課の不可解な人事←投稿です!」
http://blog.goo.ne.jp/nasaki78/e/93b1533f9694997d25f74dd4308298c7
にあげられているようです。
保持者の選考問題と補助金不正流用、島元先生へのパワハラは強い因果関係があると思います。
保持者の選考問題は医療問題のように人体の生命は損なわれていませんが、琉球舞踊に真摯に向き合っている人たちの魂は、十分すぎるほど殺されています。
公明党糸洲朝則議員が舞踊の保持者選考問題について質問します。
補助金問題は入ってません。
玉城議員はどうしたのだろう?
引き続き追求すると言ってたのに。
前は島元先生お一人で
芸能担当をやってましたよ。
このブログの別記事にあったよう 、現在の担当者は比嘉均さんと山内久江さんのお二人。でも、このブログ記事を読んでも、芸能の先生方と話しても出てくるのは、野原さんの名前だけ。
なにか担当のやるべき仕事を上司が奪ってませんかね。班長って、担当者の仕事にこんだけ踏み込むくらいの暇な仕事ですかね。
それとも何か個人的に得になることでもあるんですか?
島元先生が担当だった頃、国の先生方は県の先生方を一応たてながら保存会を運営していた。
野原先生が文化財課の担当になってから急に国の先生方が県の先生方をないがしろにしはじめた。
国の先生も県の先生も、もとは同じ立場だったのに。
島元先生は国の先生方と県の先生方の間に入って丁寧に調整していたけど
今の担当者の野原先生は国の先生方の言いなりで
一緒になって県の先生方をないがしろにしている。
野原先生は県の職員なのに県の先生方をないがしろにするのはおかしい。
行政が文化財に指定して補助金をあげているのだから、保存会をちゃんと指導するのが県文化財課の仕事なのに。
あきらかに指導することを怠けている。
島元先生みたいに丁寧に指導するよりは国の先生の言うことだけ聞いていれば楽だ。
国の先生方も文化財課が指導を怠けていることを分かるから県の先生に手のひらを返した。
さらに、追加認定で、既成事実をでっちあげるためのコンクールに国や県の補助金が不正に流用されている。
追加認定の人を選抜するために開いたコンクールに使える補助金は文化庁の要綱にない。
要綱にないことに補助金が使われているのに文化財課は、見て見ぬふりで指導をしていない。
これって公務員の職務怠慢だ!!
認定について祝賀ムードだけど、今回の件で先生どうしに入った亀裂は、将来に大きな禍根を残してしまっている。
みなさんほんとにこんな世界でいいんですか。
本来であれば問題ごとに議論できる場があればいいのかもしれません。
今回、ブログで重要文化財の追加認定について、補助金の不正流用など、誰もが分かるような形で問題の原因が顕あらわになったということが一つの成果ではないでしょうか。
この問題にケジメをつければ、今後琉球舞踊の世界が変わる大きな切っ掛けになると思います。負の連鎖を断ち切るチャンスです。
まずは追加認定に焦点を絞って、問題を追及していきましょう。一点突破です。補助金問題が今回の最大の糸口です。追加認定が適切でなかったことを示す決定的な証拠です。
nasaki様が前にご指摘したように、若手が研鑽を積んで活躍して悪い習慣を変えていくというのは、とても大事です。
この研鑽を積んで活躍する若手を評価する権威に、コンクールの審査員と共に琉球舞踊保存会があります。
保存会は、国・県という後ろ盾を背景に権威を持ち、さらに補助金という年間約700万円の資金源を持っています。
実情を知らない一般の人には一番の権威だと思います。
彼らは今回の追加認定と同じように恣意的な視点で、これから大家になっていく若手
を評価あるいは邪魔をしていくでしょう。
努力して実力のある若手よりも、すり寄ってくる気の合う若手が評価されるでしょう。
逆に努力が目障りで理不尽な評価を下される若手も出てくるでしょう。
評価の如何によって活躍の場、チャンスの数はかわってきます。
数十年、負の連鎖をくり返しているのです。
島元先生の新聞に投書によって、数人は適切な人が認定されました。
しかし、島元先生はそのために職場で上司のパワハラにあい、心を病まして休職しています。
次の追加認定では、島元先生のような体を張って琉球舞踊の技を守る文化財課の担当者が出てくるでしょうか。今後、二度と出てこないでしょう。パワハラで潰されるのだから。
いま、恣意的な追加認定と、補助金の不正流用、島元先生へのパワハラを、社会に出して、問題が起こっていることを、沖縄県民の皆様に認識してもらわないと次の追加認定ではもっとあからさまになります。
保存会に何の権威も権力もなければ、単なる内輪もめですみますが、
「私利私欲にまみれた追加認定の原因 (8月22日)」にご指摘があったとおりに、
一企業のコンクールではなく、国の重要無系文化財です。しかも、これに行政当局であるはずの県の文化財課が関わっています。
琉球舞踊保存会は個人の芸能団体でなく、公的な役割を担い補助金で、伝承者養成事業を行う、公共性のある団体のはずです。
それが、県の文化財課と一緒になって組織のメンバーを恣意的に選ぶために、補助金を不正に流用しているんです。
補助金が流用され、縁故や好き嫌いによる恣意的な追加認定が県の文化財課の協力によって行われていることを曝け出して、こんなことは許されないということを社会に問うということが問題解決、保存会の正常化へ繋がっていきます。
保存会の研修会や追加認定について不都合な真実をあらわにして、議員やマスコミに取り上げてもらい、追求していきましょう。
私は正直期待できない気がします。
実際に動いてくれた玉城議員が引き続き追究してくれることに期待したいです。
ただ、今回の保持者認定では、玉城議員のご子息の玉城匠さん(若手花形舞踊家)の師匠である宮城豊子先生も保持者になりました。
実は、これで追究の手が鈍らないか心配です。
今回の保持者認定について思うのは、宮城美能留先生のお弟子さんで県の保持者は3人(宮城豊子、古謝弘子、渡久地美代子)とも全員認定されたことです。
以前流出した名簿にはお一人(渡久地美代子先生)しか名前がなかった。
実力や実績が確かであっても、全員認定されていることに、正直、私は保存会に対する不信感が拭えません。
保存会のこれまでのやり方を見ていると、結果オーライではなく、外部からの追究の矛先を外すためなら、なんでもやりかねない人たちですから。
玉城議員には、追究の手を緩めずにしっかりと、保存会。そして荷担しているとしか思えない県教育庁文化財課を追究してほしいです。
親泊さんの発言は1930年代以降の珊瑚座を中心として戦前鍛えられた舞踊についての芸談だとすると、盛重系に差異がないという意味に取れるでしょうか。しかし真境名、玉城、親泊、宮城、島袋の間に微妙な差異があったことは推定できますね。
戦後は50年代から60年代にかけて型の統一へ向かったのですね。復帰後に国のお墨付きがついて組踊が国の保持者システムになりますね。そこから意識の変革が起こり、流派間の競争が起こったといえるでしょうか。その辺の事情は真喜志康忠氏にインタビューした中でいろいろな裏話が聞けました。
組踊の体系化のために沖縄芝居役者が締め出されていった経緯がありますね。
近世(前近代)の琉球王国時代の舞踊史を紐解く必要なありそうです。組踊とも関係していますね。矢野さんの『琉球舞踊の歴史』があります。板谷 徹さんの古典女踊の原型を追求した論文も読ませます。その系統で小林川ひとみさんの身体技法に関するいい論文が書かれていますね。その他盛重さんなどの証言記録もありますね。地域の芸能に注目ですね。
近代はどうでしょう。『渡嘉敷守良の世界』、『新垣松含の世界』、『真境名由康人と作品』二巻など纏められていますね。他明治30年代からの新聞史料がありますね。池宮、大野、當間さんなどの書籍があり、充実していますね。2006年に『花玉城ー玉城盛義評伝』なども。
ただ舞踊の型や技に関しては掘り下げられていませんね。戦前の映像は残っていますね。その映像を見ると、型、技、んんん、戦後とかなり異なる手が見られます。写真もありますね。近代の舞踊の型、など残された手記や写真もありますが、組踊、舞踊共に、もっと詳細が必要です。そこが明解になれば、戦後の鳥羽口が見えてきて、そこからの型の変遷と統一があるのですね。
戦後の方が近代より長くなりましたね。72年です。復帰後45年です。
歴史の推移が明らかになれば其々の流派の型や技や論も明らかになるのでしょう。其々の流派は誇りをかけてまとめられて、かつ実践でも生かしたらいいですね。そこにも資本が威力をもつのかもしれませんが、コツコツ掘り下げることは可能で、ネット媒体だと、広報は、やり易いですね。
ヒーラーモーイ親方は、琉球舞踊の七系統について「琉球王国時代に」とは書いていません。「王国時代からの」です。
勘違いはしておられないと思います。
もともとが、島元要さんの寄稿文(沖縄タイムスH28/12/13に寄稿。本ブログの記事「国指定重要無形文化財『琉球舞踊』保持者認定は歴史を考証し、公平に!島元論は妥当!参照)からの引用です。
島元さんは、琉球舞踊保存会の研修の基盤を作られた人なので、その見解の根拠の一端は、同保存会の研修報告書所収「琉球舞踊系統図」に求められます。
この系統図。7人の先達の生年を見ると、お1人「川平親雲上」だけが、1852年で、寅の御冠船(最後の冊封使歓待の1866年)の際に14歳ですが、5人が明治生まれ、お1人「読谷山親雲上」が未詳です。
それ以前の時代までは遡れていないので、王国時代に7系統あった(そういうことは検証困難です。)ということではなく、王国の芸能の流れを汲む舞踊の系統が近代において7つあるということまでしか分かりません。
これも定説なのか異論反論あるのか。ご教示いただければと思います。
この系統図資料。別途で、ブログ主さんに送付いたします。
ブログ主さんは、親泊興照先生(の「元々は一つ」という証言を紹介しておられましたが、興照先生はお生まれが明治30年なので、貴重な証言とはいえ、鵜呑のみには出来ないと思います。
現時点では、王国時代の芸統は「一つ」と断定しないことが、科学的な学問的な態度かと思います。
島元さんがかつて、「先達のわざ」という同保存会の研修の際に、しつこいくらいに、「この研修は、型を一つに統一しようというものではありません。安易に、拙速に統一してはいけません。まずは、それぞれの道場に伝わる本来わざを勉強しようというものです。」と仰っていた意図はそこにあると思います。
系統図。昭和57年現在(『沖縄芸能大観』月間沖縄社)のものなので、分かりやすいように、少し追記して今日中(お盆のウークイの日!)にはお送りします。
これを契機に琉球*沖縄芸能史への関心が深まることを期待しています。🎵
資料画像をブログ主さんにお送りします。
ブログ主さんが、掲載してくださるでしょう。
琉球舞踊保存会の研修の根拠資料でもあるので、同保存会が以前に出していた研修記録に系図が掲載されています。
出典は『沖縄芸能大観』月刊沖縄社 昭和58年刊。
組踊保存会も頼もしくなっていますね。
ご存知の方がみえましたら教えていただけますでしょうか。
宜しくお願い致します。
沖縄全島各地に組踊が存在しています。各地の組踊保存会の婦人たちや青年たちにより継承され村むらのイベントや地元の舞台公演などで披露されています。
nasakiさんは研究者の立場から毎回お話されているようですが、実際に演じる側に立つ方と見方が変わってくることでしょう。
幾人かの実演家さんたちのコメントにもありますが、国立などでの組踊り公演に関しては、女性舞踊家たちが、子育てもしながら、一生かけてプロ的に組踊りに没頭できる覚悟をもてているか?が大事な部分だと思います。
ユネスコ文化欄記載の組踊なのですから、それくらいの覚悟は最低条件です。
昔はだれそれが躍っていましたねという時点のものではないかと。
女性の家元先生がた(能造先生や節子先生など)当然昔組踊にご出演されてこられた経験上から、現在活躍の若手実演家への指導も行っていることでしょう。その歴史を踏まえた上で、今ごろになって女性も組踊りをおどっていたなて、nasakiさんは、同じ内容を幾度もコメントされていますね。どうしてなのですか?
ましこさんが100を越えたコメントが寄せられた「琉球舞踊問題」について読まれていることが、この問題が単に沖縄内部の問題ではなく、広く、多くの方々が共有していることに、驚きます。以下メールの一部をご紹介します。
「琉舞問題は、タブー領域だったようで、コメント欄の盛況ぶりは、
複雑な感情にかられます。
そもそもシューレ(Schule)は、血縁がどの程度からむかはともかく、家元制度的な組織力学がともなうもの。それにくわえて、近代は、学歴・学位・国家資格だの、コンクール・段位・賞……だ
のといった業績主義・競争原理をつけくわえてしまいました。
琉舞のばあいは、無知ながら第三者的にながめさせていただくなら ヤマトの国家権力が威信秩序のなかにくみこうもうとし、権威主義と縁故主義に一層複雑な問題をかさねてしまっているみたいです。
琉舞等パフォーマンス文化と人文社会系の学問とは存外にていて国家権力をパトロンとしないと市場原理だけでは、たちゆかないという古典芸能ならではの問題をかかえいます。要は、一般のお客
さんに人気がでないかぎり、文化資本が社会関係資本に転化しないし、経済資本としてはレッスンプロとしてしか転化できないという経済原則です。
歌舞伎より一層エリート性がたかい能楽や西洋古典音楽などが、レッスンプロとしてしか生活できない現実は、普遍的
な構図。大衆性がひくいこと=エリート性は、市場性と反比例してしまいます(この辺の、釈迦に説法な議論については、学生むけにレッスンプロ/ツアープロ/パトロン……などと理念型を提示して
おきましたが。『社会学のまなざし』etc.)。
ダンス・歌謡・楽曲はともかく、バレエや歌舞伎が、容姿も大事というのは、技法の継承問題が、経済の心配がないだけの家産とかパトロン(パートナーや親族の経済力もふくめて)といった資金面
だけではなく、俗うけするための外見が、スター性と不可分という宿命もしめしています。容姿にめぐまれなかったパフォーマーは、学歴獲得に成功しなかった人文系研究者と同様、どうやって先行者の伝統を継承させていくか、という深刻な課題をかかえてしまうと(アーティスティックな評価がなされないはずの、球技等でも女子 選手は容姿に報道のスポットがあたりがちですね。みてくれ問題はスポンサーにとっては男子選手だって同様のはずですが、男子は、成績さえのこせればパトロンがつきますよね。逆に、成績がいまひとつでも、容姿さえめだてばスポンサーがついてしまう=モデル的なあつかい=のが女子選手と)。」
他にもいろいろ言及していますが、この辺で止めておきます。ジェンダー&セクシュアリティーも背後でエコーしていることが分りますね。
女性舞踊家が結婚、妊娠、出産、子育てで稽古(精進)が中断される現状も大きいですね。独身で芸道を邁進している優れた舞踊家もおられますね。芸は底なしだと、かの上間郁子さんも話していますね。女性が母親としての役割を担いながらかつ芸道に突き進んでいる方々は結構沖縄は多いのではないでしょうか。
子育てなどの中で充電し、かつさらに磨きと魂がこもった芸が花開いていくのはいいですね。
古典音楽の発声や声楽について第一線で研究されている仲村善信先生は、女性の古典音楽人口が増えていることをお話していました。なぜか、ですね。発声について女性の声の可能性はどうなのか、ですね。
組踊の和吟(女と若衆)は女性の声で十分可能ですね。実際玉城節子先生や 佐藤 太圭子先生、金城美枝子先生は若衆も宿の女も演じてきていますね。
琉球舞踊を嗜む者さんのコメント非常に興味深いとおもいます。
「組踊は見るものではなく聴くもの」と聞いたことがあります。地方の底力も大切な部分ですね。
男女の声帯の違いについて:声帯とは体格です。男性の方が首が太かったり、体が大きかったり体の響きが大きくなります。響きが大きいということは音は太くなります。声帯と体格この二つの要素が個人の声質を作っています。
個人的な意見:日本人女性の声は最近ますます細くなっているような気がします。外国人に比べて身体が細いし背丈も低い。
この女性が本当に生涯一生、組踊をする、という根拠はないので。
自分ではやるつもりでいても、子どもに何かあったとき、本当にそれができるかどうかは誰にも分かりません。
また、もう一つの原因といいますか、問題といいますか。
それは女性の声、声量でしょうね。
圧倒的に、男性に比べて弱いです。
「女にはね、結婚と出産、そして子育てがある。
だから大変なのよ。
おめでたした身体で舞台には立たすことはできないし、一度舞台を離れると身体はそれだけでなまる。
子育ては出産みたいに一度で終わるものじゃないでしょ?
ある程度子どもが大きくなるまでは育てないといけないし、母になればそっちを優先したくなる人もいる。
中には踊りが大好きで出産してすぐ復帰する人もいるけど、その人たちはまれであって。
だからその点男はいいのよ、人気が出たらそのまま波に乗って頑張ればいいのだから。
でも女はそういうわけにはいかないから、大変よね。
人気出たかなーと思ったらおめでたして、舞台休んで、復帰する頃には若い子が入ってきて人気出てたりして。
もうそれは運だね、その子の。」
確かに、と多くの女性舞踊家の方々なら思うはずです。
私の稽古場は割と同世代が多く、よく師は、
「この子たちは一斉に結婚してお腹大きくするはずね〜、そしたらうちは若いの皆んないなくなっちゃうね〜」
と笑いながらおっしゃいますが、確かにその通りだと思います。
国立劇場おきなわ常務理事池宮正治氏は人間国宝認定宮城能鳳氏によせる今後の期待についてこのようにコメントされています。「演技がうまいだけでは人間国宝になれない。宮城氏の芸の深みや指導者としての自覚、活動など後世に芸を伝えていくという姿勢が全体的に評価された。組踊立ち方では宮城氏以外には考えられない。沖縄の古典音楽は他の芸能と比べて音楽性そのものが価値がありレベルが高い。組踊の地謡の重要性、沖縄の古典音楽の価値を前提に立ち方がある。その音楽性を体で表現できる人が人間国宝。」
能鳳先生のコメントより「組踊は能造氏以外にも故真境名由康氏や金武良章氏らの稽古場などに通った。それぞれの芸風や形の違いを頭に入れながら取捨選択し自分なりの芸風をまとめてきた。ある時、故島袋光史氏から「能造のままでもない、あなたなりの芸風を確立したな」と言われたことが忘れられない。組踊は形だけではない、感情移入するためにも歌をそしょくし、台詞をものにしなければと考えるようになった」。
個人的感想として能鳳先生の雑通りなどは説得力にかける所作もありますね。二才踊りでは小柄な方でもあるがゆえ力んだりされて(大きく踊る為の力み)があるかもしれません。
能鳳先生は舞踊家の血筋を受け継ぐサラブレッドではないですね。しかも20代にして初めて舞踊を習い始めた人ですね。
「やなかーぎーで、舞台で演じていた美しい舞踊家を観賞しては自分がやれるとはおもっていなかった、ある日、楽屋をのぞいたとき、やなかーぎーの男性が舞台化粧をして美しく変身している姿を見て自分でもやれるのではないかと思い初代能造先生の道場に入門した」と語っておられます。コンプレックスがあるがゆえの努力だといえますね。
当たり前のこととは、流派の形の継承や伝承。
特別な事とは、自分流の芸風を確立すること(この演目を躍らせたら右にでるものが居ない舞を確立すること)。
近代の66年、主に男性ですが、上間郁子さんなど姉妹敵討に盛重さんと新天地の舞台に立っていますね。宿の女も演じています。つまり大正以降女性も組踊に登場ですね。戦前の映画の中でも女役は芸妓が登場ですね。
戦後男女混成ですね。アメリカ民主主義は男女平等をもたらし女性達は芸能に殺到しますね。現在の女性の家元の方々の数名は組踊を演じていますね。歌劇もです。
1972年の復帰後は男性の主導ですね。保存会を中心に、文化庁主導で国保持者誕生、そして21世紀にユネスコへ登録ですね。
組踊保存会は男性のみの陣容です。国からも予算がついて意気盛んですね。一時は台詞のとちりもあり、ちょっと問題でしたが、最近は伝承者が手堅い芸を見せているのですね。
女性組踊も登場。また男女混成も見られます。地謡を含め男性だけ、男女混成、女性だけと多様な形態が出てきました。
新作組踊などは男性だけ、男女混成で成されていますね。
北京オペラにも女性が登場ですね。歌舞伎は男性だけの世界ですね。歴史の推移を見ると、ちゃんぷるーの琉球・沖縄芸能は三つの形態が芸の土壌になるのではないでしょうか。
真境名由康さん、伊良波尹吉さん、真喜志康忠さんは組踊の詞章をすべて覚えろとお弟子さんに話していますね。
女性舞踊家でも組踊の詞章を覚え、唱え、演じることは芸を深めることになるはずですね。
楽劇です。舞踊は基本として重要ですね。琉歌、唱え、型、技、そして全体のイメージや役柄のほんとらしさ。
男性だけの組踊を否定しているわけではありません。
宮城能鳳先生の「忠孝婦人」の乙樽はいいですね。組踊の女形として第一人者の国宝ですね。すばらしいです。琉球舞踊の人間国宝ではありませんね。
古典舞踊でどなたが優れているのか、みなさん好みの舞踊家がおられるかと思います。
インターネットでも舞台録画がUPされる現況ですね。舞踊の型や技量の良し悪しは見えてきますね。淘汰されて、真に優れた舞踊家が大輪の花を開くのはないでしょうか。
歌舞伎との比較は歴史の経緯が異なりますね。組踊、男女混成でいけますね。
女形芸、まだまだですよね☀組踊の女の役柄、若衆、女性舞踊家でいけます。
古典音楽、最近女性が多いそうですよ。スマホから返信します。詳細はまたですね。
歌舞伎は松竹がバックにある。
組踊は会社組織でサポートされていません。組踊実演家さんたちの中で芸能一筋で食べていけている男性は何名ほどでしょう?
玉三郎さんは女形として歌舞伎界のトップさらに世界的な有名人。
沖縄舞踊の男性実演家さんと歌舞伎の女形トップとを比較するのは沖縄舞踊の実演家さんがお気の毒です。
玉三郎さんが組踊りで主役を演じられるのも彼がスターだからですね。チケットが一日で売り切れだったそうですね。
では、国宝の宮城能鳳先生が歌舞伎に招待されることがありえるのか?歌舞伎演目の中で、沖縄舞踊の衣装や化粧で歌舞伎の舞台に立たせてもらえるのでしょうか。ありえないことなのではないですか。
男性実演家さんによる女形がよくないというのであれば、能鳳先生が国宝に認定された事実が沖縄人たちに認められていないってことなのでははないですか。
組踊国宝認定者が女性であればよかったわけですかね?
男性だけによる組踊そのものを否定するようなコメントだと感じます。
女性は女性で、芝居劇団を結成されているのですから、どんどん県外でも公演を企てていけばよろしいのでは。
組踊の唱えは、三線の男性のキーと男性の声が合うとおもいます。女性のキーは高くて、キンキンした声でききずらい点があります。個人的な意見として。
日本舞踊は女性が始めた踊りでした、が、歌舞伎が男性だけになっていった経緯は、あのような重い桂や衣装をまとって長時間演じることが女性の身体では負担が大きいそうですね。歌舞伎役者が短命なのも最近知るところですが、あれだけ長時間舞台の回数にしても組踊りと比較にならないほどの回数ですね。
ここで女性の踊る場が少ないなんていわず、流派の会は女性でかたまているんです。芸能は、上から与えられるだけが芸能の仕事ではないとおもいます。伝承だけが舞踊だけでもないとおもいます。個々の個性をもった一人のアーチストとして自ら個性豊かな踊りや舞台を作り出すのが芸能の世界の力となりえるのです。
歌舞団と名称がつく団体が沖縄に多いようですが、それらも女性だけで結成されていますね。では、大阪の宝塚のような琉球舞踊女性歌劇団を結成してプロダクションを作り会社を作り世界中で公演おこなっていけばよいことです。
舞踊家が舞踊だけ踊るものと決まりもありません。女性演出家、女性脚本家、女性舞台監督、女性企画者、女性プロモーターなど創出されてもよいのではないですか。舞踊家も一人の個性ある人間です。個性豊かにアーチストとして幅広く世界でご活躍されていかれることを女性にも望みたいです。
「琉球舞踊を嗜む者」さんのコメントはなるほどですね。現況をうまく表しているのかもしれませんね。確かにスポットが当るのは男性舞踊家が多い昨今ですね。
「正直な話、女性舞踊家の方々が活躍するのは不利に思えてしまうのがぶっちゃけた感想です。なぜなら琉球舞踊を嗜む女性は多数いますが男性は少ないんです。(最近はふえましたよ!昔よりは!)
注目される頻度といいますか、スポットライトの当たり方が女性よりは多いと思うんです。」
これは本音で、それが舞踊家人口を下げている原因の一つですね。メリットが少なくなったのですね。飽和状態から抜きん出たプロの舞踊家を目指す女性たちが出てきたら本物ですね。
古典女踊は、戦後の女性芸能、女芸の結晶ですね。戦前の名優達の踊はんんん、がまくもちょっと曖昧で、女立ちはありますが、手の繊細な動きも緩やか、かろやかな所が見られます。ですから、女踊に関しては女性舞踊家が格上げ(洗練された美に)したのですね。
しかし、女性舞踊家の意地をかけて二才踊りのきりっとした舞踊を見せてほしいですね。女性舞踊家が男役(金細工や川平節でも)できりりとした舞踊を見せたのは上間初枝さんなどですね。現在は劇団うないの男役の舞踊家に可能性があるでしょうか。比嘉いずみさん、比嘉一恵さん、花岡尚子さんとかー。他、どなたがいますか?
男性舞踊家の女踊りはあまりよくないですね。うならせる方はどなたですか?佐辺さんもまだまだですね。まだ女性舞踊家がいいです。玉三郎のような女形芸の魅力に近い方は出ていませんね。
さて創作舞踊はどうでしょう?女性舞踊家は数も多いせいか、がんばっていますね。女性ならではの感性で挑んでいますね。男性、女性問わずいい芸、いい踊りは観衆をひきつけてやまないはずですね。
戦前宮城能造さんは女形芸に関して、「ヲドゥイングワー」ぬグトゥと話したのですね。踊子(舞妓)です。当時の女性のヲドゥイングワーは遊里の座敷で踊っていた女性たちですね!
伊波清子さんは、花風が絶品といわれた女性ですが、「わんねーヲドゥイングヮるやる」と、誇りを持って話した方ですね。
「役者はカーギ(容姿、見た目)半分」という言葉にもあるように。
どんなに技の優れた方でも容姿が並では技に磨きはかからない。
どんなに容姿が優れていても技が並ではヤナカーギーとかわらない。
あくまでも個人的に、です。
確かに女性舞踊家の二才踊りはあまり男に見れないかもしれない。しかしそれだけが人気のあるなしの原因でしょうか?私は違うと思いますよ。
どんなにいい踊りをしていても、容姿が並では人気はでないし。容姿だけ良くても、踊りがなってなければお客様の目を満足させることは出来ません。
技を確かに持つ佐辺良和さんの素顔はもちろんですが、化粧姿は女形だろうが男だろうが若衆だろうが、美形は美形です。
あの世代は多くの素晴らしい技を持つ男性舞踊家の方達がいらっしゃいます。金城真次さんや宮城茂雄さん、川満香多さんとかもっと他にもたくさん!
皆さん舞台で活躍され毎日引っ張りだこです!
でもみんながみんな女形ではありませんよね?金城真次さんは人気者ですが容姿から若衆役に抜擢してたりとかですね。
ようは、その人の容姿と体型によって合う合わないがあるので、必ずしも女性舞踊家が男役をしたらいいとか、そんなものではないかと個人的には思ってしまいます。
その人がいかに自分の容姿、体型を理解して、自分の身体をうまく使うことがキーだと思うんです。
それか他の人にはできないことができる、とか。(例えば舞踊家であり三線もできる、とか。まぁ最近はそんな方々が多くいますが)
正直な話、女性舞踊家の方々が活躍するのは不利に思えてしまうのがぶっちゃけた感想です。
なぜなら琉球舞踊を嗜む女性は多数いますが男性は少ないんです。(最近はふえましたよ!昔よりは!)
注目される頻度といいますか、スポットライトの当たり方が女性よりは多いと思うんです。
「A子がしゅどぅんを踊る」と聞いても「そうなんだ〜」としか思われないのに、「A君がしゅどぅん踊る」と聞いたら「どこのお弟子さん?」「男の子?一回は見とかないとね!」みたいなことになるのが事実なんです、悲しいことに。
まあ、それに負けてられない!と女性舞踊家の皆さんが頑張っているのも事実ですが!
なぜなら、琉球舞踊をやっている人にとってコンクールはとっても大切なんです。
なぜならこの賞が自分の実績になるからです。
どんなに踊りが上手でもコンクールがこの世に存在する以上、コンクールの実績がなければそれなりに舞台が来ないんです。(例えば国立劇場だとか)
なのでコンクールはとって大切で大きな壁というか、さらに上へいくステップなんです。
つまりそのコンクールの審査員に選ばれた先生方は大切に扱われると言いますか、何というか、暗黙の了解と言いますかね、、「あ!審査員の先生だ!挨拶ちゃんとしないと!」って心の中で思ってしまうのが事実ではあります。
でも大切に扱われるべき方々だとは思いますよ!正直!
なぜなら見るところが鋭い!審査員に選ばれたんだから当たり前!とか思う方もいらっしゃるとは思いますが、本当すごいんです、皆さん。
みんな大体同じところを見て、同じことを指摘するんです、私たち素人じゃ気づかないところを。
なので私は個人的に審査員の方々を尊敬しています、やはり敵わないなーとは思うので。(最近の審査員は分かりませんが。75歳を定年としているため、新しい新人の審査員が増えているのです)
審査員の方々を偉いとは本当に思いますけど、あちらがあからさまに偉ぶって態度を変えるのは、、ちょっとないですよね。まだ私は見たことありませんが。そんな人に審査はされたくありません。
また琉球舞踊フアンの皆様の率直なコメントも問題の焦点を浮き彫りにしてくれます。謝!
世界の無形文化遺産としての「伝統組踊」http://kumiodori.jp/kumiorori/index.htm社団法人「伝統組踊保存会」があり、将来的に琉球舞踊もまた世界に拓かれていく沖縄独特・ユニークな舞踊として評価されていくことになると考えます。
ところで「伝統組踊保存会」は屋宜盛峰先生が翻訳された組踊の英語バージョンを早く訂正して図書館に並べてほしいです。これから英文で論文を書き世界に発信していく上でも貴重です。
現在から未来へ、琉球舞踊の型や技をしっかり継承し、新たに創造・深化させたいものです。
そのためには今一度琉球舞踊の現在の型や技を見直す必要があるのでしょう。「琉球舞踊保存会」の在り方を、多くの方々が真剣に見つめていることを、保存会の幹部の方々は夢忘れないでくださいね。
組踊と琉球舞踊は深く関連していますね。組踊の保持者や伝承者が琉球舞踊
の保持者や伝承者でもあるという現実です。
最も「伝統組踊保存会」は女性を弾いていますが、「女性能楽師の重要無形文化財総合指定保持者に至る道」http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf06/6-86-97-Miyanishi.pdf
が追求されていますね。「1948(昭和 23)年、女性が能楽協会に入会するこ
とが許されて以来、現在、社団法人能楽協会発行の名簿では、約 240 名の女性能楽師が入会しているが、しかしもう一つの中心的組織である日本能楽会への入会は許されないままに、50 余年が経過
した。」とのことです。
首里王府時代の組踊が男性だけのものだったのか、疑問に思っています。40分から45分の短い「執心鐘入」「二童敵討」など、十分唱えだけでも座敷芸として嗜まれていたことは否定でないですね。遊里のお座敷でも唱えられ古典を歌ってきたはずですね。女性達は全く時代の芸能の表芸から疎外されていなかったと考えられます。遊里では二才踊りが人気があったようですね。
琉球舞踊を嗜んでいる女性の皆さんが組踊や歌劇への挑戦することは、好ましいということになりますね。
そういえば立方(女形)の宮城能鳳先生が「琉球舞踊保存会」の会長なんですね。「伝統組踊保存会」と「琉球舞踊保存会」は深いつながりがあるのですね!
歌舞伎と同様、男性が女形を舞うことで魅力を感じます。わたしもその一人ですが男性が演じる女形のほうがより女性っぽくて魅力を感じます。
宝塚公演に足をむける観客も圧倒的に女性がおおい。宝塚公演において男性役がスターなのです。
男性が女性役をこなすことで自分たちに無いものを女性が求めるという舞台であります。
では、沖縄の男性たちは、普段沖縄芝居や組踊公演見学に劇場に足を運ばれていますか?
比嘉いずみ、知花小百合による二歳踊りはかっこいいとおもいます。だとしたら、彼女たちが劇団などで立方としてスターになりえるってことではないですか。
男性のスターが存在しているのであれば、女性のスターが存在してもよいわけですね。
個人的に渡しも男性スターさんの演技が観たくて劇場に足をはこぶことが多いです。女性の一般的な舞踊がみたいとおもうことはほぼありません。その理由は、彼女たちの二歳踊りが二歳になりきれていないからです。鳩間節、前の浜など、女性が女性をおどっている形にしかみえていない。役柄に徹しきれていないのです。
ここでも討論されているコンテスト以前の課題であります。
態度かでかくなる先生がいるようです。
審査員になったからってなにがあるの
でしょうか?
先輩の先生に挨拶もしない方も中にはいるようです。
コンクールの審査員に選ばれる方の基準は、その方々が若い頃から積んだ実績、琉球舞踊界にもたらした貢献などが反映され選ばれます。
確かに、お弟子さんがあまりコンクールに出ていない先生も中にはいらっしゃいますが、それはどうすることもできないと言いますか、、琉球舞踊界の流派や会派を事前に調べて選んで入門する生徒はなかなかいませんし、、(中にはいますよ!その流派の先生のファンで!とか)
なので、コンクールに生徒を出していない先生が審査員をしている、これってどうなの?と思う方もいらっしゃるとは思いますが、審査員になった方々はこれまでの実績や貢献で選考されているので、ご理解いただけたらと思います。(でも確かにバックの力は大きいですよ!実績あってもバックの力があるとないとでは、審査員になる年数が流会派により異なっているのは事実です。)
また、コンクールの踊りについて。
私が聞いたことがあるのは、新報系は玉城流でないと審査に通らない、と。だからコンクール用の踊りと自分たち流会派の踊りがある、と。その原因は新報系の審査員はほとんどが玉城流の先生方だから、と。
しかし、タイムスのコンクールの審査員は、タイムス系に属している流会派のほとんどの先生方が務めます。なので、わざわざコンクール用の踊りがあるなどとは聞いたことがありません。
あなた方を審査していた琉球舞踊の先生方は、和装をされていました。もちろんダンサーです。もしくは元ダンサーでしょう。審査の合間、休憩時間に、一段上がった審査席から降り、草履をはいて、その後ろにある机のところで談笑され、審査時間がはじまると、草履を脱ぎ、審査席に戻るということを何度も繰り返されていらっしゃいました。
人間国宝も含まれていたというその先生方の、履物がどんな状態だったのか、舞台に立っていた。または、楽屋控え室にいた、あなた方からは見えなかったはずなので、お教えいたします。
約半数の先生方は、自分で草履を揃えることができず。毎回、休憩が終わるとふっくらした温和そうな世話係の女性が先生方の履物を揃えていました。世話係の方の行動に気づいた先生もいらっしゃったようです。途中から、自分の無作法に気づいて草履を揃えはじめた先生もいらっしゃいました(ちゃんと草履を揃えている他の先生に気がついて恥ずかしくなってその先生のマネをしたというのが本当のところのようです)。
あなた方を審査した先生方の半分は、ダンサーとしてその程度の自覚しかもっていません。ですから、今回のコンクールの結果が悪くても気にしないでダンスを続けてください。自らを律することもできないダンサーには、あなたの良さは分りません。
入賞された方、優勝された方、それほど見る目のないダンサーが見てもあなたのダンスには光るものがあるのです。自信を持ってダンスを続けてください。
沖縄人による追伸:実演家の皆様がた、観客からも見られてる、回りからも見られているという意識をお持ちねがいたい。身体表現総合芸術の舞踊公演において、貴方がたの演じる役柄とは、演じる側の貴方がたが査定するのではありませんね、見る側に査定されているということです。
もちろん、この種の問題で、感情的になってしまう事は理解できます。
しかし、経緯を調べ、客観的に論じなければ、県や保存会にとっても相手にされず、彼らの支配構造の中にただ呑み込まれるだけだと思います。
私は、長年、琉球舞踊を嗜んでおりますが、歴史に翻弄されたのか、琉球芸能界に問題があったのか、めざましい発展はあるものの、まだ先達に顔向けできない思いがあります。特に、今回の問題は悲しい限りです。人々の暮らしにはじまり、祭祀芸能、宮廷芸能と花開き、先の大戦では、多くの人々のこころを慰めた琉球古典芸能は、皆の財産であり、特定の誰かのものではありません。ぜひ、この問題に疑問や関心のある方は、客観的、論理的な声を発していきましょう!
追伸
かせかけを玉城節子氏が舞うことに、恥ずかしいというコメントがありますが、琉球舞踊の演目に格付けというものがあるのでしょうか?新人賞の課題曲だからという理由のようですが、かせかけには、基本動作はもとより、宜保栄次郎氏の琉球舞踊入門では、内容の普遍性からして、国際的には高く評価されていると記しされています。このような流言飛語が飛び交うような琉球舞踊界をわたしは無くし、風通しのよい琉球芸能界を願いたいです。
太圭子先生はいま紫の会宗家島袋光晴先生ととっても仲良くしてるんだそうです、、、(これまではそうでもなかったのに、、)
今より更に悪くなる?本当にいらない
いりませーん
マジでいりません
いらん!
琉舞界の更なる環境悪化は避けていただきたい
沖縄県の中央トップの皆様
よろしくお願いします
琉球舞踊に人間国宝は必要ありません
国保持者に関しても今回、選考からもれた、本当は凄い先生方々は望みないんですかね?その辺どうなのか?その方々は切り捨てですかね。
本当に酷い話ですよね
沖縄の人はバカですよね
その先生方に継承されている技を
捨ててるわけですから
国保持者は次は若手が入る?
恐らく、次狙いで独演会ラッシュがあるでしょうな。もう、始まってる感じか?
前回の国保持者選考前も偉い先生方のお弟子さんは急に独演会やってましたからね。
本当に凄いカラクリですね
中枢にいる方々の勝手し放題かっ
一部の人の独占で、益々、琉球舞踊離れ進むだろうな
コメントが100を超えましたね。
「このブログのコメント欄に思うところを投稿してほしい」と呼びかけた人間としては、多くの方と問題意識が共有でき、その関心が継続しているということは、本当にありがたいと思います。
7月に今回の保持者の追加認定は発表されましたが、この問題は終わっていません。
今後も数年おきにこの追加認定は行われ、沖縄の伝統芸能に絶大な影響力を発揮し続けていくと思われるからです。
寄せられたコメントの中から、補助金の不正流用問題やパワハラ等の問題点が浮上したことは大きな収穫だと思います。
新報、タイムスという地元2紙が、この問題を取り上げなくなっていますから。
「補助金の不正流用問題」については、県議会でも取り上げられ、今後も引き続き追究されることでしょう。
一つ一つのコメントの力は微力に見えて、実は大きいのです。
様々なコメントを拝見して実感しています。
芸能コンテスト(コンクール?)については、ブログ主さんが、早くからその問題点を指摘しておられました。この欄に、実演家の皆様の生の声が寄せられることで、その実態や問題点が浮き彫りになっていくことを期待しています。
本ブログに投稿以後、考えたことは様々あります。三々五々にまりますが、追って、コメント欄に投稿したいと思います。
一点だけ、ブログ主さんからのお問いかけについて。
「琉球舞踊の保持者から国宝が誕生すると、状況は変わってくるのどろうか?」ということをどう考えているかというご質問。
変わると思います。もっと悪い方向に。
現状では、日本政府にとって、沖縄に対する「飴と鞭」の「飴」として機能する弊害が大きいと思います。今以上に政治利用されやすくなります。
むろん文化財指定としての意義はありますが、(今回、組踊の太鼓のほうで、島袋光史先生が亡くなられてから長く不在であった人間国宝が誕生しました。比嘉聡先生は申し分ない方と思います。)
人間国宝の誕生に一喜一憂しないほうがよいです。
日本舞踊のように、何千万という単位でお金のかかるものよりは、まだましかもしれませんが、経済的に豊かとはいえない沖縄で、習い事としての琉球舞踊離れがおきているのは確かです(琉球新報調べ)
以前三線をやっている友達と新人賞の時期が一緒でコンクールの話になったのですが、全然支払う金額が違ってビックリしました。もちろん、着物代や舞台での稽古の費用など違うところがあるので当然ですが「特訓費」というのが一番気になりました。その友達もコンクール前に特訓(特別稽古)をつけてもらったけど普通通りの月謝だった、というのを聞きました。そこの三線教室の方針だったのか、古典音楽の業界がそういう方針なのかは聞けませんでした。正直コンクール費用の桁が舞踊の方が一つ多かったので(笑)
「那覇のホテルで清掃員として働いているある女性さん、「わたしも三線の最高賞もっているんですよ」と自慢されていました。彼女は三線演奏家としてプロとして活動家でもなく、三線講師でもないです。最高賞っていったい何でしょう?」
歌三線もそうなんですか?最高賞は何でしょう?あるレヴェルまである技量を達成した証明書(褒章)のようなものでしょうか?
「最高賞合格者門下生が多いことで、その流派の家元師匠が自慢できる、認められるという仕組みがあるのではないですか?」
ありそうですね。ひょっとしたら人間国保の選定の場合も門下生の人数や最高賞を何人出しているか、などのモノサシで決められている可能性がありますね。質というより量なんですね。
すると門下生を多く育成している方々が優先されるということになるのですね。質より量で判断でしょうか?質のいい歌三線の演昌者は門下生が少ないと国の保持者にもなれないし、人間国宝にもなれないのですね。
からくりが見えてきましたね。琉球舞踊も同じ仕組みでコンクールでたくさん成果が出せる流会派や家元のグループが主流になるのですね。
コンクール・ピラミッドシステムがすでに出来上がっているのですね。
量産に貢献している新聞社のコンクール制度なんですね。(近年,減少?飽和状態でしょうか?)
道場は、小中高校生の受験対策と同じなんですね。コンクールの目標ー新人賞、優秀賞、最高賞に受かるための特訓をするのですね。その上にグランプリなどがあったり、さらに教師免状などがあるのですか?それらを取得するのに資金が必要になるのですね。同じ舞踊の型で多くの会主や家元が乱立する理由ですね。
ここにも貧しい沖縄の一端が見え隠れしていますね。
コンクールは、かなり熱気がありますね。何人新人賞が受かったとか何人優秀賞が受かったとか、ネットで公開している流会派もありますね。
ホテルの清掃員の方が教師になるには、お金を積んで会派の家元から免状を受理する必要があるのですね!彼女の資金力が問われるのでしょうか?門下生の多い家元は、高級ブランドバッグを持ち歩き、高額の着物で舞台にも立てるということになりますね。
歌三線は家元制ではなく、頂点に人間国宝が君臨するのですね。
伝統組踊保存会は、組踊芸の家元制度はなく、最高が国の保持者と人間国宝ですね。
沖縄芸能界のヒエラルキーが見えてきました。でもまだまだ分らないところがあります。文化庁がオープンにした公の文書もありますね。その辺りからの情報も入手できますね。
実演家のみなさんの実体験を教えてください。コンクールで最高賞を取り教師免状を取得するまでどれ位の年月と資金が必要でしょうか?
最高賞を受けた後に会を去る門下生たちは、コンテスト用の特訓の後精魂尽き果ててしまい止めてしまうのではないでしょうか。
ある流派の講師の発言によると最高賞受けるまでの厳しい特訓でもって、足腰に負担がかかります、コンテストがおわると一気にやる気がなくなる生徒もいます。
那覇のホテルで清掃員として働いているある女性さん、「わたしも三線の最高賞もっているんですよ」と自慢されていました。彼女は三線演奏家としてプロとして活動家でもなく、三線講師でもないです。最高賞っていったい何でしょう?
最高賞合格者門下生が多いことで、その流派の家元師匠が自慢できる、認められるという仕組みがあるのではないですか?
最高賞合格者以外は、しっかりとした技が得られない流派ってあるわけですか?資金的な事情などでコンテストを受けれないけど、ちゃんとした技能が備わっている門下生たちは講師になれるチャンスもないってことですね、なんだか気の毒ですね。
「清子先生は、本来の伊野波節では、コンクールに通らないので、習う人がいなくなるので、今は通るように変えて教えているとのこと、ただ本来の伊野波節は高弟たちには引く次いでいると仰ったという話を聞いたことがあります。」
これは、いかに従来の型が歪められたか、の実証ですね。1963年の『芸術祭総覧」や1976年に発行された『琉球古典舞踊の型』に包摂されなかった型があるということになります。
柳清会家元・比嘉清子先生の「伊野波節」の型や技を継承された皆さんの女踊りが見たくなりました。よろしくお願いします。
清子先生は、本来の伊野波節では、コンクールに通らないので、習う人がいなくなるので、今は通るように変えて教えているとのこと、ただ本来の伊野波節は高弟たちには引く次いでいると仰ったという話を聞いたことがあります。
nasakiさんの仰る「流派の型とコンクールの型」という実情を示す話かと。
ただ、思うに、舞踊を習っている私の友人たちもそうですが、コンクールという目標がある時や、公演の前には道場に通いますが、それがないと、道場から、足が遠のいているようです。
「最高賞を受けた後に舞踊界を去っている知人も多くいます」という実情には、舞踊界のヒエラルキーに嫌気がさして、以外にもこんな事情も反映していると思います。
ただ、コンクールという目標を達成した後、道場にいかなくなるのなら、多くの人が「流派の型」を習わずに終わることにナリ、結局は「流派の型」は継承されなくなりますね。
2011年6月15日の「琉球新報」に記事があります。ネットで公開されています。最近、平田さん、組踊にも出演していますよね。お父様の泊役(マルムン)は良かったですね。舞台の小道具作りを精力的にやっているのでしょうか。
「琉球舞踊の玉城流琉扇會の故・平田行正宗家の追悼公演「琉扇に思い込みて」が12日、国立劇場おきなわで行われた。平田宗家の息子で二代目家元の平田智之は抜粋を含む組踊2題に出演した。このうち「大川敵討」では平田宗家が得意とした間の者役が登場する場面の抜粋に挑戦し、父の芸風継承へ意欲を感じさせた。また、宗家の創作舞踊を門下生らが披露し追悼公演にふさわしい舞台となった。
公演は平田宗家の遺影を掲げ厳かな雰囲気の中、琉球古典音楽斉唱「じゃんな節」で幕開け。
「万歳敵討」は謝名の子役で平田智之が出演した。平田、具志堅朝堅は踊り子に身をやつして父の敵に近づく兄弟を演じた。全体としては息の合った唱えや所作・踊りを見せた。高平良御鎖(うざし)役の島袋光晴も兄弟と敵討ちに合う覚悟を決める様子などを巧みに演じた。
対談「平田行正師を偲(しの)ぶ」は崎間麗進、喜舎場盛勝の両氏が平田宗家の人柄や芸を語った。崎間氏は平田宗家に関し「師匠の玉城盛義先生の技を十分に受け継いでいた。(平田宗家の)女踊りは盛義先生を思い出した」、喜舎場氏は「小道具作りにも力を入れていた」などと振り返った。
「大川敵討」の抜粋「村原と泊の場」は大川按司の忠臣・村原(宇座仁一)が通行人・泊(平田智之)の話を聞き、敵の様子を知る場面。泊役の平田は独特の言い回しで場面をつなぐ間の者に挑戦した。平田は宇座との掛け合いをユーモアたっぷりに演じた。笑いを誘う唱えや所作では舞台を重ねる中で、さらに味わい深さが増すことが期待される。
他会派から玉城節子が「かせかけ」、玉城秀子が「加那ヨー」、金城清一が「護身の舞」、谷田嘉子・金城美枝子が「仲里節」を踊った。平田宗家と共演してきた玉城流の各家元らが舞台に花を添えた。
平田宗家の創作舞踊は門下生たちが「琉扇の舞」「月の浜辺」などを踊った。
脇役ながら組踊の魅力を深める間の者役の育成や創作舞踊など、平田宗家の芸風の継承に期待したい。(古堅一樹)」
と、あります。間の者の名演技も重要ですね!マルムンについて博論を書いていたフランセス・マンマナを思い出します!論文が完成していないのが悔やまれます!でも、是非まとめられるべきですね!
血筋継承者大田さんの話題で頭に浮かぶ舞踊家さんといえば平田さんですね。
中軸が神谷武史、東江裕吉、玉城盛義、阿嘉修、嘉数道彦、佐辺良和、金城真次等々。當銘由亮は「人類館」の調教師役も演じ漫談も!女性では山城亜矢乃、知花小百合がいますね。他女性地謡の方々も華ですね!
県芸出身以外の方々も輝いていますね。嘉陽田朝裕、宮城茂雄、宇座仁一、小嶺和佳子、伊良波さゆき、呉屋かなめ等々。
思いつくままに名前をあげたのですが、その他にも30代から40代、頑張っていますね。続く20代、10代はどなたが華でしょうか?
伝統芸能も現代演劇も最近活気が溢れていますね。劇団創造は「沖縄芝居」(新演劇?)の灯火をあげています!
琉球舞踊に関しては、伝統組踊保存会も関係しているのがよく見えてきたのですが、おそらく中堅で今輝いている方々が将来いい方向へ導いていくことが期待できますね。
女性舞踊家も組踊や歌劇、現代劇に挑戦してほしいですね。男性舞踊家は組踊、沖縄芝居(史劇、時代劇、歌劇)にドンドン出ていますね。男性がリードする沖縄芸能界だけでは面白味がありません。
「劇団うない」で頑張っている柳清本流 柳清会比嘉一恵や渡嘉敷守良二代目を襲名する花岡勝子の愛弟子花岡尚子もいますね
次のステップは、日本の中央で、そして世界で通用するスター誕生ですね!
日本の歌謡会や映画、テレビ界では沖縄出身の芸能人が輩出していますね。日本を代表する女優仲間由紀恵、歌手の安室奈美恵もいますね。
将来、平良とみのようにNHKのドラマや映画に主演する「沖縄伝統芸能の華」のみなさんが登場することも十分ありえますね!楽しみにしておきましょう。
あるいは空手も舞踊も得意な舞踊家がハワイやCAを舞台に映像化されることもありえますね。
グローバル時代は世界的なスター誕生の可能性もあるということになります!「井の中の蛙」ではなく「世界村の蛙」の21世紀ですね!
常に希望は持ちたいですね!。
(敬称略)
元文化財課の島元氏
とありましたが、先生は、現在も籍は文化財課のはずです。
芸能担当から別の担当になっただけで。
このブログ6月12日『「てんぶす」で「いっとーばい」を観劇・・』
によると、四月から半年の病休ということですから順調にいけば、10月に復帰のはずです。
症状が改善し、
予定どおり復帰されるよう皆で祈りましょう。
このことは、何度でも、このコラム欄で触れていく必要があります。そのことで、一部の芸能関係者以外の人たちにも浸透していくでしょう。先日、東京の友人が観光で沖縄に遊びに来てましたが、「沖縄の踊りは大丈夫なの?」と聞かれました。この人は別に芸能通の人ではありません。
また、この間、所用で議員会館にうかがったら、玉城満県議いがいの党派の先生も舞踊保存会の補助金不正流用問題に関心を持っていて、保存会の会計実績を佐請求したみたいです。その際、県の知事部局の大物も動いているらしいという話が出ました。
噂ではなく、本当に動いてくれてたらいいですね。県教委が知らんふりを決め込んでいますので、期待したいです。
問題解決に向けて、いろんな視点で議論するのは大事ですが、論点が大きく広がったので絞る必要があると思います。
一企業のコンクールではなく、国の重要無系文化財が一部の人に好き勝手にされています。
今回、一番の問題は、指導すべき文化財課が、保存会の大御所の先生と一緒になって、補助金を不正に流用し、私利私欲にまみれた選考を行った事です。
大御所の先生達の罪は重いですが、弊害を助長した県文化財課の罪はもっと重いのではないでしょうか。
同感です。ある舞踊の流派が分裂した事情について、私も、驚くような話を、対立する立場の両方の方から、聞いたことがあります。私の知っているケースでは、どちらか一方が間違っているとはいいづらいもので、私の場合、しかもお二人とも、人間的に尊敬できる人です。複雑な事情はあるものです。
もちろんこのことをもって、全てのケースがそうだとはいえませんが、このブログ記事の琉球舞踊保存会の問題のように、物証となる資料を踏まえて多くのコメントが寄せられているものとは違って、情報の少ないものについては慎重にありたいと思います。
このコラム欄で、首里人さんの書いておられる渡嘉敷流についても、たしかに、あけぼの乃会と、守藝の会で踊りの違いは、私も同様な印象を持ちました。
ただ、『「芸を守る」と名前がある会がそんなに手を変えるものでしょうか?』ということについては、名称で判断できることではないと思います。(誤解しないでいただきたいのは、私は守藝の会が勝手に手を変えていると言ってるんじゃないです。そういうことは分からないです)現に、琉球舞踊保存会は、このブログ記事でも取り上げられているように、その名のとおり、適切に琉球舞踊を「保存」している団体には思えません。
花岡勝子先生は、私の知る限り、控えめで思慮深い人です。その上、琉球舞踊保存会の研修の際に、納得のいかないことについて質問をする(保存会は無視しましたが)勇気も持っておられる(ほとんで舞踊家は質問しません)。渡嘉敷流の継承について真剣に考えておられる印象を持っています。
様々な複雑な問題があるでしょう。流祖の渡嘉敷守良先生は本土のほうにも、川田さん、児玉さんと言ったお弟子もお持ちですから。
でたらめで私利私欲まみれな琉球舞踊保存会の問題と同列には扱えないと思います。
スター誕生が望まれる沖縄舞踊の世界だといえますね。大田さんがスターになれたら凄いことです。
宮城美能留先生は、スターの座を確立、その後、親元能造先生から分離し美能留会を設立。
「宮城美能留ほどのタレントと情熱のある演出家は今後沖縄に現れないでしょう」と三隅さんは断言されているようです。
実演家の皆様がた、三隅さんの発言をくつがえし、ガッツのあるスターさんが誕生されますよう祈ります。
三隅さんに向けて「わかったふりするな」と言ってあげてくださいね。
実演家スターのみならず、演出家、脚本家のスターも創出されてください。
スターを引き立てる脇役のスター創出も求められますね。
「逆に知りたいさん」のコメントの根底にある問題意識については共感大です。
ですから、揚げ足を取りたいわけではないです。
ただ、2代目玉城盛義(大田守邦)氏についての下記のコメントには、同感しかねます。
「ターゲットという表現は誤解を招いたかもしれないですね。伝統保存会ポリティックスの渦にまきこまれている舞踊家さんということですかね。」
「ポリティックス」というのは分かります。
保持者認定が「ポリティックス」、政治的な問題だというのは。
そのポリティックス(政治的な問題)の「渦に巻き込まれている」というのは、どういうことでしょう?保持者候補者の対象になる実演家は、すべて「渦に巻き込まれている」と思います。特に大田さんだけの問題ではない。
私が違和感を感じるのは、以前のコメントでも書きましたが、「私の印象では、彼は、大きなものに守られている」からです。過保護なくらい。それ以上に優遇されています。
文化庁や、人間国宝、有力な保持者(保持者間でも力関係はあります)といった方々に守られ、優遇されている。
平成27年度の文化庁芸術祭で、彼は優秀賞を受賞しています。これまで沖縄の舞踊家で受賞した女性舞踊家の顔ぶれを見ると、これがどれだけ大きな賞か分かります。
その賞を、沖縄の「男性舞踊家」として初めて受賞したのが大田さんです。
正直、冗談だろうかと思いました。彼以上の男性舞踊家は沢山います。
沖縄の男性舞踊家をなめるなよ。とまで思いました。
どんないい根回しをしたんだろうねと言う人もいます。
逆に知りたいさんが、仰るように、彼があの大きな体で女踊りを苦手なのはよく分かります。かといって、男踊りでも、万歳での重たそうな足さばきは見ていられないです。打組踊の「加奈よ-天川」では、花形舞踊家の東江裕吉さんと踊るので、その力量の差は歴然としています。正直、大田さん勇気あるなーと思いました。
考えてみると、沖縄芝居でも、名優真喜志康忠先生の当たり役に無謀にも挑戦しています。本当に勇気がある。並の神経では出来ないことです。
と書くと、一方的に大田さんをくさしているようですが、実は、私は、大田守邦さんのファンです。
ファンだからこそ、彼の大味な舞踊も、組踊も沖縄芝居も見に行きます。
芸能家として、大成してほしいと祈っているからです。
まず、容貌の良さは、大和の芸能家たちに全くひけをとらない。海外にに出してもだれにもひけをとらない。
今の若手(といっても50近い)で、これほどスター性がある人はいない。
按司や国王役を演じると、彼ほど、風格のある人はいません。(最近、舞台でお姿を見ない小渡和道さんは別格ですが)
真っ直ぐで晴れた日の青空のような人物を演じると天下一品。
この人柄(舞台から感じる)は、天性のものか、育ちの良さなのか。
悪役、卑劣な人物像を演じるのに、これほど向いてない人はいない。
今帰仁由来記での悪役や椎の川じんじんでの日本兵役は見事にミスキャストだと思います。それはとりもなおさず、陰影に富んだ人物を演じるのには向いていない。ということでもありますが。
彼は、役者ではなくスターなのでしょう。
彼に才能がないはずはない。名優にして、沖縄芸能の至宝玉城盛義先生の血をひく沖縄芸能界きってのサラブレット。
だからこそ、彼には研鑽を積んで、大スターとして、大芸能家として、大成してほしい。
逆に知りたいさんの「秀子先生の手をはなれ、朝一先生のてをはなれ自分の道にすすまないと、認定の意味がかるくなるのです」という見解は、そのとおりだと思います。
だから、周囲の人たち、特にバックについてうる大物芸能家の皆さん。彼を甘やかさないで欲しい。
彼が大きな人たちの手をはなれる前に(精神的な自立は必要ですが)
彼が、真摯に「特訓をお願いします」と言ってきたら、是非、鍛えて欲しい。
彼にとって、実力がともなわなくても、あらゆるものが手に入る(一通りの努力はしているでしょう)現状は、彼にとってもよくないし、沖縄の将来の宝を潰すだけです。
話もどります。
だからこそ、彼はとても「ターゲット」になっているとは思えない。批判なき世界にいる気がします。
ターゲットという言葉に相応しいのは、保存会に反旗を翻して嘆願書を出し、保存会から不当ないじめを受けている非主流派の舞踊家の方々。そして、何度もこのコメント欄に名前のあがる元文化財課の島元氏だと思います。
お家の事情をあえて公に騒ぎすぎるのは、あまり賢明ではないですよね。
お家の事情はお家で解決するべきです。
何故、襲名が認められたのでしょうか? きっと 理由があるはずです。それは認めた方々に聞いたらよいのでは?
コンクール制度の弊害ですね。各新聞社と琉球舞踊保存会主導のその制度を、沖縄県独自の芸能推進母体(制度)、第三機関【第三あるいは第四セクター】を設立して伝統芸能の型を尊重する方向性も可能ですね。
宮木康夫によると、第三セクターの効用は、①利益追求を目的とする手法ではなく、もっぱら公共的事業をコストミニマムに実行するための手法である。
この「公共事業」を「文化事業」に置き換えて捉えることは可能ですね。
②株式会社形態である利点を活用することにより、第一セクターに係る収支改良(多くの場合赤字軽減)が可能となる。
③施主(自治体)から付託された仕事(公共領域)を、もっとも効果的・効率的に実行するための、自主性をもったプロ集団である。
現在新聞社が独占的にドル箱(?)のコンクール制度を第三セクター方式で芸を評価・推進する方法は可能だろうか?ただ思いつきで書いています。すると現在のように、型の二重制度で余計な負担をすることなく、また新聞社間の微妙な型の相違も解消されます。
それぞれの流派の型を尊重し、その多様性の価値(美)をどう位置づけるかですね。現況の芸能Politicsを止揚できるかもしれませんね。教育委員会の文化財課が【状況を改善しより民主的に開かれたシステム】にアウフヘーベン(止揚)するパッション【情熱と使命感】があるか、ですね。現況では無理そうですね。でも期待はしましょう。
「同じ流派の中においても沖縄の家元と県外の会の師匠との形の統一がなされていないようですね」←この点に関して、権威ある家元は釈明しないといけませんね。型の統一ができていないのは、なぜかですね。沖縄の「テーゲー主義」でしょうか?
「最高賞を受けた後に舞踊界を去っている知人も多くいます」
そうですか。残念ですね。琉球舞踊界のヒエラルキーに嫌気がさしたのでしょうか。
ところで、皆さんの投稿はこちらで修正ができません。パソコンの漢字変換でミスが出てきますね。角質→確執、免除→免状ですね。
渡嘉敷流の襲名に関してですが、渡嘉敷流の会派の代表者がじっくり腰を据えて話し合うことが大事かと第三者としては考えます。話し合いのテーブルが必要ですね。そうでない限り一会派の突出は将来禍根を残しますね。
渡嘉敷守良さんのご家族のご意向だけの問題ではなく、有識者の唯我独尊的所見も冷静に検証し、渡嘉敷流がこの間継承してきた技(型)と、功績をじっくり見据え、守良の芸に恥じる事のない結論に至ることを念じています。
県外のある会の門下生が沖縄に新人賞を受けることになり沖縄の家元から直接指導を受ける為、数週間沖縄に滞在し上り口説の指導をうけコンテストに合格。ところが、その門下生の会主は、「あなたが習ってきた上り口説はコンテスト用ですので、この会では、振り付けは変りますよ」と、門下生に言われたそうです。門下生はがっかりしたそうです。そればかりか、古典舞踊も雑おどりの振り付けも家元と他県の会主とは違っているそうです。
同じ流派の中においても沖縄の家元と県外の会の師匠との形統一がなされていないようですね。
最高賞を受けた後に舞踊界を去っている知人も多くいます。
コンテストで最高賞受かった舞踊講師で基本的な舞台衣装の着付さえもちゃんと出来ていない人いが居るのですが、あれどうかなりませんかね?笑
一旦、最高賞与え、さらに講師免除も与えた沖縄の審査員(家元)さん、監督不届きですよ。
琉球舞踊のプライドはそこにはありません。
どうでもよい琉球舞踊の実態が世界中に完全に拡散されつつありますね。
少し前に渡嘉敷流の花岡先生の守良襲名が記事になっているのを新聞やこのサイトでも上がっていました。
花岡勝子先生は保持者で、守藝の会の金城光子先生は伝承者、というのもおかしな話だなと思いました。
何故かというと調べたところ守藝の会は三代続いていて「芸を守る」という由来の歴史のある会だと思うのですが‥舞踊をしている自分からしても踊りが他の流派と違うのはわかりますが、雑踊りに関してはあけぼ乃の会と守藝の会は全然違っていました。「芸を守る」と名前がある会がそんなに手を変えるものでしょうか?
花岡先生が保持者になれたのも守良襲名も裏に何かあったのではないかと思いました。
また、「渡嘉敷流から抜けてはいない」といった発言もしておられましたが、昔あった琉球舞踊を特集していた雑誌には「渡嘉敷流」ではなく「渡嘉敷"風"あけぼ乃の会」と紹介されていました。
脱退していないのであれば堂々と「渡嘉敷流」を名乗ると思うのですが‥
でもこのように中身が吟味され、解明されていくのはいいですね。この間の経緯も見えてきますね。それにしても現状を生み出した方々の責務は大きいですね。
「琉球王国時代からの琉球舞踊の伝承を担う教師や師範なるのに、一民間団体である新聞社の、しかも戦後に整備されたコンクールでの受賞が絶対条件。それぞれの先達の技を、という観点からすると異様な感じがします。」
確かにそうですね!コンクール用の型の統一の弊害ですね。
「むろん戦後の芸能の復興や実力ある実演家の輩出に、芸能コンクールの果たした役割は、とても大きいとは思います。それでも、これは異常な事態だと思います。」
異常です。両新聞社は沈黙ですね。そういえば「国立劇場おきなわ」主催の「創作舞踊大賞」の審査員には沖縄タイムス、琉球新報の事業局長が並んでいますね。(かなり問題の審査がありましたがー、審査員のメンバーは変わらないのですか?)メディアは広告塔でキャンペーンになりますからね。文化行政に大きく貢献しているという「自負と誇り」を持っていると云えるでしょう。
「コンクールに通らない舞踊道場は、閑古鳥が鳴きます。生徒が集まらない。琉球舞踊が、レッスンプロとして食べていける仕事になるために、先達の技を、コンクール用に変えていった歴史があります。」
この歴史の経緯はもっと細かく掘り下げたいですね。元沖縄タイムス社長の豊平さんたちからでしょうか?型の統一の功罪があったのですね。
「こうして、新聞社と芸能家が関係を深めていった結果、今の沖縄の伝統芸能界があるのです。骨がらみの関係なんです。両者は。」
それも60年代からですから、かれこれ54,5年になりますね。半世紀の歴史をきちんと新聞社のスタンスや記事も含めて検証する必要がありますね。
骨がらみの関係を解く方法はないのでしょうか?
誰か答えるだろうと思ってたら、そのまま古い話題になりそうなんで
詳しい人間ではないですが、代わりに書きます。詳しく知っている人は補足や訂正をしてくださいね。
「コンテストで最高賞をとることで、その舞踊家さんに何か特権が 与えられるんですか。もしかしてコンテストのシステムこそ問題なのでは」というご質問。
あくまで私見ですが、最高賞と言いながら毎年膨大な数の合格者が出るので、何が最高かわかりません。舞踊の大きな先生の中には、「最高賞を取ってからが一人前で、芸のスタートだ」と仰る人がいる。一般の感覚だと「最高賞」と「一人前」が同列というのは納得出来ない。
最高賞をとった方々の上位者は勿論、実力者だと思いますが、賞は一定数の人数ださないと、受賞者による毎年予定している受賞記念公演が開催出来ません。いうまでもなく、この公演は主催者である新聞社にとって安定したドル箱(古臭い言い方ですね)、貴重な安定した財源なので、公演が開催出来る人数を確保するために、正直、怪しげな人も受賞させているのが実情です。
つまり、本当の意味での最高賞の技量を必ずしも保証する内容ではないのです。
もっと問題なのは、そんな技倆をはかる厳密な基準にはなりえないものを、またこのそれぞれの道場とは別の団体による選考の結果が、舞踊道場の教師や師範の免許を取得するための条件として義務づけられている。具体的には、このコンクールで最高賞を取ってから〇〇年というのが免許取得するための条件にあるんです。
不思議な話です。
琉球王国時代からの琉球舞踊の伝承を担う教師や師範なるのに、一民間団体である新聞社の、しかも戦後に整備されたコンクールでの受賞が絶対条件。
それぞれの先達の技を、という観点からすると異様な感じがします。
むろん戦後の芸能の復興や実力ある実演家の輩出に、芸能コンクールの果たした役割は、とても大きいとは思います。それでも、これは異常な事態だと思います。
コンクールに通らない舞踊道場は、閑古鳥が鳴きます。生徒が集まらない。琉球舞踊が、レッスンプロとして食べていける仕事になるために、先達の技を、コンクール用に変えていった歴史があります。
こうして、新聞社と芸能家が関係を深めていった結果、今の沖縄の伝統芸能界があるのです。
骨がらみの関係なんです。両者は。
国の舞踊保持者は、コンクールの審査員でもあります。この人たちの機嫌を損ねると、コンクール事業は成立しません。
だから、舞踊保持者の不適切な選考問題、その問題と関連する補助金不正流用問題に、沖縄の地元紙は及び腰なのです。
こういう事情は、コンクールの基準つくりにおいて、優遇された主流派の人たちより、他の貴重だが主流派ではない人たちに、しわ寄せが来ていると思います。
一見、隆盛を極めている(最近は人気が下降気味とはいえ)琉球舞踊の内実には、こんな現実もあります。
島元先生が、病休(休職?)に追い込まれたことを、「追放」という強い言葉で表現しただけです。
罰則や懲戒の種類に、そういう名称のものはありません。
島元先生は、そういう強い処分に値することをしたわけではない。しかし、現状を追認し何も改善したくない人たちにとっては、不都合な行為でした。
だから、根深いのです。
病休なら、彼自身の理由で休んでいる
(このブログの6月12日記事『「てんぶすで」で「いっとーばい」を観劇した際思いがけず島元先生にお会いした』で彼は理由を語っていません。)と強弁できます。県教委は何も強い指導や処分を行った訳ではないと。
病気になった経緯が明確にされなければ、県教委はいくらでも逃げ道があります。
9月議会も近いです。
県議の皆さんには、そのあたりを追究してほしい。
今回の追加認定の将来への影響は深刻ですが、原因は文化財課の担当者とその上司、保存会の先生方が、その事について何も考えていないことにあります。
県議会での答弁一つを取っても、答弁書を作った文化財課が、事実確認もいい加減で、何も考えていないことが分かります。文化財課の面々は、補助金の不正流用問題も、島元先生のパワハラ問題もバレていないと思っているように見受けられます。
みたらし団子さんの指摘するとおりに琉球舞踊の流派の問題は本当に分かりづらい。
その中で島元先生はキチンと勉強して丁寧に対応されていました。現在の文化財課の対応は本当にいい加減です。勉強すらしていない印象を受けます。
今回の認定は、文化財課が杜撰な指導しかしていないために、声の大きい大御所の意向が強くなり、一部の団体に有利な不公平なものになっています。さらに、文化財課は議会で問題が指摘されたら「公正な選考が行われるよう随時、指導助言をして参りました。」とでたらめな答弁を教育長にさせています。こうして、問題は起きていないことになり、改善されず「わざ」の私物化と深刻な状況がさらに進みます。
アメリカ世に、先達の先生方と当時の有識者は、伝統芸能を何とか後世に残そうと、コンクールを開き、文化財の指定を行ってきました。もちろん、積み残した問題もかなりありますが、現在まで琉球舞踊は滅びずに継承されています。
生きるのに精一杯の時代に、先達の先生方や有識者は、琉球舞踊を守るために並大抵でないご苦労をされたと思います。
文化財課が杜撰な対応をしているために、先達の先生方の血の滲むような努力で守ってきた「わざ」が、保存会の一部の人に私物化されています。
原因は些細ですが状況は深刻です。
今回の追加認定の偏向ぶりは非道いです。真剣に琉球舞踊に取り組んでいる方々が、評価される体制をしっかり作るべきです。
そのためには、文化財課、保存会の緩まったネジを、みんなで厳しく締めましょう。
沖縄人さんが、「組踊に坂東玉三郎さんの歌舞伎化粧をそのまんま受け入れることもしかり、長いものにまかれる主義芸能です。同化しつづけていますね」とコメントを書いていますが、それは「伝統組踊保存会」の『長いものに巻かれろ主義、伝統文化の事大主義』ですね。
強いもの、に順応していく習性ですね。残念ながら、その組織の幹部のセンスがそうなのですね。国立劇場おきなわの研修生の指導者も首里方言の組踊の認識で、自立史観ではないですね。
同化と異化のせめぎあいで近代史が続いてきたかと思うのですが、培ってきた言語とリズムを捨てたらもうモノトーンの社会ですね。
ウチナーグチで話す場もないですね。ウチナーグチで話す場を増やすことが、独自性を維持することに繋がるのならば、是非ですね。
白塗りお化けのようなメイクが組踊の若手のメインキャラを演じる伝承者・舞踊家にもいますね。メイクの問題等、前に指摘したことがあったのですがー。組踊研究者もなぜか適切なアドバイスができない沖縄なんですね。指針がはっきりしていないのですね。
舞踊界だけではないです。
沖縄県の文化行政も
「長いものに巻かれろ主義」です。
誠実に筋の通った指導を行っていた
島元要先生がパージ(追放)された。
琉球舞踊は滅びるのではないか
という彼の切実な警鐘は
「琉球舞踊」を「文化行政」に置き換えても成り立つ。
この事実の重さから目をそらしてはいけない。
玉城節子先生たちの真っ白に塗った舞台化粧も
本来の琉球舞踊の化粧とは違いますね。
女性舞踊家の方々は、外でお見かけするときは、
何故か。和装姿が多いですね。
なぜ琉球装にしないのでしょうか?
沖縄の文化に誇りを持っているなら
自然にそうなるのでは、
これってどうでもいいことでしょうか?
組踊に坂東玉三郎さんの歌舞伎化粧をそのまんま受け入れることもしかり、長いものにまかれる主義芸能です。同化しつずけていますね。
何を今更。
同じことの言及になりますが、沖縄の芸能政策の中軸はどうも東京(文化庁)のブレインの方々、この間三隅、田中、織田(国立劇場顧問)、調査官吉田、文化庁審議委員沖縄から大城、金城、そして宜保(敬称略)などの方々、新報&タイムスの各新聞社、県文化財課、県文化財審議委員会、組踊/琉球舞踊各保存会幹部、それから政界の関与もありますね。NHKなど中央メディアもキャンペーンしますね。
研究資料を紹介します。
『沖縄県史 各論編8 女性史』2016年の中で波照間永子さんが「琉球舞踊における「女芸」の成立と展開」の論を書いていますね。女性芸能者の近代からの流れが幾分分ります。(紙面が限られているので詳細は弱いです)
『芸術祭総覧』(沖縄タイムス1963年)
『芸術祭総覧』の中軸になった真境名佳子さんの著書:『真境名佳子伝 琉球舞踊に生きて 』真境名佳子伝刊行委員会 2011年などもあります。
舞踊関係の論稿もいろいろ書かれていますね。博論をまとめるためにいろいろ読んでみました。池宮正治、板谷 徹、金城光子、玉城昭子、大城ナミ、花城洋子、宜保榮治郎、大野勇、其の他古典に関して仲程昌徳、比嘉実、古波蔵保好、川平朝申、その他(敬称略)、金武良章の聞き取りをまとめた書籍も興味深いですね。其の他、戦前の『琉球新報』などをめくったら見えてくるものがあります。『琉球沖縄芸能史年表』は膨大ですが、近世から近代まで網羅、戦後編も図書館にあります。戦後の舞台芸術の総体が見えてきますよ。
将来的に舞踊を専門に研究する若い才能がいろいろと紐解いていくことを期待したいですね。玉城盛重論も期待したいですね。(盛重神話があるのですね)
敬愛する大城立裕先生によると、政治的には内国植民地沖縄です。辺野古埋め立ては「琉球処分の完了」を意味するとのご発言は意味深です。ですから文化のオリエンタリズムも沖縄に脈打っているところがありますね。さて政治(基地問題を含め)の鞭をどう跳ね返すかですがー。
文化政策の占有化もどう民主化するか問われているのですね。
沖縄独自の価値観、世界観が試されているのですね。
文化行政のあらゆるリーダーの皆さん、沖縄芸能を担う実演家の皆さん、そして芸能を支える観衆の皆さん、地域共同体の皆さん、歴史の経緯は、「真実を追及する大きな眼」に見据えられていることを忘れてはいけないのでしょう。
一人一人の声は大切ですね。これからも忌憚のないお考えをお寄せください。
別な欄でコメントさせていただいた沖縄人です。保存会と利益関係が全くない第三の審査会を創るべきと述べました。
どこの国にも専門の芸能評論家が存在し流派の歴史や技に熟知し、いわゆるニュートラルな立場に立つプロの芸能クリティックスが沖縄県には居ないのではないですか。
偏った推薦や認定もそのような背景から生じてくるのではないですか。
認定結果は色んな指摘の通りなんだけど、大御所のお気に入りを選ぶためにその都度、基準が恣意的にかえられるのが大問題。
選考の既成事実をねつ造するために、補助金を不正に流用してコンクールまがいの選考会まで開いている。これは、大御所の横暴に県文化財課が資金提供しているのと一緒。
本来、適正に補助金が使われているかを指導するのが、文化財課の役割じゃないか?
こんな理不尽を注意するどころか協力までしている。
県の文化財課も共犯。
「わざ」と「金」と「権力」が私物化されている
色んな視点や考え方があるから、誰を選んでも不満は出てくると思う。
当事者である保持者の先生には、いろんなしがらみがあり限界があるのは、ある程度理解できる。
だからこそ、第三者の立場である県文化財課が、行政として公正公平にしっかり指導すべきだのに保存会とベッタリで、逆に、不正に手を貸している。
マフィアと警察官がつるんで、街を牛耳っているイメージ。
今回の追加認定は保存会の大御所や県の担当者に取り入れば、これまでのルールを変えて簡単に保持者になれるということを示してしまっている。
いくら練習しても「政治」をしないと保持者になれないというのはおかしい。
これは「技」の伝承とは違う。
玉城流の主流派だけ大きくなって、松含流や渡嘉敷流の技がなくなるのは絶対おかしい。
多様な手が共存してあるのが琉球舞踊の豊かさであり、優れた特徴だったのに、国や県が指定して杜撰な行政介入を行ったために、規格化が加速して、勢力の弱い流派が切り捨てられようとしている。
沖縄のアイデンティティの源の一つである琉球舞踊がこんな哀しい事情で滅びかけていることを、沖縄県民はどれくらい知っているだろうか。
本ブログの「沖縄県教育庁文化財課の不可解な人事←投稿です!(7月6日)」で、「問題はなかったのか?」氏が指摘しているとおりに県文化財課が問題をなかったことにしているのであれば、この件に関して、とくに補助金の不正流用について問題を顕在化して、県民に知ってもらうことが、問題解決の第一歩だ。
琉球舞踊の流派の問題は一般の人には分かりづらい。税金の流用は、誰の目から見ても、明らかな不正だ。
心あるマスコミや議員さんに、しっかりと文化財課を追求して欲しい。
どうも「琉球舞踊保存会」の国の保持者認定と、「伝統組踊保存会」の保持者認定も互いに関与しあっている事が見えてきました。そこで保持者認定の具体的なプロセスをどなたかよく知っている方は教えてください。
若手というか中堅の組踊の伝承者の中では組踊立方は、神谷武史さんが技に切れ味があり魅了されますね。他宇座さんもいいですね。女形では佐辺さんなど何人かいい候補が揃ってきましたね。宮城能鳳さんが女形の国宝ですから女形芸は優れてくるはずですね。
組踊の中で舞踊も披露されますね。ですから古典舞踊と組踊は切ってもきれないですね。
大田さんは大きな力で守られ期待されているのですね!嘉数道彦さんを芸術監督に育てるために宜保さんや幸喜さんが使命感をもって育てたように、大田さんも育てられ、将来を嘱望されているのですね。今後の沖縄芸能界のリーダーとして背負うものが大きいということになるのですね!
これはこれで沖縄の文化ポリティクスです。それを是とするか否定的に見るか、賛否はいろいろかと思います。
どの組織でも会社でも後継者をどう育てるか、重要な課題でありつづけます。たいていの組織は男のホモソーシャル 【(英: homosocial) とは、恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語】内で男から男への継承ですね。
その点、琉球舞踊は女性が大半を占めている現状です。女性舞踊家が華やいでいるのはいいですね。最も琉球王府時代に表の冠船芸能は士族の男達が担っていたのですが、遊里では芸妓(ジュリ)が芸能を堪能し、芸を継承してきた事実は無視できませんね。
女性芸能者の歴史はそれなりに奥が深いのですね!女性たちが組踊も唱えてきたはずですよ。ですから琉球舞踊家は大いに組踊にも歌劇にも挑戦されたらいいですね!エールを送ります!
ターゲットという表現は誤解を招いたかもしれないですね。伝統保存会ポリティックスの渦にまきこまれている舞踊家さんということですかね。認定は本人が推薦することは出来ません。周りが推薦しているわけですね。周りとは、貴方が言う「彼は大きなものに守られている」というコメントの「大きなもの」とは、ポリティックスの中核に居る人物たちではないのですか。それは偏った守りであるのではないですか。守るのであれば、舞踊家としてご自分の流派に伝わる純粋の形を守っていただけたらよいのではないですか。ここでは、極めて単純に琉球の先人たちが練り上げてきた流派の技を守りましょうといっているにすぎないとおもいます。
nasakiさんの前のコメントを下に、コピーさせていただきます。
「大田守邦さんは、琉球舞踊の主流派にして最大組織の玉扇会の玉城秀子さんのご子息。さらには、人間国宝の照喜名朝一さんが引き立てているから、実績がなくても認定されると「やっぱりな」という声があがります」
これは実際声として実演家の中から洩れているのでしょう。
今回の国の保持者追可認定の問題も含めCultural Politics、つまり文化政策だが、文化を背後でmanipulateするシステムの存在が明らかですね。政治党派もあり、また中央の国立劇場関係者、文化庁、顧問、有識者、新聞メディアも絡んでいますね。
彼が、家元であるのにも関わらず、他流義に憧れていることで叩かれている?叩かれているというのは、公然と批判を受けているということですか?
私の印象では、彼は、大きなものに守られている、です。
それに、政治的 にという言葉は、本来なら批判される必要はないのに政治的な駆け引きに利用されて犠牲になっているという風にも取れます。
そうなんですか?
大田さん、以前から宮城流の公演に参加していますね。実能留流に一種の憧れを抱いている舞踊家さんですよね。
江戸の歌舞伎にも憧れを抱いているのではないですか。
ようするに玉城流よりも他流会の踊りに憧れをもつ家元っているのですね。それこそが、彼が叩かれる本質なのでは。
一旦流派の道を離れてモデルとして本土で活躍していたこともあったそうですね。団十郎は、モデルにはならないですよね。
団十郎は、生まれたときから歌舞伎俳優の道をまっしぐらっです。海老蔵さんは、あばれんぼうだったようですが、とりあえず、3歳から芸をしこまれて、彼もモデルなんてやっていなかったでしょう。
さて、大田さんは、政治的ターゲットにされても、どう自分の流派をしょって団十郎なみにやっていけるか、彼は認定されたがゆえに、ねたまれつつ、秀子先生の手をはなれ、朝一先生の手をはなれ自分の道をつきすすまないと、認定の意味が軽くなるのです。
認定されているからこそ自分の技を貫くことが重要なのでは。さてその自分の得意芸の技とはいったい何を意味するのか?疑問ですね。
創作舞踊の話題もでておりますが、
大田さん創作発表されていますか。
秀子先生の日傘踊りを、あのまんま踊ることは、おかしいとおもいますよ。
まず、背丈のある男性が女形を演じるとき、秀子先生が踊られている、細かい日傘扱い、あの振り付けは
大田さんに似合わないのです。
すくなくとも海老蔵のような大スターにはなれない。どうひっくりかえしても。
認定などに、まどわされがちですが、所詮芸は技で勝負。宮城流の実演家に彼が勝てっこないです。宮城流は技をもてています。玉城流はメジャーかもしれないけど技が浅い。それは、明らかな事実ですね。
宮城流は玉城流の踊りと元が同じだと説明が幾度もされているのですが
宮城流の師匠さんたちは、ある程度プライドをもって深く踊る訓練をしておられます。が、節子先生にしても、秀子先生にしても、片が浅くなってしまったのは、如何なものでしょう。
節子先生はベテランのお師匠さん、無形文化財指定の大先生の節子さんが、新人賞課題曲「かせかけ」を幾度も披露されておる。
歌舞伎や日舞の世界では考えられないことが沖縄舞踊の世界でおきてしまっていますね。
まこと残念な沖縄舞踊の世界だとおもえます。
人間国宝の登場もあり、ますます日本の文化システムに依拠する現状ですね。
「大田守邦さんは、琉球舞踊の主流派にして最大組織の玉扇会の玉城秀子さんのご子息。さらには、人間国宝の照喜名朝一さんが引き立てているから、実績がなくても認定されると「やっぱりな」という声があがります」
これは実際声として実演家の中から洩れているのでしょう。
今回の国の保持者追可認定の問題も含めCultural Politics、つまり文化政策だが、文化を背後でmanipulateするシステムの存在が明らかですね。政治党派もあり、また中央の国立劇場関係者、文化庁、顧問、有識者、新聞メディアも絡んでいますね。
玉城盛義の孫であり、三代目家元で名前を襲名した大田さんですね。血統ですから、それを支持する体制が上にあげた三つの機関と関係者です。それに伝統組踊保存会、琉球舞踊保存会も結託しているという構図ですね。血統の玉城盛義流を中心に据えようということです。宮城流の血統は宮城能造ー宮城美能留ー宮城早苗・園美姉妹ですか?
親泊興照さんは血統の相続ではないですね。真境名流は?松含流?渡嘉敷流?血統の視点で考えると、中央の文化システムの中枢が血統が続いている玉城流に注目し、賞を与えて格上げのプラットホームを作ってあげるのも、なるほどです。
文化政策ですね。作為的に造られる歴史かもしれませんね。それに異議を申し立てる方々は、グラスルーツで問題を指摘し、この主流とは異なる文化史を創る必要があるわけです。
廃琉置県からの近代は66年、戦後は72年です。戦後に流派が登場して『芸術祭総覧』で舞踊の型が統一され、復帰後に組踊の型が流動系から固定化へと突き進んできた現在ですね。
流派の歴史も浅いですね。「型が統一されたわけですから、流派や多くの家元の存在はおかしい」ということになりますね。でもそうはならなかったのですね。
型の違いがあまりないところで、今度は創作舞踊でしのぎを削るのですね。戦後の新琉球舞踊です。新作/創作舞踊の中身が今後試されるのでしょうね。
伝統舞踊の型はほとんど固まったわけですよね。タイムス系と新報系に分かれているというのが、芸術博士のナミさんの所見です。
渡嘉敷流や松含流など、型が異なるのであれば、しっかりそれを維持継承しなければ、主流の盛重系統が伝統舞踊だということになってピリオドですね。
後は新/創作舞踊の真価ということになるのでしょうか?
さて真に美しい琉球舞踊や組踊はどこにあるのでしょうか?
大田守邦さんは、琉球舞踊の主流派にして最大組織の玉扇会の玉城秀子さんのご子息。さらには、人間国宝の照喜名朝一さんが引き立てているから、実績がなくても認定されると「やっぱりな」という声があがります。最近まで組踊役者とは本人も言ってなかったし、どちらかというと、沖縄芝居のほうに関心があるのかなと思っていたので、組踊の認定のニュースきいたとき、意外でした。
沖縄芝居実験劇場の方はどうなってるの?主宰者を引き継いだんじゃなかったの?
本人はいたって気のいい人物なので、バックについてる人たちの 問題かなと思いますが、でも、もう大人ですからね。2代目玉城盛 義を襲名したからには、本気で頑張って欲しい。組踊も清一先生だけでなく、節子先生たちからも習ったらいいです。秀子先生は盛義先生から習ってませんし。
脱線しちゃった。気になるのは、国の保持者というだけで、琉球舞踊の保持者ではない組踊の保持者が、琉球舞踊の保持者認定にちょっかい出している情報がこのブログ記事の2016年12月26日記事「国指定琉球舞踊保持者候補選考問題へのコメント→白紙に なった候補者リスト復活か?」にあったこと思い出した。
リスト にあった選考者の中に、 舞踊家ではない、もちろん舞踊保持者ではない組踊保持者にして伝統組踊保存会会長の真境名正憲さんの名前があったから。
行き過ぎた権威主義は, 舞踊界の秩序も超えて、別ジャンルまで侵すほどなんですね。推薦された方は今回は入ってませんけど、次は注視しないと。
守邦さんは、舞踊の方でも、次の保持者認定に上がってくることでしょう。襲名披露公演のために慌てて古典舞踊を稽古したことなんか、何の問題も ないのでしょう。
平成27年に組踊の第6次の追加認定があった時、殆どが地謡の方々だった中で、
唯一立ち方で、保持者に追加認定されたのが大田守邦さん。芸歴も30年に満たないのになんでかねという声があったけど、もっと変なのは、守邦さんの組踊。ひいおじいさんの玉城盛義先生ではなくて、宮城能鳳先生から習っている。これでいいの?保持者って。
それとも、組踊の保持者の先輩で、盛義先生の直弟子だった金城清一先生にこれから習うのかな?保持者なのに。
芸能などの無形文化財の指定認定って、人ではなく、わざが大事なんでしょ!そのわざを持っていつということで、わざの持ち主を保持者に認定するという説明を聞いたことがある。
大丈夫か組踊の保持者認定?
踊りの源流ですが、大田さんでしょうか?戦前からの痕跡を見ていく必要がありますね。戦後は、芸術祭総覧が基本に見えますがー。
朝薫と盛重が血筋がつながっていないことは解りました。
では公表されている玉城盛重関連説明について感想を述べたいとおもいます。
盛重さんが沖縄舞踊の団十郎だとしたら、沖縄舞踊の元祖は、大田さんということになるわけですか。歌舞伎風襲名を行ったことも歌舞伎を居意識してのことなんですね。
大田さんは、コンテスト受けておられるのですか?母親の秀子先生は受けておらないようですね。
歌舞伎化するのであれば、コンテスト形式は止めないとね。
歌舞伎元祖の団十郎などうけさせられないですよね。名取試験もうけないですよね。歌舞伎の世界や日舞の世界は襲名をしますね。
元祖の子孫である海老蔵さん(ま、彼の父親は、養子でしたけど)の沖縄舞踊公演チケット料金は一万円以上ですね。沖縄舞踊の元祖の舞踊公演は、三千円ですね。この差は、いったい何でしょうか?
かりに、玉城盛重さんが元祖であり色んな踊りを創作されているのであれば、流派として、その流派だけで踊る、あるいはお家芸として昔の形を継承するのが、大田さんの責務ですね。
以下の資料を参考にしています。
玉城盛重
たまぐすくせいじゅう
(1868―1945)
沖縄の舞踊家。首里金城(しゅりかなぐすく)に生まれる。12歳で明治初期の芝居の世界に入り、37歳で仲毛(なかもう)芝居を退き、沖縄戦で77歳で死去するまで、後進を指導し、沖縄の古典芸能を守り育てた。「琉球(りゅうきゅう)の団十郎」と評され、同じ仲毛出身の渡嘉敷守良(とかしきしゅりょう)(1880―1953)の女踊りに対し、男踊りの第一人者とされた。創作舞踊も多く、『むんじゅる』『浜千鳥(ちぢゅうやー)』『谷茶前(たんちゃめ)』など雑踊(ぞうおどり)の代表的なものはほとんど彼の手になる。1936年(昭和11)、折口信夫(おりくちしのぶ)を中心とする日本民俗協会主催の琉球古典芸能大会には座頭として参加した。[宜保栄治郎]
盛重さんについて図書館で文献をお読み下さい。
ご意見ありがとうございます。コンクールによる型の統一があり、どの流派もその主流の型(新報系の主流派、沖縄タイムス系の主流派)に合わせないと受賞しないという仕組みになっているのですね。
問題はこれでいいのか、ですね?そうなると、琉球舞踊保存会、文化庁、有識者【国の文化財審議委員や顧問の方々】、新聞社共々、玉城盛重系統(沖縄タイムス系統、琉球新報系統)の推進母体ということになるのでしょうか?
ヒーラーモーイ親方が寄稿した「琉球舞踊界の不都合な真実!伝統を守らない強者が、伝統を守る弱者を殺していく!強者が弱者を収奪する」構図は、組織的になされていることになりますね。親方が絶望的な言辞を発していることが、なるほどと、理解できます。
弱肉強食の論理が文化政策の領域でも強烈に巣食っているということになりますね。文化ポリティクスですね。
芸術学博士の大城ナミさんのサイト『大城ナミ琉球舞踊技法工房』http://www.udoi.net/
の中で以下の文章が紹介されています。
「琉球舞踊の型について書かれている著書に『芸術祭総覧』(芸術祭運営委員会、沖縄タイムス社1963)がある。それは1954年から1963年の10年間に行われた新人芸能祭(後に芸術祭に発展)の記録と、その間に審査の必要から「型」を統一する必要が起こり、「新人芸能祭舞踊研究会」(1961年に「芸術祭琉舞研究会」に発展的に改組された)を設立し、琉球舞踊の型について話し合い、それを「琉球舞踊の型」として納めたものである。前者の新人芸能祭の記録は、当時は現在のように新聞社で踊り方の系列が二分された時代ではないので、オール琉球舞踊的な企ての中で行われた催しの記録で、貴重な歴史的記録であるが、ここ"技法の部屋"では当然のことだが、「琉球舞踊の型」の項に集中したい」と。
『芸術祭総覧』を紐解くと、具体的にいかに型が統一されたかが、写真でも紹介されていますね。戦後20年以内に型の統一が成されたのですね。ナミさんの文章を読むと、その後、踊り方の系列がタイムス系と新報系に二分されたことが分りますね。その型がどう異なるのか、琉球舞踊の保持者の方々はよくご存知かとー。
琉球舞踊の研究論文もいろいろ書かれていますが型に関して、戦後の統一された型が規範になっているのですね。
琉球王府時代から、近代の66年、戦後の72年の現在を統一した(一貫した)舞踊の歴史、その変遷【変容】の検証が求められていますね。矢野輝雄の『琉球舞踊の歴史』(1988年)がありますが、さらなる詳細な通史が必要ですね。
ただ 、無料でやっているということで、琉球舞踊保存会の成果発表会を、何度か覗かしてもらっったことがあります。同じ技を先達毎に披露するもので、正直言うと、いろんな流儀のものを見てもあまり違いが分かりませんでした。タイミングの違いくらいかなと思いました。ただ、渡嘉敷流だけは、同じ系統なのに、ししょうの違う3名の方が踊って、全然違うのにビックリしたことがあります。小道具も団扇に対してクバ笠だったりして、元々沖縄には本土の
家元制や流儀などなく、名人がいただけだという話もよく聞きます。戦後になって、名人の方々が流派を起こしていますが、
名人それぞれの手癖の違いが、現在のそれぞれの流儀の違いになっているだけで、本土の芸能のように、何百年続いた〇〇流とは違うものらしいと聞いています。
ここからは、
素人の推測で、実態は舞踊家の方々に聞くしかないですが、コンクールを実施している新聞社 、具体的には、琉球新報、沖縄タイムスで、舞踊の型の統一が行われているのではなく、各流儀で、コンクールの採点基準 に合わせて、コンクール用に技の改変を行なったのではないでしょうか。
つまり、新報系、タイムス系という二つの型が存在するのではない。各流儀ごとに、先達から引き継いだわざ以外の、コンクール用のわざが存在するのではないでしょうか?
この認識。間違ってますか?
戦後の芸能史の流れをきちんと吟味する必要があるのですが、型の統一が元沖縄タイムス社長の豊平さんなど有識者によってまとめられたその型が基本になっているのですね。真境名佳子さんは長いこと、その中心で彼女の型が頂点だったのですね。それに玉城盛義門下の四天王の4人が彼女の型に屈したというのが、ヒーラーモーイ親方の指摘ですね。
「球舞踊界の女帝であった故真境名佳子先生が、この県指定保存会の会長の頃、玉城盛重系統で中心的な流儀である玉城流(盛重師の甥の盛儀師が開祖)の四天王と呼ばれる花形舞踊家たちが、こぞって佳子師詣でをした。佳子師の指導を仰ぎ、盛儀師の技を変えたのは、玉城秀子、玉城節子、谷田佳子、金城美枝子(継承略)の4人の方々だ。
盛儀師の門下で、師の手を変えることをを良しとしなかった方々が、宜保雅子、金城清一、金城千寿子、宮里敏子の4人の方々である。」
この流れの中で、型が統一され、その後「タイムス系」と「新報系」に分かれるのですが、それぞれがコンテストでは、型を統一した審査が行われるわけです。貴方が指摘されているように、では流派は同じではないか、ですよね。この問題に関して、メディアは沈黙していますね。
沖縄の芸能各分野のコンテスト(審査)が夏は盛況でそれが続いていますね。新聞社にとっては、ドル箱だといわれています。具体的に新人から優秀、最高賞へとそのエントリーの金額等、調べてみますが、各流派の先生方が審査委員になっていますね。同じ型を競うわけです。
ですから「流派が違う道場の門下生たちが、コンテスト用に踊り形を揃えること、まず日舞の流派ではありえないことですね。ここで指摘されている先人たちの踊り形が変ってしまったということは、コンテスト用に変えたってこともあるのではないですか」の貴方の疑問はそのとおりだと考えます。
コンテストの型が同じですから、流派の違いはおかしいということになりますね。
「もしかしてコンテストのシステムこそが問題なのでは。おどり形が違うから流派であり、「技」の認定といえるのではないですか?「技法」が同じであれば、流派は一つでよいわけですよね、そして流派同士の認定争いもおきません」
という結論になります。親泊興照【戦前から沖縄芝居(そして舞踊)の名優で組踊の最初の保持者のお一人】は、「舞踊に流派等はない、元々皆同じだ。流派を作るな」と言い残されたようですね。
しかし今では親泊流があり、二代目親泊興照も誕生しています。同じ流れは玉城流、宮城流と続いています。それは復帰(1972年)後です。
ですから戦後沖縄芸能史は、歪みがあるのですね。大和化(日本復帰)の流れと、利得がからんでいるのかもしれませんね。流派の歴史も浅く、家元制度も底が浅く、新聞社のコンクール制度は伝統芸能の裾野を広げることには貢献してきていますが、利得が絡んでいるのですね。
今頃流派の個性を主張しているわけですね。型が同じで同じではないと、小さな流派の頑張りがあるのですね。
島元さんが最初に指摘された玉城盛重系の独占体制は変わりませんね。追認された国の保持者は皆同じ系統の方々でしたね。新聞社も県の教育庁【文化財保存課】、有識者、文化庁も追認ですね。
貴方の疑問を関係者は真摯に応えるべきですね。
沖縄の夏から秋は其々の地域の芸能が盛んに上演されますね。見ていて厭きないですよね。離島の芸能も見て回りたいのですが、なかなかです。
先日、仕事柄、東村のあるで踊られるかじゃでぃ風を鑑賞しました。
また、粟国村で踊られる舞踊も鑑賞しました。
それぞれ、地域性が生きていて、これもあり、と思いました。
ある芝居さーと昔、話をしたことがありますが、
踊り方には限界がある、と、ま、縛られていてこれ以上観てても、という意味かもですね。しかし、地方にはまだまだ、観てて面白いのたくさん眠ってますね。私は舞い方ではないので、その辺はよくわからないですが、エンターテイメント性はそれぞれの地域に根付く大事なものかとは、思います。
日本シンセサイザープロフェッショナルアーツ会員喜久川ひとし
7系統を名人(先達)ごとに整理した中で、「玉城盛重系統」の名人に、肝心な「玉城盛義」先生が抜けています。
「盛重系統」とは、「玉城盛重系統」です。これは、国の保持者のほぼ全員の所属する系統ですが、「玉城流」は玉城盛重先生の甥の玉城盛義先生が興した流派で、数多い「玉城盛重系統」の流派の中の一つです。琉舞界最大の流派であり、同じ「玉城」ということで、一般の方には、盛重系統=玉城流と思われがちですが、違います。
盛重系統は、「玉城流」以外に、「真境名琉」「親泊流」「島袋流」「宮城流」「真踊琉」他、枝分かれした流会派ふくめて極めて多数です。
流会派で整理すると、膨大で分かりにくいので、琉祖となる先達(名人)ごとに整理すると下記の通りです。
玉城盛重系統
真境名由康・親泊興照・島袋光裕・宮城能造・田代タカ子・真境名佳子
読谷山親雲上朝英系統
金武良章
新垣松含系統
比嘉澄子
嵩原安詩系統
屋嘉良勝系統
比嘉清子・山田貞子
川平親雲上朝美系統
阿波連本啓
渡嘉敷守良系統
渡嘉敷守章・児玉清子・川田礼子 他
圧倒的に、盛重系統の層が厚いことは、この図からもうかがえますが、戦前は、玉城盛重先生だけでなく、新垣松含先生、渡嘉敷守良先生の三人が、三大名人として知られています。そして三大名人たちは明治以降、芝居小屋で役者として芸能を伝えたのですが、首里士族の芸統を伝える金武良章先生や、その他の御冠船芸能以来の芸統も貴重な沖縄の舞踊です。
今の国の琉球舞踊保持者のほぼ全員(保持者の大城政子先生は、盛重系統の真境名佳子先生だけでなく、嵩原系統の比嘉清子先生にも師事しています)が、盛重系統ですが、盛重系統のみが栄え、他が衰退していいはずがありません。
それは、琉球舞踊にとって取り返しの付かない大きな損失になります。。
琉球舞踊、芝居、組踊り、他
舞台好きのものとしては
知りたくない事実でしたが
それが現状ならしかたないです
ただ、知ったからには
同じく膿は出しきって
新たな方向に、舵を切り替えた
ほうが、将来的に琉球舞踊のためになる
膿の溜まりっぱなしは、
健全ではない
色々な流派の舞台をみてきたが、
大きい流派、小さい流派関係なく、
いいものは良いし、面白いものは面白い
各流派にはそれぞれに面白い演目が沢山
あり、それが見たい
良い踊り手の育成、良い演目の創作、継承に
力を入れて、予算もかけて欲しい
切に願う
きちがいに刃物を与え、火に油を注いだようなもんだ。この責任はどうとるのだ!
「(保持者候補者選考は)いろいろ言われていますが?」と聞くと「今回は芸歴書なんかの資料も見て、ちゃんとやってるよ。県の人も来て一緒にやっているから大丈夫」らしいです。
「今回は」というのが効いてますね(いままではちゃんとやっていないということですね)。
「ちゃんと」とはどういうことか?
県の方の指導を受けて、これまでのことを反省して、芸歴書も確認して公正にやっている・・・・とはどうしても思えない。島元先生の鳴らす警鐘を「でたらめ」と断定し丁寧に保存会に何度もお詫びをしている県教育委員会だ。保存会に問題(過失)はないという立場で、どんどん進めるだろう。
データ作成や文書作りはお手のものの県の事務方が入ることで、偽装(カモフラージュ)は巧妙にならないか?
うがった見方すると、「丁寧に精査しても、ぼろが出ない。保持者の思い通りの資料」を元にして作業しているということではないか?
元々がでたらめな資料なら、その上にいくら丁寧に作業しようが「でたらめなまま」だ。この間まで、「芸歴書は県に行ってて、自分たちは見ていない」と保存会が言い、県教育委員会が「県を経由してないから、見ていない」といっていた芸歴書。ちゃんと確認されたかどうかすら不明。
「資料を見てちゃんと」と言われても、その資料は適正なものか?
「ちゃんとやっている」というのはどういうこと?これまでのこの団体の経緯見てると信じられない。
改ざんやねつ造新たな偽装(カモフラージュ)は行われてないか?
県は指導するどころか。この悪行を積極的に容認か、荷担かのどっちか。そう思うのは私一人だろうか。
パワハラで病休に追い込まれた
その意味は重い
保存会と県教育委員会はぐるだ
私利私欲にまみれた実技選考会
実技選考会を開くための
補助金の不正流用
何から何まで真っ黒だ
今、みんなで立ち上がらないと
保存会と県教育委員会に
琉球舞踊はつぶされてしまう
真実は真実。
間違いは間違いを認めることで、これ以上、嘘を重ねてなくて済むはず。
今は目の前の自分の利益しか見えてない人ばかりですが、負の遺産を未来に引き渡したくないです。
いつかは、修正しないといけなくなると思う。これ以上、複雑骨折のようになるのは絶対に回避するべき。
私たちが、県教育委員会に個人や有志で動いても、軽く扱われるだけです。県の先生方の嘆願書に対するこの人たちの対応みてると絶対そうです。
真相を究明するための質問をお願いします。芸能界だけの問題ではない。現在と未来の県民のために。
そんな運営するから全てにおいて信用されなくなるのは当たり前のことです。
自分達で会の品位を落としていることに気づいてないのでしょう。
琉球の歴史とか文化って
軽く扱われてますよね
関係者でさえこうですから
世の中に正義はないのかな~
ああ無情
お二人の真摯な感性と批評眼が問われていますね。大城學さんは宜保榮治郎さんや三隅治雄さんのお弟子さんですね。
氏の業績と共に、自己顕示欲の噂なども巷から聞こえてきます。(かなりの失態が隠されているようです)金城さんは、実演家の方々からその論が批判されてもいますね。それでも文化庁が沖縄の文化行政【芸能】に関して信頼しているお二人です。お二人がどう現況に対応されるのか、多くの芸能関係者が見据えていることを肝に銘じて、沖縄芸能のより良き方向性を示してほしいものです。
芸術・芸能も研究も、突き詰めると『真とは何か』ですね。自己顕示欲や権威主義のためのものではなく、すべて社会に還元し、多くの人々に感銘・感動・真実の開示を与えるものだと考えます。
真・善・美を究明する旅ですね。
確かに、身内に対するえこひいきという批判はあたっているのかも知れませんが、金銭的には汚い方々ではないと思います。それがどうしたと、先生方から抑圧を感じている方々に叱られそうですが・・・・
USJよりジブリさんが、琉球舞踊保存会の資料見て「クロ」と断言するなら、間違いなく県教育委員会も「クロ」です。グルになって不正を行っています。
保存会の総会というもの必ずしも、国(文化庁)も県(教育委員会)も参加するものではありません。来賓として呼ばれることはあっても。
なぜなら、5月6月が総会の時期なら、すでに前年度の実績は、実績報告書が県と国には提出されてます。総会に行かなくても国も県も実績を確認できます。逆に総会資料の内容が「クロ」ならすでに県はこれを了解しているということです。
国の方へは県を経由して実績報告書が行くので、この時期まだ確認していないかも知れませんが、すくなくとも県は、実績報告書にある「決算」を確認しています。
総会資料の「クロ」い決算は、県教育委員会のお墨付きなのです。
ということで保存会がクロなら、県教育委員会もクロです。
USJよりジブリさんの報告を待ちましょう。
琉球舞踊保存会の一年間の「事業経過」や「決算報告」は、毎年行われる同保存会の総会で報告が行われます。そこでの報告書を見れば分かることです。保持者の方から借りてきました。これは、秘密の文書というようなものではなく、来賓や取材に来たマスコミにも配られるものです。
やっちゃってますね。保存会。流用ありです。クロですね。資料等、別途でこのブログに投稿します。
あった!
一つ提案します。すぐ出来ることがあります。このブログの2016年12月25日付けの「文化庁官殿~」というタイトルの記事で、紹介されている県の保持者の皆様の嘆願書拝読して思いつきました。
あの嘆願書は、文化庁官、県教育長、他に出されていますが、文末が「~ご指導願います」だけで終わっているので、今度は「具体的にどのような指導をなさいましたか?」という公式の質問状を会長名で出すんです。抽象的な話ではなく、具体的にという点が味噌です。いい加減な回答でしたら、ちゃんとした回答が出るように再度質問状を出したらいいです。
回答は口頭ではなく、必ず文章で出して貰うことが絶対です。そのために会長名による公式な質問状なのです。
黙殺されたり、いい加減であったら世論に訴えることも可能でしょう。マスコミ等を通じて、個人名等は今はやりの黒塗りで公開したらいいです。もし、よい答えだったら、行政のステキな対応を世間に喧伝できますよ。
まずは、そこから突破口を。
もう一つ考えましたが、また後で、今残業明けで眠いのです。
本来なら、研修を充実させるためにあてるべきお金を、やる必要がない(どころか一部の人間の私利私欲実現のための)実技審査に回すということ。
保存会や行政がそこまで腐ってないことを祈る。
そういう仕組みなんですねぇ
お金の流れとても気になります。一年間の事業計画とか決算報告とかないんでしょうか?
そもそも琉球舞踊保存会って何のために設立した団体なんですか?わかるかた教えて下さい。
師匠から習ったものを変えるのが、伝統芸能の世界でまかり通っていることにもビックリです!もしも、同じことされたら悲しくないですかねぇ?自分の弟子が別の先生のところに通って踊りを変えるということですよね?一般人の私には理解できませんが
このお金は、伝承者養成事業(研修会等)のためのお金で、保持者候補者選考には使えない。
県教育員会の前の担当者(島元さん)が仰っていました。去年の11月頃の話です。
琉球舞踊保存会の人たちは「自腹」で、保持者候補者選考の実技審査を行ったのでしょうか?
国立劇場おきなわという一番使用料が高い(そのぶん設備や対応は最高です)会場を何日も押さえて審査を行っています。そんなお金がどこにあったのでしょうか?
保存会の方々はいつもお金がないよ~しています。研修事業も「かつかつでやっている」とことあるごとに口にします。会議のための交通費もほとんど出ないのでみんな「手弁当で参加している」と胸をはっておられます。
高額な会場使用料。補助金にゆとりがない。それどころか使えないわけですから、自腹でやったのでしょうか?
正直、自腹でやる人たちには思えない。
県教育委員会の現在の担当者の方は何を聞いても「分かりません」という人となので、前の担当者の島元さんに聞いたら、「現在は担当を離れているので、どういう予算を使ったかはわかりません。ただ補助金をこの取り組みにあてることは出来ません」と断言して「念のためと言って「文化庁の担当者に確認します」ということで後日お電話をいただきました。ありがたい。「確認しました。やはり無理です」との答え。
関係者からは「補助金をやりくりして実施した」という声もあり、どうなんでしょう?
使ってはいけないお金を「やりくりした」のなら、犯罪です。
実技審査で踊れようが、毎年の保持者公演などで舞台に出てようが、弟子も育て、公演を行い、師匠の技を守り継承してようが多分関係ないんです
そんなのどうでもいいんです
今回の騒動で状況が変わってなければ、
国の保持者の弟子、国の保持者に親しく寄っている人が選考されることになるんです
公平性、透明性皆無なカモフラージュ審査
県の保持者に対して失礼極まりない、顔に泥を塗るようなやり方が問題になっているんです
やりたい放題ですね
大人の世界ではロビー活動は当然あると思うが
それでも今回のはあまりにも酷い最悪のやり方でしょうね
そんなやり方で選ばれた人ばかりの国の保持者
正直 いらないですね
例えるなら
パッケージには琉球時代から続く伝統の製法と味をうたいながら
肝心の中身は伝統の素材は使わず、適当な製法で、更に合成着色料、合成保存料たっぷりで、食べ続ければ体に悪いみたいな感じ
そんなのを琉球時代から続く伝統の味と
沖縄県が認め 国が認めるみたいな感じかな
それを正す人や機関はなく
なっていまえばこっちのもんで
騒いでも結局、正義の声はかき消されるでしょうね
3次の県の保持者の際にはそんな審査はなかったみたいですよ
自分達の時は審査など受けずに国の保持者になってるんです ずるいですよね
自分達は別格なんでしょう
今月発表みたいなので
結果 やっぱりな となるんだろうか
「保存会にはしっかり資料を見て審議して欲しい」と前の方のコメントにありますが、私は期待できない気がします。
この舞踊の保持者候補者問題について、舞踊界に衝撃を与えた候補者名簿(不公平だと糾弾され白紙になった)が流出するちょっと前に、保存会は県の先生方に、芸歴書の出し直しを指示しています。その際、従来使用していた様式を大幅に変えて、全芸能人生で踊ってきた演目を個個に詳細にジャンル別に書くことを義務づけていたらしいです。様式が変わったのに充分な説明もなく、半世紀以上に及ぶ芸歴を、二月でまとめろという無茶ぶりな指示でした。県の先生方は必死になって書き上げて提出したものの気になって「あの芸歴書はどうなりました?」と保持者に尋ねると「あれは県のほうに行っているので自分たちは見ていない」とどの保持者も答えたそうです。書式が変わって困っていることを伝えても、保存会の宇座事務局長は「我々は、県に言われて仕方なくやっている」「芸歴書は県の指示で集めた。県に聞いてくれ」と言ったと。
それで県の文化財課の担当者に尋ねると「保存会の運営が軌道に乗る前は、文化財課に窓口を置いて、伝承者からの提出物を経由させていたが、現在は事務局体制も固まっているので、保存会に直接提出することになっています。だから、我々のところに芸歴書はありませんし、見てもいません。必要に応じて保存会に開示を求めることはありますが」と言われて、通知文を見ると、そうだよね・・当たり前ですが、保存会の会長名で出ている文書だし、県庁ではない住所が提出先になっています。県の方の仰るとおりなのです。保存会にないはずがない。保持者の方々はなんでこんな無責任なこと言うんだろう?
ん?変ですよ。保持者も県の文化財課も見ていない。なんのために出させた芸歴書なんでしょう?
保存会の事務局員の女性の方に何人かの先生で質問をしたらしいのですが、その方も様式の内容をよく知らない様子で要領を得ないし、また別の仕事もやっておられるようで、問い合わせ先に電話してもなかなか掴まらない。
芸歴書についての不信感は募って、実は紛失しているのではないかという声まで出はじめたころ、あの保存会の極秘資料である候補者名簿が流失したので、県の先生方やその周辺から「保存会は、芸歴書を見ないで、候補者を決めているのか?」という疑問が上がったのです。
その後、マスコミ種になったりして、あちこちから叱られてやり直しをしたことになってますが、果たして芸歴書はちゃんと扱われているのか未だに不明す。
この保存会の対応を見てると、芸歴書だけでなく、今回の実技審査も、いい加減なものと、多くの人が思うのは無理もないと思うし、実技審査が「アリバイ作り」なら、芸歴書のデータにも基づかない、本当に保持者の主観だけで、候補者が決まっていると思います。
課題が諸屯だったんですね。
なんでこの演目なんですかね?一番体に過酷な踊りですね。ゆっくり体を沈めて、再び体を立ち上がっていく。腰の負担がはんぱない!ご年配の舞踊家には辛い。これが踊れないと、保持者の資格ないの!?国の保持者でも、もう踊れない人いるでしょう?
保持者に望むことは、こんなこと?若い頃のように踊ってもらう必要あるの?どんな演目でも踊れることが大事なの?その年齢や健康状態に応じた踊りを、年輪を重ねても、体現できて、芸能の神髄を見せて下さったらいいのでは?公演の際に、大御所の先生方にのぞむのは、現在のその方の本領を発揮できる踊りを見せていただくことかと、私は思う。そこに旬の若手実演家にはない芸の凄みを感じる。
なんで諸屯?25年度研修の課題演目で、その発表会の記録映像もある。関係者はDVDをもらっている。それを見れば良くない?
保存会。底意地が悪いな。3年たってどのくらい劣れていか確認?何が何でもふるいにかけようってこと?こんな試験みたいなやり方。若手や中堅舞踊家に対しては問題ないけど、各流会派の会主やそのクラスの大物相手にしていいことではないでしょ!
若い人たちの瑞々しい舞台もいいですけど、お年を召され、芸能家としての全盛期を過ぎてなお、舞踊の神髄を見せて下さる先生方の舞踊には、若いときのだけの時分の花にはない、奥行きや豊かさがあります。伝統というものの素晴らしさを、身をもって体現しておられる。
スポーツ界なら、70歳,80歳のアスリートなんて、希有でしょう。
そのことを、一番知っておられるはずの、国の保持者の先生方が、なぜこの方々を不当に苦しめるのか。理解できない。
それよりも、国の琉球舞踊保存会は、成果発表会や普段の研修をビデオ映像に沢山録っています。この資料を有効に活用しないでどうするんでしょう?特に県の保持者の先生方は、特別研修生で別格でしたので、ソロでの舞踊映像が沢山あります。技量に疑問があれば、それで確認できる。発表会の映像は、伝承者全員に配布されてますから、保持者が持ってないはずはないです。わざわざ国立劇場の舞台を一週間近くも借り切って、実演させるのは、必要以上に手間もかかるし、コスパも悪すぎます。
難儀しても、お金がかかってもでも、この実技審査をやりたかった理由があるのでしょうね。
している先生方を国の保持者より上の、
世界文化伝承保持者みたいなものに認定
します!
私に権力があればなぁーーー
他の伝統文化の世界でも、大御所の先生方に、こんな扱いしているんだろーか
沖縄県の人は どうにでも扱えると思って、下に見られているような気がするけどー
人参ぶらさげれば、大事なものも捨ててついてくるよーふふふ
と笑って操る黒幕がいるのかー?
沖縄県バカにされてません?
あえて力量を見るためという名目。逆に聞くけど、普段、琉球舞踊保存会の偉い先生方は何を見て指導してるの?何年間も何をしてきたの?
前もって、だいぶ前から審査に向けて準備ができた人と(国の保持者の弟子、又は近しいいひいきの人)、
へたしたら数日前に「実は今回の研修は、次、期国の保持者を選考するため」と知らされたけど、実技審査を受けて踊りきった先生方。
こんなまでして受けた実技審査。
踊りきっても落とされる?
審査をする意味は??
あなた達はへたくそと言ってる?
毎年、保持者公演、名人選、他の舞台を踏んでるのに?
本土でなら考えられないような大変失礼な扱いを受けながらも、不満ももらさず、けなげに実技審査を受けた先生方。
不平等で不透明な対応にも負けずがんばってきた先生方
これが評価されないでどうするんだろう
何がしたいんだろう
先生方に正しい評価を!
私達、沖縄県民の琉球の文化を、自分達の都合のいいように歪曲しないでほしい!
メッキはいつか剥がれます
悪事はいずれ暴かれます
やったことは全て自分に跳ね返ります
今だけ、自分達にとって良ければいいなど とんでもない!
後世まで琉球舞踊が守られるように考えるのが、本当のリーダー
威張るのがリーダーではない
真のリーダーなら、琉球舞踊の伝統を守るため、発展を本気で考え そんなことは絶対にできない
絶対にできない!
そう考えるリーダーが琉球舞踊界には不在なんだろうか
矢面に立って会員を守るリーダーの不在
それこそ問題では?
琉球舞踊保存会には、今や心は存在しないのか
改革する勇気ある人もいないのか
琉球舞踊界全体を考え引っ張るリーダーも不在
なのか
何のために存在しているのか
自分達のではなく、会員のための規程作りを!
それを定期的に公にし、悪いところは改正し、規定に基づいて、こそこそした運営ではなく、オープンな運営をしていただきたい
やろうと思えばすぐにできます
こそこそと時間をかけて悪巧みをする時間があるのなら、今すぐに善意ある改革を行えるはずです
自分達に有利なようにではなく、会員のための運営体制作りに時間とお金もかけて下さい。
いつまでも、このようなやり方では、琉球舞踊はダメになります
琉球舞踊から清らかさを失わせないで下さい
ヒーラーモーイ親方さんが、暗闇に光りをあててくれたので、真実を知ることが出来ました
ありがとうございました
遠くからこの問題を見守り、そして周囲の知人達とも考え続けます
皆さん頑張って下さい
負けないで!
公平な世界が琉球舞踊に訪れますように
苦しめられているのは、舞踊家だけではないです。私の知っている県の三線の先生(腕の確かな大御所です)は、実技審査を受けましたが、いつも踏んでいる使い慣れた国立の舞台が、「死刑台」みたいで手が震えたと仰ってました。
県立芸大の学長でもある古典音楽野村流の比嘉康春先生も審査対象者でしたが、舞台に上がらずに帰られたと聞いています。そのお人柄から人望も厚く優秀なお弟子さんを大勢育てられ、その力量から次に三線から人間国宝が出るとしたら、康晴先生ではないかといわれるほどのお人です。現在の沖縄の芸能界でもひときわ輝く方です。沖縄の芸能になくてはならない方です。
審査を受けずに帰られたのが本当なら(秘密主義の選考なので、このあたりはっきりしないです)保持者認定の在り方に疑問を感じられたのでしょうか。悲しい話です。保持者選考辞退者として扱われるのでしょうか。
このブログの2016年12月23日の記事(琉球新報2016年12月21日の記事への言及)によると、保存会は保持者候補者選考にあたって、内外から批判の多い今回の「実技審査」について、「この数年は踊っていない人もおり、現役生、力量をみるためだ」と必要性を強調とあるが、保存会よ嘘をつくな。
ここ数年踊っていない人たちは誰もこの選考会には参加してない。全員辞退をしている。選考の対象になっているのは、毎年踊っている人たちばかりだ。保存会からの通知文に添付されている発表スケジュール表を見ればわかる。一般の人には分からないと見くびっているのか?新聞社はなぜ裏を取らない。嘘つきの発言をうのみにして書いて何がマスコミだ。
「現役性と力量」を確認するため必要?バカ言っちゃいけない。この阿呆な保存会の実技審査の前月、11月23日に国立劇場おきなわで、審査対象者である県の保持者の所属する沖縄伝統舞踊保存会の保持者公演が行われたばかりでないか。昼夜2回公演でたっぷり一人ずつ技を披露しておられるのを見逃したか。国の保持者は全員招待されているはずだが、見に行ってないのか?現役性にこだわるのであればさらに年明けの1月14,15日は、同じ方々で二日にわたって「新春琉球舞踊名人選」が行われている。日時的に年明けなので、12月12日から行われた実技審査よりもっと新しい。もっと現役性が確認できる。「1月にも文化庁に推薦したい」のでも充分間に合うだろう?両方の公演とも大きな劇場で一般の観客も観賞できる形だ。これ以上透明性はない。変な評価をするとすぐばれる。
個人的には、70台、80台の方々がきりりと踊っていて、深い感銘を受けた。
保存会執行部は、自分たちの阿呆な実技審査を「これ以上の透明性、公平性はない」(新報)と言うが、保持者以外の関係者をできるだけシャットアウトして、楽屋の電気まで落としてコソコソ審査している「実技審査」のどこに透明性がある?この団体のちゃんとやりましたと言う説明を誰が信用する?
あちこちで言われている「実技審査はアリバイ作り」というのは、この記事を読んで確信に変わった。
考え【意見】を出し合う場としてさらに活用してください。それがヒーラーモーイ親方の意向にも添うのかと考えます。よろしくお願いします!
既に国の保持者に玉城流系統しかいないなら、今回は他流派を中心に選考したらいいじゃないですか。
こんな簡単なこと!
ヒーラ~さんの記事を見る限りでは、そのようなやり方をされたら、誰だって激怒するのは当然っしょ。
私も自分がされたらと想像してみた。
そりゃぁーっ怒るっしょ(-_-#)怒り心頭ですよ(-_-#)
大学でいえば、裏口入門が平然と行われている感じですよね。それで入学した人はエリートコースを歩める的な。
頑張っている人が評価されないと、どんどん先細りしていき、琉球舞踊の明るい未來は閉ざされると思うのだが、残念ながら、それを閉ざしているのは、琉球舞踊界のお偉方みたいなね。
沖縄には、なんか失望してしまった。
ユイマール、いちゃりば兄弟ー、命どぉ宝、、とかのイメ~ジが崩れたぁー
そんなやり方されて声をあげないほうが、 おかしいと思うのだが、私の感覚では。私がおかしうのか?琉球舞踊界の常識がおかしいのか?
手前味噌ではあるが、おそらく、琉球舞踊界の常識がおかしいんだろうなぁーと思うよ
良い案がウカビマシタ。
琉球舞踊保存会は、玉城流保存会に即刻、改名したほうがいいですねー。琉球舞踊を名乗ってはいけないですよ。
脈々と現代まで先人達が命をかけて守り抜いた伝統を、現代人の安易な考えで、握り潰す行為はいかがなものですか
その代わり、真剣に師匠の技を守り抜こうと、強大な敵と戦っている先生方に、その資格を、今すぐあげて欲しい。あげないのは、沖縄県民として恥ずかしい。いいかげんにしてくれ!本当に!琉球舞踊保存会が、あまりにも、自分達のやりたい放題した結果が、全ての元凶だ!責任転嫁するな!全ての元凶はあなた達だ!あなた達が、平等に、そして真剣に考え行動したのなら、今回のような騒動はおきなかったはず。責任は全てあなた達にある。
各流派や新聞社、保存会、そして芸能関係の研究者も含め、多かれ少なかれ利得(利害)も絡んでいると見受けられるのですが、沖縄の戦後の芸能史を真摯に見据える画期的機会と捉え、真摯に向き合ってほしいものです。
もし関係しているどの機関や組織も誠実に対応することがなければ、独自にこの問題をテーマにシンポジウムを開催したいですね。
盛重系統に偏る国の琉球舞踊保持者の問題ですね。また選考過程での不合理な候補者選定かと考えます。ヒーラーモーイ親方の文書を読むと、琉球舞踊の形の変質と政治的な力学も裏に潜んでいるのですね。
「非主流派、特に盛重系以外の県の保持者は、弟子を守りつつ、不正義と闘っていかなければならない」とヒーラーモーイ親方は書いていますね。
「琉球舞踊保存会の顧問である三隅治雄、宜保栄治郎、田中英機、織田絋二、波照間永吉といった方々は、この状況をただ看過しているだけか」とも問いかけていますが、有識者は是非応答してほしいですね。道筋を示してほしいですね。
「沖縄の文化財行政は死んでいないか」とも問うています。文化財審議委員が永久就職のように何十年も同じ人物がその席にある現実も異常ですね。アメリカ大統領並に二期8年か6年位で交代すべきですね。それが何十年も同じ方が独占する沖縄の文化行政です。←権力は文化行政でも腐敗するのかもしれませんね。背後に党派も地縁・血縁も絡みますね。 強者が弱者をいたぶる文化(財)行政は返上したいものです。
県は、公開討論会を開催すべきかと考えます。