志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

直木賞作家深田祐介の『バンコク喪服支店』の中に「火牛の海」という短編が入っている。「この主人公は私の父をモデルにしているのよ」と、知人が話した。早速読んだ。

2023-10-12 06:33:30 | 小説
復帰前の沖縄は米軍統治下にあった。この「火牛の海」は、沖縄本島の国頭の小さな村落に生まれた佐和田真平(小説の名称)が、山原船で北部の木材(木炭)などを与那原まで運送、那覇からは生活物資を運ぶ運輸業で財をなし、やがて博労として牛馬豚も運送してきた先祖の代からの生業から、やがてはオーストラリアやアメリカから牛を輸送する大きな肉牛マーケットを生み出した事柄をノンンフィクションの形式で書かれた物語である。
 仔牛から成牛の輸入へと変遷もしていくが、物語はワシントン州のモゼスレイク空港の大型貨物輸送機DC8型ジェットに乗り込む成牛の様子から始まる。
 沖縄のおかれた政治経済(輸出入の完全自由化)のメリットを活かして、本土への肉牛の出荷、それが実際の子牛をオーストラリアから船で運送してもらい、半年間の飼育をして成牛にし、その肉を出荷する大胆な構想で時代を先取りした気骨のある主人公として登場する。船旅で体重が減る仔牛の問題や、わざわざハワイの牧畜を見学したり、実際にオーストラリアで仔牛の選別をするなど、牛肉の流通販売に命をかけた男たちの物語である。
 大きな総合スーパーの社長にまでなった人物である。商道の言葉や、マーケット開拓のために奮闘する姿、それにしても飛行機の内部に詳しい描写は、なるほど作家の深田さんは長い間JALに勤めていた方だったのだ。操縦士と博労の佐波田さんの話も面白い。
 米軍治世下で物資の流通にメリットがあった沖縄だったことや、牛の輸入に奮闘した人物がいた事、それが小説に描かれたことが事実だと分かった。
人間の食になるために生まれ育てられる家畜への哀れみが多少残るが、牛肉などのマーケティングは生活の大きな糧である。昨今牛肉はあまり食することがなくなった。
 SNSで動物虐待の動画を見せつけられると、涙を流す牛などの姿は、自らの宿命を察した生き物の悲しさそのもので、それはどの生き物にも共通するものかもしれない。
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「琉球政府(りゅうきゅうせいふ、英: Government of the Ryukyu Islands)は、1952年(昭和27年)から1972年(昭和47年)まで、沖縄本島を中心に存在した統治機構の名称である。1972年(昭和47年)に沖縄県が日本に返還された際に消滅し、沖縄県や沖縄総合事務局(国の出先機関)などに移管された。
琉球政府の行政府の長は、行政主席(英:Chief Executive of the Government of the Ryukyu Islands)であった。」


「アメリカ合衆国による沖縄統治」
  • 1945年(昭和20年)8月20日 - 沖縄諮詢会設立
  • 1946年(昭和21年)
    • 2月2日 - GHQの宣言により、北緯30度以南(トカラ列島以南)がアメリカ軍占領行政下に置かれた。
    • 4月24日 - 沖縄民政府設立。
    • 10月3日 - 奄美群島に臨時北部南西諸島政庁設立(トカラ列島含む)。
  • 1947年(昭和22年)3月21日 - 宮古民政府、八重山民政府設立。
  • 1950年(昭和25年)8月4日 - 沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府設立。それぞれ、民選の知事と議員が選ばれる。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日 - 知事らによる日本復帰を求める声が強くなり、沖縄、宮古、八重山、奄美すべて統括する琉球臨時中央政府が作られ、各群島政府知事の権限は極端に削減された。なお4つの群島政府は、翌年1952年(昭和27年)3月末日までは形式的には存在し、その後地方庁に改変された。
  • 1952年(昭和27年)
    • 2月10日 - サンフランシスコ講和条約が発効した1952年(昭和27年)4月28日に先立ち、トカラ列島が本土復帰。
    • 4月1日 - 琉球政府となる。
  • 1953年(昭和28年)12月25日 - 奄美群島が本土復帰。
  • 1967年(昭和42年)7月1日 - 「第一球陽丸銃撃事件」から約5年後、2代目の琉球船舶旗(三角旗の下に日の丸を併掲)が使用され始める[2]。
  • 1968年(昭和43年)12月1日 - 行政主席選挙が初めて行われ、日本復帰派の屋良朝苗が当選する。
  • 1972年(昭和47年)5月14日 - 沖縄県の本土復帰(=沖縄返還)により消滅。政府組織は沖縄県庁や沖縄総合事務局へと引き継がれた。

火牛とは:
「兵法の一。牛の角に刀の刃を上に向けて結び、尾に葦 (あし) を結びつけて点火し、その牛を敵軍に追いやる。古代中国の斉 (せい) の田単 (でんたん) が考えた兵法とされ、「火牛の計」といわれる。」

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