やはり機械的な作業をしながら少し古い物語を聞いた。ラジオドラマというか、小説の朗読である。パソコンの前でずっと学生たちの課題を確認して返却したりしているが、クラシック音楽は、いつものパターンだが、変化をもとめて、小説やドラマだ。
「泥の可」も「角筈にて」も、また「花まんま」朱川湊人も面白かった。
泥の河が第13回太宰治賞を受賞していることや、映画がある事も知らなかった。終戦から10年の大阪、川岸のうどん屋の8歳になる少年信雄と、対岸の船に住む同じ歳の喜一や姉との交流を軸に物語は流れるが、河の街大阪の泥河に住む幻の、お化け鯉が最後まで物語のメタファーとして、強烈だった。当時廓船があった事など、古からの舟遊びが、頭を過ったが、青白い刺青が闇に浮かぶ描写が、色鮮やかな錦鯉のお化けに重なった。映画を見たい。
小説の中に「黒砂糖」が登場する。郭船と知らず信雄が喜一をはじめて訪ねる場面だ。喜一の母親が黒砂糖をあげたのだ。ふと彼女は沖縄出身なのだろうか、と思った。当時黒砂糖は大阪では普通に好まれていたのだろうか。宮本輝が住んでいた尼崎や大阪の大正区など沖縄出身の住宅街だと知られている。
一方、「常筈にて」にはすでに他界した父親と息子の再会が、花園神社である。親に捨てられたと思っていた息子のわだかまりが、溶けていく。痛みが、人生の情感が流れている。「花まんま」は輪廻をテーマとする人の世の不思議が描かれる。贖罪感と許し、生死の繋がりが溢れているこの世なのかもしれない。
この世は浮世、夢幻なのか。実態として見える世界は限られているが、限られた現実と非現実の峡間から、ネットの仮想空間から、見据えているのは事実だ。そして彼方と此方は繋がっている。