http://matome.naver.jp/odai/2135092862262301701
明治以降の沖縄の女性美の世界も日本の動向に比例する事例が多いのかもしれませんね。美人への憧れはまたエロスとタナトスの鼓動を伴っているようです。美への憧れは永遠への憧れでしょうか?人間の美、人工美、自然美、精神の美、真実の美、美もさまざまで、あなたはどんな美を求めているのでしょうか?
http://matome.naver.jp/odai/2128832694640085101←100年前の日本の写真もとても興味深いですね。説明がどうも間違っているのもあるけれど、そこはご愛嬌かもしれない。そこから見えてくる世界と沖縄と比較してみるもの興味深い。
絵画や写真、イラストに見える世界はまた文献ともことなるイメージを与えてくれるのは確かだね!図書館などで眠っている貴重写真は研究者だけのためのものではないはずで、オープンにすることによる認識・感性の深まり広まりはありえる。その点、ネットによる開示はグラスルーツの運動になるのかもしれないね。一定の村に隔離される情報なり真実ではなく共有し共感しあう文化の広がりが好ましい。閉ざすことによる文化価値もあるかもしれないが、赤マタ黒マタの祭祀のようにー、それも宗教的秘儀になってしまうね。それでいいかもしれない。観光客はOUTにして自らの世界に鎮静したらいいと思う。他者との共感を拒絶するかぎり、開示してはいけないのかもしれない。写真媒体に晒されないための工夫があるが、晒すこと、晒されることが次のステップだろうか?際どいところが常にともなう。秘匿がプライバシーの侵害になり個人が自殺に追い込まれる社会でもある。尊厳のありかが問われる。秘匿され守られ分析をこばむ対象がある。それらを含めて切り刻まれなければ先にすすまない歴史の進化の現在なのかもしれない。痛い・残虐な・真実という刃の矛先、に何があるのか、膨大な知恵なり精神の塊が追及するもの、人間の歴史のたゆまない進化の果ての現在の物・技術先導の世界からこぼれるもの、先に進む頭脳、果てしない旅が続いている。
とりあえずは目先のターゲットだが、今日は原稿を仕上げなければ、で写真展の最終日、その世界に淫した者たちとの対話のためにちょっと見なければ、だがー。