(きゅうよう橋まで歩いてみた。白鷺は一羽だけ眼に入ってきた。渡り鳥はまだやってこないようだ!)
研究棟に籠もっていた2年半ほどの間によく散歩で見慣れたいた場所、首里の杜、とも縁遠くなったが、久しぶりに身近に感じた日、どこか違和感があった。きれいに修復された赤瓦はいいと思ったが、やはりどこか異なる空気が流れているように思えた。時の波間の中で変わっていくもの、それは関係性の濃度とも関係しているのだろうか。うつろうもの、すでにそこに身をおいていないゆえに、遠くなった憩いの場だった。何度もそのそばを通り、時にそこで弁当を広げ、小鳥たち、キャンパスの神と名付けたいそひよどりを見つめていた。「きゅうよう橋」までよく歩いた。白鷺や青鷺を見るために~。散歩は鳥たちとの出会いの場でもあったのだ。
壊れていた屋根が修復されてきれいになった!
白い幹に魅了されたそこは夏には蝉たちの愛の絶唱の場!
研究棟から見下ろす首里の杜の色合いは季節の移ろいを告げていた!
あの日、あの時、そして今、うつろうものの中で、無常を生きている~。存在が無になる時~。生きる闘い、意識が明瞭な中で身体が内から浸食されていくように衰えていく、「地獄だ」と語る言葉を聞きながら、日々を生きる姿を見守っている~。