goo blog サービス終了のお知らせ 

志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

映画・女優批評「満島ひかり」

2010-08-29 12:13:35 | グローカルな文化現象
「愛のむきだし」をムービープラスで見て以来、女優満島ひかりが気になって彼女が出た映画「プライド」や「クヒオ大佐」をレンタルショップで借りてきて見た。「愛のむきだし」もすでにDVDとして貸出されている。「かけら」と「川の底からこんにちは」は桜坂劇場に行く必要があるようだ。行けるだろうか?

一条ゆかりの漫画「プライド」を映画化した作品は面白かった。若い25歳?のひかりさんの奥に秘められた演技力というか、演じる身体・精神に文字通り暗い(?)光が満ちている。祖父がフランス系アメリカ人という彼女の表情の光と影は沖縄の無残な地上戦の後のラブストーリーが背後にあるという事で、明るい亜熱帯の光と影が否応もなく彼女に満ち溢れている何かが、表象としての演技にも出ているような、と書くと主観丸出しである。とにかく満島ひかりは舞台女優としても演じてほしい大きな器だと今感じている。白石加代子に近い形で映画と舞台を演じられたらいいのだがーーー。大女優になれる女性だ!

それにしても最近の映画は漫画と合作したような雰囲気である。「愛のむきだし」も「プライド」も漫画的だと感じたのだが、特に「プライド」は漫画の映像化である。漫画の表紙と実写がよく似ている雰囲気で、金持ちのお嬢さんでオペラ歌手を目指している史緒(ステファニー)に対して母子家庭の出身でアルバイトを掛け持ちしながらやはりオペラ歌手を目指す緑川萌の役が満島ひかりの役である。どうやら漫画も今年の2月には完結しているらしいが、興味本位に物語の結末も探ってみたら、このゴージャスなオペラ歌手たちの恋愛と結婚とオペラの結末は上層階層の勝利という結末のようだ。プライドは鷹揚に維持されたという事である。あくまで血筋と品のよさにこだわった漫画家の好のみという事だろうが、映画は4人の男女の留学に至るまでのプロセスが面白く描かれている。

それぞれに夢に向かって生きる現在の青春の形が対象的な人物たちの造形に、将来作曲なりオペラ歌手を目指すという夢が背後から支えるゆえに、楽しめた。貧しい者が何でもばね・コテにしてのし上がろうとする、そのエネルギーを満島ひかりが演じていた。彼女は人間の本能のむきだしを演じられる。つまり負の部分を、人の痛みを、開き直りを、貪欲を、美しさを、純粋さを、母を殺したいパッションを演じられる。お嬢さんはおなじ型を演じても貧しい者はもっと心の渦に襲われている。その役を演じのけた!

踏みつけられても、伸びようとする雑草のイメージだが、そこに共感を覚える者は多いに違いない。しかし、影像では彼女のオペラの美への願望は、歪められ、歪みながらも徐々にその方向性を照らしてくれる。男のロマンを描くなら、底辺やどん底からのし上がり、愛する女性とゴールインあるいはあくまで愛を追求して果てる抒情が流れる。しかし、萌の場合、報われない対幻想を生きているが、彼女の夢が彼女の厳しい生活実態を支える。対象がもたらすコミカルな風味が映画を楽しませた。また織り込まれるオペラや音楽のライブがいい。

満島ひかりの表情はしかし「愛のむきだし」でも似ている。また「クヒオ大佐」でもそうだ!「クヒオ大佐」は堺雅人が結婚詐欺のアメリカ人空軍大佐(実は日本人)をうまくコミカルに必死に演じて3人の女たちを手玉に取る姿が笑えるが、騙される特に2人の女その一人の地味な野性植物研究(学芸)員春が満島ひかりの役である。「なぜ私なの?」愛し合った後で真実を知った彼女はそう男に問う。それはなぜ自分が?という自問でもある。そして海に投げ出される。水中から見える光に向かって彼女は助かるがーー、せめてもの救い!。弁当屋の女社長も騙されお金を貢ぐが、それでも彼女はつかの間の幸せを感じていた!人は騙されても騙されている空間にまた酔えるものなのかもしれない。騙す方も酔いつつ、かつ必死に演技する。よく演じるとはよく生きることである、というテーゼが聞こえてくる。

しかし人は己を騙すほど、自身に嘘をつくほど、息苦しい存在でもあろうか?


湾岸戦争を背景にしたこの映画は結婚詐欺師と騙される女たちを素材にしているが、じつは極めて政治的であり、時代の空気を伝える。アメリカに魂を骨抜きにされる日本の姿が騙される女たちに重なっていく。いじましいアメリカの核の傘に守られている日本が女の姿で立ちあがってくる。騙されない目線を持てるのか?アイロニーと卑屈さ、懸命さ、生き残りをかけた騙しのテクニック!サバイバルと孤独、人は夢を、幻想をまたもちたい!幻想のほころびから、痛みから立ちあがる時、見える空はどんなものだろうか?

さて気になるのは、満島ひかりの顔、表情が類似するという事である。なぜかヘアースタイルも似ているようなーー。いい役者は役を演じる。表象する身体が別の人格を演じなければならないわけで、どれだけ客体としての役柄を演じられるかが、問われるのだろう?

萌の役もヨーコの役も似ている。春の役は地味な学芸員だが、見え隠れするのは、ある種の自己破壊を辞さない過剰さを秘めた人物造形だという事か?そこに惹かれているのかもしれない。また徹底的に壊れる自我が見えるのもいい!「むきだし」のことばに合った雰囲気の満島さんが、どうさらに化けて人間存在の複雑怪奇な実存(身体)を演じていくか、身守りたい!彼女が舞台作品で主役を演じるのなら是非東京へ行っても見たい!

<写真はPCから:満島ひかり>

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。