志情(しなさき)の海へ

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国立劇場おきなわが企画してきた創作舞踊のコンテストはおかしい?審査員の作曲や作詞が創作に使用される?

2013-10-05 13:21:43 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

          創作舞踊に応募する舞踊家と審査員が、すでに裏でつながりがある沖縄芸能の創作の現場は「おかしい」ですね。審査員の創作曲やその他、歌詞などが使用された創作舞踊を披露するという、こんな裏工作のような創作舞踊審査の場はおかしいですね。最初から公平な選考ではありませんね。審査委員、選考員と全く関係がないことが実証されるべきで、あるいは審査員にはまったく候補者(応募者)と関係のない方々を依頼する当然の配慮がなされるべきだろう。しかし沖縄の芸能創作の場はどうもグレーゾーンのようですね。これではだめですね。

公平さがない所に新しい花は咲きませんね。

応募者(候補者)と審査員(選考委員)が関係ないことですね。出来高レースはどこでも人選や採用の時、大学でもあるのですが、すでに学長とか関係者の子弟(や親戚縁者)が本採用されるレールが敷かれているようなこともあるのですが、≪芸術創造の場≫でそんなことがあってはなりませんよね。実力が無い者たちが親や関係者の縁故でXXに採用される現実はもう至るところにある事で、世間の話の花かもしれませんね。そうした村社会の機能は至るところにはびこっています。≪政治家の世襲制が目立ちます≫教員採用試験でも縁故者を書くコーナーがあるわけですからね。公務員試験でもそうです。(←以前はそうでしたが、現在はどうでしょう?)「芸術創造の現場」もまたそうだった、にがっかりですが、どうもですね。

ただ賞にはすべて仕掛けなり仕組みがあるわけで、これもPOLITICSなんですね。政治です。存在のすべては=政治的な営みと言えなくもないのですが、強烈に、ある作品を推薦する(押す声とその論理化)パッションの力があるようですね。興味深いです。

いつでも、HUNGRYで実力があって実績を示していく才能にエールを送ります。Stay hungry, Stay foolish,so did Steave Jobes said.

ただ選考員を変えればいいのか、創作舞踊の現場に公平な風が吹くことを念じています。応募する方々が決まった時点で、その方々と全く関係のない審査員(選考委員)を選択する方向性もありですね。

秋の雑草の花、いっしょに揺れて足元を見つめる。

 (琉球芸能の地謡はとても重要です!古典、民謡、琉球舞踊、組踊、沖縄芝居は地謡なくして成り立ちません!写真は『昔子守節』の地謡を担ったみなさんです。)


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